日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「右脳」で感じる力を身に付ける

2014-08-10 13:31:13 | ライフスタイル

台風11号が、猛威を振るっている。
東日本大震災や阪神・淡路大震災のような震災に限らず、毎年のように日本各地を襲う台風でも、自然の脅威と人の無力さを感じる。
その自然の力の前では、人の力などなすすべがない程「微力」なはずなのに、目を転じれば「国益」や「民族・宗教のため」という理由で、世界各地で紛争や戦争が絶えることがない。
「紛争」と言わないまでも、他国の領土や資源を奪うことが「国益」だと考え、紛争の種を蒔く国もある。
何故、そのようなことを「正当なこと」として言えるのだろうか?と、考えると「自分のことしか考えていない」からだと思う。

昨年の今頃、ジル・ボルト・テイラーという神経解剖学者の本を読んだ。
37歳でご自身が「脳卒中」になり、「脳卒中」が起きた瞬間から経過、回復までのことを書かれた本だ。
ジル・ボルト・テイラー:「奇跡の脳」
米国で出版後、TEDにも出演されている。
TED:ジル・ボルト・テイラーのパワフルな洞察の発作

テイラー博士が経験した「脳卒中による左脳と右脳の経験」は、とても考えさせられるモノだと思う。
それは「自分」の存在を意識させているのが、左脳の役割で、その左脳によって過去~未来へと結ぶ情報を処理している。
左脳の大きな役割の一つが「自分」という存在の意識であり、その「自分」から見た過去~未来へと続く様々な情報を処理している。
「左脳」がつくりだす「自分」の存在によって、人は「自己」を意識し「他者」との関係を考えるコトができる、と言う点も興味深い。
一方、「右脳」が「自分」をなくしすべてのモノとの一体を感じる、と言う役割を持っていて、「右脳」がつくりだすのは、平和で美しい世界である、とも説明をしている。
テイラー博士は、「感情」という点には触れていないのだが、もしかしたら「感情」そのものも「左脳が作り出したモノ」かも知れない、と言う気がしている。
何故なら「感情」そのものは、「自分と他者の関係」の中で生まれてくるのでは?と、私は感じているからだ。
少なくとも「憎悪」などの、ネガティブな感情というのは、自分と他者との関係性の中で生まれている、と言う気がする。

私の理解不足が多々あるとしても、テイラー博士の発見は様々なことを示唆していると思う。
それは「平和で美しい世界」を創る力はすべての人が持っており、「自分のこと」だけを考えるコトや止めると言うことだ。
すべてを止める必要は無いと思う。
ただ、1日に数分、10数分でも「右脳のささやき」に意識を集中させるだけでも、随分違ってくるのでは無いだろうか?

テイラー博士は、すべての機能を回復させるまでに8年という時間を要し、今でも活躍をされている。
そして、「左脳のおしゃべりが酷い時」には、「少し黙っていて!」と、「右脳」へのスイッチを入れるそうだ。
この様な「スイッチの切り替え」が、安倍さんをはじめ「力で世界をおさめたい」と感じる人達には必要な気がする。


「節電・省エネ」生活者の努力より、政策が重要?

2014-08-08 19:01:10 | アラカルト

毎日新聞に、ややショックな記事があった。
毎日新聞:米NPO:「省エネ大国、日本」もはや幻想 中国より下位

「中国よりも下位」というコトに、ビックリというかショックを受けたのは私だけでは無いと思う。
と言うのも、日本の省エネ技術そのものは、年々向上し世界をリードしている、と思っていたからだ。
クルマや家電など、ここ10年余りで飛躍的な「省エネ性能」を搭載した製品が次々と登場し、その様な製品を積極的に使う生活者は増えているし、毎週末に折り込まれる家電量販店のチラシなどを見れば、当たり前のように「年間あたりの消費電力価格」などが表示されているからだ。
クルマにしても、燃費向上やハイブリッド車、昨日は政府の政策として「燃料電池車購入に300万円の補助」という、ニュースもあった。
讀賣新聞:燃料電池車購入に300万円補助・・・年内にも開始
それまでも夏は「Cool Biz」、冬は「Warm Biz」の励行で、「省エネ生活」に心がけてきた。

東日本大震災以降、その傾向は益々強くなり、「エアコンを使わず、熱中症のため室内で亡くなる」という悲劇まで生み出している。

「地味な努力をしているのに・・・」と言う気持ちを持ちながら記事を読むと、「省エネ政策が、積極的に打ち出されていない」というのが、要因のようなのだ。
しかし日本の場合1970年代の「オイルショック」以降、様々なエネルギー問題が起きる度に、企業は「省エネ技術」を発展させてきた。
1980年代以降、一般家庭に「エアコン」が普及し、CO2排出量が増えたことは確かだと思うが、それでも「省エネ生活」の努力は生活者なりにしてきたと思う。
そう考えると、今の日本で「これ以上の省エネ」というのは、難しいのでは?と言う気がしてしまう。
もちろん政策として、「循環型エネルギー社会の推進」ということは、より積極的に行う必要があると思うが、「削るトコロがほとんど無い」という状況での、新たな「省エネ」というのは本当に難しいのでは?

もし政策として、より「省エネ」を進めるとすれば「循環型エネルギー事業の推進」くらいなのではないだろうか?
おそらく「高効率の循環型エネルギー技術」そのものは、既にある程度出来ており、発送分離などの推進とともに政府が政策として後押しをするか、しないかと言う問題の様な気がする。
「原発から高効率の循環型エネルギー事業」に対する政策を打ち出さない限り、中国よりも下位になってしまうのでは?と言う気がする、米国のNPO「国別省エネランキング」と言う気がする。


PM2.5とビジネス

2014-08-07 16:59:22 | ビジネス

日経新聞のWEBサイトを見ていたら、「意外なトコロにビジネスチャンスがあるのだな~」と思う記事があった。
それが「PM2.5はシミ増やす。美容業界が注目する新市場」という記事だ。
日経新聞WEB:PM2.5は「シミ増やす」 美容業界が注目する新市場

昨年の春先から問題になり始めた「PM2.5」。
その発生源(と言うべきか?)である中国よりも、日本のほうが深刻に捉えている様な気がしている。
実際、北海道ではこの時期になってもPM2.5が観測されるようで、子どもを外で遊ばせない(遊ばせたくない)という、お母さん達が多いと聞く。
子ども達にとっては「いい迷惑」だと思うのだが、発生源である中国が何らかの手を打たない限りこの様な状況は、続くだろう。
その状況から、自衛策として空気清浄機などを設置したりする家庭が増えたようだ。
しかも「上級機種」と呼ばれるタイプが、人気のようで例年なら売り場そのものが縮小される家電量販店をみても、売り場は縮小されていない様な印象だ。

日経の記事は、これまでPM2.5関連商品と言われていた空気清浄機などの商品だけではなく、意外にも(?)美容関連にも関係がある、と言うレポート記事となっている。
記事にあるとおり、この様な「外からの汚れを肌に入れない」という視点から考えれば、真っ先に登場するのは「洗顔料」というコトになる。
微細な汚染物であるPM2.5を落としつつ、肌の潤いはキープ。
そんなコピーの商品が、化粧品メーカー各社から登場する日も近いだろう。
一部家電メーカーが発売している「洗顔ブラシ」などもより、高機能化することも考えられる。
と同時に登場しそうなのが、「肌に入れない=メイクでカバー」という方法の提案だろう。
実際、「日焼け止め」関連の商品というのは、一般的な「日焼け止めローション・乳液」だけではなく、ファンデーションにもその様な機能を持たせた商品が一般的になりつつある。

そう考えると、様々なビジネスがこのPM2.5に関わり始めている、と言うことだと思う。
例えば、上述した通りPM2.6によって「外で遊べない子ども達向け」のサービスが、提供される様になるかも知れない。
子ども向けイベントで使われている様な遊び器具が屋内に常時設けられ、子ども達が自由に体を動かせる様な、チョットした「アミューズメント施設」だ。
もっと本格的な「野外遊びができる屋内施設」も考えられる。
他にも「PM2.5検査済み・安全農作物」などが、登場するかも知れないし、一部で話題になった「野菜工場」で野菜が作られるのが当たり前になってしまうかも知れない。

本来出あればこの様なビジネスが登場するコト自体、余り良い社会傾向だとは思えない。
しかし、PM2.5に対する対策が中国などで積極的に行われない限り、自衛策としてこの様なニーズが生まれてくる可能性はあるし、実際その様な商品が登場しているコトを考えると、複雑な気持ちになってしまうのだ。


飲食店の24時間営業って、本当に必要?

2014-08-06 21:47:09 | ビジネス

「すき家」を運営しているゼンショーHDが、3月期決算で赤字となるらしい。
日経新聞:ゼンショーHD、「すき家」一部休業で13億円の最終赤字に

ゼンショーHDと言えば、最近では「ブラックな企業」と言われることが多くなってきた。
深夜の営業時間にアルバイトが1人、とか100時間を超える残業などなど、「ブラック度の高い企業」という印象が、より人材不足に拍車を掛けるコトになっているのではないだろうか。

ところで以前から不思議に感じているコトがある。
それは、「飲食店の24時間営業」だ。
確かに「いつでも食事ができる」というのは、魅力的なサービスだと思う。
思うのだが、24時間営業している必要性がどれほどあるのか?と言う疑問があるのだ。
「深夜食事をする人がいない」とは言わないが、その様な人はわずかなのでは?
繁華街などでは、深夜遅くまで仕事をされている方も数多くいらっしゃるとは思うが、郊外にあるファミリーレストランを含めた飲食店を利用している人は、数少ないと思う。

「わずかでも利用者がいるから営業をする」と言うことだとは思うが、その「わずかな人」がもたらす利益と経費を比べると、本当に利益が出ているのだろうか?
今では、コンビニなどもあるので深夜「なにか食べたい」と思っても、買いに行く場所には困らない。
そう考えると、長時間アルバイトを働かせて「ブラック度の高い企業」と言われるよりも、適度な時間で閉店をしてしまったほうが、いろいろな面でメリットがあるのではないだろうか?

営業時間の短縮ができないのは、「同業者が営業しているから」と言う理由だとは思うのだが、単価の低い飲食店で24時間営業し、利益を出すコト自体無理がある様な気がする。
案外、営業時間を短くしてしまっても、売上げには余り影響が無いのではないだろうか?
業界全体で「営業時間の短縮」を打ち出せば、利用する生活者側も受け入れ易いと思う。
何故なら、30年位前までは「24時間営業の店」というのはほとんど無く、「不便だったか?」というと、さほど不便では無かったからだ。
本当に「24時間営業」が、生活者にとってメリットのあるサービスなのか?社会にメリットがあるサービスなのか?考え直す時期にきているような気がする。


間違いを訂正する勇気とタイミング

2014-08-05 19:42:09 | 徒然

朝日新聞の一面に「慰安婦問題の本質 直視を」という記事が掲載されている。
それだけではなく、24、25面には過去に朝日新聞が報道した「慰安婦記事」についての検証記事を掲載している。
これらの記事を読んで感じたコトは「今更・・・」と言うことだ。

問題なのは、この問題の根本である「本当にこの様なコトが行われてきたのか?」というコトと、この問題をクローズアップした元の記事が捏造ではないか?と言う再三にわたる指摘の中でも、朝日新聞が検証をしてこなかったコトだと思う。
このことに関しては、マーケターの大先輩である大西宏さんが指摘をされていらっしゃるので、あえて書くことは避けたい。
大西宏のマーケティング・エッセンス:従軍慰安婦問題を煽った足新聞はたんある謝罪では済まない

もし、この「慰安婦問題」をスクープした直後に、「しっかりとした裏付けが取れない記事でした。記事を撤回します」と、朝日側が行っていれば、おそらくこれほどまでに「慰安婦問題」が大きくなるコトはなかっただろう。
今では女性の社会進出以前の問題として、「野蛮な国・日本」という韓国のイメージ戦略が勝っていると言う状況にある、と言う印象がある。
もちろん、朝日の記事だけでは無く韓国側のロビー活動などもその要因であることには間違いないが、その根拠となっているのが朝日新聞の記事と言うことを考えると、取り返しが付かない程国益を損ねたと言うことになるだろう。

そして不思議なのは、何故今このタイミングなのか?と言う点だ。
間違いを訂正するチャンスというのは、時間の経過とともになくなっていく。
早い時点であれば、検証する時間も短く証言も多く集められたはずなのだ。
記事が出てから20年近く経ってしまうと、記事そのものの信憑性よりも「あったこと」という認識のほうが強くなってしまう。
「今訂正をする」となると、おそらく訂正された認識が定着するまでには20年以上の月日が必要だと思う。
それほど、韓国側としては政治的に利用価値が高い記事だったと思うし、その記事を元にいろいろなトコロでロビー活動をし、成功してきたからだ。

それにしても「女子挺身隊」と「慰安婦」を区別できなかった、と言うことには驚きだ。
何故なら、私が高校生だった頃世界史の教師自身の経験として、戦争体験を話す中で「女子挺身隊」の話もあったからだ。
今から30数年前の時点で「わかっていたコト」を間違えると言うのは、記者として問題だと思う。


イノベーティブな発想の源は?

2014-08-04 19:43:06 | ビジネス

東日本大震災が発生して。丸3年が過ぎた。
被災地支援も義捐金などが中心だったモノから、随分変わってきたはずだ。
むしろ「自立した生活」などへと移ってきているのでは、ないだろうか?
とは言うものの、あれだけの甚大な被害があったのだ。
「人も金もKnow-howも失ってしまった」のでは?
そんな東北に対して、企業が「人材を派遣する」と言う方法で支援をしているケースがある。
日本財団が行っている「Work for 東北」というプロジェクトだ。
日本財団:Work for 東北

このプロジェクトで注目すべき点は、「派遣した企業側にもメリットがある」と言うことだ。
と言うのも、派遣される社員はそれまで企業内での仕事ばかりに目がいっていた。
ところが、被災地という全く違った環境に置かれるコトで、「問題点」や「組織を創りあげる」など、それまで経験をしたコトの無い経験をするコトになる。
それだけではなく、派遣されたトコロで感謝されることが「自分達の自信」にも繋がっているはずだ。

大切なコトは「それまでと違う環境に身を置く」コトで見えてくる様々な「モノ・コト」が、実はイノベーションの源になる、と言うことなのだ。
もちろん、「イノベーションの源」と感じるか否かは、個人の感覚や感性によるトコロになってしまうのだが、少なくとも慣れている環境以外の場所で、仕事をするというのは、ストレスもあるがそこから学ぶコトも多いのでは無いだろうか?

そう考えると、被災地への人材派遣には「win-win の関係」が期待できる。
派遣するに当たっては、派遣する人材とよく話をし決定される必要があるが、若い世代だけではなく人事や経理経験の長い社員の派遣は、もっと効果があるかも知れない。
何故なら仕事に慣れていると、どうしても「ルーチン化」し易くなってしまう。
仕事そのものへの「疑問」がなくなっている為、変化させることがとても難しいからだ。
それを「被災地」と言う、特別な環境に移すコトによって様々な視点や疑問が生まれ、それがイノベーションへと結びついていく可能性が高いからだ。

「被災地」で感じ・考えたことをフィールドバックさせるコトで、社会活性化となる可能性がある。
企業が被災地にできるコトと言うのは、今は「win-winの関係」を創ると言う段階に入っているのかも知れない。


違和感のある報道

2014-08-02 19:57:00 | 徒然

佐世保で起きた、高校1年生の女子生徒同級生殺人事件では、事件の内容がショッキングだっただけに、雑誌などは報道に力(?)が入っている様に感じる。
そのコト自体、問題はないと思うのだがその内容を見ると、違和感を感じることがある。

その一つが「自分のことを僕と呼ぶ、変わった子」だ。
このことに感しては、先日のエントリでも書いているので改めて書かないが、他にも被害者と犯人である同級生が「アニメファン」であったとか「ボーカロイドのファンであった」というコトがいかにも「問題である」かの様に取り上げられている。

確かに以前、「少女マンガのオタク趣味」の青年が、幼女~少女を次々に殺害をしたという事件があった。
「東京・埼玉連続幼女殺害事件」だ。
この事件で「オタク」という言葉が一般的になり、長い間「オタク」という言葉には余り良い意味で使われるコトが無かった。
今でこそ「オタク文化」などと呼ばれ、「コスプレ」をしても「あ~~コスプレが趣味なのね」という社会認識に変わってきているが、20年近く前までは「風変わりな人」とみられていた。

その発展形(?)とも言える「ボーカロイド」のファン、と言う共通の趣味を持っていた少女が事件を起こしたからと言って「ボーカロイドファン=半社会的趣味を持っている」という様な印象を与える表現で、報道されるコトに違和感を感じるのだ。
と言うのも「ボーカロイド」そのものは、全世界にファンがいて「Cool JAPAN」の一つとして日本が世界に売り込もうとしている「文化」の一つだからだ。
「ボーカロイド」と言ってもピンッとこない方もいらっしゃるかも知れないが、「ボーカロイド」で世界的に有名な存在となっている「初音ミク」と言えば、ご存じの方も多いと思う。

この様な事件が起きる度に、記事を書く大人側にとって理解されていないコトに興味があると、そのコトに対して「おかしな傾向が見られた」的な書かれ方をするような傾向がある様に感じている。
例えば今子ども達の間で大人気となっている「妖怪ウォッチ」などの魅力は何か?とオバサンである私が一生懸命考えても、わからないというのが本当のトコロだ。
おそらく子ども達にとって、引きつけられる何かがあるのだと思う。
「自分がわからない」からと言って、それが「おかしなコト」と言うのは、大人の「勝手な思い込み」という気がするのだ。

むしろこの様な報道が犯人である少女の本当の気持ちや考え、姿を見えにくくさせてしまうのではないだろうか?


メーカー視点、ユーザー視点

2014-08-01 19:21:59 | マーケティング

昨日、某大学で開かれた「未来社会創造」をテーマにした、オープンセミナーへ出掛けてきた。
「未来社会創造」といっても、いろいろなコトが考えられる。
大学でのテーマは「高齢化社会とモビリティ」だった。
クルマのエクセレントカンパニーのお膝元だからこそのテーマだろう。

オープンセミナーでの中心は、「10年後の未来」を「モビリティ」というモノで考える、と言う内容だった。
10年後というと、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる世代が、「後期高齢者」になり始める頃だ。
その彼ら(彼女たち)にとって、「快適なモビリティ社会」という考えでの、産学協同の研究発表が主だった。
ただ、その内容を聞いていて、何となくイライラした。
理由は、「モビリティ」を造る側からの視点ばかりだったからだ。

おそらく今の日本で「高齢化社会」をテーマに研究をするなら、いわゆる「過疎地」での高齢者の生活が参考になると思う。
もちろん、都市部で生活をしている高齢者も数多くいる。
しかし「モビリティ」という、移動手段を必要としている高齢者は圧倒的に「過疎地」と呼ばれる地域に住んでいる高齢者なのではないだろうか?
実際、実家に帰省すると感じるのだが、自動車の運転が不安な高齢者の姿を見ることは当たり前になってきている。
「それでも運転ができる」と言う意味と現実を分析するコトで、10年後の高齢者のドライバー像が見えてくるだろうし、いわゆる「逆走する高齢ドライバー」よりも、もっと大きな問題が見えてくるはずだ。

にも関わらず、「モビリティ」という移動ツールから発想すると、現実としてどうなの?と感じるモノが出来てしまう(様に感じた)。
何故なら、発想している人そのものが30代~50代で、10年後と言っても今と同じ様な感覚で、運転ができる人達だからだ。
例えば、「高齢者ドライバーが高速道路などに合流する為の支援システム」と言う発想は、とても有益で面白いと思う。
しかし、75歳の後期高齢者のドライバーがどれだけ高速道路を利用しているのか?と言うことを考えると、また違った発想になるのでは?
と言うのも、高齢者になるとそれまで普通に高速道路を利用していても、不安を感じ利用するコトが減ってしまうからだ。
高齢者が移動したい理由とその活動範囲に合わせた「モビリティ」という発想が必要なのではないだろうか?
その様な視点が全く感じられないコトが、とても残念だったしイライラしたのだった。

このオープンセミナーそのものは、文科省とその外郭団体である独立行政法人科学技術振興機構が中心になり研をし、大学が主催しているのだが、「モビリティ」そのものの発想は大学では無く、企業によるもの。
メーカーの発想とは、こんな感じだったのか?と感じ、「ユーザーフレンドリーなモビリティ」という言葉に違和感を感じたのだった。