日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

メーカー視点、ユーザー視点

2014-08-01 19:21:59 | マーケティング

昨日、某大学で開かれた「未来社会創造」をテーマにした、オープンセミナーへ出掛けてきた。
「未来社会創造」といっても、いろいろなコトが考えられる。
大学でのテーマは「高齢化社会とモビリティ」だった。
クルマのエクセレントカンパニーのお膝元だからこそのテーマだろう。

オープンセミナーでの中心は、「10年後の未来」を「モビリティ」というモノで考える、と言う内容だった。
10年後というと、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる世代が、「後期高齢者」になり始める頃だ。
その彼ら(彼女たち)にとって、「快適なモビリティ社会」という考えでの、産学協同の研究発表が主だった。
ただ、その内容を聞いていて、何となくイライラした。
理由は、「モビリティ」を造る側からの視点ばかりだったからだ。

おそらく今の日本で「高齢化社会」をテーマに研究をするなら、いわゆる「過疎地」での高齢者の生活が参考になると思う。
もちろん、都市部で生活をしている高齢者も数多くいる。
しかし「モビリティ」という、移動手段を必要としている高齢者は圧倒的に「過疎地」と呼ばれる地域に住んでいる高齢者なのではないだろうか?
実際、実家に帰省すると感じるのだが、自動車の運転が不安な高齢者の姿を見ることは当たり前になってきている。
「それでも運転ができる」と言う意味と現実を分析するコトで、10年後の高齢者のドライバー像が見えてくるだろうし、いわゆる「逆走する高齢ドライバー」よりも、もっと大きな問題が見えてくるはずだ。

にも関わらず、「モビリティ」という移動ツールから発想すると、現実としてどうなの?と感じるモノが出来てしまう(様に感じた)。
何故なら、発想している人そのものが30代~50代で、10年後と言っても今と同じ様な感覚で、運転ができる人達だからだ。
例えば、「高齢者ドライバーが高速道路などに合流する為の支援システム」と言う発想は、とても有益で面白いと思う。
しかし、75歳の後期高齢者のドライバーがどれだけ高速道路を利用しているのか?と言うことを考えると、また違った発想になるのでは?
と言うのも、高齢者になるとそれまで普通に高速道路を利用していても、不安を感じ利用するコトが減ってしまうからだ。
高齢者が移動したい理由とその活動範囲に合わせた「モビリティ」という発想が必要なのではないだろうか?
その様な視点が全く感じられないコトが、とても残念だったしイライラしたのだった。

このオープンセミナーそのものは、文科省とその外郭団体である独立行政法人科学技術振興機構が中心になり研をし、大学が主催しているのだが、「モビリティ」そのものの発想は大学では無く、企業によるもの。
メーカーの発想とは、こんな感じだったのか?と感じ、「ユーザーフレンドリーなモビリティ」という言葉に違和感を感じたのだった。