お盆で帰省中、父と何度かJRを利用した。
この春、自動車免許を返納した為にJRで出掛けることとなったのだが、その時「高齢者になること」ということを実感した。
と同時に「バリアフリー」の意味を、考えてしまったのだった。
実家の父は、母が亡くなった後「独居老人」状態でもひとりで家事をし、ご近所づきあいも積極的にしてきた。
免許を返納した後は、電動アシスト自転車でスーパーへの買い物をし、地元のバス会社の「高齢者向けパス」を使い、病院や月命日のお墓参りなど、クルマのない不便さをカバーしてきた。
ひいき目かも知れないが、ご近所の同世代の高齢者と比べても、行動的で自立した生活をしていると思っている。
そんな父が、JRの自動券売機の前で「固まって」しまったのだ。
何故だろう?と、父の姿を見ていると、自分が行きたい先の切符の値段が瞬時にわからないのだ。
それだけでは無く、自動券売機で切符を買うシステムが判っていないらしい。
直ぐに私が券売機で切符を購入したのだが、「何故、固まってしまったのか?」と考えたときに「バリアフリーって何だろう?」と、思ったのだった。
父が固まった理由の「行き先の切符の値段がわからない」というのは、券売機の上にある路線図が良く見えていないことが要因だったようだ。
高齢者になると、券売機の上にある路線図そのものを見ることが、一仕事となってしまっているのだろう。
実際、名古屋の地下鉄の券売機でも高齢者(に限らずだが)が、券売機の前で路線図を眺めながら困った表情で固まっている姿を見かけることがある。
それから、行き先の切符の値段がわかり、お金を入れようとしてもとても入れにくそうなのだ。
「慣れ」と言う部分も大きいとは思うのだが、もう少し「買いやすい券売機」という発想があっても良いのでは?と言う気がしている。
例えば、券売機の画面に路線図が表示され、表示された駅名をタッチすれば料金が表示される、とか硬貨の投入口もやや大きめにしたり、お札を入れるタイミングなどもゆっくり入れても「料金を入れて下さい」と自動音声が流れないなどの工夫があれば、随分買いやすいのでは無いだろうか?
私なども名古屋市交通局や名鉄が発行している電子マネー「manaca(マナカ)」のチャージをする時、わずかなタイミングのズレで「料金を入れて下さい」という自動音声が流れると、焦ってしまうことがある。
高齢者となれば、ますます焦ってしまうのではないだろうか?
これまで「バリアフリー」というと、段差が無いとか通路が広い、エレベーターやエスカレーターが設置されている、といったことを指すコトが多かった。
確かに、車いすやベビーカーを利用している人が動きやすいと言うことも「バリアフリー」だと思うのだが、「高齢者が自立した生活がし易い」ということも「バリアフリー」なのではないだろうか?
少なくとも、比較的経済的余裕のあるシニア~後期高齢者が、気軽に乗り物を使って出掛ける為のハード面での充実という視点も必要だと思う。
「高齢化社会」と言われて久しい日本だが、「健康高齢者が、生活し易い社会」という視点での「バリアフリー」を考える時期にきている様な気がする。