「いやあ、久しぶり」
おじさんは振り向くと、人なつこい笑顔を見せた。「どちらから来てたかな」
私のことは忘れているのだ。まあ、それはそうだろう。
「東京から毎年来てる者です」
挨拶もそこそこに、とりあえずコトの真偽を聞いてみる。
読売新聞のコラムでは、そのおじさんは「勝っちゃん」と呼ばれているらしい。だが、「もじゃもじゃ頭にヒゲ面」はいいとして、「クルマを持っている」、「9年前に宮古島に戻ってきた」、「旅人にアクセサリーを売っている」などの記述は、こちらのおじさんとはイメージが合わない。おじさんがクルマを持っているとは思えぬし、11年前にはすでに吉野海岸で会っている。以前は缶ジュースを定価で売っていたが、アクセサリーを売るような商売もしていなかった。
では謎のおじさんはふたりいるということか。
「勝っちゃんなら、あっちにいるよ」
やはり、別人だった。そして、よかった、と思う。おじさんは、新聞などのニュースで取り上げられてはいけない人なのだ。何人にも拘束されず、自由気儘に行動するのがいいのだ。
これでおじさんとの対面はオワリ。お互い、「サラッと」がいいのだ。
しかし浜辺で佇んでいると、おじさんが来た。おじさんはポケットからサンゴのかけらを取り出すと、それを紐にくくりつけ、即席のアクセサリーを作った。それを私の首に掛けてくれる。もちろんおカネは取らない。おじさんがこんなことをしてくれたのは初めてである。
「はは、ありがとうございます」
「シナモンティーを沸かしたから、飲みに来なさい」
近くにいた若者のグループもこちらに興味を示していたので、おじさんは彼らも呼ぶ。よく見ると、おじさんはヒゲもたくわえていなかった。
シナモンティーは「地の物」を使っているのだろう。汚いヤカンから注がれたティーは品のいい香りで、美味かった。
勝っちゃんの話が出たからか、おじさんは自分の話をし始めた。これは珍しいことだ。聞くと、おじさんは5年前にブログを開設していて、「吉野のおじさん」で検索すればヒットするという。これまでに40万件以上のアクセスがあったというから、かなり有名らしい。
おじさんは日本全国に「仙人村」を造るという大構想を持っていて、ブログはこれについて書いている。何だかよく分からないが、とにかくスゴイことを考えているのだ。
もうこれだけでも十分衝撃的なのだが、さらにおじさんが「本業は、都市開発のコンサルタントをしています」と言ったので、ズッコケた。はあ? 定職があるのか!? 言葉は悪いが、おじさんは宮古島のホームレスかと思った。
若者のグループは、おじさんがもう少しやわらかい話をするとフンでいたようだが、妙な話になったので、三々五々その場を離れていった。
私は読売新聞の例のコラムの切り抜きを持ってきたので、それを読んでもらう。
「11日の木曜日までのしかないんですけど」
おじさんは興味津々でそれを読む。しかし表情は固い。どうも、切り抜きを返してもらえる雰囲気ではなかったので、そのまま差し上げた。
これはあくまで私の印象だが、おじさんは勝っちゃんをあまり快く思っていないようだった。勝っちゃんがここ吉野海岸で商売をしているなら、それはおじさんのポリシーに反する。おじさんは、吉野を訪れた人に、吉野海岸の素晴らしさを知ってほしいと願うだけ。そこに己の金銭欲はからんでいない。
もっとおじさんと話をしていたいが、バスの時間が迫ってきた。公共交通機関を利用している旅行者は、時間に縛られる。私はおじさんとの再会を約束し、場を離れた。
帰り際、「勝っちゃん号」と書かれたライトバンを見る。運転しているのは、ヒゲ面の勝っちゃんだ。そういえば、彼の顔は何度か見たことがある。
「読売新聞、読みましたよ」
というと、満更でもない顔だ。そのまま坂の上まで乗せていってくれそうだったが固辞し、歩きで登る。私の旅はハードなのだ。
ようやっと海岸入口まで着いた。見ると、その先に「勝ちゃん無料駐車場」なるスペースがあった。この駐車場も勝ちゃんの所有だったのか。勝ちゃん、手広く営業をしているようである。彼のどこが謎なのか、まったく分からない。私に言わせれば、吉野のおじさんのほうがよっぽど謎である。新聞記者はコトの真相をよく確かめて、記事にしてもらいたい。
吉野バス停に戻る。私の乗るべきバスは16時33分で、これが平良方面へ戻る最終である。東京では考えられない時刻だ。
ところがその時刻が過ぎても、一向にバスが来ない。休日時刻でバスが運休ではあるまいな。しかしバス停の時刻表は、16時33分のところに特別な印はない。全然客がいないから運休したのか? と妙なことも考える。7分が過ぎた。もし船戸陽子女流二段とデートをしたとして、その待ち合わせに彼女が遅れたら何とするか。5分を過ぎた時点で、デートをすっぽかされたと考えるだろう。
こちらのバスは10分を過ぎても来ない。そのとき「あっ」と思った。そうだ、たしかこの時間のバスは、数年前に時刻を改定し、吉野発が16時43分だった。と、16時46分、宮古協栄バスがようやく姿を見せた。
それにしても、バス停に掲げられている時刻が数年前のものなのに文句を言わない住民、そのままにしておくバス会社。沖縄県民は、そういう小さなことに拘らないのだ。
平良営業所のひとつ手前、下地鮮魚店前で下車。定時は17時18分だが、停留所の時刻表は、ここも17時08分だった。
ここで降りたのは、近くに私の行きつけの喫茶店があるからだ。ここのアイスコーヒーとブルーベリーケーキが絶品で、備え付けの女性誌を読みながらのんびりするのは、至福の時間だ。ところがこの喫茶店は休みだった。あのシャッターの閉まり方は人を寄せ付けない感じだ。まさか閉店したのではあるまいな。ちょっとイヤな予感がした。
仕方がないので、本日の宿、「宮古島ユースホステル」に向かう。ここのペアレントさんは元「ミス宮古」で、とても綺麗な女主人だ。私は彼女に会いたくて、毎年宮古島を訪れている。
その途中、スーパーかねひでがあるので寄ってみる。飲料水のコーナーに行くと、POKKAさんぴん茶の2リットルペットボトルが138円で売られている。那覇のサンエーでは、同じ商品が158円だった。さらに奥を見ると、ハイサイさんぴん茶の2リットルが98円で売られていた。これは涙が出るような安さである。沖縄を旅行するのだったら、水分はつねに携帯しておくのがよい。私は大いに感激して、ハイサイさんぴん茶を買った。
宮古島ユースホステルに投宿する。ペアレントさんと1年振りの再会か。と思いきや、応対に出た人は若い男性だった。ペアレントさんのご子息だと思うが、記憶がない。三男さんか四男さんだろう。
まあいい。シャワーを浴びたあと、港近くまで夕食を摂りに行く。宿の夕食を申し込んでいない場合、外で摂る夕食は楽しみである。沖縄料理にするか、牛肉料理にするか、魚料理にするか。
と、大通りの反対側に、ちょっとこ洒落た日本蕎麦屋が目に入った。ちょっと迷ったが、そこに入る。宮古島まで来て、日本蕎麦。このポリシーのなさが私流である。頼んだ「合い盛り」は、蕎麦は香り高く、うどんはコシがあって、美味かった。
腹もくちくなって宿に戻るが、フロントは静かだった。ペアレントさんとの再会は翌日に持ち越し。ほかにやることもなく、12時に就寝した。
(つづく)
おじさんは振り向くと、人なつこい笑顔を見せた。「どちらから来てたかな」
私のことは忘れているのだ。まあ、それはそうだろう。
「東京から毎年来てる者です」
挨拶もそこそこに、とりあえずコトの真偽を聞いてみる。
読売新聞のコラムでは、そのおじさんは「勝っちゃん」と呼ばれているらしい。だが、「もじゃもじゃ頭にヒゲ面」はいいとして、「クルマを持っている」、「9年前に宮古島に戻ってきた」、「旅人にアクセサリーを売っている」などの記述は、こちらのおじさんとはイメージが合わない。おじさんがクルマを持っているとは思えぬし、11年前にはすでに吉野海岸で会っている。以前は缶ジュースを定価で売っていたが、アクセサリーを売るような商売もしていなかった。
では謎のおじさんはふたりいるということか。
「勝っちゃんなら、あっちにいるよ」
やはり、別人だった。そして、よかった、と思う。おじさんは、新聞などのニュースで取り上げられてはいけない人なのだ。何人にも拘束されず、自由気儘に行動するのがいいのだ。
これでおじさんとの対面はオワリ。お互い、「サラッと」がいいのだ。
しかし浜辺で佇んでいると、おじさんが来た。おじさんはポケットからサンゴのかけらを取り出すと、それを紐にくくりつけ、即席のアクセサリーを作った。それを私の首に掛けてくれる。もちろんおカネは取らない。おじさんがこんなことをしてくれたのは初めてである。
「はは、ありがとうございます」
「シナモンティーを沸かしたから、飲みに来なさい」
近くにいた若者のグループもこちらに興味を示していたので、おじさんは彼らも呼ぶ。よく見ると、おじさんはヒゲもたくわえていなかった。
シナモンティーは「地の物」を使っているのだろう。汚いヤカンから注がれたティーは品のいい香りで、美味かった。
勝っちゃんの話が出たからか、おじさんは自分の話をし始めた。これは珍しいことだ。聞くと、おじさんは5年前にブログを開設していて、「吉野のおじさん」で検索すればヒットするという。これまでに40万件以上のアクセスがあったというから、かなり有名らしい。
おじさんは日本全国に「仙人村」を造るという大構想を持っていて、ブログはこれについて書いている。何だかよく分からないが、とにかくスゴイことを考えているのだ。
もうこれだけでも十分衝撃的なのだが、さらにおじさんが「本業は、都市開発のコンサルタントをしています」と言ったので、ズッコケた。はあ? 定職があるのか!? 言葉は悪いが、おじさんは宮古島のホームレスかと思った。
若者のグループは、おじさんがもう少しやわらかい話をするとフンでいたようだが、妙な話になったので、三々五々その場を離れていった。
私は読売新聞の例のコラムの切り抜きを持ってきたので、それを読んでもらう。
「11日の木曜日までのしかないんですけど」
おじさんは興味津々でそれを読む。しかし表情は固い。どうも、切り抜きを返してもらえる雰囲気ではなかったので、そのまま差し上げた。
これはあくまで私の印象だが、おじさんは勝っちゃんをあまり快く思っていないようだった。勝っちゃんがここ吉野海岸で商売をしているなら、それはおじさんのポリシーに反する。おじさんは、吉野を訪れた人に、吉野海岸の素晴らしさを知ってほしいと願うだけ。そこに己の金銭欲はからんでいない。
もっとおじさんと話をしていたいが、バスの時間が迫ってきた。公共交通機関を利用している旅行者は、時間に縛られる。私はおじさんとの再会を約束し、場を離れた。
帰り際、「勝っちゃん号」と書かれたライトバンを見る。運転しているのは、ヒゲ面の勝っちゃんだ。そういえば、彼の顔は何度か見たことがある。
「読売新聞、読みましたよ」
というと、満更でもない顔だ。そのまま坂の上まで乗せていってくれそうだったが固辞し、歩きで登る。私の旅はハードなのだ。
ようやっと海岸入口まで着いた。見ると、その先に「勝ちゃん無料駐車場」なるスペースがあった。この駐車場も勝ちゃんの所有だったのか。勝ちゃん、手広く営業をしているようである。彼のどこが謎なのか、まったく分からない。私に言わせれば、吉野のおじさんのほうがよっぽど謎である。新聞記者はコトの真相をよく確かめて、記事にしてもらいたい。
吉野バス停に戻る。私の乗るべきバスは16時33分で、これが平良方面へ戻る最終である。東京では考えられない時刻だ。
ところがその時刻が過ぎても、一向にバスが来ない。休日時刻でバスが運休ではあるまいな。しかしバス停の時刻表は、16時33分のところに特別な印はない。全然客がいないから運休したのか? と妙なことも考える。7分が過ぎた。もし船戸陽子女流二段とデートをしたとして、その待ち合わせに彼女が遅れたら何とするか。5分を過ぎた時点で、デートをすっぽかされたと考えるだろう。
こちらのバスは10分を過ぎても来ない。そのとき「あっ」と思った。そうだ、たしかこの時間のバスは、数年前に時刻を改定し、吉野発が16時43分だった。と、16時46分、宮古協栄バスがようやく姿を見せた。
それにしても、バス停に掲げられている時刻が数年前のものなのに文句を言わない住民、そのままにしておくバス会社。沖縄県民は、そういう小さなことに拘らないのだ。
平良営業所のひとつ手前、下地鮮魚店前で下車。定時は17時18分だが、停留所の時刻表は、ここも17時08分だった。
ここで降りたのは、近くに私の行きつけの喫茶店があるからだ。ここのアイスコーヒーとブルーベリーケーキが絶品で、備え付けの女性誌を読みながらのんびりするのは、至福の時間だ。ところがこの喫茶店は休みだった。あのシャッターの閉まり方は人を寄せ付けない感じだ。まさか閉店したのではあるまいな。ちょっとイヤな予感がした。
仕方がないので、本日の宿、「宮古島ユースホステル」に向かう。ここのペアレントさんは元「ミス宮古」で、とても綺麗な女主人だ。私は彼女に会いたくて、毎年宮古島を訪れている。
その途中、スーパーかねひでがあるので寄ってみる。飲料水のコーナーに行くと、POKKAさんぴん茶の2リットルペットボトルが138円で売られている。那覇のサンエーでは、同じ商品が158円だった。さらに奥を見ると、ハイサイさんぴん茶の2リットルが98円で売られていた。これは涙が出るような安さである。沖縄を旅行するのだったら、水分はつねに携帯しておくのがよい。私は大いに感激して、ハイサイさんぴん茶を買った。
宮古島ユースホステルに投宿する。ペアレントさんと1年振りの再会か。と思いきや、応対に出た人は若い男性だった。ペアレントさんのご子息だと思うが、記憶がない。三男さんか四男さんだろう。
まあいい。シャワーを浴びたあと、港近くまで夕食を摂りに行く。宿の夕食を申し込んでいない場合、外で摂る夕食は楽しみである。沖縄料理にするか、牛肉料理にするか、魚料理にするか。
と、大通りの反対側に、ちょっとこ洒落た日本蕎麦屋が目に入った。ちょっと迷ったが、そこに入る。宮古島まで来て、日本蕎麦。このポリシーのなさが私流である。頼んだ「合い盛り」は、蕎麦は香り高く、うどんはコシがあって、美味かった。
腹もくちくなって宿に戻るが、フロントは静かだった。ペアレントさんとの再会は翌日に持ち越し。ほかにやることもなく、12時に就寝した。
(つづく)