新年1月8日のLPSA金曜サロン、昼は大庭美樹女流初段、夜は石橋幸緒女流四段の担当だった。ふだん寡黙な大庭女流初段、いつも快活な石橋女流四段と、対称的なおふたりだ。
以前記したが、今年から私は、指導対局の際に棋譜ノートをつけることにした。この1年半、金曜サロンの後に食事会に行くようになり、帰宅後に棋譜を思い出すことが難儀になってきた。ブログに指導対局の一部を掲載するケースもあり、より正確を期す、ということもある。しかし将棋盤を出して棋譜を思い出すことは、同時に研究も兼ねていたので、それがなくなったことは一長一短ともいえる。
一礼して将棋盤の前に座ると、大庭女流初段が、
「クリスマスにはお越しいただき、ありがとうございます」
と言う。
クリスマス? 新年の指し初め式のことだろうか。いや、天皇誕生日に行われた「フランボワーズカップ」のことだろう。女流棋士を間近で観られる1dayトーナメントはLPSAのヒット企画で、こちらが御礼を言いたいくらいである。こうした気配りのある一言が、私のようなリピーターを生むのだ。
将棋は、大庭女流初段の中飛車となった。大庭女流初段は最近振り飛車が多いが、中飛車は初めて。ところで最近は、中飛車といえば「ゴキゲン中飛車」を指すが、本局は角道を止めてのクラシックなほうである。角道を止めない中飛車が本流になろうとは、将棋は本当に奥が深い。
私は☗5七銀左から急戦を目指す。上手が☖5三銀と上がったので、私は薄い角頭をめがけ、☗3五歩と仕掛ける。以下☗4六銀~☗3五銀に☖4五歩と角交換を迫ってきたところを、☗6六歩と拒否したのが、我ながら地味な好手だったと思う。やや気合に欠けるうらみはあるが、扱いに苦慮している上手の角を、わざわざ交換して盤上から消してあげる必要はない。またこの☗6六歩も、後に☗6五歩と突き、再度角道を通すことに成功したので、守り一方の手というわけではなかった。
3五の銀は、☗1一銀成~☗2一成銀と桂香を拾い、十分活躍。しかしこの後攻め合いにいってむずかしくしたので、例によって守りに方向転換する。薄い自陣に駒を埋めて、とにかく大庭女流初段の攻めを防ぐことに専念した。
そして終盤、まだまだこれから、というところで大庭女流初段がアッサリ投げられた。これ、新年早々下手を負かして気分を悪くされても後味がわるい、という大庭女流初段の配慮によるものであろう。
たしかに2010年の初陣を勝利で飾ることができ、私はすこぶる上機嫌となった。
以前記したが、今年から私は、指導対局の際に棋譜ノートをつけることにした。この1年半、金曜サロンの後に食事会に行くようになり、帰宅後に棋譜を思い出すことが難儀になってきた。ブログに指導対局の一部を掲載するケースもあり、より正確を期す、ということもある。しかし将棋盤を出して棋譜を思い出すことは、同時に研究も兼ねていたので、それがなくなったことは一長一短ともいえる。
一礼して将棋盤の前に座ると、大庭女流初段が、
「クリスマスにはお越しいただき、ありがとうございます」
と言う。
クリスマス? 新年の指し初め式のことだろうか。いや、天皇誕生日に行われた「フランボワーズカップ」のことだろう。女流棋士を間近で観られる1dayトーナメントはLPSAのヒット企画で、こちらが御礼を言いたいくらいである。こうした気配りのある一言が、私のようなリピーターを生むのだ。
将棋は、大庭女流初段の中飛車となった。大庭女流初段は最近振り飛車が多いが、中飛車は初めて。ところで最近は、中飛車といえば「ゴキゲン中飛車」を指すが、本局は角道を止めてのクラシックなほうである。角道を止めない中飛車が本流になろうとは、将棋は本当に奥が深い。
私は☗5七銀左から急戦を目指す。上手が☖5三銀と上がったので、私は薄い角頭をめがけ、☗3五歩と仕掛ける。以下☗4六銀~☗3五銀に☖4五歩と角交換を迫ってきたところを、☗6六歩と拒否したのが、我ながら地味な好手だったと思う。やや気合に欠けるうらみはあるが、扱いに苦慮している上手の角を、わざわざ交換して盤上から消してあげる必要はない。またこの☗6六歩も、後に☗6五歩と突き、再度角道を通すことに成功したので、守り一方の手というわけではなかった。
3五の銀は、☗1一銀成~☗2一成銀と桂香を拾い、十分活躍。しかしこの後攻め合いにいってむずかしくしたので、例によって守りに方向転換する。薄い自陣に駒を埋めて、とにかく大庭女流初段の攻めを防ぐことに専念した。
そして終盤、まだまだこれから、というところで大庭女流初段がアッサリ投げられた。これ、新年早々下手を負かして気分を悪くされても後味がわるい、という大庭女流初段の配慮によるものであろう。
たしかに2010年の初陣を勝利で飾ることができ、私はすこぶる上機嫌となった。