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「能力主義」、「自己責任」・・・厳しい言葉ばかりでは、人の心は疲弊する

2021-10-17 21:39:53 | アラカルト

Huffpostに、以前NHKの「白熱教室・正義の話をしよう」で一躍有名になった、ハーバード大学のサンデル教授と作家の平野啓一郎さんの対談動画(youtube)が掲載されている。
Huffpost:「自己責任論」は日本特有の問題なのか?ハーバード大サンデル教授と話し合った

時間にして約1時間の動画なのだが、その内容はなかなか聴きごたえがあった。

おそらく日本で「自己責任」という言葉が、聞かれるようになったのは20年ほど前、渡航禁止されていた中近東の国に身の危険を顧みず入国し、テロリストに人質となった民間人のニュースが連日報道されるようになってからだったような気がしている。
確かに、政府は「渡航禁止」と発表し、実際渡航できないようになっていたにも関わらず、入国をし案の定テロリストにつかまり人質となり、テロリスト側から日本政府に人質解放の条件を出される、という一連の出来事は、「自己責任」と言えるかもしれない。
個人的には「人質となった渡航者とその家族の覚悟の問題」だと思っていたのだが、そのような状況になれば政府としても動かざる得ないことは確かだろう。
テロリスト側も日本政府からお金なり何かを引き出すために、人質を取っているのだから、その交渉を要求するのは当然だろうし、そこまでの「危険」を知った上で「自分の身をどうするのか?」という考えが、最初から必要だったという「自己責任論」は、一理あったかもしれない。

ただ、この「自己責任論」という言葉が、次第に様々なところで使われるようになる。
「就職氷河期」で正規雇用者として就職できなかったのも「自己責任」、「リストラの対象になるのも自己責任」というような使われ方までされると、「本当の自己責任とは何か?」という問題の本質が抜け落ち、個人ではどうしようもない問題であっても「努力が足りないから自己責任」というニュアンスで、様々な要素を持つ「弱者」を傷つけるようになっていった。

何より問題だと感じたのは、その「自己責任」と切り捨てるような発言をする人自身が、「切り捨てた弱者」に近い環境に置かれた人たちであった、ということだと思う。
言い換えれば「明日は我が身」という、不安を抱えた人達がこのような厳しい言葉を「弱者」となった人達に投げつけていたのだ。
そして本来であれば、手を差し伸べられるような環境にある社会を動かす力のある人達の多くが、見に見ぬふりをしてきた、という気がしている。
何故「見て見ぬふりをしてきたのか?」と、考えるとそこにはやはり「自己責任」という「努力をしないのが悪い」ということに集約されるのではないだろうか?

その「努力」というのが、「能力主義」と結びついたのがこの20年余りだった。
「能力主義」というよりも、「成果主義」と言ったほうが良いのかもしれない。
「成果が出ない=努力が足りない」ということであり、「能力主義」という評価の物差しによって、人を図るような社会的雰囲気があり、企業内においては正に「成果主義」によって、リストラの対象評価としてきたのではないだろうか?

このような社会では、生活者は常に「過度な緊張を強いられる社会」と、いえるのではないだろうか?
「過度な緊張を強いられる社会」の中で生まれた言葉の一つが「マウンティング」という、上下関係をつくる言葉が日常的に使われるようになったような気がするのだ。

それは、本来人が営む生活の姿なのだろうか?
丁度今、衆議院が解散し選挙が今月末に行われることが決まっている。
今のような、本来的な意味とは違う「自己責任」や「能力主義」そして「マウンティング」が平然と行われている社会は、人の心が疲弊する社会でもある。
その問題に政治家候補者たちは、どのように考えているのか?
この選挙期間は、それを見極める時間でもあるように感じている。



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