宿に戻ってシャワーを浴び、夕食(弁当)は後回しにして、八重山郵便局裏の「あやぱにモール」をぶらぶらする。何を買うわけでもないが、私はこの時間が好きだ。
店のおばちゃんが「キャー」と歓声を上げている。甲子園大会で、沖縄の興南高校が得点を入れたらしい。興南高校は沖縄本島だと思うが、数年前に八重山商工がかなり勝ち進んだときは、島をあげての応援で、たいへんだった。
あやぱにモールの帰りに、喫茶店「プラゼール」へ寄る。数年前にふらっと入った店で、中はカウンターとテーブル席が3つ。おばちゃんが経営する、なんてことのない喫茶店である。ただしここのアイスコーヒーには大きな特色がある。氷もコーヒーなのだ。
あれから店には入っていないが、まだアイスコーヒーの氷はコーヒーだろうか。カウンターにはおっちゃんがふたり、高校野球を見ている。私もカウンターに座り、アイスコーヒーを頼む。出てきたそれは、やはり氷もコーヒーだった。これだと(たぶん)氷が溶けにくいうえ、溶けても味が薄くならない。ただし前回は氷が板状だったが、今回は立方体である。
「オオーッ!!」とおっちゃんが大声をあげる。「(うるさくて)すいませんねぇ」とおばちゃん。興南高校が逃げ切りそうである。
宿に戻る。ドアを開けると、そこが「ゆんたくの間」だ。サトコさんがいた。失礼して、弁当を食べさせていただく。きょうの宿泊者は私のほかに男性ひとり。しかしその人はまだ帰って来ないので、ふたりでお話。鳩間島「民宿まるだい」に泊まっていたら中村桃子女流1級似の女性と話せたが、石垣島「八洲旅館ユースホステル」の、中井広恵女流六段の遠い親戚似のヘルパーさんとの話もおもしろい。これに前日は斎田晴子女流四段似のホステラーがいたのだから、考えてみれば強烈な面子だった。
鳩間島へ行ったことを話すと、
「よかったですね。西表島は雨だったそうですよ」
とサトコさんが言う。
八重山といっても広くて、島によって天気が違う。西表島は鳩間島の目と鼻の先にあるといってもいいが、それでもこれだけ天気が違う。私は今回、幸運だった。
立原の浜の出入り口が石垣で埋められていたことを言うと、それを見せて、と彼女が言うので、デジカメを持ってくる。しかしその石垣は撮っていなかった。自分でもどこを撮ったのか、記憶が曖昧である。
せっかくなので何枚か画像を進めると、「お食事処 ソムリエ」の看板を撮った画像が出てきたので、その説明をしたら大笑いされた。サトコさんと斎田晴子…じゃない、シノブさんには、私のプライバシーをかなりしゃべってしまった。ちょっと弱みを握られた形で、今度どこかで再会したら、ちょっとマズイ。
サトコさんもミニアルバムを持ってくる。中を見ると、現在とはイメージが違い、コギャルの趣がある。サトコさんもあっちこっちを旅行しているから、ここに収められている写真は、自慢の写真なのであろう。
「ここ、ここの海がいいよ」
透明な海をバックに、サトコさんがジャンプしている図だ。慶留間島だという。沖縄本島から西に40キロほど行った、慶良間諸島のひとつだ。
「ほら、写真なのに波しぶきが透明で、ゼリーみたいでしょ!! これを肉眼で見たらスゴイよ~!」
と興奮しながらまくしたてる。
たしかに慶良間諸島の海は綺麗で、私も渡嘉敷島の阿波連ビーチは何度か訪れたことがある。もちろん時間があれば慶留間島も訪れてみたいが、時間が限られている中では、どうしても宮古島か石垣島を優先してしまい、本島周辺の島々は、とんとご無沙汰している。
次はゼヒゼヒ!! と勧められたが、微妙なところであった。
もうひとりの宿泊者から電話が入る。(石垣島のほぼ中央にある)野底岳に登ったのだが、下山道を間違えたのだという。野底岳は、数年前に別ルートの登山道ができた。頂上から降り始めるとすぐに岐れ道があり、ここで間違えると反対側に出てしまう。もう外は暗いが、大丈夫だろうか。
午後9時半ごろか、その宿泊者が戻ってきた。とりあえず安心する。彼は中村俊介似のハンサムな男性だった。
すぐにでもシャワーを浴びたいところだろうが、私たちの話が盛り上がっているので、彼もこの輪に入ってしまう。どうでもいいが、彼の名字は「清水」といった。斎田さんが去ったあとは清水さんか…。さらにどうでもいいが、サトコさんも以前、「清水」を名乗ったことがあるらしい。
清水さんもコンパクトデジカメで野底岳の写真を撮ったというので、その画像を見せてもらう。野底岳は、私が石垣島の中で最も好きなスポットである。ただ今回は登る予定がなく、15日に飛行機から見た景色でその代わりとした。ところがひょんなことから、きょう現在の野底岳が見られることになったわけだ。便利な世の中になったものだと思う。
画像で見る野底岳からの風景は、ちょっと空が曇っていたが、素晴らしい。石垣島は熊倉紫野女流初段も好きなようだが、野底岳登山をお勧めする。ただし身の安全のため、できれば男性といっしょに登ったほうがよい。
Tシャツ屋のデザイナー氏が遊びにくる。市川海老蔵に似た、ナイスガイだ。トライアスロンやマラソンが好きで、あっちこっちの大会に出没しているとのこと。東京マラソンには全身のかぶり物で参加し、テレビ局に敬遠されたらしい。よく分からん。
ユースの会員カードについている宿泊カードに、3日分のスタンプを押してもらう。蛇腹状になっているカードを拡げると、1996年の宿泊分から、このカードに押されていた。
それを見ていたサトコさんが懐かしがって、ユースに置いてある「旅の一言ノート」を引っ張り出してきた。いまはそれほどでもないが、昔はユースの旅行者が、島旅の感想や最新情報を、このノートに克明に書いたものだ。だがいまは、ネットが発達して最新情報が簡単に入手できるうえ、ユースの利用者自体も減って、感想を書く宿泊者は激減した。
私も昔は何か書いたはずだが、見つからない。そういえばサトコさんも、夏の間にこのユースでヘルパーをしたことがあるそうだが、まったく記憶にない。私も毎年このユースを利用しているわけではないので、妙にすれ違っていたようだ。
1996年と2001年のノートに、私の感想文が書いてあった。わりと短文だ。当たり前だが、筆跡がいまとまったく変わっていない。
1996年は海水浴に関心はなかったが、「黒島の仲本海岸があまりにも綺麗だったので、パンツのまま入っちゃいました」と、恐ろしいことが書いてある。いまなら絶対にこんなことはしない。
2001年も素っ気なく、「今年も石垣島に来られてうれしい」と書いてあった。サラリーマン生活を辞めてから初めての沖縄旅行で、まだ心の整理がついてなかったころだ。
なお、おととし2008年は絶対書いているが、そのノートは見当たらなかった。
こうして見ると、感想文を書いた当時の心境が克明に思い出されてくる。それはサトコさんも同意見だった。旅先での「旅の一言ノート」は、過去の自分を想起させてくれる、タイムカプセルでもあったのだ。
なんだかきょう1日は、妙に疲れた。ゆんたくの最中でも、頭が朦朧としていた。寝不足が蓄積されているのかもしれない。
翌18日も、辺銀食堂詣でである。この日は12時近くに就寝。すぐ眠りに落ちた。
店のおばちゃんが「キャー」と歓声を上げている。甲子園大会で、沖縄の興南高校が得点を入れたらしい。興南高校は沖縄本島だと思うが、数年前に八重山商工がかなり勝ち進んだときは、島をあげての応援で、たいへんだった。
あやぱにモールの帰りに、喫茶店「プラゼール」へ寄る。数年前にふらっと入った店で、中はカウンターとテーブル席が3つ。おばちゃんが経営する、なんてことのない喫茶店である。ただしここのアイスコーヒーには大きな特色がある。氷もコーヒーなのだ。
あれから店には入っていないが、まだアイスコーヒーの氷はコーヒーだろうか。カウンターにはおっちゃんがふたり、高校野球を見ている。私もカウンターに座り、アイスコーヒーを頼む。出てきたそれは、やはり氷もコーヒーだった。これだと(たぶん)氷が溶けにくいうえ、溶けても味が薄くならない。ただし前回は氷が板状だったが、今回は立方体である。
「オオーッ!!」とおっちゃんが大声をあげる。「(うるさくて)すいませんねぇ」とおばちゃん。興南高校が逃げ切りそうである。
宿に戻る。ドアを開けると、そこが「ゆんたくの間」だ。サトコさんがいた。失礼して、弁当を食べさせていただく。きょうの宿泊者は私のほかに男性ひとり。しかしその人はまだ帰って来ないので、ふたりでお話。鳩間島「民宿まるだい」に泊まっていたら中村桃子女流1級似の女性と話せたが、石垣島「八洲旅館ユースホステル」の、中井広恵女流六段の遠い親戚似のヘルパーさんとの話もおもしろい。これに前日は斎田晴子女流四段似のホステラーがいたのだから、考えてみれば強烈な面子だった。
鳩間島へ行ったことを話すと、
「よかったですね。西表島は雨だったそうですよ」
とサトコさんが言う。
八重山といっても広くて、島によって天気が違う。西表島は鳩間島の目と鼻の先にあるといってもいいが、それでもこれだけ天気が違う。私は今回、幸運だった。
立原の浜の出入り口が石垣で埋められていたことを言うと、それを見せて、と彼女が言うので、デジカメを持ってくる。しかしその石垣は撮っていなかった。自分でもどこを撮ったのか、記憶が曖昧である。
せっかくなので何枚か画像を進めると、「お食事処 ソムリエ」の看板を撮った画像が出てきたので、その説明をしたら大笑いされた。サトコさんと斎田晴子…じゃない、シノブさんには、私のプライバシーをかなりしゃべってしまった。ちょっと弱みを握られた形で、今度どこかで再会したら、ちょっとマズイ。
サトコさんもミニアルバムを持ってくる。中を見ると、現在とはイメージが違い、コギャルの趣がある。サトコさんもあっちこっちを旅行しているから、ここに収められている写真は、自慢の写真なのであろう。
「ここ、ここの海がいいよ」
透明な海をバックに、サトコさんがジャンプしている図だ。慶留間島だという。沖縄本島から西に40キロほど行った、慶良間諸島のひとつだ。
「ほら、写真なのに波しぶきが透明で、ゼリーみたいでしょ!! これを肉眼で見たらスゴイよ~!」
と興奮しながらまくしたてる。
たしかに慶良間諸島の海は綺麗で、私も渡嘉敷島の阿波連ビーチは何度か訪れたことがある。もちろん時間があれば慶留間島も訪れてみたいが、時間が限られている中では、どうしても宮古島か石垣島を優先してしまい、本島周辺の島々は、とんとご無沙汰している。
次はゼヒゼヒ!! と勧められたが、微妙なところであった。
もうひとりの宿泊者から電話が入る。(石垣島のほぼ中央にある)野底岳に登ったのだが、下山道を間違えたのだという。野底岳は、数年前に別ルートの登山道ができた。頂上から降り始めるとすぐに岐れ道があり、ここで間違えると反対側に出てしまう。もう外は暗いが、大丈夫だろうか。
午後9時半ごろか、その宿泊者が戻ってきた。とりあえず安心する。彼は中村俊介似のハンサムな男性だった。
すぐにでもシャワーを浴びたいところだろうが、私たちの話が盛り上がっているので、彼もこの輪に入ってしまう。どうでもいいが、彼の名字は「清水」といった。斎田さんが去ったあとは清水さんか…。さらにどうでもいいが、サトコさんも以前、「清水」を名乗ったことがあるらしい。
清水さんもコンパクトデジカメで野底岳の写真を撮ったというので、その画像を見せてもらう。野底岳は、私が石垣島の中で最も好きなスポットである。ただ今回は登る予定がなく、15日に飛行機から見た景色でその代わりとした。ところがひょんなことから、きょう現在の野底岳が見られることになったわけだ。便利な世の中になったものだと思う。
画像で見る野底岳からの風景は、ちょっと空が曇っていたが、素晴らしい。石垣島は熊倉紫野女流初段も好きなようだが、野底岳登山をお勧めする。ただし身の安全のため、できれば男性といっしょに登ったほうがよい。
Tシャツ屋のデザイナー氏が遊びにくる。市川海老蔵に似た、ナイスガイだ。トライアスロンやマラソンが好きで、あっちこっちの大会に出没しているとのこと。東京マラソンには全身のかぶり物で参加し、テレビ局に敬遠されたらしい。よく分からん。
ユースの会員カードについている宿泊カードに、3日分のスタンプを押してもらう。蛇腹状になっているカードを拡げると、1996年の宿泊分から、このカードに押されていた。
それを見ていたサトコさんが懐かしがって、ユースに置いてある「旅の一言ノート」を引っ張り出してきた。いまはそれほどでもないが、昔はユースの旅行者が、島旅の感想や最新情報を、このノートに克明に書いたものだ。だがいまは、ネットが発達して最新情報が簡単に入手できるうえ、ユースの利用者自体も減って、感想を書く宿泊者は激減した。
私も昔は何か書いたはずだが、見つからない。そういえばサトコさんも、夏の間にこのユースでヘルパーをしたことがあるそうだが、まったく記憶にない。私も毎年このユースを利用しているわけではないので、妙にすれ違っていたようだ。
1996年と2001年のノートに、私の感想文が書いてあった。わりと短文だ。当たり前だが、筆跡がいまとまったく変わっていない。
1996年は海水浴に関心はなかったが、「黒島の仲本海岸があまりにも綺麗だったので、パンツのまま入っちゃいました」と、恐ろしいことが書いてある。いまなら絶対にこんなことはしない。
2001年も素っ気なく、「今年も石垣島に来られてうれしい」と書いてあった。サラリーマン生活を辞めてから初めての沖縄旅行で、まだ心の整理がついてなかったころだ。
なお、おととし2008年は絶対書いているが、そのノートは見当たらなかった。
こうして見ると、感想文を書いた当時の心境が克明に思い出されてくる。それはサトコさんも同意見だった。旅先での「旅の一言ノート」は、過去の自分を想起させてくれる、タイムカプセルでもあったのだ。
なんだかきょう1日は、妙に疲れた。ゆんたくの最中でも、頭が朦朧としていた。寝不足が蓄積されているのかもしれない。
翌18日も、辺銀食堂詣でである。この日は12時近くに就寝。すぐ眠りに落ちた。