日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

共感性がない政策は、失敗する

2023-08-17 19:31:36 | アラカルト

2,3日前くらいから、「ブライダル補助金」が、話題になっている。
この「ブライダル補助金」を推進したのが、自民党の森まさこ議員で、現在のX(旧Twitter)にPost(=tweet)したことで、炎上している。
(注意:現在のX(旧Twitter)では、tweetではなくpostという表現をしている為、postとした)
FLASH:「ブライダル補助金」森まさこ議員が業界大手から100万円の寄附!直後に始まった「結婚応援」宣言の怪

炎上理由が「業界団体から寄附をもらっていた」ということが主な要因のようだが、それだけではないはずだ。
「ブライダル産業」と「少子化対策」を結び付けた、というのも炎上理由になっている。

そもそも結婚をしたからと言って、子どもを授かることができるご夫婦ばかりではない。
長い不妊治療の末、子どもを諦めた、という友人も一人二人ではないからだ。
何となくだが、この議員さんの頭の中にあるのは、戦後のベビーブームのような気がしている。

確かに第二次世界大戦後、結婚をし数多くのお子さんが誕生した。
このベビーブームのころは、1クラスに生徒が入りきらず、2部制にするような措置も取られた、という話があるくらいだ。
だが、単純に「結婚した人が多かったから、ベビーブームが起きた」という訳ではないはずだ。
当時の社会的背景を考えれば、若い女性の生き方としての選択肢は、今ほど無かった。
選択肢が多いことで、結婚・出産に興味がない男女が多いという訳ではない。
子育てそのものが、とてもハードルの高いモノとなっている、という現実があるからだ。

事実、OECD諸国の中で日本は「国が子どもの教育にお金を掛けない国」として、常に挙げられている。
それは「学費支援」だけではなく、教育現場に対しても十分とは言える状況ではない。
OECD :Education at a Glance 2021 日本 

「少子化対策」というのであれば、根本的な問題の解決をしていくしかないのだ。
それを安直に「結婚すれば、出産率が上がる」という発想があるため、このようなチグハグな「補助金政策」が、誕生してしまうのだろう。
そこに、業界大手企業から寄附金をもらっていたということになれば、「贈収賄」のようにとらえられても仕方ない。

「ブライダル産業のテコ入れとインバウンド」と結び付けるにしても、日本の結婚式場でインバウンド政策にかなうようなプランは立てにくいはずだ。
というのも、結婚式と言いつつブライダル産業の収益の柱となっているのは、結婚式ではなく披露宴だからだ。
その披露宴は、ウエディングドレスや引き出物、披露宴で提供する食事、披露宴演出など数多くに人達が携わり、半年くらいの時間をかけてできるものだからだ。
だからこそ、披露宴がブライダル産業の収益の柱となっているのだ。
そのようなことが期待できない、インバウンド=旅行者を相手に業界が簡単に乗るとは思えない。
だからこその「補助金」なのだろう。

他にも、ここ数年の政府のお金の使い方には、現実を見据えた根本的解決を目指す為の使われ方がされていない、と感じる生活者が増えているような気がしている。
それは「共感性を得られない(=納得が得られない)政策」ということでもある。
それが、支持率の低下にも繋がっていることに、何故気づかないのだろうか?

 


「玉音放送」をもう一度

2023-08-15 17:54:57 | 徒然

台風7号の接近・上陸により、関西地区では被害が出ているのでは?と、心配をしている。
それでも、前日までに交通各社やアミューズメント施設など、「お盆休み」で人が数多く利用するところについては、運休や休園の告知がされていたし、今朝になると生活に直結するようなスーパーマーケットや百貨店などの休業などが次々に報じられた。
このような「事前告知」があることで、様々な生活リスクの回避を取られた方も多かったのではないだろうか?
今日のような天候では、心やすらかに仏様を迎え・送るということはできないお宅も多いと思う。

そして今日は、終戦記念日でもある。
お昼、テレビ各局では「戦没者慰霊祭」の中継がされたはずだ。
お盆という日は、戦争と平和を考える日でもあるのだ。
それは「亡き人を思う」という共通のことなのかもしれない。
だからこそ、昭和天皇の直接の言葉「玉音放送」で語られたことばに重みがあるのだと思う。

今日のHuffpostに、現代語訳の「玉音放送」が掲載されている。
Huffpost:玉音放送の全文、現代語訳でどんな意味?「耐えがたいことを耐え…」【終戦の日】

この文を読んでみると、第2次世界大戦開戦に至る昭和天皇の考え、戦争終結を決めた思いなどを改めて知ることができる。
特に、見出しにもある「耐えがたいことを耐え…」という有名な一文は、「天皇である自分が、(その責においてこの戦争によって傷ついた日本のことを)耐え忍ぶ」と読み取ることができる。
この玉音放送を聞いて、当時の軍幹部が自害したのは「天皇陛下一人に責任を負わせてしまった」という、自責の念があったからだろうか?
であれば、その行動にも理解ができる。

問題は、時間の経過と共にその言葉のとらえられ方が変化し、「天皇陛下が、国民全員に厳しいことがあっても耐え忍んで欲しい」というニュアンスで受け止められるようになってしまったコトだ。
そこには、メディアの責任もあるだろうし、戦後教育の中で「第2次世界大戦とその後」に触れてきていない、ということも大きいような気がしている。
ある意味「玉音放送」を解釈する、ということ自体、戦後日本の「アンタッチャブル案件」だったという気がしている。

令和という時代になり、昭和天皇から薫陶を受けたとされる今上陛下の時代だからこそ、「玉音放送」の意味を改めて知り、「日本の戦争と平和」を考える必要があるように思うのだ。



台風などの気象による、輸送や旅客の遅れは「免責」でいいんじゃない?

2023-08-14 19:12:27 | ビジネス

7月は沖縄を中心に「線状降水帯」と「台風6号」の影響により、飛行機や船の欠航が相次いだ。
少し早めの夏休みを沖縄で過ごそうと、出かけた観光客を直撃したような状況となったのは、記憶に新しいと思う。
飛行機も船も動かない、という状況になると、沖縄や奄美大島などへの物流も止まってしまう、という状況になった。

そして、現在「台風7号」が近畿地方を中心に、接近・上陸の予想がされている。
近畿から東海という「日本の輸送の大動脈」と言える、名神高速道をはじめ東海道新幹線などがある地域ということもあり、JR東海やJR西日本などでは早い段階で「計画運休」を決め、発表をしている。
旅客関係ではないが、大阪のUSJなども「休園」を発表するなど、「悪天候による各社対応」が素早くなっているだけではなく、運休・休園など「計画的な休み」が当たり前のようになってきている。
個人的には、良い傾向なのでは?と、思っている。
そもそも暴風や大雪の中、無理をすること自体「危険を顧みず行動する」ということだからだ。

しかし、このような情報は、テレビや新聞などのメディア以外のネットニュースなどでも頻繁に伝えられていたはずだが、人というのは「自分ごと」と受け止められない限り、「自分には関係ない」と荷物などを送ってしまう人もいたのではないだろうか?
他人事として受けた情報であれば、「理解も納得もできる」のに、当事者となった時「自分は大丈夫。何とかなるだろう」という楽観した感覚に陥ってしまうのは、何故だろうか?

残念なことに、このような「自己中心的な楽観」で物事を考えている人に限って、自分の思う通りにならないとクレーマー化する傾向があるのでは?という、気がしている。
とすれば、そのようなトラブルを避ける為にも「気象による物流や旅客の遅延・中止は免責とする」という、お達しが必要な気がするのだ。
このような「お達し」が必要だと思うのは、上述したような「自己中心的な楽観者」の為だけではない。
既に問題となっている2024年の物流問題とも、大きく関係してくるからだ。

「2024年物流問題」というのは、物流関連の働く人達の超過勤務の制限などを設けることで、人財不足と高齢化に歯止めをかける、という目的がある。
今の状況では、人財不足と高齢化により早晩「荷物が届かない」ことが当たり前になっていく、ことが予想される為「物流」という経済の大動脈を守るための政策だからだ。
これまで「翌日配達」が当たり前だった物流・配送サービスも、そのようなサービス維持はできなくなります、ユーザー側にも相応の負担をして頂きます、という意味でもある。

そもそも、日本の様々なサービスは「過剰サービス」である、という指摘がされてきた。
その「過剰サービス」に慣れてしまうと、「過剰サービス」が「当たり前サービス」となり、そのしわ寄せがサービス業全体に浸透してしまっている。
その見直しも含め「気象による輸送や旅客の遅れ・運休は『免責(=事業者の責任ではない)』と、すべきだと思う、








代わり始めた「高校野球」?

2023-08-12 21:07:34 | スポーツ

我が家にテレビが無いことと、野球そのものに興味がない為、「高校野球」そのものにも興味がなかった。
おそらく、今でもないと思っている。
興味が持てない理由の一つが「野球を通して優等生の姿を見せている」ような印象があり、高校時代優等生とは言い難かった自分とを比較してしまい、未だに好きになれずにいる。
その「優等生ぶり」に関連して、大人の期待以上に応えようとしているようにも見え、スポーツを楽しんでいるような印象が持てないのだ。

もちろん、甲子園で活躍するコトでプロ野球選手への道が開け、実際プロの道へと進む選手たちも少なくない。
その意味では「甲子園」という場所は、「野球選手のショーケース」のようでもある。
だからこそ、「よりよく品行方正に見せる必要がある」のかもしれない、と勝手に思い込んでいた。

ところが、今年の夏の甲子園は少しだけ違うようだ。
その1校が、神奈川県代表の「慶応高校」だ。
これまで、高校球児と言えば「丸坊主」が当たり前だった。
ところが、慶応高校の監督・森林貴彦さんは「野球は、髪型でやるモノではない」と、言い切っている。
Number Web:「髪を切ってから、出直してこい」というヤジも・・・今夏甲子園の”非坊主”校、慶応高監督が明かす”高校野球の嫌なところ”「皆、甲子園中毒になっている」

まさに私が「嫌だな~」と感じていたのが、この「甲子園中毒」だったのだ。
そして、軍事教練でもないのに「丸坊主」を強要する不思議さを感じていた。
そこにあるのは、これまでメディアが作り上げてきた「高校球児のさわやかさ、真面目さ、穢れの無さ」のような、崇高なイメージにがんじがらめに縛られた、大人の価値観ということなのだろう。
それらの価値観の押し付けが、野球をする生徒たちを野球というスポーツから遠ざけてしまっているのかもしれない。

もう一校が、静岡県代表の浜松開誠館高の話題だ。
Number Web:なびく髪、週休2日制、異色のユニフォーム・・・甲子園初出場・浜松開誠館の「高校野球離れ」した柔軟さ 元プロ監督は”筋肉>技術”改革に着手 

この高校も、これまでとは違う発想の監督さんを招聘し、甲子園に出場している。
注目すべきは「元プロ監督」という肩書だろう。
これまで、高校野球はいわゆる「プロ」と呼ばれる人たちからの指導を受けない、とされてきたように思う。
そのタブーを破って、「プロ」と呼ばれる人財を監督に置き、「野球」というスポーツを、「学校教育の一環」ではないモノとしてとらえているように感じるのだ。

この背景にあるのは、おそらく学校教員に対する様々な仕事を負わせているという問題の指摘だろう。
そもそも「部活」の意義は?「全員参加」を目標とする学校もある(私は中高と「帰宅部」だった)。
スポーツに興味がない生徒、スポーツが苦手な生徒に「(スポーツの)部活に入れ」というのは酷だと思うし、「部活を通して人間性が豊になる」わけでもない。
確かに、一生の付き合いとなる友人などとの出会いの機会となることもあるとは思うが、そのような生徒ばかりではない。
学校の先生の「教える時間の(為の準備の)無さ」等から、「部活指導は、教員ではない人に任せてもよいのでは?」ということが、ここ2,3年言われるようになってきた。
それを実勢したことで、これまでのような「気合と根性」的指導から脱却した指導を行った結果、甲子園初出場となり2回戦進出となったのだろう。

慶応高校も浜松開誠館高校も私立高校である、という点である程度の自由さをもって監督選びや指導ができたのだろう。
公立高校では、実現することは難しいことかもしれない。
ただ、「高校球児を見る視点」を替えるだけで、日本のスポーツ文化は変わっていくような気がする。


「日本ひとり負け」の原因

2023-08-10 20:17:09 | ビジネス

Yahoo!のトピックスを見ていたら、センセーショナルな見出しがあった。
Presidenton-line:マイナ保険証IT現場は「死の行進」が起きている・・・日本が「デジタル敗戦」を繰り返す4つの原因 

「死の行進」とは、穏やかではない見出しだ。
そして記事を読み進めていくうちに、「死の行進」の意味が分かってくる。
今回は、「マイナ保険証」のデータ入力ミスによる混乱について、となっているが、日本の場合このような「現場が死の行進」となる場合が、とても多い気がしている。

理由を挙げるなら、記事中にあるように「現場で仕事をする人」と、「現場に指示を出す人」の知識量と見通しの違いだろう。
日本に限らずかもしれないのだが、「現場で働く人」に対して、何となく軽んじるような社会文化があるような気がしている。
それが見直す切っ掛けとなったのが、「コロナ禍」で「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人たちの存在が、クローズアップされたことだ。
「エッセンシャルワーカー」と、カタカナにするとカッコ良さそうに見えるが、その実は「替えが聞かない現場で働く人達」ということになる。
現場で働く人達がいないと、物流にしても介護や看護、システムそのものが動かない、ということが「コロナ禍」で判明したのだ。
そして「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人たちの多くは、「コロナ禍」の中にあって「体を張って仕事をする」という、人達でもあった。

それに対して、「現場の指示を出す人」の多くは、現場から離れているためその実態が分からず、厚遇された場所で「高みの見物」のような状況だった。
もちろん、「コロナ禍」ではそのような人財は、必要か?という議論になった企業もあったようだが、「コロナ禍」が収束し始めると、再び幅を利かせるようになってきた。

問題となるのは、「現場に指示を出す人」と「現場で汗を流す人」との間には、「共通言語」となるモノがない、という点だろう。
「共通言語」というと、変な気がするかもしれないが「現場でどのようなことをし、どのようなリスクがあるのか?」等を知らない「汗を流さない人」は、自分の思い描いたままに物事が進むと信じている。
そして企業内・組織内での力関係は「汗を流さない人>汗を流す人」である。
日本の場合、それが「政治家>官僚>受注業者>下請け」という複数に重なり合った「力関係」の上に成り立っている場合が多い。
この多層力関係が、余計に「死の行進」へと導いてしまう要因となっているのだ。

マイナ保険証についていうなら、現在の状況を一旦収めることが一番効率やトラブル回避となると思われるのだが、政府は「このまま継続しながら、総点検」と言っている。
その為にどれだけの人と時間と労力が必要なのか?ということは、まったく考えていないように思われる。
当然、「人・時間・労力」を考えていないのだから、どこかにしわ寄せがくる。
それが「現場で汗を流す人達」なのだ。

このような「汗を流さない人達」の、知識量や現状把握、分析、問題解決の為のロードマップづくりなどができず、場当たり的な指示を出し続けることで、より現場は混乱し、ミスが増え労力ばかりがかさむ、ということが延々と繰り返されている。
残念なことに、このような状況は今回の「マイナ保険証」だけではない。
民間企業でもこのようなことは、起きているのだ。
それが「日本一人負け」という経済状況をつくっているのでは?と、考えている。


「原爆」と二つのアメリカ映画

2023-08-08 20:20:19 | 徒然

先週あたりからだろうか?アメリカ映画「バービー」の日本公開を前に、SNS上で炎上していると話題になっていた。
気になって、映画の公式サイトから予告動画を見たのだが、予告ではSNS上で炎上するような部分は、あえて?出されていなかった(ようだ)。
そもそも、「世界中の少女たちを虜にしている」と、言われているバービー人形だが、唯一(と言ってよいと思う)日本だけが、同じ着せ替え人形でもバービーよりも、リカちゃんの方が一般的で人気も高い。

本題から外れるのだが、バービー人形が米国人が考えるハイティーンの理想(体形)像であり、その理想像が日本では大人っぽくて少女たちからは受け入れられないだろう、ということで登場したのが「リカちゃん」だった、という経緯がある。
確かに、バービー人形の体形は、ウエストがキュッと締まり胸とお尻は豊かだ。
米国人であっても、おそらくこのような体形の持ち主は、相当節制をし体形維持に努力をしている一握りのセレブだけだろう。
だからこそ、少女たちにとって「憧れ」のような存在が、バービーということになる。
一方、「リカちゃん」は家族構成などは、セレブであっても小学校高学年~中学1年生くらいの少女、という設定になっている。
だからこそ、リカちゃんは日本の女の子たちにとって、身近な存在となりえたのだ。
その設定の違いを理解し、「バービー」という映画を見てみる必要があると思うのだ。

問題となっているのは、「原爆」を彷彿とさせるような場面がある、という点だった。
この話題を知った時、米国の博物館「スミソニアン」で「エノラゲイ(広島に原爆を落とした米国の爆撃機)」の展示騒動を思い出したのだ。
格情報:広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラゲイ」展示と抗議行動 

「エノラゲイ」の展示の問題は、2003年の話なので、今から20年ほど前のことになる。
この時、米国側は相当強引な感じで、日本の「抗議行動」を退けるようなカタチで展示を決めている(と、記憶している)。
その頃と、米国市民の間では「原爆」に対して、大きな認識変化がなかった、ということだろう。

そしてもう一つ、「バービー」とほぼ同時期に米国で封切られた映画が、「オッペンハイマー」だ。
オッペンハイマーと聞いて、「原爆の父」と結び付けられる日本人が、どれほどいるのだろう?
そもそも、米国が秘密裏に行っていた「原爆開発=マンハッタン計画」について、高校時代学んだ人達がどれほどいるのか?
そして「マンハッタン計画」に参加した科学者たちについて、どれほど学ぶ機会があったのか?という、疑問はある。
幸いなことに、若き物理学者として「マンハッタン計画」に参加した、故リチャード・ファインマンは自伝「ご冗談でしょう、ファインマンさん」で、科学者としての目線で「マンハッタン計画」について書いている。
そして、自分たちが開発に携わった「原爆」によってもたらされた悲劇についても、率直に書かれている。
ファインマンの自伝を読む限り、自分たちの研究によって善良な市民の命が数多く失われた、ということに対する苦悩を感じることができる。
それは「マンハッタン計画」の責任者であった、オッペンハイマー自身も同じだろう。
驚くべきことに、この「マンハッタン計画」を後押ししたのが、天才科学者・アインシュタインであった、ということも、当時の世界情勢を含め考えなくてはならない点が数多くあると思っている。

個人的に、映画「バービー」の原爆を彷彿とさせるシーンや、同じく映画「オッペンハイマー」について思うことは無い。
ただ、そこにある米国の文化や歴史的背景、原爆開発に携わった科学者たちのその後を知り、「平和への努力」について、考えていきたいと思っている。


自民党、大丈夫?

2023-08-07 19:37:57 | 徒然

先週、一足早いお盆休みを頂きました。
と言っても、独居老人状態の実家の父の様子見だったので、「お盆休み」と言えるのか?でしたが…。

その間にも、様々なニュースがあった。
丁度帰省していた頃、岸田総理が鳥取県に来県したニュースがあったのだが、ニュースの内容を見ていると「本当に問題の本質が分かっているのだろうか?」と、不安になってしまった。
来県の目的は「少子化対策」だったと思う。
確かに、鳥取県は人口減少と高齢化が著しく進んでいる地域だ。
その意味では、先日岸田総理が掲げた「異次元的少子化対策」をアピールするには、良い場所だったと思う。
問題なのは、小中学生の歓迎に笑顔で応対し、歓迎した小中学生と一緒に何やら話し、写真を撮るという話題に終始していたことだ。
インタビューに答えた小中学生たちは「総理にあえて、良かった」という趣旨のコメントをテレビ記者に応えていたが、「まぁ、そんなコメントになるよね~」という、印象しかなかった。
まるで「地方に行ったアピール」のようにしか、思えなかったのだ。

そして、研修旅行と称して自民党の女性議員さんたちが大挙して、フランス旅行を満喫したという話題だ。
これまでも、夏休みシーズンになると、国会議員のみならず「議員」と肩書を持つ人達が、海外へ「視察・研修旅行」と称して、出かけることが「慣例」のようになっていた。
今までと大きく違うのは、議員自らSNSのアカウントを持ち、自分たちの「視察・研修旅行」をSNS上でアップすることが可能になった、という点だろう。
もちろん、SNSアカウントを持たない議員さん達も多いと思うので、「視察・研修旅行」と称する「夏休み旅行」の実態が分からない議員さん達も数多くいるだろう。
バブルの頃のように、日本の社会全体がどこか浮足だち、ブランド品を買い求めるOLの姿が、パリの街中で数多く見かけられる時代であれば、これほどまでに注目もされなかっただろうし、話題になることもなかっただろう。

しかし、日本経済が落ち込んでいる中パリの有名観光地で、楽し気にポーズをとり、はしゃいでる姿は「今の国会議員としてどうなの?」と、疑問を呈されても致し方ないはずだ。
なぜなら、国会議員の給与となるモノは全て税金で賄われているからだ。
納税者が、経済が落ち込む中厳しい生活を強いられているにも関わらず、その納税された税金で楽し気にパリではしゃがれては、納得がいかないと感じる生活者は多いだろう。
「時代の風」を敏感にキャッチし、それを「政策」として国会に提案をし、生活者の生活を安全に豊かにするために働くべき議員が、今という時代の風が分からない、ということでは厳しい意見や指摘がされるのも当然だろう。
その意味では「職務に対する緊張感が希薄」ということになるのかもしれない。

そのような話題の直後には、秋本議員の贈収賄だ。
贈った相手は、今時らしく風力発電会社の社長らしい。
時代と共に、現金を贈る相手は変わってきているが、議員の意識は変わらないようだ。
もしかしたら、「特定業者から金品を贈られるようになった=自分も議員として偉くなった」という、認識を未だに持っているということなのだろうか?
これほどのトラブルが続く自民党でありながら、何故か選挙では勝ってしまうという、不思議な現象を享受している自民党、ということなのだろか?