日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

スポーツトレーニングも、変化する

2018-07-16 07:22:59 | スポーツ
梅雨明け直後から、真夏の暑さが襲っている。
大雨の次は「殺暑(勝手に名付けました)」のような、暑さだ。
くれぐれも、体調管理には気を付けたいところだが、この体調管理が難しい人たちがいる。
子どもやお年寄りは当然だが、この炎天下部活などをしている生徒たちだ。

先日、部活動中の態度に問題があると、生徒を「罰走」として校舎周辺を80周(常識的な距離とは思えないが)走らせ、走らさせた生徒が熱中症で倒れ救急搬送される、というニュースも報じられている。
讀賣新聞:校舎80周走、市側は「体罰の範囲さえ超える」

この罰走を課した顧問の先生が、なぜ80周という常識を超える距離を走らせたのかは不明だが、そもそも炎天下でスポーツのトレーニングをする必要があるのだろうか?
罰走はもちろんだが、通常のトレーニングにしても、尋常ではない暑さの中でトレーニングをして、成果が上がるのだろうか?
確かに、高校生のスポーツ大会である「インターハイ」などは、炎天下の中で行われることも多い。
その暑さに慣れる、ということも必要かもしれないが、年々「猛暑」とか「酷暑」といわれる日が多くなりつつあると考えれば、「インターハイ」などの開催時期をずらすなどをして、参加する生徒たちの体調管理をしやすい環境で行うことを考える必要があるのでは?
その最たるものが、「高校野球」かもしれない。

その「高校野球」でも、指導方法を変えることで成果を上げている学校もある。
Huffpost:投手「走り込み」もう古い? 長距離走、禁じて愛知で春4強

どうやら「走れば体力がつく」というわけではないようだ。
確かに、野球は長距離を走るスポーツではない。
「打つ・出塁する・ボールを(走りながら)キャッチする」という一連の動作をスムーズに行う為には、罰走のような長距離を走らせるよりも、必要な筋力アップのほうが効果的だろうし、生徒も理解し・納得して取り組みやすいだろう。
実際、野球よりも試合でも走る距離が長いと言われているサッカーにしても、1試合で走る距離は想像よりも短いと言われている。

サッカーも、トレーニングに関して意識が随分変わってきているようだ。
西日本を襲った豪雨で、広島の高校生たちが自主的に被災民家の片づけや清掃を行った、と話題になったが、その高校生たちを指導している先生からは「日ごろから、自主的に行動する」ということを重要視している、という話があった。
BusinessInsider:【豪雨被害】安芸南高校サッカー部員が結成した「掃除隊」。自立心と思いやりを育てた監督の教え

見出しの部分だけを読むと、サッカーというスポーツの前に自立心と思いやりを育てる指導をしている、と読み取れる気がするのだが、本分を読むと、サッカーというスポーツを指導するうえで、自主的に考え行動する、という指導を日ごろからされている、ということが分かる。何より、全体練習そのものは週のうち2日だけ。後は選手それぞれがトレーニングメニューを決めるという。
選手個人がトレーニングメニューをつくること自体、なかなか難しいと思うのだが、そのような場合は監督からのアドバイスがあるのでは?と、想像している。

今年のGW明けから問題になった「日大ラグビー部」とは、随分違う指導方針で、成果を出している高校の部活がある、ということを知ると、ますます、日大ラグビー部の指導は前近代的で、効果の薄いものだった、ということが分かる気がする。
精神論や気力でスポーツをする時代ではなくなってきている、ということだろう。

炎天下、熱中症寸前になるまでスポーツをする時代ではない、ということだろう。

 

 





Win-Winの関係となる「産学協同」とは

2018-07-13 21:28:01 | ビジネス

今日の朝日新聞に、「これってどうよ?!」と感じた記事があった。
朝日新聞:超小型EV、名大キャンパスで実証実験 将来は学外にも

この超小型EV車のEV関連の開発をしたのは、青色LEDの開発でノーベル賞を受賞された名大の天野教授だ。
その天野教授が取り組む研究だからこそ、名大も力を入れている、ということは良く分かる。
ただ、このモデルとなったトヨタの超小型車を見て、何か感じないだろうか?
「どこかで見たデザイン」という気はしないだろうか?
メーカーは忘れてしまったが、10年余り前「超小型車」としてドイツの自動車メーカーが発売した「スマート(という名前だったと思う)」に似ているような気がするのだ。

それだけではなく、既にEV車そのものは実用化され三菱の「アイ・ミーブ」とか、日産の「リーフ」などが、一般車両として街中を走っている。
記事で読み取れる「新しさ」は、「自分でEVステーションに行く」ということくらいだ。
確かに、技術的には素晴らしいことなのかもしれないが、その程度(といっては失礼だが)では、インパクトも何もないように感じるのだ。
何故なら、「お掃除ロボット」の多くは、このような機能を持っているからだ。
生活者側としては、「お掃除ロボットの技術応用かな?」くらいにしか感じないのでは?ということなのだ。
これが例えば、「EVステーションに行くことなく、走行中にも自動で電力供給がされ、運転ができる」というのであれば、インパクトがあるどころか、大きなイノベーションとなると思う。

何故なら、自動車を運転していて「ガソリンを入れる」ということは、面倒なうえに「ガソリン切れ」などの心配があるからだ。
お盆休みなどで、大渋滞の最中ガソリンの残量が少なくなって、焦った!という方は、少なくないだろう。
他にも地方に行けば「ガソリンスタンドの激減」が、生活に支障をきたしている、という話も随分前からある。
もちろん、ハイブリッド車であればそのような心配は軽減されるだろうが、EV車であっても同じような心配や面倒臭さは変わらずにあるのでは?と、考えている。
言い換えれば、クルマのエネルギー源の補給の心配は、運転中にあるということだと思うのだ。

トヨタ側は、天野教授の研究をサポートしているだけではなく、様々なベンチャー企業に同様の投資をしているようだ。
朝日新聞:車の未来、つくろうよ トヨタがベンチャーと連携加速
確かに、今までのようなクルマづくりでは、「車の未来」を描くことは難しいだろう。
Co2の削減の為に、自動車のEV車両化は必須となってきている。
と同時に、日本よりも市場が大きな中国なども、急速な高齢者社会に突入していくことは、間違いない。
それは日本のような「生活者の意識変化」ではなく、長い間撮り続けてきた「一人っ子政策」という国の政策によるものだ。
日本や中国ほどではないにせよ、欧米でも緩やかな高齢者社会になることは、免れないだろう。
高齢者社会というのは、これまでの「自動車の在り方」のような考え方では、対応できることではない。

だからこそ、トヨタはトヨタ社外のアイディアを必要としているのだろう。
しかし、その関係はWin-Winの関係なのだろうか?
トヨタという資本力のある企業とのジョイントは、大学発を含ベンチャーにとって魅力的だと思う。
思うのだが、それはトヨタの意向に沿うモノづくりとなっては、「トヨタの下請け」になってしまう可能性も大きいのでは?
ベンチャー企業は、発想だけではなく自由な行動力があってこその魅力なのでは?
ベンチャー企業側から見たWinな関係ということもまた、日本のモノづくりを元気にさせるためには必要なことだと思うのだ。



 


高齢化社会が、不安な社会にならないために

2018-07-12 12:20:43 | 老親介護

梅雨が明けた途端、猛暑が続いている。
一昨日、昨夜などは熱帯夜と、感じるほど蒸し暑い夜だった。
7月の中旬でこの暑さだ、これから本格的な夏を迎えるのかと思うと、既に夏バテとなりそうだ。

このような猛暑が続くと、熱中症などで倒れる方も急増する。
独居老人を抱える我が家は、実家の父の安否が心配な季節でもある。
そのような心配を少し軽減させてくれそうな「緊急連絡システム」が、実験的に行われるようだ。

朝日新聞:腕輪型端末で在宅医療患者を見守り 岐阜の病院など開発

 腕時計のように、端末を身に付けることで在宅医療患者を見守る、というシステムのようだ。
このようなシステムの開発が急がれるのには、理由がある。
別名「2025年問題」といわれる問題だ。

2025年は、いわゆる団塊の世代の人たちの多くが、「後期高齢者」となる年なのだ。
厚労省も、その対応策を急いでいるはずなのだが、その中心となるのが「病院での看取り」ではなく、「自宅での看取り」の推進といわれている。
ご存じのように、今の日本人の多くは病院で亡くなっている。
くも膜下出血や脳梗塞などの「脳卒中」や、「心筋梗塞」のように、病院に救急搬送された時には、助からない状態の方も少なくないが、長期治療を繰り返し、亡くなる方も少なくない。
厚労省が考えているのは、この「長期治療を必要とする患者」を極力在宅医療へ切り替え、病院の病床数を確保しよう、ということだという。
随分前、病院のケースワーカーさんから伺った話だ。

もちろん、最近では「サービス付き高齢者住宅(通称「サ高住」)」のように、普段通りの生活をしながら、緊急時には病院の治療・入院が受けられるような高齢者向けの住宅(多くは賃貸のようだが)も、随分増えてはきているようだが、それだけでは難し部分もあると思う。
それが、我が家のような独居老人を抱えた、遠距離家族の存在だ。
そしてこのような「独居老人を抱えた遠距離家族」数は、想像以上に多いのでは?と、思っている(というより、実感をしている)。
それだけではなく、身よりの無い高齢者も、今後ますます増えていくだろう。

そのような社会的問題が、既に想像できる状況で、手をこまねいている場合ではない。
このような、身よりの無い独居者であっても、安心ができるケアシステムが必要な時代になっているのだ。
AIの活用などによって、これらの問題の一部でも解決ができるのであれば、それはとても喜ばしいことだと思うし、それが人の労力の軽減となれば、喜ばしいことだと思う。

個人的には、早くこのようなケアシステムが、現実化されることを願うばかりだ。


ノバルティスファーマのSNSの使い方

2018-07-11 12:20:00 | ビジネス

Facebookには、様々な企業広告が表示される。
もちろんすべてのFacebook利用者に、同じ広告が表示されているとは思わないが、私のFacebookには時折製薬会社のノバルティスファーマの広告が表示される(おそらく、がんの治療関係の情報からだろう)。
その広告というのが、とても一般患者向けの内容とは思えないのだ。
ノバルティスファーマ:ジカウイルスの脳への感染経路
トップに表示される写真は、決して気持ちの良いものではないので、ご注意願いたいのだが、記事の内容を読んでみると一般市民向け(患者向け)の内容とはとても思えない。
むしろ、医薬研究者向けなのでは?という気がするほど、専門用語のオンパレードだ。
ただ、このような内容の広告を一般向けに出すことに、どのような意味があるのだろう?と、考える必要もあると思う。

「ジカ熱」といっても、実は日本での発症例は2例ほどしかない。
その感染ルートも海外旅行によるもので、国内での感染例は無いという状況にある。
NID国立感染研究所:ジカウイルス感染症とは 
記事を読んでいただければわかるが、研究そのものも日本国内でのものではなく米国でのものだ。
日本人にとって、「なるほどな~」と思えるのはこの研究がiPS細胞を使ってされている、という点くらいだろう。

にもかかわらず、このような記事をFacebookというSNSの広告で使うのか?と考えると、ノバルティスファーマという企業のグローバル性や「今、感染症などで苦しむ人たちの医薬品研究をしています」という、研究成果のアピールということになるのでは?という、気がする。
もう一つは、「産学協同」と言う言葉にあると感じている。
これまで、基礎研究は大学などが行い、応用研究を企業が行うということが一般的だったように思う。
何故なら、基礎研究は膨大な時間がかかるのに、利益を生み出すことがほとんどないからだ。
利益を追求しなくてはならない企業としては、対費用効果を考えると決して効率の良い研究とは言い難い。
それを基礎研究から参加することで、医薬品に関する「特許」などを取りやすくなり、大学側も実際の研究が社会に役立つという「見える化」ができる。
この「見える化」ということは案外重要で、研究成果を実感でき、より高い研究動機となるとも考えられる。
企業側にとっても大学側にとっても、このようなWin-Winな関係を創っています、というアピールもノバルティスファーマのFacebookは兼ねているのでは?と、思うのだ。

自分たちにとって、とても遠い存在だと思っていた「感染症」が、世界で一気に広まるという体験は、エイズ(ご存じの通り、発症前はHIV陽性者ということになる)で経験をしている。
製薬企業のSNSでの広告は、企業アピールだけではなく、社会の安心も提供しているのかもしれない。


 


災害支援としての「ふるさと納税」

2018-07-10 18:18:19 | アラカルト

西日本を襲った豪雨から、今週は一転して夏の猛暑となっている。
青空と共にやってきた猛暑は、被災された方々にとって恵とはなっていないのでは?という、気がするほどだ。
そして広島県呉市のように、これまであまり報じられていなかった被災地の情報が、少しづつ伝わるようになってきている。
物資が全く届かない状況にある、というのは不安だろう。
心理的にも「自分たちが、置き去りにされている」という、感覚を持ってしまうことにもなるだろう。

そのような状況の中、様々な支援活動が始まっている。
朝日新聞: (西日本豪雨支援通信)ボランティア・義援金受付
ボランティアの受け入れは、まだまだ先のようだが、災害支援の定番ともいえる「募金」活動は様々なかたちで始まっているようだ。
「災害支援募金」の定番(というべきか?)日本赤十字社は当然のことながら、今時らしいと感じさせるLINEで募金という方法もある。
その中で、今までとは違うと感じさせるのが「ふるさと納税」を使った「募金」だ。

ご存じの通り「ふるさと納税」は、自分が住んでいる自治体以外の自治体に地方税を納める、ということだ。
この「ふるさと納税」については、過剰な返礼品などが問題になってはいるが、基本は各地の名産品などを返礼品とし、より地域の産業などを知ってもらい、継続的な納税をしてもらう、ということが目的だ。
そして一昨年の熊本(大分)大地震の時から、災害被災地への支援の一環として「ふるさと納税」を利用する方が出てきた。
多くの方は、返礼品辞退を申し出たようだが、この「ふるさと納税」によって、随分助かった自治体もあったようだ。

「ふるさと納税」を利用した支援をされる方の中には、これまでの募金先ではお金の使い道が不透明である、という印象を持っている方が少なくない。
これはこれで、募金を受けうる側の問題となるとは思うのだが、「ふるさと納税」をするほどでは・・・という方にとっては、募金はやはり有効な災害被災地支援だと思う。

「ふるさと納税」という方法が加わったことで、災害被災地支援の選択肢が増えた、ということは良いことだと思う。
これに加え、被災地となった地域の産業の商品を購入する、ということができれば、より支援の方法は増える。
都市部にある自治体のアンテナショップで買い物をする、という方法も、今や立派な被災地支援として認識されるようになってきている。
このように「被災地支援の方法」が増えたことで、様々な人がその人なりの方法で、被災地支援を選ぶことができるようになってきた、ということはとても意味のあることだと思う。

そして支援を受けた自治体は、是非この機会に自治体の災害復興の姿を支援した人達に報告して欲しい。
それが新しい「ふるさと納税」の納税者となっていく、と考えられるからだ。




自然災害とメディア、そしてSNS

2018-07-09 19:08:40 | アラカルト

先週末、関西以西を襲った大雨。
各地で、甚大な被害をもたらした。
今でも、行方不明者の捜索が続けれれているが、今回の大雨は関西・中四国・九州という広い範囲であるために、捜索だけではなく災害復旧などの目途も経っていない、という状況のように思われる。
今回の大雨が降る前、広島県北部、大阪北部では地震があったことも考えれば、大雨による河川の決壊だけではない要素も加わり、被害が大きくなってのでは?という、気もしている。

今回の大雨災害だけではないのだが、マスメディアの報道を見ていると、「報道偏重」ともいえる状況が起きているのでは?という気がしてくる。
倉敷市の真備地区などは、河川の決壊によって随分報道されているが、同じような大雨の被害に合っているはずの四国の情報になると、どうなのだろう?
私に近い所では、同じく大雨による被害が出ているはずの地域の報道が少ないのでは?という、気がしている。
ローカルであっても「報道偏重」と感じられるのだから、全国ニュースとなるとこの「報道の差」は、もっと大きいのでは?という気がしている。

一方、SNSなどでは実際の被害を動画や写真をアップして、今の状況を伝えようとしている方が何人もいらっしゃる。
もちろん、SNSの場合「フェイク(嘘)」が含まれている場合もあるが、マスメディアでは報じられない、ある意味「忘れ去られようとしている被災者」の存在を知らせてくれている。
先日発生した、大阪北部地震の時にも大阪市長がSNSを通して、情報を発信するなど話題になったが、今回の首長が中心となってSNSなどを使って、現状の情報発信をしたり支援物資についての情報を発信するようになるのでは?という気がしている。
理由は改めて説明するまでもないと思うのだが、マスメディアによる情報発信よりも、SNSでの情報発信のほうが即時性が高いからだ。
支援物資などは、必要とされるものが時間の経過と共に変わっていく。
今の状況では、物流そのものが止まってしまっている状態なので、どれだけの支援物資が送られるようになるのかは不明で、必要性の高いモノがどれだけ送られるのか?という点は、分からない部分でもあるが、それでも首長などが積極的に情報を発信することには、意味があると思っている。
特に、「報道偏重」の傾向がある今、報道されていない地域の首長さんや役所が自ら情報を発信することは、必要な支援を提供させてもらう為にも必要なことだと思う。

マスメディアの「報道偏重」ということは、再三言われていることだが、マスメディアの報道の限界という意味もあるかもしれない。
その「忘れ去られようとしている地域」の情報は、SNSなどを活用する、というのも一つの方法のような気がしている。

 


オウム真理教と高学歴

2018-07-06 19:30:30 | 徒然

23年前に起きた「地下鉄サリン事件」の中心的な役割をしていた、「オウム真理教」の教祖・麻原彰晃をはじめとする7人の死刑執行が、今日された。
若い方々にとっては、映像の世界のような事件かもしれないが、私と同世代の人たちにとっては「働く仲間たちが、テロによって殺された」という、印象の事件なのではないだろうか?
というのも、被害にあわれた方たちは、ごくごく普通の人達で、その日の朝も普段と変わらず出勤をし、毎日使う地下鉄に乗り合わせていただけの人たちだったからだ。
正に「無差別テロ」というほどの事件であり、社会を震撼させた事件でもあった。

その後、徐々に事件の姿が露わになり始めると、一つの疑問に当たる。
それは、事件を引き起こした犯人の多くが、有名大学・大学院出身で、被害にあわれた方たちとほぼ同世代だったからだ。
Huffpost:オウム真理教事件、初めて死刑執行された7人のプロフィール
「頭が良いのに、何故荒唐無稽なことを考える宗教に入信をし、その果てに教祖の言いなりになり、殺人事件まで引き起こしてしまったのか?」という、疑問だった。
そして今でもその疑問は、残されたままのような気がしている。

ただ共通している点は、教祖である麻原彰晃と古参といわれる井上嘉浩、新実智光以外の4人が、いわゆる「医学・理工系」の出身者である、という点だ。そして入信をした時期も1987年~1991年と、日本の経済がバブルへと向かっていく時期でもある。
違う言い方をすれば、日本の社会的価値観が大きく変わった頃でもある。
「経済万能」と呼ばれた時代(だったような気がする)で、コツコツと真面目に研究に取り組むことへの価値が、軽んじられた部分もあったようにも今になっては思うところだが、それでも、理論的思考を持つと思われている彼らが、社会の常識からは大きく外れ、理論的にも破たんしたような考えに、のめり込んでいったのは、「経済万能」という社会的風潮から自分たちがはじき出された、という思い込みがあったからなのだろうか?

死刑執行がされた今、高学歴で将来が嘱望されていた研究者たちが何故?という疑問には、犯人となった彼らは答えてはくれない。
それどころか23年間、彼ら自身から回答となる発言は、無かったように思う。
「オウム真理教」という宗教団体の名は、この一連の事件で無くなってしまったが、考えや思想を同じとする団体は継続されている。
それどころか、「オウム真理教事件」を知らない若い世代を中心に、信者を増やしているという話もある。
今一度、事件を知らない若い世代が、このような宗教団体に惹かれるのか、考えてみる必要があるような気がする。










「思う」と「想う」

2018-07-05 19:50:12 | ビジネス

FIFA W杯ロシア大会での、日本代表の活躍は心躍るものがあった。
そして、このロシア大会で日本は意外な注目を浴び、世界から称賛されることにもなった。
一つは、今や日本代表遠応援遠征組の基本となっている、「観戦後のスタジアムでのごみ拾い」。
ロシア大会では、予選リーグで同じ組になったセネガルやコロンビアのサポーターたちも、一緒に観戦後ゴミ拾いをしたコトで、「日本発の素晴らしい観戦マナー」として、話題になった。

もう一つは、ベルギー戦後の日本代表が使用したロッカールームのきれいさだった。
以前から、日本代表戦後の日本側のロッカールームは、きれいに片づけて帰る、という話を聞いたことがあったので、個人的には特段驚くようなことではなかったのだが、「使用前」と変わらぬ「使用後」のきれいさに、W杯関係者が驚きtweetしたことで、世界中から日本代表が称賛されることとなった。

その一方で、渋谷のスクランブル交差点や大阪の戌橋などでの大騒ぎと痴漢やスリなどのトラブルも、国内では問題になった。
「世界に行くとマナーが良いのに、国内では何故できないのか?」と。
この疑問に対して、様々な意見があるようだが、一番多い意見は「騒ぐ人たちは、サッカーファンというわけではなく、騒ぐことが目的」という意見だろう。
確かにそのような人達も少なくないと思う。
しかし、それだけではなんとなく説得力に欠けるような気もしていた。
もしかしたら「人が見ている・見ていない」という意識の集団化なのでは?という気がしていたからだ。

その一例として挙げられるのが、お花見やBBQなどのゴミの放置かもしれない。
多くの人の中にいることで「自分が観られている」という意識が薄れることで、日本の「恥の文化」という意識も薄れるのでは?という、ことだ。
そのような指摘をされる方が、私以外にもいらっしゃった。

日経新聞 COMEMO:人が見ていると、良い人になる日本人。人が見ていないと悪い人になる日本人

コラムの中にある「思う」と「想う」は、確かに意味が違う。
「思う=Think」は、考えることであり、あくまでも「自分が考える」という範囲でのことだ。
一方の「想う=Imagine」は「相手を思い遣る」という、気遣うという意味になる。

仕事ではよく「(自分で)考えろ」といわれるはずだ。
ただ、その「考える」の中に「相手を思い遣る・想う」が無くては、「独りよがりな考える」になってしまうことも、多いのではないだろうか?
何故なら、ビジネスは常に相手がいて、成立するからだ。
最近時々言われる「コミュニケーション力」ということにも、通じることかもしれない。
何より、マーケティングという仕事は、この「想う」ことから始まっている。
「人がいても、いなくても、(社会を)想う」ことを忘れては、これからのビジネスは成り立たないのでは?という、気がする。



 


服の行きつく先も考えたい

2018-07-03 21:10:50 | アラカルト

朝日新聞に、やや衝撃的な記事が出ていた。
朝日新聞:新品の服、売れずに廃棄「年10億点」 人気ブランドも 

バブルの頃、このような話題が頻繁にあったことを思い出した。
シーズンオフとなった商品や、モデルが古くなった商品など、販売するよりも廃棄してしまうほうが、費用が掛からないというのが理由だった。
その後、バブルが崩壊し、社会全体が「買い控え」が当たり前になった。
バブルが崩壊する寸前、ベストセラーになったのは「清貧の思想」だった。
まだまだバブルが続くと思いながらも、どこかでバブルは崩壊する・・・と感じ取っていた、ということかもしれない。
生活者の多くは、数字上の景気感を感じることなく、30年近く経過している。
だからこそ、景気実感があまりない状況で、新品の服が年間10億点も廃棄されている、ということに驚きを感じたのだ。

その一方で、ボランティア団体などが、貧困国への物資支援として「古着」などを集めている。
もちろん、このような支援に多くの人たちが賛同し、古着(といっても、クリーニングをした着られる服)を送っている。
古着が悪いわけではないが、最貧国への支援として多くの衣料品が求められている一方で、新品の服が大量に廃棄されている、という現実はどこかチグハグな気がしてしまうのだ。
もしかしたら、食糧の廃棄処分と似たような構造になっているのでは?という、気がしてくる。

ただ、野菜などは衣料品と違い「計画的な生産」ができない。
悪天候が続けば、野菜は高騰し、スーパーからは一時期であっても姿を消すことがある。
反面、豊作であれば良い、とも限らない。
生産農家さんからすれば、作れば作るほど儲からない、ということになる。
そのような意味で農作物の生産調整というのは、自然相手であるがゆえに、簡単にできるものではない。

しかし、衣料品の場合生産調整というか、計画的な生産が可能なはずだ。
それでもこのような状況に陥ってしまう、というのは何故なのだろう?
一つは、ファストファッションの存在があるのかもしれない。
安価でその時々の流行の服を提供するファストファッションだが、安価で製造するためにはそれなりの大量生産が必要になる。
そしてユニクロだけではなく、H&Mなどでも前シーズンの売れ残りを、シーズンオフ商品として販売をしているが、なかなか売れていないような気がする(あくまでもユニクロやK&Mなどの店舗で見た印象だ)。

いくら前のシーズンの商品だからといって、流行を追い求める人達からすれば、商品の魅力は価格とマッチングしない、ということになる。
そして、これらの商品が年間10億点の廃棄処分となっている、とすれば、商品を買う側として「買い物の在り方」を考えなおす必要があるのかもしれない。

「消費することで経済が動く」ということは確かなことだが、「消費できなかったものは、どうなるのか?それが、将来的な社会的経済にプラスとなるのか?」そこまで考える時代がきているのかもしれない。



中国経済に翳り?

2018-07-02 21:32:17 | ビジネス

今日の日経新聞などには、アメリカVS中国という経済摩擦で、アジア全体の有力企業の株価が下がった、という報道がされている。
日経新聞:アジア有力企業、6割超が株価下落 米中摩擦など重荷
株価というのは、投資家の思惑や考えで上下するので、株価下落という報道だけで中国経済云々はできないと思う。
何より、この株価下落の要因はトランプVS習近平という、政治がらみの部分も大きいのでは?と、考えられるからだ。

それとは別に、中国経済に翳りが出始めているのでは?と、気になる記事があった。
Bloomberg:日産が電池事業子会社の分割を中止、中国ファンド会社の資金不足
記事にもあるが、昨年の12月に延期になったという経過があり、再びの資金不足による中止となると、この半年の間で中国のファンド会社が資金を集めることができなかった、ということになる。
もちろん、ファンド会社に出資しているのが中国の企業や個人とは限らないにせよ、中国経済の翳りを感じさせる印象がある。

今開催されているFIFA W杯には、中国企業の看板が目立つ。
いくらジョンソン&ジョンソンのような、長期にわたってサポートをしてきた企業よりも広告費が安いとはいうものの、自国開催ではない大会の広告だ。
オリンピックと同様に、1業種1企業と決まっている広告なので、それなりの広告費を出しているはずだ。
とすれば、広告を出している中国企業のうち、いくつかの企業は無理をして広告を出しているのでは?という、気もしてくる。

中国のいちファンド会社が資金不足で売却が延期になったからといって、安易に中国の経済に翳りが出始めている?と考えるのは先走ったことかもしれない。
ただ、売却予定の企業が自動車などの蓄電池の会社だと考えると、中国の企業が手を上げやすいような気がしたのだ。
ご存じとは思うのだが、日本ではガソリンと電気を併用して走るハイブリッド車が、主流になっている。
中国は今後数年間の間で、全面的に電気自動車にするという方針を立てていたからだ。
中国国内で走るクルマの多くは、電気自動車になるということが分かっていながら、その要となる電池事業の売却が進まない、ということがとても気になるのだ。

案に中国経済に翳りが見え始めた、とは言えないと思うのだが、半年の間で資金調達ができずに再延長となった、という事実から、中国経済に何が起きているのか?と、考え傾注する必要があるように思う。