日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

違和感のある報道

2014-08-02 19:57:00 | 徒然

佐世保で起きた、高校1年生の女子生徒同級生殺人事件では、事件の内容がショッキングだっただけに、雑誌などは報道に力(?)が入っている様に感じる。
そのコト自体、問題はないと思うのだがその内容を見ると、違和感を感じることがある。

その一つが「自分のことを僕と呼ぶ、変わった子」だ。
このことに感しては、先日のエントリでも書いているので改めて書かないが、他にも被害者と犯人である同級生が「アニメファン」であったとか「ボーカロイドのファンであった」というコトがいかにも「問題である」かの様に取り上げられている。

確かに以前、「少女マンガのオタク趣味」の青年が、幼女~少女を次々に殺害をしたという事件があった。
「東京・埼玉連続幼女殺害事件」だ。
この事件で「オタク」という言葉が一般的になり、長い間「オタク」という言葉には余り良い意味で使われるコトが無かった。
今でこそ「オタク文化」などと呼ばれ、「コスプレ」をしても「あ~~コスプレが趣味なのね」という社会認識に変わってきているが、20年近く前までは「風変わりな人」とみられていた。

その発展形(?)とも言える「ボーカロイド」のファン、と言う共通の趣味を持っていた少女が事件を起こしたからと言って「ボーカロイドファン=半社会的趣味を持っている」という様な印象を与える表現で、報道されるコトに違和感を感じるのだ。
と言うのも「ボーカロイド」そのものは、全世界にファンがいて「Cool JAPAN」の一つとして日本が世界に売り込もうとしている「文化」の一つだからだ。
「ボーカロイド」と言ってもピンッとこない方もいらっしゃるかも知れないが、「ボーカロイド」で世界的に有名な存在となっている「初音ミク」と言えば、ご存じの方も多いと思う。

この様な事件が起きる度に、記事を書く大人側にとって理解されていないコトに興味があると、そのコトに対して「おかしな傾向が見られた」的な書かれ方をするような傾向がある様に感じている。
例えば今子ども達の間で大人気となっている「妖怪ウォッチ」などの魅力は何か?とオバサンである私が一生懸命考えても、わからないというのが本当のトコロだ。
おそらく子ども達にとって、引きつけられる何かがあるのだと思う。
「自分がわからない」からと言って、それが「おかしなコト」と言うのは、大人の「勝手な思い込み」という気がするのだ。

むしろこの様な報道が犯人である少女の本当の気持ちや考え、姿を見えにくくさせてしまうのではないだろうか?