一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

駒落ちか、平手か――。

2011-08-10 00:25:24 | 将棋雑考
先日の当ブログで、LPSA芝浦サロン担当の島井咲緒里女流初段が、初心者に平手で指導対局を行っていた、と書いた。
サロンでの指導対局の場合、手合いをどうするかは下手の自由である。仮に初心者でも、平手だって構わない。「アマチュアと平手は指しません」という男性棋士もいるが、LPSA女流棋士は、平手大歓迎である。
ところでこの「初心者との平手の手合い」、私もサロンなどで所望されたことがある(オール平手の、ジャンジャンマンデーのときではない)。
下手側は、実戦を重ねることで得意な戦法をマスターしたいから、駒落ちより有用だと考えているのだろう。
しかし上手、というか私としては、やはり物足りないわけである。下手も定跡は知っているから、序盤はそこそこ形になる。しかし中盤に入ると途端に疑問手を連発し、すぐに上手が勝勢になってしまう。
ここで対局時計を止めて、悪かった手を指摘してあげればいいのだけれど、こちらは指導料をもらっているわけではないので、容赦なく終局まで進めてしまう。結果、虚しさだけが残る。
駒込金曜サロンのとき、棋力は6~7級なのだが、女流棋士との指導対局は平手を所望、それでいて自分が絶対勝ちたい、という女性がいた。
これは、女流棋士がふつうに指していれば、どう考えても女流が勝つ。もちろんそれが当然なのだが、そうするとこの女性は機嫌が悪かった。
その女性をうまくいなしていたのが船戸陽子女流二段で、女性が悪手を指すとプレイバックし、女性が正着を指すよう、うまく持って行った。
傍から見ると船戸女流二段がひとりで指しているように見えるのだが、女性からすれば自力で勝った気分になり、女性の船戸女流二段に対する評価も高かったようである。
しかしこれは自己満足の最たるもので、とうてい女性の棋力が向上するとは思えなかった。
冒頭の島井女流初段の指導対局は、下手が一手一手指し手の意味を確認しながら進めていたので、すこぶる進行度合いが悪かった。
しかしこれを指導対局というのだろうか。これなら定跡書で勉強したほうが、よほど身になるのではないだろうか。
そして改めて、疑問がわく。初心者は、なんで駒落ちを指さないのだろう。平手じゃないとダメなのだろう。明らかにハンデをつけられるのが、イヤなのだろうか。
平手全盛時代の今、下手が駒落ちを所望する気持ちは、もはや薄れてしまっているのだろうか。
駒落ちのいいところは、上手に多少なりとも力を出してもらえる、上手の小駒の使い方を勉強できる(これがいちばん大きい)、いろいろな手筋が学べる、上手の巧妙な寄せが勉強できるなど、さまざまなメリットがあることだ。それをハナから拒絶してしまうのは、もったいない。
ただこれは、指導する側にも問題があって、LPSAの場合、所属女流棋士全員が、すべての駒落ち定跡をマスターしているとは思われない。下手に自信を持って教えられるのは、中井広恵女流六段と蛸島彰子女流五段、石橋幸緒女流四段くらいだろう。
ほかの女流棋士は、多少我流が混じっている。女流棋士会女流棋士の例を出して恐縮だが、以前山口恵梨子女流初段がテレビの講座で、囲碁の武宮正樹九段と角落ち対局を行ったことがある。しかし山口女流初段の指し方はお世辞にもうまいとはいえず、私は見るに堪えなかった。
LPSAも含め、それらの女流がこれから駒落ちの勉強をするとは思えない。それなら初心者にも平手の定跡を教えたほうが手っ取り早い、ということになる。
しかし私の経験だと、駒落ちの下手は勉強になった。上にも書いたが、同じ駒が上手の手にかかると下手の何倍もの働きをし、魔法を見るかのようだった。そんな上手の包囲網をかいくぐって何とか勝てたときの喜びは、平手戦以上のものだった。
初心者相手に、安易に平手で教えるか。めんどうでも駒落ち定跡を覚え、初心者に指導していくか――。ここがLPSA女流棋士の考えどころであろう。
コメント (7)
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