17日(火)も午前7時前に起床した。この日も石垣島ラー油を買いに行く。きょうは船戸陽子女流二段のぶんである。某中井広恵女流六段に船戸女流二段へのプレゼントの話をしたとき、某中井女流六段は目を剥いたが、そこへいくと船戸女流二段は奥ゆかしい。私の石垣行きを知ると、
「大沢さんに並んでもらってまで、ラー油を買っていただくことなんてできません。私のぶんはいいです」
と言ったものだ。そんな殊勝な言葉を聞くと、朝の5時にでも6時にでも起きて、整理券をもらいたくなる。この日の起床は、ちーっとも苦にならなかった。
簡単な朝食(無料)をいただいたあと、7時30分すぎに辺銀食堂へ向かう。前日の経験を踏まえたもので、前日よりはやや後方の位置になったが、これでも整理券は手に入るからよい。
ただ内地のお盆は終わったものの、まだ前日と同じくらいの人が並んでいる。しばらく経つと、お店の女性が出てきて、私たちをカウンターで数え始めた。
前日も考えたことだが、整理券を1枚もらって再び最後尾に並び直し、2枚目をもらっても、スタッフには分からないのではないか? 前日と同じ7時54分に整理券が配られはじめ、私もいただいて最後尾を窺うと、お店の女性がついていた。これでは再度並びにくい。不正のないよう、お店のほうもよく考えているのだ。
宿に戻ると、シノブさんが名古屋に帰るところだった。サトコさんは彼女を空港まで送るそうだ。
「さびしくなるよ。いろいろお世話になりました」
と私。
「ええっ…大沢さん、そんなこと言って、泣かすのうまいのね」
とシノブさん。たとえ2日間でも同じ屋根の下でいっしょになれば、もう立派な友達だ。
ユースの玄関前で、ヘルパー・サトコさんとのツーショット写真を撮ってあげる。前々日は甥ごさんの相手に懸命だったシノブさん、見かけによらず、面白い女性だった。またこのユースで会えたらうれしい。
さて、この日の私の行程は未定。西表島か鳩間島、どちらかの日帰りを考えている。西表島は星砂の浜、鳩間島は立原(たちばる)の浜が目的だが、西表島は港に着いてから、浜まで時間を要する。さんざん考えて、鳩間島へ行くことにした。
石垣港からは11時00分発の高速船が出ている。私が初めて鳩間島に訪れた9年前は、貨客船が火・木・土曜日に出航していて、観光客はそれに便乗するだけだった。むろん客室などなく、私たちは甲板で佇むだけ。やたら暑いが、大型船から見る八重山の海は、思わず歓声をあげたくなるくらい、真っ青だった。
当時は民宿が3軒あるだけだったが、いまは新しい民宿やペンションが林立し、10軒を数える。港には立派な待合室と桟橋もできた。観光客も増えたが日帰り客も増えたに違いなく、果たして島がうるおったかどうかは、分からない。しかし確実に言えることは、この小さい島で、小さくない自然が破壊された、ということである。
石垣港ターミナル内の売店で400円の弁当を買い、鳩間行きの高速船に乗る。40分で着いた。とりあえず「鳩間簡易郵便局」で817円の貯金をしたあと、「ゆみちゃんち」を確認する。立原の浜にはシャワー施設などない。「ゆみちゃんち」はシャワーの提供があるので(300円)、帰りはここへ寄るつもりである。
島の一周は約4キロだから、移動はラクだ。そのまま立原の浜に向かおうと思ったが、足が自然に「民宿まるだい」へ向く。9年前に訪れたときは2軒の民宿に宿泊を断られ、最後の1軒、この「まるだい」に断られたら、私は野宿を余儀なくされていた。そこをご主人が快く泊めてくれ、そのときから私は、鳩間島にくると「まるだい」を定宿にしたのである。
ちなみにこの「まるだい」が舞台になったテレビドラマ「瑠璃の島」が放映されたのは、その4年後であった。
「まるだい」に入ると、ちょうど昼食中だった。若い女性が見える。宿泊客であろう。
「泊まるわけじゃないんですけどー」
と声を掛けると、
「いらっしゃい」
と食堂の奥から声がしたので、私は招かれるまま食堂に入った。ちょうど昼食の時間だ。
あれっ? 中村桃子女流1級? あ、違うか…。しかし雰囲気や体形は似ている。きょうの宿泊は彼女だけらしい。宿のおばちゃんが、
「オオサワ…さん? いつも箇条書きの年賀状をくれる…」
と言う。「箇条書き」とは、私が年賀状に書く「私の10大ニュース」のことだろう。
「ああ、はい、そうです。ご無沙汰しております」
きょうは宿泊できない旨は伝えたが、ご主人夫婦は飲み物を出してくれ、歓待してくれた。私は提げていた弁当を開き、食べる。
話のタネにと辺銀食堂の話をしたら、ご主人は辺銀食堂のオーナーの友人だという。
「ほら、そこ」と指差す方向を見てみたら、壁に年賀状が貼ってある。辺銀食堂オーナー夫婦からのものだ。写真のバックが白銀で、外国らしい。
「今年はオリンピックを観に、バンクーバーまで行ったらしいよ」
とご主人。石垣島ラー油さまさまというところか。続けて、
「このまえ辺銀食堂に行ったら、人がいっぱいいて、店に入らずに帰ってきた」
と恐ろしいことを言う。私は翌18日に辺銀食堂で780円以上の食事を摂り、ラー油を買うつもりである。某中井女流六段はともかく、辛いモノ好きの船戸女流二段には、ラー油が何本あっても困らないだろう。しかしランチタイム内に食事はできるのだろうか。
「竹富島の(産業)廃棄物がここ(鳩間島)で処理されることになった」
とご主人。
「エエッ? なぜですか。ここは鳩間島で、竹富島とは関係ないでしょう」
「鳩間島も(住所は)竹富町だから」
「あっ、そうか」
しかし…と思う。周囲4キロしかない小島に、何もほかの島のゴミを持ってくるとはないだろう。鳩間島の島民感情はどうなのだろう。
向かいの中村女流1級(似)は、千葉県の松戸市から来たという。若い女性がこんな辺鄙な場所に一人旅とは珍しいと思い、理由を訊いたら、とにかくひとりになりたかったのだという。那覇に到着したが、那覇は都会。石垣島も考えたがやはり人が多そうで、ネットで調べたらその先に鳩間島という小島があることを知り、ここまで来たのだという。
「きのうは港で夜空を眺めてました」
「天然のプラネタリウム。いいですよねえ。ほらあの港の、船が係留されてて、こうナナメになってるところがあるでしょ。あそこに寝っ転がってボーッと夜空を眺めているとね、こんな贅沢なことはないなあ、と思いますね」
「ああ、ワタシもそこで11時まで寝てました」
「ぐっ…そうですか…」
う~、鳩間島の港でひとり、夜空を眺める。私が30代後半で初めて見つけた「鳩間島の夜空観賞法」を、彼女は20代前半の若さで、すでに経験したのだ。
私がシャワーの場所を確保したことについて、
「私も10年前なら自然乾燥で済ませましたけど、この歳になるとさすがにねー」
と言うと、中村女流1級はケラケラ笑った。
おばちゃんにデザートのゼリーまでごちそうになり、私は恐縮しつつ宿を出、立原の浜へ向かう。小さい鳩間島で、ご主人が「水族館」と呼び一番に推す浜で、干潮のときは沖の奥の奥の奥にある、それはそれは素晴らしいサンゴの数々を見ることができる。
…と期待を膨らませたのだが、なんと立原の浜の入口が、サンゴの石垣で埋め立てられていた。こ、これはどういうことだ!? 宮古島の新城海岸へ行ったときは、海の家のスタッフからライフジャケットの装着をお願いしますと言われたし、黒島では黒島研究所が、ライフジャケットを無料で貸し出していた。
鳩間島も観光客が増え、勝手に泳いで溺れられたらかなわない、ということなのだろうか。メインの入口の左右にも細いながら浜に下る道があったのだが、そこも塞がれている。道なき道を探して岩場まで出たが、ここからは断崖になっている2~3メートルの石垣を降りねばならない。
もう完全に観光客を拒否している感じだが、こっちもTシャツは汗でびっしょり、海でさっぱりしないとやってられない。潮は満ちていて奥には行けないが、とりあえず海に入った。気持ちいいが、持参した新規のシュノーケル用メガネに海水が入り、往生した。
17日の石垣島は、午後から雨の予報だった。海に入っているのだから雨は関係ないように思われるが、崖の上には旅行カバンは置いてあるし、曇っていれば海の中が見えない。やはり晴天に越したことはないのだ。
浜の近くのサンゴと魚の鑑賞で我慢するが、それでいい。こんなところで溺れたら、誰も助けてくれない。大山康晴十五世名人の将棋のように、浅い場所をそろそろ泳いでいれば、間違いはないのだ。
遠くで雷がゴロゴロ鳴っている。まだ雨は降っていないが、イヤな感じである。自然道のところで、クルマが止まった音がする。これを潮に、私はそのまま海を上がることにした。その音の主は、どこかのテレビクルーだった。軍手をはめた女性レポーターが、不審そうに私を見ていた。
島内を水着で歩くのはマナー違反だが、無視して「まるだい」へ行く。さっきおばちゃんが、「海から上がったら、うちのシャワーを使いなさい」と申し出てくれたからだ。
門をくぐると、部屋の縁側で中村女流1級(似)が、Tシャツにホットパンツというラフな姿で仰向けになり、右膝を立てている。先ほど郵便局へ向かう途中に、大木の陰で読書をしている宿泊客がいたが、中村女流1級もまた、夏の八重山でのんびり、を実践しているというわけだ。
それにしてもこの姿はちょっとセクシーだ。
「あの…シャワーを借ります」
と言うと、彼女は妖しく笑って、
「どうぞ…」
と言う。なんだかドキドキしてしまう。シャワーを浴びると、食堂にご主人がいたので、300円を強引に置いた。
帰り際に彼女を見ると、今度は腹這いになっていた。まるでモデル撮影会のようだ。こ、こんな感じで、ふ、船戸女流二段を…。
きょうの宿泊はあのコだけか…と後ろ髪を引かれつつも、17時10分発の高速船に乗り、西表島を経由し、石垣島へ戻る。港ターミナル内を通ると、売店のひとつが、昼(朝)に売っていた弁当を半額(200円)で売っていた。こういう安売りに私は弱い。きょうが最後の石垣の夜になるのに、ついその弁当を買って、晩ご飯にしてしまう。
そのまま旧港ターミナル方面に出る。…うわっ!!
左手に「お食事処 ソムリエ」という看板が立っていたので、ビックリした。
「ファンランキング6位の中井さんと、1位の私が同じお土産じゃ、おかしくない?」
という船戸女流二段の声が聞こえたような気がした。
「大沢さんに並んでもらってまで、ラー油を買っていただくことなんてできません。私のぶんはいいです」
と言ったものだ。そんな殊勝な言葉を聞くと、朝の5時にでも6時にでも起きて、整理券をもらいたくなる。この日の起床は、ちーっとも苦にならなかった。
簡単な朝食(無料)をいただいたあと、7時30分すぎに辺銀食堂へ向かう。前日の経験を踏まえたもので、前日よりはやや後方の位置になったが、これでも整理券は手に入るからよい。
ただ内地のお盆は終わったものの、まだ前日と同じくらいの人が並んでいる。しばらく経つと、お店の女性が出てきて、私たちをカウンターで数え始めた。
前日も考えたことだが、整理券を1枚もらって再び最後尾に並び直し、2枚目をもらっても、スタッフには分からないのではないか? 前日と同じ7時54分に整理券が配られはじめ、私もいただいて最後尾を窺うと、お店の女性がついていた。これでは再度並びにくい。不正のないよう、お店のほうもよく考えているのだ。
宿に戻ると、シノブさんが名古屋に帰るところだった。サトコさんは彼女を空港まで送るそうだ。
「さびしくなるよ。いろいろお世話になりました」
と私。
「ええっ…大沢さん、そんなこと言って、泣かすのうまいのね」
とシノブさん。たとえ2日間でも同じ屋根の下でいっしょになれば、もう立派な友達だ。
ユースの玄関前で、ヘルパー・サトコさんとのツーショット写真を撮ってあげる。前々日は甥ごさんの相手に懸命だったシノブさん、見かけによらず、面白い女性だった。またこのユースで会えたらうれしい。
さて、この日の私の行程は未定。西表島か鳩間島、どちらかの日帰りを考えている。西表島は星砂の浜、鳩間島は立原(たちばる)の浜が目的だが、西表島は港に着いてから、浜まで時間を要する。さんざん考えて、鳩間島へ行くことにした。
石垣港からは11時00分発の高速船が出ている。私が初めて鳩間島に訪れた9年前は、貨客船が火・木・土曜日に出航していて、観光客はそれに便乗するだけだった。むろん客室などなく、私たちは甲板で佇むだけ。やたら暑いが、大型船から見る八重山の海は、思わず歓声をあげたくなるくらい、真っ青だった。
当時は民宿が3軒あるだけだったが、いまは新しい民宿やペンションが林立し、10軒を数える。港には立派な待合室と桟橋もできた。観光客も増えたが日帰り客も増えたに違いなく、果たして島がうるおったかどうかは、分からない。しかし確実に言えることは、この小さい島で、小さくない自然が破壊された、ということである。
石垣港ターミナル内の売店で400円の弁当を買い、鳩間行きの高速船に乗る。40分で着いた。とりあえず「鳩間簡易郵便局」で817円の貯金をしたあと、「ゆみちゃんち」を確認する。立原の浜にはシャワー施設などない。「ゆみちゃんち」はシャワーの提供があるので(300円)、帰りはここへ寄るつもりである。
島の一周は約4キロだから、移動はラクだ。そのまま立原の浜に向かおうと思ったが、足が自然に「民宿まるだい」へ向く。9年前に訪れたときは2軒の民宿に宿泊を断られ、最後の1軒、この「まるだい」に断られたら、私は野宿を余儀なくされていた。そこをご主人が快く泊めてくれ、そのときから私は、鳩間島にくると「まるだい」を定宿にしたのである。
ちなみにこの「まるだい」が舞台になったテレビドラマ「瑠璃の島」が放映されたのは、その4年後であった。
「まるだい」に入ると、ちょうど昼食中だった。若い女性が見える。宿泊客であろう。
「泊まるわけじゃないんですけどー」
と声を掛けると、
「いらっしゃい」
と食堂の奥から声がしたので、私は招かれるまま食堂に入った。ちょうど昼食の時間だ。
あれっ? 中村桃子女流1級? あ、違うか…。しかし雰囲気や体形は似ている。きょうの宿泊は彼女だけらしい。宿のおばちゃんが、
「オオサワ…さん? いつも箇条書きの年賀状をくれる…」
と言う。「箇条書き」とは、私が年賀状に書く「私の10大ニュース」のことだろう。
「ああ、はい、そうです。ご無沙汰しております」
きょうは宿泊できない旨は伝えたが、ご主人夫婦は飲み物を出してくれ、歓待してくれた。私は提げていた弁当を開き、食べる。
話のタネにと辺銀食堂の話をしたら、ご主人は辺銀食堂のオーナーの友人だという。
「ほら、そこ」と指差す方向を見てみたら、壁に年賀状が貼ってある。辺銀食堂オーナー夫婦からのものだ。写真のバックが白銀で、外国らしい。
「今年はオリンピックを観に、バンクーバーまで行ったらしいよ」
とご主人。石垣島ラー油さまさまというところか。続けて、
「このまえ辺銀食堂に行ったら、人がいっぱいいて、店に入らずに帰ってきた」
と恐ろしいことを言う。私は翌18日に辺銀食堂で780円以上の食事を摂り、ラー油を買うつもりである。某中井女流六段はともかく、辛いモノ好きの船戸女流二段には、ラー油が何本あっても困らないだろう。しかしランチタイム内に食事はできるのだろうか。
「竹富島の(産業)廃棄物がここ(鳩間島)で処理されることになった」
とご主人。
「エエッ? なぜですか。ここは鳩間島で、竹富島とは関係ないでしょう」
「鳩間島も(住所は)竹富町だから」
「あっ、そうか」
しかし…と思う。周囲4キロしかない小島に、何もほかの島のゴミを持ってくるとはないだろう。鳩間島の島民感情はどうなのだろう。
向かいの中村女流1級(似)は、千葉県の松戸市から来たという。若い女性がこんな辺鄙な場所に一人旅とは珍しいと思い、理由を訊いたら、とにかくひとりになりたかったのだという。那覇に到着したが、那覇は都会。石垣島も考えたがやはり人が多そうで、ネットで調べたらその先に鳩間島という小島があることを知り、ここまで来たのだという。
「きのうは港で夜空を眺めてました」
「天然のプラネタリウム。いいですよねえ。ほらあの港の、船が係留されてて、こうナナメになってるところがあるでしょ。あそこに寝っ転がってボーッと夜空を眺めているとね、こんな贅沢なことはないなあ、と思いますね」
「ああ、ワタシもそこで11時まで寝てました」
「ぐっ…そうですか…」
う~、鳩間島の港でひとり、夜空を眺める。私が30代後半で初めて見つけた「鳩間島の夜空観賞法」を、彼女は20代前半の若さで、すでに経験したのだ。
私がシャワーの場所を確保したことについて、
「私も10年前なら自然乾燥で済ませましたけど、この歳になるとさすがにねー」
と言うと、中村女流1級はケラケラ笑った。
おばちゃんにデザートのゼリーまでごちそうになり、私は恐縮しつつ宿を出、立原の浜へ向かう。小さい鳩間島で、ご主人が「水族館」と呼び一番に推す浜で、干潮のときは沖の奥の奥の奥にある、それはそれは素晴らしいサンゴの数々を見ることができる。
…と期待を膨らませたのだが、なんと立原の浜の入口が、サンゴの石垣で埋め立てられていた。こ、これはどういうことだ!? 宮古島の新城海岸へ行ったときは、海の家のスタッフからライフジャケットの装着をお願いしますと言われたし、黒島では黒島研究所が、ライフジャケットを無料で貸し出していた。
鳩間島も観光客が増え、勝手に泳いで溺れられたらかなわない、ということなのだろうか。メインの入口の左右にも細いながら浜に下る道があったのだが、そこも塞がれている。道なき道を探して岩場まで出たが、ここからは断崖になっている2~3メートルの石垣を降りねばならない。
もう完全に観光客を拒否している感じだが、こっちもTシャツは汗でびっしょり、海でさっぱりしないとやってられない。潮は満ちていて奥には行けないが、とりあえず海に入った。気持ちいいが、持参した新規のシュノーケル用メガネに海水が入り、往生した。
17日の石垣島は、午後から雨の予報だった。海に入っているのだから雨は関係ないように思われるが、崖の上には旅行カバンは置いてあるし、曇っていれば海の中が見えない。やはり晴天に越したことはないのだ。
浜の近くのサンゴと魚の鑑賞で我慢するが、それでいい。こんなところで溺れたら、誰も助けてくれない。大山康晴十五世名人の将棋のように、浅い場所をそろそろ泳いでいれば、間違いはないのだ。
遠くで雷がゴロゴロ鳴っている。まだ雨は降っていないが、イヤな感じである。自然道のところで、クルマが止まった音がする。これを潮に、私はそのまま海を上がることにした。その音の主は、どこかのテレビクルーだった。軍手をはめた女性レポーターが、不審そうに私を見ていた。
島内を水着で歩くのはマナー違反だが、無視して「まるだい」へ行く。さっきおばちゃんが、「海から上がったら、うちのシャワーを使いなさい」と申し出てくれたからだ。
門をくぐると、部屋の縁側で中村女流1級(似)が、Tシャツにホットパンツというラフな姿で仰向けになり、右膝を立てている。先ほど郵便局へ向かう途中に、大木の陰で読書をしている宿泊客がいたが、中村女流1級もまた、夏の八重山でのんびり、を実践しているというわけだ。
それにしてもこの姿はちょっとセクシーだ。
「あの…シャワーを借ります」
と言うと、彼女は妖しく笑って、
「どうぞ…」
と言う。なんだかドキドキしてしまう。シャワーを浴びると、食堂にご主人がいたので、300円を強引に置いた。
帰り際に彼女を見ると、今度は腹這いになっていた。まるでモデル撮影会のようだ。こ、こんな感じで、ふ、船戸女流二段を…。
きょうの宿泊はあのコだけか…と後ろ髪を引かれつつも、17時10分発の高速船に乗り、西表島を経由し、石垣島へ戻る。港ターミナル内を通ると、売店のひとつが、昼(朝)に売っていた弁当を半額(200円)で売っていた。こういう安売りに私は弱い。きょうが最後の石垣の夜になるのに、ついその弁当を買って、晩ご飯にしてしまう。
そのまま旧港ターミナル方面に出る。…うわっ!!
左手に「お食事処 ソムリエ」という看板が立っていたので、ビックリした。
「ファンランキング6位の中井さんと、1位の私が同じお土産じゃ、おかしくない?」
という船戸女流二段の声が聞こえたような気がした。