私の生年月日は昭和41年3月18日である。つまりきょうが44歳の誕生日で、この歳になって、まだぐうたらな生活をしている自分が情けない。
私は高校時代、3人の女子高生と文通をしていた。動機は省くが、高校2年の夏、「週刊マーガレット」(集英社)のページ下に出ていた文通希望の子に、手紙を出したのだ。最初に宛てたのは静岡在住の女子で、1週間を経ずに返事がきた。このあと兵庫、広島の女子とも文通をしたが、長く続いたのは、この静岡の女子だった。
彼女の誕生日は昭和40年4月20日。当時のハガキは40円、封書は定形25gで60円だった。40円切手、20円切手はもちろん、4円切手(ベニオキナエビス)も発行されていたから、彼女の生年月日の切手を封筒に貼って送る、という遊びも、やろうと思えばできたわけだ。当時切手収集熱があった私は、そんな環境にある彼女がうらやましかった。
では私の生年月日である昭和41年3月18日はどうか。3円切手は「ホトトギス」が発行されていたが、41円や18円なんて半端な額の切手があるはずもなく、「生年月日で郵送する」という夢は、当然諦めていた。
ところが彼女との文通が自然消滅(ということにしておく)してから数年後の平成元年4月、日本の歴史史上、画期的な政策が施行された。消費税の導入である。原則的に、あらゆる商品に税金3%が加算された。切手やハガキも例外ではなく、ハガキの40円は1円20銭が加算され、20銭を切り捨てて41円となり、封書の60円は61円80銭から20銭を切り上げて、62円となった。
もちろん同額の通常切手が発行された。絶対にない、と諦めていた半端きわまりない41円切手が、この世に登場したのだ!
しかし18円、この切手の発行はさすがに考えられなかった。
ところが、世の中何が起こるか分からない。平成6年4月1日、郵政省は郵便料金の改定をする。すなわちハガキが50円、封書(定形25g)が80円になったのだ。しかしそうなると、それまで流通していた41切手と62円切手が扱いづらくなってしまう。そこで郵政省は、消費税導入3ヶ月前の平成6年1月13日、9円切手(シオカラトンボ)と18円切手(テントウムシ)を新規に発行した。何と、絶対に発行されないと観念していた18円切手が、この世に生まれたのだ!!
むろんこの2種は41円切手と62円切手の補助的役割を担うもので、4月1日以降、家や会社に残っているハガキや封書に、これを貼って投函すればムダにならない、というわけだ。
しかも、消費前導入前の封書料金はまだ62円だから、私の生年月日である「41円・3円・18円」を全部足すと62円となり、その3ヶ月間だけは1円のムダもなく、郵送できるのだった。
「願えば夢は叶うもの」と言ったのは林葉直子さんだったか。消費税のいたずらで、念願だった生年月日での郵送が、可能になったのだ。
では私は、私宛に手紙を出したのか。と問われればそれはなく、この時は切手収集熱も冷めており、数年経ってから、18円切手を10枚購入したのみだった。
余談だが、9円切手発行以前は、1円切手(日本郵便の父・前島密)から10円切手までで、9円切手だけ発行されておらず、これも切手収集家の間で話題になった。
現在は、9円切手、18円切手とも絶版になっている。3円切手も、昭和50年代初めには近所の郵便局では入手できなかったから、現在その3種を揃えようと思えば難儀だ。渇望していた41円切手と18円切手。それが叶ったのだから、1通ぐらい自分宛てに投函しておくのだったと、今も思うことがある。
私は高校時代、3人の女子高生と文通をしていた。動機は省くが、高校2年の夏、「週刊マーガレット」(集英社)のページ下に出ていた文通希望の子に、手紙を出したのだ。最初に宛てたのは静岡在住の女子で、1週間を経ずに返事がきた。このあと兵庫、広島の女子とも文通をしたが、長く続いたのは、この静岡の女子だった。
彼女の誕生日は昭和40年4月20日。当時のハガキは40円、封書は定形25gで60円だった。40円切手、20円切手はもちろん、4円切手(ベニオキナエビス)も発行されていたから、彼女の生年月日の切手を封筒に貼って送る、という遊びも、やろうと思えばできたわけだ。当時切手収集熱があった私は、そんな環境にある彼女がうらやましかった。
では私の生年月日である昭和41年3月18日はどうか。3円切手は「ホトトギス」が発行されていたが、41円や18円なんて半端な額の切手があるはずもなく、「生年月日で郵送する」という夢は、当然諦めていた。
ところが彼女との文通が自然消滅(ということにしておく)してから数年後の平成元年4月、日本の歴史史上、画期的な政策が施行された。消費税の導入である。原則的に、あらゆる商品に税金3%が加算された。切手やハガキも例外ではなく、ハガキの40円は1円20銭が加算され、20銭を切り捨てて41円となり、封書の60円は61円80銭から20銭を切り上げて、62円となった。
もちろん同額の通常切手が発行された。絶対にない、と諦めていた半端きわまりない41円切手が、この世に登場したのだ!
しかし18円、この切手の発行はさすがに考えられなかった。
ところが、世の中何が起こるか分からない。平成6年4月1日、郵政省は郵便料金の改定をする。すなわちハガキが50円、封書(定形25g)が80円になったのだ。しかしそうなると、それまで流通していた41切手と62円切手が扱いづらくなってしまう。そこで郵政省は、消費税導入3ヶ月前の平成6年1月13日、9円切手(シオカラトンボ)と18円切手(テントウムシ)を新規に発行した。何と、絶対に発行されないと観念していた18円切手が、この世に生まれたのだ!!
むろんこの2種は41円切手と62円切手の補助的役割を担うもので、4月1日以降、家や会社に残っているハガキや封書に、これを貼って投函すればムダにならない、というわけだ。
しかも、消費前導入前の封書料金はまだ62円だから、私の生年月日である「41円・3円・18円」を全部足すと62円となり、その3ヶ月間だけは1円のムダもなく、郵送できるのだった。
「願えば夢は叶うもの」と言ったのは林葉直子さんだったか。消費税のいたずらで、念願だった生年月日での郵送が、可能になったのだ。
では私は、私宛に手紙を出したのか。と問われればそれはなく、この時は切手収集熱も冷めており、数年経ってから、18円切手を10枚購入したのみだった。
余談だが、9円切手発行以前は、1円切手(日本郵便の父・前島密)から10円切手までで、9円切手だけ発行されておらず、これも切手収集家の間で話題になった。
現在は、9円切手、18円切手とも絶版になっている。3円切手も、昭和50年代初めには近所の郵便局では入手できなかったから、現在その3種を揃えようと思えば難儀だ。渇望していた41円切手と18円切手。それが叶ったのだから、1通ぐらい自分宛てに投函しておくのだったと、今も思うことがある。