鈴木環那女流初段は女流棋界を代表する人気棋士である。先月行われた某棋戦の公開対局では、2局で19本もの懸賞金スポンサーがつき、その人気の高さを全国の将棋ファンに再認識させた。
鈴木女流初段は公開対局会場でも、廊下でファンとすれ違うと、面識がなくても「こんにちは」と挨拶してくれる。師匠である原田泰夫九段の教えでもあろうが、言われた将棋ファンはうれしいはずで、これでは鈴木ファンが増えるのもさもありなんと思う。
滑舌や発音をよくするために、アナウンス学校に通ったこともある。こうした将棋以外の地道な努力が、いまの鈴木女流初段を形成している。
そんな鈴木女流初段は「NHK将棋講座」に、長いことエッセイを連載している。昨年の10月号では、某棋戦に賭ける熱い思い、ファンへの感謝の念が叙情的に描かれていて、とても印象に残った。
このエッセイは今年の4月から「イチオシ! 乙女の戦い」とタイトルを変え2頁にパワーアップ、女流棋士の熱戦譜の紹介も加わった。
その6月号では、中井広恵女流六段と早水千紗女流二段の将棋を取り上げていた。
言うまでもないが、鈴木女流初段は女流棋士会の所属。中井女流六段はLPSAの所属である。NHKの雑誌とはいえ、女流棋士会の女流棋士が他団体の将棋を題材にするなど異例中の異例。よく鈴木女流初段が書いたな、と私は大いに感心させられた。
さらに驚いたのが7月号である。ここでは石橋幸緒女流四段と山田久美女流三段の将棋を扱っている。何と、2ヶ月連続のLPSA女流棋士の登場である。しかも、中井・石橋と、LPSAの顔ときたものだ(もっとも、LPSAのほかの女流棋士の将棋を取り上げようにも、めぼしい将棋がないのだが)。
この内容がまたすごい。石橋女流四段の著書「生きてこそ光り輝く」(PHP)に触れ、
「…でも本を開く手が少しためらった。きっと、読んでしまえば、石橋さんのファンになってしまうことがわかっていたから。」
と記している。そして結局この本を読んだ鈴木女流初段は、やっぱり石橋女流四段のファンになったのだった。
女流棋士会の女流棋士が、LPSAの女流棋士を尊敬するなんて書いて、大丈夫なのだろうか。
この連載には「カンナのなんか」というエッセイも付いており、ここでも鈴木女流初段は、さらに石橋女流四段に触れている。少し長いが引用させていただく。
「今回の将棋の感想などを伺うために、初めて石橋さんにメールをお送りした。頂いた返信は予想以上に早く、そして長文だった。
(中略)なんて良い先輩なんだとかみしめながら読み進めると、最後は前がにじんで読めなくなるくらいのお褒めの言葉や励ましの言葉が書かれていた。
あまりにうれしくて、もったいなくて、二度は読み返すことができなかった。」
石橋女流四段にメールを送ったというのがすごい。これ、国交のない国に文書を送ったようなものではないか? いや、戦争中の敵国の首相に停戦や和解の文書を送ったようなものではないか?
こんな内容を、NHKはともかく、女流棋士会や日本将棋連盟が、よく許したものだと思う。いや、女流棋士会や日本将棋連盟といえども、他社の出版する原稿の内容までは把握しないだろうから、これは鈴木女流初段が独断で書いたものであろう。
当然鈴木女流初段は、このエッセイが世に出たら、女流棋士会や日本将棋連盟から、なにかお小言があるかもしれないということを、覚悟していたと思う。
しかしそれでも鈴木女流初段は、己の信念に則り、このエッセイを載せた。私はここに、鈴木女流初段の「女気」を見た。
鈴木女流初段は、ファンの前での言動がちょっと暴走しとるなあ、というイメージがあったのだが、このエッセイを読んで、そんな思いも吹き飛んだ。
鈴木女流初段は私の想像以上に、素晴らしい女性だった。
そして、こんな女流棋士を有している女流棋士会の未来は、やはり明るいと思ったのだった。
鈴木女流初段は公開対局会場でも、廊下でファンとすれ違うと、面識がなくても「こんにちは」と挨拶してくれる。師匠である原田泰夫九段の教えでもあろうが、言われた将棋ファンはうれしいはずで、これでは鈴木ファンが増えるのもさもありなんと思う。
滑舌や発音をよくするために、アナウンス学校に通ったこともある。こうした将棋以外の地道な努力が、いまの鈴木女流初段を形成している。
そんな鈴木女流初段は「NHK将棋講座」に、長いことエッセイを連載している。昨年の10月号では、某棋戦に賭ける熱い思い、ファンへの感謝の念が叙情的に描かれていて、とても印象に残った。
このエッセイは今年の4月から「イチオシ! 乙女の戦い」とタイトルを変え2頁にパワーアップ、女流棋士の熱戦譜の紹介も加わった。
その6月号では、中井広恵女流六段と早水千紗女流二段の将棋を取り上げていた。
言うまでもないが、鈴木女流初段は女流棋士会の所属。中井女流六段はLPSAの所属である。NHKの雑誌とはいえ、女流棋士会の女流棋士が他団体の将棋を題材にするなど異例中の異例。よく鈴木女流初段が書いたな、と私は大いに感心させられた。
さらに驚いたのが7月号である。ここでは石橋幸緒女流四段と山田久美女流三段の将棋を扱っている。何と、2ヶ月連続のLPSA女流棋士の登場である。しかも、中井・石橋と、LPSAの顔ときたものだ(もっとも、LPSAのほかの女流棋士の将棋を取り上げようにも、めぼしい将棋がないのだが)。
この内容がまたすごい。石橋女流四段の著書「生きてこそ光り輝く」(PHP)に触れ、
「…でも本を開く手が少しためらった。きっと、読んでしまえば、石橋さんのファンになってしまうことがわかっていたから。」
と記している。そして結局この本を読んだ鈴木女流初段は、やっぱり石橋女流四段のファンになったのだった。
女流棋士会の女流棋士が、LPSAの女流棋士を尊敬するなんて書いて、大丈夫なのだろうか。
この連載には「カンナのなんか」というエッセイも付いており、ここでも鈴木女流初段は、さらに石橋女流四段に触れている。少し長いが引用させていただく。
「今回の将棋の感想などを伺うために、初めて石橋さんにメールをお送りした。頂いた返信は予想以上に早く、そして長文だった。
(中略)なんて良い先輩なんだとかみしめながら読み進めると、最後は前がにじんで読めなくなるくらいのお褒めの言葉や励ましの言葉が書かれていた。
あまりにうれしくて、もったいなくて、二度は読み返すことができなかった。」
石橋女流四段にメールを送ったというのがすごい。これ、国交のない国に文書を送ったようなものではないか? いや、戦争中の敵国の首相に停戦や和解の文書を送ったようなものではないか?
こんな内容を、NHKはともかく、女流棋士会や日本将棋連盟が、よく許したものだと思う。いや、女流棋士会や日本将棋連盟といえども、他社の出版する原稿の内容までは把握しないだろうから、これは鈴木女流初段が独断で書いたものであろう。
当然鈴木女流初段は、このエッセイが世に出たら、女流棋士会や日本将棋連盟から、なにかお小言があるかもしれないということを、覚悟していたと思う。
しかしそれでも鈴木女流初段は、己の信念に則り、このエッセイを載せた。私はここに、鈴木女流初段の「女気」を見た。
鈴木女流初段は、ファンの前での言動がちょっと暴走しとるなあ、というイメージがあったのだが、このエッセイを読んで、そんな思いも吹き飛んだ。
鈴木女流初段は私の想像以上に、素晴らしい女性だった。
そして、こんな女流棋士を有している女流棋士会の未来は、やはり明るいと思ったのだった。