日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

国際政治の問題となってきた「新疆ウイグル」の問題。

2021-07-14 20:46:56 | ビジネス

昨日だったと思うのだが、米国のバイデン大統領がある声明を出した。
それは「新居ウイグル自治区」におけるビジネスが、「法令違反のリスクがある」という趣旨の内容だった。
毎日新聞:ウイグル関連事業「法令違反リスク」米警告、日本企業にも影響

これまで「新疆ウイグル自治区」に関する中国の圧政や人権蹂躙の問題は、様々な国の「人権団体」が、訴えてきた。
しばらく前に話題になったのは、日本のUNIQLOや無印良品に対して「新疆ウイグル産の綿製品の取扱について」という、趣旨の質問状を海外のNPOが出していたが、「回答が得られず」ということを公表した、ということだろう。
一連のことについては、拙ブログでも以前取り上げているので、覚えていらっしゃる方もいると思う。
この「無回答」という曖昧な対応に対して、質問を送ったNPOが猛反発をし、厳しい批難声明を出したということもあった。

逆にスウェーデンの世界的アパレル企業H&Mが「中国産の新疆綿を取り扱わない」と声明を出した事から、中国ではH&Mに対する不買運動まで起き、売上そのものを大きく減らしている。
H&Mが中国で売り上げを減らした分、このような問題に敏感な諸外国での売り上げが伸びれば、H&M側としては全く問題がないばかりか、「人権問題等にも厳しく接する企業」としての、イメージアップを図ることができた、と考える事もできるはずだ。
というのも、中国は長い間行ってきた「一人っ子政策」の為に、急激な人口減少が起きる可能性が高く、現在のような「人口の多さ=市場規模が大きい」という、魅力を失う可能性を持っているからだ。
まして、「新疆ウイグル自治区」の問題だけではなく、中国そのものは、さまざまな「民族問題」を抱えている。
そのような「問題を抱えた市場」に対して、どのような魅力を感じ続ける事ができるのか?というのが、これからのビジネスとしての中国問題なのでは?と、考えるとH&Mの判断のタイミングは良かったのかもしれないのだ。

ただこれまでは、アパレル産業としての問題として、とらえられてきた。
それが今回、米国のバイデン大統領がこのような声明を出した、ということは「アパレル産業の問題」ではなくなった、ということを示している。
「国際政治」へと、発展し始めていると考える必要があるだろう。
その背景にあるのは、中国の経済的躍進というよりも強引な政策によって、旧西側諸国が脅威と感じ始めている、ということに他ならない。
それだけではなく、中国に隣接する東アジア諸国にとっても、中国とは「国境線」という問題を抱えており、米国の大統領がこのような声明を出した事で、「米国の後ろ盾をもらった」と感じる国はあるだろう。
特にインドやフィリピンなどは、そう捉える可能性は高い(はずだ)。

問題なのは、日本なのだ。
米国の同盟国としての立場と、中国に対して弱腰とも取れる防衛戦略、今だに中国からの観光客を目当てにしたような「観光=インバウンド政策」等々、「こちらを立てればあちらが立たず」という、板挟み状態だからだ。
そのため、政府は何もせず「企業活動の中で、個々に判断してやってください」という方針で、進んでいくのでは?という、気がしている。
とすると、企業側は独自の「海外戦略」を持ち、中国からの圧力に屈しない(あるいは中国に取り込まれる)ようなビジョンを、国内外に示す必要がある。

既に「アパレル産業の問題」ではなくなってしまった「新疆ウイグル問題」。
果たして日本の企業は、どのような判断をするのか?
そして、その判断に対して私たち生活者は、どのように考え・行動するのか?
その点にかかってきているのかもしれない。


何故、政治家は考えがズレるのか?

2021-07-13 20:13:04 | アラカルト

先週、西村経済再生大臣が「新型コロナの感染拡大防止のため、酒類を提供するお店に対して、金融機関から働きかけて欲しい」という趣旨の発言があった。
Business Inside:西村氏「酒提供店に金融機関から働きかけ」発言、与党幹部からも苦言→一日で撤回【UP DAET】

この発言内容を知って「何を言っているのか、分からない」というのが、最初の感想だった。
「酒類を提供するお店」と「金融機関」とは監督省庁が別で、「金融機関」から「酒類を提供するお店」に、一体何を働きかけるのか?」という、ことが分からなかったからだ。
趣旨としては、「酒類を提供するお店と取引をしている金融機関から、提供の停止を働きかけてくれ」ということだったようだ。
それにしても、この「酒類を提供するお店に対する圧力のかけ方」の異常さに、「そこまでして、何がやりたいのか?」という、疑問と横暴さに驚いた。
もちろん「東京オリンピック」を「安全・安心の環境で開催したい」ということなのだろうが、それにしても常識を逸脱したような発想で、「何を一体言っているの?」と感じるほど、目的も趣旨も分からないような発言だった。

ところが、今朝になってこの「シナリオ」を書いていたのは、西村大臣ではなくやはり関係各省庁の共同でつくられたモノであった、ということが判明した。
東京新聞: 【詳報】西村大臣 金融機関への要請、事務方が首相にも説明と明かす「責任を果たす」と辞任は否定

時系列的に整理すると、元々このアイディアは首相あるいはオリンピックを強行開催をしたい与党側から、関係各省庁に打診があり、その打診を基に「酒類を提供する店に対して、金融機関から『酒類を提供しない様要請』をしてもらい、場合によっては、金融機関から何らかのアクション(=今後の融資等についてネガティブな話をして欲しい)」」ということだったようだ。
「資金融資」という、経営に関わる事を人質にとって、酒類の提供を阻止したい、というのはなんとも常識を逸脱している発想だと思うし、何故ここまで「酒類を提供する飲食店」を、目の敵にしなくてはならないのか?という、疑問が出てくる。

「新型コロナ」が流行し始めた、昨年の春頃は「酒類を提供する飲食店」が、クラスター発生の場所ということも言われた。
しかし、今では「飲食店」よりも、「高齢者施設」や「家族間」でのクラスター発生が、問題になっている。
その「高齢者施設」等も、「ワクチン接種」等が進んだ事で、随分落ち着きをみせているような印象を持っている。
おそらく、社会の認識は「感染対策がしっかりできている飲食店で、ルールを守って食事をすることは、感染リスクは少ない」という、認識になっているのではないだろうか?
そのための努力を、各飲食店はしてきたし、その効果も表れているはずなのだ。

でなければ、自民党の重鎮と言われる方々や医師会の偉い人が、酒類を提供する「パーティー」を開催したり、参加したりはしないだろう。
言っている事とやっている事が、一貫性が無く、場当たり的であるがために、生活者の多くは、このような「パーティー」に参加した政治家や医師会の偉い人の発言を「自分たちの都合の良い事ばっかり」、と呆れかえっているのだ。

ではなぜ、このような「チグハグな発想」がまかり通ってしまうのか?と考えると、
①ある種の「選民意識」がある
②「自分は大丈夫」という、過信と自信
があるような気がしている。
特に①の「選民意識」というのは、「いざとなれば、優先して治療が受けられる」という安心感や、「生活者にはバレないだろう」と、高を括った意識があるのでは?
だからこそ②の「自分は大丈夫」という過信ともいえる自信が、生まれるのだ。

そのような意識を「政治家」として、「新型コロナ」が感染拡大する前から持ち続けてきたのだとすれば、今回の一連の騒動も納得いくし、生活者との意識的乖離があってもおかしくはない。
しかも、西村大臣の発言から数日経ってから、その裏話のような事が発覚したのは、西村大臣やその周辺からすると「梯子を外され、自分たちだけが悪者になっている」感が、あったからだろう。
「自分は悪くない!言われた事をやっただけ」という、責任逃れという気持ちもあったのではないだろうか?

いつまで、このような「政治家の茶番」に、国民が付き合わなくてはならないのだろう?

 


「社会との関わり方」の情報発信が重要になっていく

2021-07-11 20:40:18 | ビジネス

VOGUEのWebサイトを見ていたら、しばらく前にFM番組で聞いた「紙かみそり」の記事があった。
FM番組では、その形状等具体的なイメージがわかなかったのだが、この記事を読んで「なるほど!」と思った。
VOGUE: 「ソーシャルグッドな消費の選択肢を」-グローバル刃物メーカー貝印の挑戦

記事という形態をとってはいるが、一種の企業広告なのだが、一般的な広告では伝えきれない場合はこのような「広告」を企業が掲載することがある。
ただし、このような記事広告は掲載をする媒体を相当吟味しないと、往々にして失敗をする。

広告としては、数多くの人に見てもらう、ということが一番重要なのだが、興味の無い人たち100人に向けて広告を打っても、その効果は期待ほどではない。
逆に、興味のある人あるいは、VOGUEのような、特徴的な顧客を持っていて、雑誌そのものにステイタスがあるような場合は、数が少なくてもそれなりの効果を上げられる。
いわゆる「インフルエンサー」となる人達が、読むような雑誌や媒体であれば、その媒体を目にする人が少なくても、それなりの効果が得られる、ということなのだ。

一時期話題となり、数多くの企業が探していた「インフルエンサー」と呼ばれる人たちだが、ここ1,2年余り聞かれなくなったような気がする。
一つは「コロナ禍」の為、「インフルエンサー」となる人達も「生活行動の自粛」を余儀なくされている、ということが考えられる。
もう一つは、一時期社会的問題になった「広告」とは告げずに、一部のタレントさんが、ご自身のブログやSNS等で商品を勧める「ステマ(広告)」が問題になった、ということが大きいのでは?と、考えている。

「ステマ(広告)」は、広告のルールとしては問題なので、扱われなくなっていくこと自体は、「広告の健全化」という意味で、良い傾向だと思う。
そして「インフルエンサー」と呼ばれる人たちについても、「SNSのフォロワーが〇万人いる」と自ら売り込みをかけるような輩が登場してからは、企業側も簡単に使うことが無くなったように感じている。
逆に「インフルエンサー」という存在ではなく、「自社製品を使って欲しい」と思わせるSNSの発信者に対して、商品をトライアル的に使い、その使用感をSNSで取り上げて欲しい、という本来あるべき「インフルエンサー」の使い方になりつつあるのでは?という気がしている。
このような「自社製品を使って欲しい」と企業側が積極的になるのは、DIY関連や料理関連が中心にように感じている。

代わりに登場してきたのが、今回のVOGUEの貝印が掲載したような「広告」だ。
このような広告の強みは、「商品の広告」というよりも、企業広告という意味合いのほうが強く、「企業の理念やビジョンに共感してもらえる人達」の掘り起こしと顧客としての定着を狙っている、と言える。

そのためには「自社製品の自慢」ではなく、「企業と社会との関係の中で、どのように考え・製品を創っているのか?」という、具体的なビジョンが必要になる。
このビジョンによって、生活者が企業に対して好感を持つのか・否かということになるからだ。

このビジョンが明快で社会性が高いと、掲載誌側が判断すれば、その企業規模は関係が無くなる。
事実、時折拙ブログでも紹介をさせて頂く「和楽Web」では、「義肢」のメーカーを取り上げている。
和楽Web:地雷よりも義肢を。「心の中に入り込むモノづくり」を目指す川村義肢の理念に胸アツ!

「義肢メーカー」そのものは、企業規模が小さく、工業製品化することができない。
そして、和楽Webに取り上げられたからと言って、売上が大きく伸びる可能性は高くないはずだ。
しかし、社会的に影響力のあるメジャー雑誌に取り上げられることで、社会的認知度は上がり、支援者が増える可能性が高くなる。

「コロナ禍」によって、人の気持ちや心の向かう方向が変わり始めている。
「売るための広告」だけではなく「社会との関わり」というビジョンの発信が、これからの企業に求められることなのでは?と、考えている。






東京オリンピックスポンサーは、当てが外れたのか?

2021-07-09 21:11:24 | ビジネス

日経新聞のWebサイトに、東京オリンピックのスポンサーは「無観客」となったことで、目算が外れたという記事があった。
日経新聞:五輪スポンサー、無観客で外れた目算

記事にある通り、有観客でオリンピックが開催されれば、スポンサーブース等を会場周辺に設置して、企業PRできた可能性は高い。
高いとは思うのだが、そのようなコトを考えていたスポンサーはどれくらいいたのだろう?という、疑問もある。
というのも、オリンピック開幕までの数年間、スポンサーとなった企業は、商品やサービスに五輪のシンボルマークをつけることができる。
それは、社員がつかう名刺から会社で使う封筒、シンボルマークのピンバッチの着用等から、テレビCMや聖火リレー等での伴走車両等々、社外的企業活動のあらゆるものに使うことができるのだ。

FIFAが主催するサッカーW杯の時も同じなのだが、スポンサー企業となれるのは、一業種1社と決まっている(はずだ)。
ライバル企業がどう頑張ろうとも、ライバル企業はオリンピックマークやシンボルマークを利用することはできないし、テレビ中継にCMなどを流すこともできない。
とすれば、スポンサー企業として、オリンピック開会期間中のスポンサーブース等の設置は設置費用や人件費などとの「対費用効果」は思ったほどではないのでは?と、考えるのだ。

まして、今回の様に「コロナ禍」での開催に関しては、賛否が分かれている。
「対費用効果」等を考えれば、むしろ有観客ではなく無観客になったことで、企業のイメージダウンをある程度抑えることができた、と考える方が自然のような気がするのだ。

むしろ、サッカーの試合や国際陸上等の映像を見ればわかるように、選手たちが活躍するフィールドや体育館等あらゆる場所に、スポンサー企業の名前の看板を見る事ができる。
テレビ等で放映される競技の背景に映り込むスポンサー企業の看板そのものも、企業側にとっては「効果的な広告」と言える。
会場での観戦ができなくなった人達の多くは、テレビ観戦になるだろう。
とすれば、否応なしにスポンサー企業の名前の看板を目にすることになるのだ。
しかも、観客がいないために観客席を写す訳にもいかない。
「このコロナ禍の中で、企業の広告看板等けしからん!」という方もいらっしゃると思うのだが、それはスポンサー契約を締結した時点で、決まったことであり企業に責任はない。

他にも、国内外の報道関係者が集まる「プレス会場」等では、スポンサー企業が提供する様々なモノが自由に使えるはずだ。
逆に考えれば、会場に企業ブースを出すよりも、国内外の報道関係者が集まる場所で、最新鋭機種となるモノを利用してもらったり、飲食のサービスを提供したほうが、スポンサー企業側にとっては「国際的な企業PR」ができる、と考えたほうが良いのではないだろうか?

オリンピックのような国際的なイベントでのスポンサーメリット、という視点で考えるとき、その多くはそのイベントが始まる前に、数字に表れない利益を含め、大部分は回収済みとなっているのではないだろうか?




何度、同じことを繰り返せば、よいのだろう?

2021-07-08 19:03:14 | 徒然

今日、政府が東京都を対象に、「緊急事態宣言」を出すことを決めた。
ご存じの通り、4回目の「緊急事態宣言」である。

「緊急事態宣言」も4回目となると、その緊張感等は1回目の時よりも随分緩いものになるだろう。
何故なら、2回目以降政府は何の手立ても立てずに、感染者の増減で「緊急事態宣言」を出したり、解除をしたりしてきたからだ。

「感染者の増減」を見て、「緊急事態宣言」の発令を出す事を検討すること自体、悪い事ではないと思う。
思うのだが、そのために必要なことは「どのような方法で、感染者数が増減したのか?」、「どのような対応策が効果的であり、逆に効果的ではなかった対応策を見直すべきなのか?」等の検討や議論がされてきたとは思えないからだ。
2回目以降の「緊急事態宣言」は、「東京オリンピック開催の為、自粛をお願いしたい」というような、ニュアンスがあったように感じていたのだが、その「自粛期間中」に「ワクチン接種」の準備がどれだけ進められたのか?というと、医療者、高齢者のワクチン接種が、ほぼ終了しただけで、先月から始まった「企業や大学での接種」に関しては、1回目のワクチン接種が終了する前に、ワクチン不足でストップした状態になっている。

そこで苦肉の策の様に突然出てきたのが「ワクチンを1回でも接種していれば、それなりの効果が期待できる」という、五輪相の言葉だった。
この発言直後から、医療関係や感染症の専門家から批判の嵐となったため、撤回以前に世論からも無視されたような印象がある。

そしてIOCのバッハ会長が来日した。
3日間の待期期間を経て、その後は自由に歩き回れるようだ。
このコトに関しても、一部の参加国からは「待期期間が3日と2週間と設定されるのはおかしいのでは?」という、指摘がされている。
指摘をしているのは、現在爆発的な感染拡大状態になっている、インドの関係者だ。
インドの関係者が、このような不満を言うのも、当然だろう。
待期期間を設けるとすれば、リスク要因を最大限に考えてその日数を設定することで、参加国間における「公平性」が保たれるからだ。
JOC側の考えとしては、「待期期間を一律2週間とすると、収容施設が無くなる」ということもあるかもしれない。
であれば、このような状況になる前に「一律に2週間の待期期間を設けた場合、どのような方法で待機場所を設け、移動ルートやバス等を確保するのか?」という、プランを持たなくてはならなかったはずだ。
もしくは、「ワクチン接種が2回終了し、抗体ができていると判断された場合は、待期期間を3日間。それ以外は2週間の待期期間を設ける」と、参加各国に伝えるべきだったのでは?

このような、当たり前の事ができないために、ダラダラと「感染者数が増えたから」という理由で、「緊急事態宣言」を繰り返すことは、決して日本の生活者にとっても日本経済にとっても、良い事ではないと思う。
特に「緊急事態宣言」により、大打撃を受けている飲食業界の方々からすれば、このような「問題解決策が提示されないまま、繰り返される緊急事態宣言」等に、付き合っていられない!という、気持ちになるのは当然だろう。

今の政府の対応では、「感動的な東京オリンピック・パラリンピック」と称賛されることなく、「無為無策の日本政府が、無理やりIOC貴族とNBCの為に開催し、日本国民を犠牲にした東京オリンピック・パラリンピック」と評されるのではないだろうか?


何故日本には、オードリー・タンのような人材がいないのか?

2021-07-06 18:43:37 | 徒然

愚痴をブログで述べるようで、申し訳ない。
先に謝っておきたいと思う。

朝日新聞のWebサイトに、台湾の「新型コロナワクチンの接種システム」について、記事があった。
朝日新聞:オードリー・タン氏開発のワクチン予約「弱者」に配慮

オードリー・タン氏を一躍有名にしたのは、昨年台湾で「新型コロナ」が流行し始めた頃だ。
いち早く、中国からの受け入れを拒否をし、台湾内での感染を防ぐ、という方針を打ち出したのは現台湾政権だが、その後日本でも品薄になり、ネット上では高額な転売騒ぎとなった「マスク」について、台湾内にあるマスクの在庫を誰もが見られるようにネット上に公開。購入時にはIDの提示をさせるなどして「買い占め」が起きないように、民間のIT企業と一緒になって、1週間もたたない間に、システムを作り上げ、話題となった。
その素早いシステム構築と発表が、台湾の人たちに大きな安心感を与え、感染拡大を抑え込む事に成功したのだった。

それから1年以上経ち、国際線のパイロット経由で再び台湾でも「新型コロナ」の感染拡大が発生し、諸外国からワクチンの提供を受けるようになり、日本と同様に「ワクチン接種」による混乱が起きたようだ。
その混乱に対して、再びオードリー・タン氏は「ワクチン接種」をスムーズに受けられるよう、システムをつくりあげた、というわけだ。

今回のシステムで注目すべき点は、「デジタル弱者」と呼ばれる人たちが取り残されないように、配慮がしてあるという点だろう。
「デジタル弱者」であっても、「ワクチン接種を受けられる」ようにしておかなくては、感染拡大に歯止めをかけることはできない。
もちろん、個人的心情や宗教的理由で「ワクチンを接種したくない」という人もいるだろう。
そのような人であっても、「(ワクチンを)打つ・打たない」の判断を優先させながら、台湾全体で必要とされるワクチンの接種スケジュールを把握することで、「ワクチン」そのものを無駄にさせず、効率よく接種させる事を目的としているシステムなのだろう、と想像することができる。

もちろん、日本と台湾とでは、人口そのものが違うので、台湾のシステムをそのまま日本でも使えるのか?と言えば、難しい点はあるとは思う。
思うのだが「デジタル弱者」に対しての配慮等を考えたシステムをつくる、という発想そのものが日本政府にあったのだろうか?と、疑問に感じるのだ。

ご存じの通り「新型コロナ対策」に関して、政府はほぼ各自治体に丸投げをしてきている。
「定額給付金」の運用はもちろん、そのほかの補償手続き、今回の「ワクチン接種」等についても、自治体間での差が出てしまっている。
人口の多い自治体と過疎化が進む自治体とでは、対応速度に差があっても仕方ないと言えば、仕方ないのだが、それらの運用に対して、国はシステム等の提供をしてきただろうか?

菅政権肝いりで始まったはずの「デジタル庁」だが、ことしの9月創設を目指すとはいえ、大臣がNECに対して「恫喝」をしたというような話題はあっても、具体的に「デジタル庁」がどのような仕事をするのか、見えてこない。
まして、創設準備の期間であっても、国が積極的に関与して行う必要がある、と考えれば9月の創設よりも前倒しで、業務を初めてしまっても構わないのでは?
何故なら「デジタル」の社会は、動きが早く月単位はなく時間単位で変わっていくものだからだ。

つくづく台湾のオードリー・タン氏のような人材が、日本にもいればな~と、思ってしまうのだ。



昨日あった、都議選は国政選挙に影響を及ぼすのか?

2021-07-05 17:14:31 | 徒然

今朝の新聞の1面は、先週末から降り続く雨によって起きた熱海で発生した土石流被害と都議選の二つが紙面の中心だった。
熱海で起きた土石流災害は、数多くの人命が関わる問題なので、1面で扱いも大きいのは当然だろう。
主要幹線道路や鉄道にもその影響は大きく、物流等に与える大きいはずだ。

そしておもうひとつの「東京都議選」の選挙結果に関しては、「名古屋にも関係あるのかな?」という疑問と、影響力の強さを感じた。
特に今回は、延期となった「東京オリンピック・パラリンピック」の開催を直前に控え、「新型コロナ」の収束どころか拡大や変異株の出現により、多くの人たちは開催に関して懸念や疑問を持っている。
そのような状況の中で行われた「都議選」ということを考えれば、大なり小なり東京都民以外にも影響を及ぼすであろう、という気はする。

そのような気はするのだが、「都議」と言われる人たちも知らないし、その人達がどのような活動をしてきたのか?ということも知らない。
分かっているのは、今朝の新聞にあった「自公、過半数に届かず」ということだけだ。
この選挙結果が、9月以降にあるのでは?と言われている「衆議院選挙」にどのような影響を及ぼすのか?という、一つの目安の様に言われているのだが、どれだけ影響があるのだろう?

まず衆議院選を含む国政選挙には、「都民ファースト」という政党はない。
代わりにあるのはどのような政党なのか?と、聞かれても思い浮かぶ政党はない。
地方議員選挙や首長選挙等でありがちなのが、「国政とは関係のない相乗り候補」という存在だ。
流石に、自民党と共産党の相乗り候補というのは、いまだかつてないと思うのだが、共産党以外の政党の「相乗り」は、当たり前のようになっている。
そこには、諸外国のような「大きな政府vs小さな政府」のような、政治について鮮明な違いが無い、ということでもある。
だからこそ、「どの政党は、どんな考えを持っているのか?」ということが、見えにくく、国会議事場では「与党の意見に何でも反対野党」などと揶揄されるのではないだろうか?

今回の選挙結果から見えてくるのは、「候補者全員が当選した公明党」の支持基盤である創価学会の力と、創価学会の力を借りなくては都議会の運営ができなくなっている自民党、という結果だ。
と言っても、この結果は選挙前からわかっていたコトだろうし、特段驚く事でもない。
逆に言えば、自民党支持の減少が鮮明になった、ということだろう。
何故なら、今回の投票率は50%を僅かに超えるくらいだったからだ。
支持基盤がしっかりしている「公明党」にとっては、投票率が低ければ低いほど候補者の当選は確実になる。
それに対して、都議選における自民党の支持母体というのは、どこなのか?都民以外には分からない(と思われる)。

投票率の世代別の分析等が分かれば、その投票行動等も分かってくるとは思うのだが、これまでの選挙の世代別の投票率等を考えれば、20代~30代場合によっては40代の投票率が低かったのでは?と、考える事はできる。
東京都全体で考えれば、他の都市よりも20代~40代の人口は多いだろうし、この世代が選挙に関心が無ければ、投票率は下がるだろうし、50%をわずかに超えたという理由もわかるだろう。

都議選の選挙結果が、どれほど国政選挙に影響を与えるのか?という点は分からない。
分からないが、ここ10年近くの自民党政権に対して、疑問を感じている人たちが少なからずいる、ということは想像できる。
とすれば、この疑問を感じている人たちを如何に選挙に行ってもらうのか?ということが、重要だろうし、流石に国政選挙の投票率が50%程度ということになれば、たとえ当選を果たしても、選挙民の半分は支持をしていない、ということになる。

日本の政治家は、「当選すれば我が世の春」のような態度を示す方が多いように感じているが、投票率が低いということは、それだけ政治が信頼をされていない、と考えるべきではないだろうか?
都議会選は、特定の政党一人勝ちにならなかったようだ。
もし、国政選挙に影響を与えるとすれば、この「特定政党の一人勝ち」をさせない、ということかもしれない。


レッテル思考の恐ろしさ

2021-07-04 19:12:35 | 徒然

昨日、毎日新聞に安倍前首相が月刊雑誌に「東京オリンピック開催を反対する人達は、反日だ」という記事が掲載されていた。
毎日新聞:安倍前首相「反日的な人が五輪開催に強く反対」月刊誌の対談に

この記事は、Yahoo!コメ等で相当批判的な意見が殺到した。
確かに、今「東京オリンピック開催」に対して反対や疑念を持っている人たちは、数多くいて、その多くの人たちはイデオロギー的な理由ではなく「新型コロナウイルス」の感染拡大を危険視する人たちだからだ。
事実、東京都の感染者数は前の週よりも増えている。
「新型コロナワクチン」の接種が始まっているにもかかわらず、感染者数が増えているという現実に、「これ以上感染拡大したら、日本はどうなってしまうのだろう?」と、危機感を募らせても当然だろう。

このような心配をよそに、政府から出てくる言葉は「安全・安心なオリンピックの開催」という言葉の繰り返しだけで、具体的な内容は全くない。
具体策も無く、感染拡大解消の一手であるはずの「ワクチン接種」についても、職場や大学等での接種にはワクチン不足のためにストップがかかり、その再開目途もたっていないという状況だ。
生活者からすると「安心・安全」の根拠となる政策も情報も何もない、という状況にある、ということなのだ。

そのことを指摘し、「オリンピック開催によって感染拡大を懸念している」だけなのに、いきなり安倍さんは「反日」という言葉を持ち出し、レッテルを貼る事で「自分の考えの正当性」のようなものを、言いたかったのではないだろうか。

「レッテルを貼る」ということは、区別をするというだけではなく、「良い・悪い」という考えや意見を作りやすくし、モノゴトを単純化して、思考停止に陥らせるといわれている。
おそらく、安倍さんの目的(あるいはこの対談の目的か?)は、「良い・悪い」という話の流れや意見をつくり、モノゴトの単純化、そして思考停止に陥らせる事なのでは?という、気がしている。

もちろん、安倍さん自身にそこまで深い考えがあったか、どうかは分からないが、これまでの安倍さんの問題となった発言の数々を見てみると、そのような意図が見えてくるのだ。
安倍さんの場合、それを意識的にしているのではなく、自分にとって不利だと思う場面になると、「都合の良いレッテルを貼り、モノゴトを単純化し、思考停止に陥らせたい」という発言が増えてくる、という気がしている。

それを「驕り」という人もいらっしゃるし、「危険な考え」と指摘する方もいらっしゃる。
ただ、ご本人や現在の自民党を牛耳っているお年を召した方々は、そのような意識も考えも無く、同様のことをされている。
そのコトがとても怖いと感じているし、モノゴトの本質を見ずに推し進めようとするその姿に、政治的絶望を感じるのだ。


リセールビジネスとファッションブランド店の閉店

2021-07-02 20:12:13 | ビジネス

時折チェックをする、ファッション専門誌・WWD JapanのWebサイト。
日経新聞とはちがう視点で、ファッションブランド店の閉店の記事があった。
WWD Japan:ユナイテッドアローズが銀座と青山の店舗を相次いで閉店

銀座と青山の店舗ということは、ユナイテッドアローズとしては「旗艦店」もしくは「旗艦店に次ぐ店舗」になるのでは?という気がしている。
確かに、「新型コロナ」の感染拡大により、アジアからの観光客は激減している。
そのなかでも銀座などは、かつてのような「おしゃれな銀座」というよりも、「観光客であふれかえる銀座」になってしまったような気がしていた。
その観光客が来ないのだから、経営としては厳しかったのでは?と、想像することができる。
同様に青山もまた、地方からやってくる観光客が激減したということも要因の一つだろうし、何より「自粛生活」で服そのものへの購買意欲が減退した、ということもあっただろう。

このような状況は、決して日本だけではないようだ。
アメリカのカジュアルブランド「Gap」もまた、英国とアイスランドの全店舗の閉鎖と伊仏の店舗売却を決めたようだ。
店舗閉鎖や売却という話題は、決して企業にとってプラスとなる話題ではないが、「新型コロナ」の世界的な感染拡大という状況では、ECサイトに力を入れ、実店舗を閉鎖・売却したほうが、経営的メリットが高いという判断なのだろう。

そしてもう一つ、興味深い記事があった。
それが「ニューヨークではリセール市場が、急成長している」という記事だ。
WWD Japan:まだ、あなたが知らないニューヨーク最新トレンド 参加型デジタル・リセール市場がファストファッションを抜く?

日本での「参加型デジタル・リセール」と言えば、「メルカリ」や「ヤフオク!」、「ラクマ」と言ったところだろう。
私自身は、このようなC2Cのサイトで売買をしたコトが無いので、WWDで取り上げているアメリカの「リセールサイト」との違いについて、述べることができない。
ただこれまでC2Cビジネスでトラブルが起きやすい「商品に対しての信頼と保証」という点については、日本のサイトよりもキチンとしているのでは?という、印象を持った。

というのも、C2Cのサイトを利用し、売買をしたことがある友人などに聞くと、サイトはあくまでも「売買をする場所を提供している」だけで、実際のやり取りは直接に行うと、聞いているからだ。
運営サイトでの「商品鑑定」等もないため、Web上での掲載写真と現物とイメージが違っていた、とか、元々「お小遣い稼ぎ」くらいの気持ちなので、商品を間違えて送られた、という話を聞いたことがある。

それに対して、もともと「古着」という市場があった米国では、業者が商品を鑑定し、おおよその価格をつけてくれる。
そこからオークション形式で売買される(=参加型)ので、売買される商品についての品質等の問題は少ないだろうし、それが利用者の安心へと繋がっている。
確かに日本でも「古着屋」とか「質流れ」を扱う業者が、「メルカリ」等へ出店している場合もあるとは思うのだが、主流となる利用者はC2Cの関係だろう。

このような「リセール市場」が拡大は、ファッション業界としてはマイナスの様に思えるのだが、おそらく打撃を受けるのはファストファッションなのでは?と、考えている。
というのもファストファッションそのものは、「ワンシーズンで廃棄」するくらいの価格設定をしているため、「リセール市場」に出てくる、古いハイブランド品よりも品質が落ちる事があるからだ。

「メルカリ」や「ヤフオク!」、「ラクマ」などのデジタルC2Cビジネスが、アメリカ型の「参加型デジタルリセール市場」に変化していくとは思えない。
しかし、市場が大きくなればなるだけ「品質の保証」等が求められるようになる。
その問題を今後どのように対応していくのか?ということが、市場拡大となるのか縮小するのかの、分かれ道のような気がしている。


「情報を伝える」ということ

2021-07-01 19:50:30 | アラカルト

「新型コロナクチン」の接種対象者が、医療従事者、65歳以上の方々がほぼ終了し、65歳以下へと移ってきている。
とはいうものの、我が家にはまだ「ワクチン接種の案内」が届いていないのだが…昨年の「定額給付金」の時も周辺自治体がほぼ終了した頃に、送付されてきたのでおそらく同じようなタイミングなのだろう。

政府が「新型コロナワクチン」接種を急ぐ最大の理由は、やはり「東京オリンピック・パラリンピック」の開催の為だろう。
そのような感覚を持って、「新型コロナワクチン」の接種状況を見ている方々は、多いはずだ。
ただ、今週に入ってから東京での「感染者」が増加傾向に転じている、というのは「東京オリンピック・パラリンピック」を何としてでも開催したいJOCや東京都、政府関係者にとっては、不安の種となっているだろう。
今の状況で、今後も感染者が増え続ければ、開幕まで20日余りとなった現在では、相当厳しい判断をする必要があるかもしれないからだ。
少なくとも「有観客」から「無観客」へと、変更せざる得ない、という状況になる可能性はある。

ところで、この「新型コロナワクチン」をめぐっては、「接種をすると妊娠できなくなる」というデマがあった。
他にも「新型コロナワクチンは毒である」ということを喧伝するグループもあるようだ。
このような情報の元となっているのは「陰謀説」だと言われているが、そもそも「ワクチンは安全です」としか言わない側についても、問題があるのでは?という気がしている。

というのも「ワクチン」そのものは、「体に抗体を作る」という目的なので、抗体を持たない体では「副反応」が出るという仕組みになっている。
逆に言えば「副反応=体内で抗体がつくられている」という状況なのだ。
ところが「副反応で××の症状が出た」という話題が先行してしまうために、「××という症状」を怖がって「ワクチン接種はしたくない」ということになる。

また「ワクチン接種をしたのに、新型コロナに感染した」ということも話題になりやすい。
このことに関しては、BBCがニュースキャスターの体験とともに専門家にインタビューをする、という動画がネット上に上がっている。
BBC News Japan:「ワクチン2回受けたのに感染、私は運が悪かった?」BBC司会者が専門家に聞く

このBBC司会者と専門家とのやり取りをみると
①ワクチンを2回接種したからと言って、感染しないわけではない
②ワクチンの目的の一つは、重症化を防ぐこと
③ワクチン接種が進むことで、パンデミックを防ぎ、自粛生活から解放される
ということが、ワクチン接種の目的と効果である、とハッキリ述べている。

日本ではこのような情報が限りなく少なく「ワクチンを接種すれば、新型コロナに感染しない」という認識の中で、「ワクチンを接種したのに、新型コロナに感染した」という話題ばかりが、取り上げられてしまう傾向が強い。
日本の場合「ワクチン=副反応があってはならない」というような認識が強い国では、BBCNewsのような情報を丁寧に発信していかなくては、生活者の不安を取り除くことができない。
その上で「ワクチンを接種する・しない」の判断を生活者に任せる、ということが必要なのだと思う。

先日、厚労省のHPに「新型コロナワクチン接種後、副反応により発熱等が起きた場合の一般薬について」という内容のコンテンツがあった。
これは医療従事者の方々が、「新型コロナワクチン」接種後に起きた「発熱を伴う副反応に対して、どのように対処したのか?」という記事が、一部メディアで取り上げられ、それを見た人の一部が、名前の挙がった薬を買いにドラッグストアに殺到し、一時品切れという状態に陥ったからだ。
このような騒動を受け、厚労省がHPで告知をした訳だが、この告知そのものにアクセスすることができない人たちのほうが、多いのではないだろうか?
厚労省:新型コロナワクチンQ&A

日本では「HP=情報を発信している」と、思いこんでいる省庁や企業が多い(ように感じている)。
例えHPに記載してあることであっても、重要な情報は様々なメディアを使って「伝える」ことが必要なのでは?
「情報を伝える」ことに関して、日本はもっと丁寧で敏感になる必要があると思う。