今週、「将棋ペン倶楽部」の2010年春号が届いた。私も拙いレポートを書いているが、それは置いておく。私の目を惹いたのは、最終頁にある「編集日誌」だ。それによると先月、元女流棋士の林葉直子さんと、弁護士・木村晋介氏とのお好み将棋対局が行われたそうで、それが6月発行の通信号に掲載されるという。
この話は将棋ペンクラブ幹事・M氏の「将棋ペンクラブログ」にも書かれていたので先刻承知だが、紙媒体に予告が載ると、やはり本当のことだったんだという現実感がこみ上げてくる。
以前このブログにも書いたが、私は林葉さんの棋界復帰を望むものである。正確に書けば、林葉さんの将棋をもう一度見たいと切望するものである。当時のブログには、LPSAに何とかしてもらえまいか、とも書いたが、LPSAと林葉さんが、現在までその件で話し合った事実はない。
また、いまだから書くが、「将棋ペン倶楽部」には「将ペン駒落ち道場」のコーナーが不定期にあり、私は私で、林葉さんを指名して、1局お願いしたいとまで考えていた。しかし上手側は「プロ棋士に限る」ので、林葉さんは該当しない。そんなところへ、林葉さんVS木村弁護士という、夢の対局の報せが飛び込んできたわけである。これは私なんかより、将棋界に多大に貢献をしている、木村弁護士が適任である。
おふたりはどんな将棋を指したのだろう。早くも3ヶ月後のペン倶楽部通信が楽しみになった。
なお、以前林葉さんについて書いた記事は昨年の4月16日にエントリした。以下にその記事を再掲しておく。
「林葉直子さん待望論」
林葉直子さんについては、あらためて説明するまでもないだろう。
「女流王将」10連覇をはじめ錚々たる棋歴を残したが、15年ほど前、棋界内でちょっとしたトラブルに巻き込まれ、断腸の思いで将棋界から離れてしまった、伝説の女流棋士である。
林葉さんの美しさは他の女流棋士を圧倒していて、そこに「若い」「強い」が加わっていたから、当時の人気は凄まじいものだった。将棋を趣味にしていた男子にとって、彼女はまさに、ヒロインそのものであった。
私は先日、ある調べ物で20年前の「将棋年鑑」を久しぶりに開いたのだが、女流棋士の写真を見ると、林葉さんの美しさはやはり群を抜いていた。彼女は生粋の博多っ子なのだが、目鼻立ちがハッキリしていて、ハーフのような気高さがある。もう、ほかの女流棋士とは格が違う感じであった。いま彼女はアラフォーのいいオンナだが、その美しさにいささかの衰えもない。
そんな林葉さんは現在ブログを開設していて、更新はかなりまばらだが、最低限の近況は教えてくれている。
それを読むと、現在は九州に戻り、御母堂と暮らしているらしい。
ここで私が気になるのは、その文章の中に、「住職と将棋を指した」とか「静かに将棋を指すのがいい」とか、けっこう「将棋」という単語が出てくることなのである。
現在彼女の職業は「タロット占い師」と「作家(マンガの原作)」のふたつだろうが、マンガの原作は将棋がテーマだし、ブログのプロフィールにも、「元女流棋士」と、ハッキリ記されている。
小さいころから将棋に触れてきたのだ。そんな林葉さんが、そう簡単に将棋を忘れられるわけがない。
そんな彼女の将棋を、私はもう一度見てみたいと以前から熱望していた。しかし日本将棋連盟が彼女を表舞台に立たせるわけがない。そこで日本女子プロ将棋協会(LPSA)の登場である。代表理事の中井広恵女流六段は林葉さんとの長年の戦友である。ひょっとしたらいまでも、メールなどで交流を続けているかもしれない。中井女流六段を通じて、なにかアプローチはできないか。
幸いLPSAには「1DAYトーナメント」がある。
同トーナメントは、出場者が全員LPSA所属の現役棋士のときもあれば、男性アマ強豪を招いてのペア戦のときもある。アイリスなどアマチュア女子強豪を招いてのリーグ戦もあれば、今月に行う「どうぶつしょうぎ」もある。つまり出場資格になんの制約もないのだ。
そこで、である。林葉さんに出場する意思があれば、が大前提になるが、どこか奇特な方が、林葉直子さんの出場を条件に、1DAYのスポンサーになってくれないかと思うのだ。
むろん彼女は将棋界の「元大物」だけに、出場が決まれば、周りへの影響はたいへんなものとなる。社会的ニュースになるかもしれない。まだ林葉さんへの偏見を持っている人は嫌悪感を示すだろうし、いままで健全な活動を行ってきたLPSAのイメージが崩される懸念もある。いやLPSAの中にでさえ、林葉さんの出場を快く思わない棋士もいるかもしれない。
それらをクリアして出場の運びとなっても、大口のスポンサーに一言断りを入れる必要もあろうし、日本将棋連盟への挨拶もいるだろう。たったひとりの女性を出場させるために、いろいろと高いハードルがあるのである。
それでも私は林葉さんの将棋が見たい。あの林葉振り飛車の奔放な指し回しを、もう一度見たいのだ。以前も書いたが、「過去なんて生ゴミ」なのである。私には15年前の件なんて、どうでもいい話なのだ。
「願えば夢は叶うもの」と言ったのは林葉さんだっただろうか。いつか「その日」が来ることを、私は楽しみに待っている。
この話は将棋ペンクラブ幹事・M氏の「将棋ペンクラブログ」にも書かれていたので先刻承知だが、紙媒体に予告が載ると、やはり本当のことだったんだという現実感がこみ上げてくる。
以前このブログにも書いたが、私は林葉さんの棋界復帰を望むものである。正確に書けば、林葉さんの将棋をもう一度見たいと切望するものである。当時のブログには、LPSAに何とかしてもらえまいか、とも書いたが、LPSAと林葉さんが、現在までその件で話し合った事実はない。
また、いまだから書くが、「将棋ペン倶楽部」には「将ペン駒落ち道場」のコーナーが不定期にあり、私は私で、林葉さんを指名して、1局お願いしたいとまで考えていた。しかし上手側は「プロ棋士に限る」ので、林葉さんは該当しない。そんなところへ、林葉さんVS木村弁護士という、夢の対局の報せが飛び込んできたわけである。これは私なんかより、将棋界に多大に貢献をしている、木村弁護士が適任である。
おふたりはどんな将棋を指したのだろう。早くも3ヶ月後のペン倶楽部通信が楽しみになった。
なお、以前林葉さんについて書いた記事は昨年の4月16日にエントリした。以下にその記事を再掲しておく。
「林葉直子さん待望論」
林葉直子さんについては、あらためて説明するまでもないだろう。
「女流王将」10連覇をはじめ錚々たる棋歴を残したが、15年ほど前、棋界内でちょっとしたトラブルに巻き込まれ、断腸の思いで将棋界から離れてしまった、伝説の女流棋士である。
林葉さんの美しさは他の女流棋士を圧倒していて、そこに「若い」「強い」が加わっていたから、当時の人気は凄まじいものだった。将棋を趣味にしていた男子にとって、彼女はまさに、ヒロインそのものであった。
私は先日、ある調べ物で20年前の「将棋年鑑」を久しぶりに開いたのだが、女流棋士の写真を見ると、林葉さんの美しさはやはり群を抜いていた。彼女は生粋の博多っ子なのだが、目鼻立ちがハッキリしていて、ハーフのような気高さがある。もう、ほかの女流棋士とは格が違う感じであった。いま彼女はアラフォーのいいオンナだが、その美しさにいささかの衰えもない。
そんな林葉さんは現在ブログを開設していて、更新はかなりまばらだが、最低限の近況は教えてくれている。
それを読むと、現在は九州に戻り、御母堂と暮らしているらしい。
ここで私が気になるのは、その文章の中に、「住職と将棋を指した」とか「静かに将棋を指すのがいい」とか、けっこう「将棋」という単語が出てくることなのである。
現在彼女の職業は「タロット占い師」と「作家(マンガの原作)」のふたつだろうが、マンガの原作は将棋がテーマだし、ブログのプロフィールにも、「元女流棋士」と、ハッキリ記されている。
小さいころから将棋に触れてきたのだ。そんな林葉さんが、そう簡単に将棋を忘れられるわけがない。
そんな彼女の将棋を、私はもう一度見てみたいと以前から熱望していた。しかし日本将棋連盟が彼女を表舞台に立たせるわけがない。そこで日本女子プロ将棋協会(LPSA)の登場である。代表理事の中井広恵女流六段は林葉さんとの長年の戦友である。ひょっとしたらいまでも、メールなどで交流を続けているかもしれない。中井女流六段を通じて、なにかアプローチはできないか。
幸いLPSAには「1DAYトーナメント」がある。
同トーナメントは、出場者が全員LPSA所属の現役棋士のときもあれば、男性アマ強豪を招いてのペア戦のときもある。アイリスなどアマチュア女子強豪を招いてのリーグ戦もあれば、今月に行う「どうぶつしょうぎ」もある。つまり出場資格になんの制約もないのだ。
そこで、である。林葉さんに出場する意思があれば、が大前提になるが、どこか奇特な方が、林葉直子さんの出場を条件に、1DAYのスポンサーになってくれないかと思うのだ。
むろん彼女は将棋界の「元大物」だけに、出場が決まれば、周りへの影響はたいへんなものとなる。社会的ニュースになるかもしれない。まだ林葉さんへの偏見を持っている人は嫌悪感を示すだろうし、いままで健全な活動を行ってきたLPSAのイメージが崩される懸念もある。いやLPSAの中にでさえ、林葉さんの出場を快く思わない棋士もいるかもしれない。
それらをクリアして出場の運びとなっても、大口のスポンサーに一言断りを入れる必要もあろうし、日本将棋連盟への挨拶もいるだろう。たったひとりの女性を出場させるために、いろいろと高いハードルがあるのである。
それでも私は林葉さんの将棋が見たい。あの林葉振り飛車の奔放な指し回しを、もう一度見たいのだ。以前も書いたが、「過去なんて生ゴミ」なのである。私には15年前の件なんて、どうでもいい話なのだ。
「願えば夢は叶うもの」と言ったのは林葉さんだっただろうか。いつか「その日」が来ることを、私は楽しみに待っている。