一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

大工鉄夫さんの思い出

2011-08-21 02:09:48 | 旅行記・沖縄編
部屋の襖の上にはいくつもの遺影が飾られていたが、その中央にある、一回り大きな遺影が、私の目に入った。おじちゃん…!!
「ご主人!? ご主人、亡くなったんですか!?」
私がそう叫ぶと、おばちゃんは小さくうなずいた。
おじちゃんが、亡くなっていた!!
いないわけだ。鳩間島に上陸して、おじちゃんを目にしなかったわけだ。だって、亡くなっていたんだもの。道理で、電話口のおばちゃんが、元気がなかったわけだ。だって、亡くなっていたんだもの。その謎が、いま解けた。
しかしああ…何てことだ! 何てことだ!!
「なぜ? どうして…。だって、去年はあんなに元気だったじゃないですか」
私は誰に言うともなく口走る。
「そうねぇ…」
おばちゃんも困惑している。
「……。し、失礼ですけど、どこが悪かったのですか」
「肝臓です」
「ああ、やっぱり」
「去年までは元気だったんだけどねぇ。今年のゴールデンウィークに、あの人があまりにもつらそうだったんで、石垣の病院に行くよう勧めたんですよ。
それで診てもらったら、即入院だって。医者からは手遅れだって言われました。でも老人だから進行は遅いと。あと半年はもつだろうと。ところが先月の20日に突然…」
「ああ……。泊まるんだった。去年、泊まるんだった!」
去年私は鳩間島を訪れたものの、宿泊場所は石垣島の八洲旅館ユースホステルだった。ユースのヘルパーさんと仲良くなり、ゆんたくの時間も楽しくて、鳩間は日帰りにしたのだ。
しかしまるだいには顔を出し、昼食をご馳走になった。宿泊者に、中村桃子女流1級似の女性がいたことを憶えている。その後私は泳ぎに行き、シャワーまでお借りしたのだった。
「こんなことになるなら、石垣に帰るんじゃなかった!」
私は再び嘆いた。
「でも顔を見せてくれたから…」
おばちゃんはさみしそうに笑った。私たちは改めて、言葉を失った。
「おいくつだったんでしょうか」
宿泊の奥さんが聞く。
「79です。でも戸籍上は81だったみたい」
とおばちゃん。
私の目に、涙がたまってきた。宿泊のご家族も、みんな涙を浮かべている。私はここで緊張の糸を解いたら、号泣してしまうと思った。だからグッと堪えた。
「お線香を上げさせてください」
奥さんが申し出て、正面に祀られてある仏壇に線香を供えた。私もそれにならった。
――おじちゃん、去年泊まれなくて、ごめんなさい。
改めて遺影を見る。鳩間の港で撮ったものか、頭にハチマキを巻いたおじちゃんは、柔和ないい顔をしていた。
おじちゃん…。こうしていると、鳩間のおじちゃんこと、大工鉄夫さんとの思い出が次々とよみがえってくる。
おじちゃんは食事のときは、私たちが摂っているテーブルの近くで、2、3のつまみを肴に、泡盛をチビチビやるのが常だった。
夜のゆんたくの時間も、おじちゃんは宿泊者とヤルのが好きだった。当然私も誘われたが、「下戸なんで…」と遠慮すると、
「なんだ面白くない」
と不機嫌そうなポーズをした。
三線も弾いてくれた。夏の夜、縁側で心地よい涼風を受けてくつろぎながら、三線の音色と、おじちゃんの艶のある歌声を聴く。それは都会では経験できない、何とも贅沢な時間だった。
鳩間島での別れは、島の恒例でもある。しかしおじちゃんは、私たちが貨客船に乗ると、すぐに踵を返して、宿に戻ってしまう。下ろされた荷を少しでも早く宿に届けるため、という理屈はつくが、ちょっとシャイに見えるところもあり、それがおじちゃんらしくもあって、好きだった。
いまから数年前、「ビッグコミックオリジナル」や、日本テレビ系「瑠璃の島」で鳩間島が舞台になってから、民宿まるだいにも大勢の観光客が訪れるようになった。
ある年予約を入れたら、何とかOKが出た。私が宿に赴くと、例年とは違う部屋に通された。秘密の小部屋、という雰囲気だ。この部屋は、ふだんは誰も泊めない、もしものときの特別室だった。これは、「まだ鳩間島がそれほど有名でなかったころに来てくれたお客さんには、たとえ満室でも、絶対に泊まってもらいなさい」というおじちゃんの教えだった。
そして今年分かったのだが、その「特別室」は、「瑠璃の島」の中で、女優の鳴海璃子が、自分の部屋として使っていたところだった。
ある年は、おじちゃんの釣りに付き合わせていただいた。といっても釣るのはおじちゃんだけで、私たち宿泊客は、船の周りをシュノーケリングした。
色とりどりのサンゴと魚が視界全部に拡がる。私がいままで見た海で、一番美しかったのが、おじちゃんが案内してくれた、ここだった。
このときのこと。おじちゃんが釣り糸をサンゴの裏側に引っ掛けてしまい、それを解いてくるよう、私が指名されてしまった。しかし私のシュノーケリングは、プカプカ浮いているだけで、潜ることができない。
それでも見栄を張って潜るが、どうしても尻が浮いてしまう。そこで強引に糸を引っ張ったら、釣り糸を切ってしまった。ビクはサンゴに引っ掛かったままだ。まさか糸を切られると思わぬから予備のビクもなく、釣りは中止になった。
釣った魚は私たちの食事に出される。つまりこれは仕事の一貫だったから、私の不始末は大きかった。
「入れ食いだったのに…」
とつぶやいたおじちゃんに、私は心の中でお詫びをしたのだった。
「きょうはこの部屋を使ってください」
おばちゃんの声で現実に帰る。遺影の飾られている、この部屋だ。
「今年はおじちゃんと寝るんですね」
私は無理やり笑みをもらした。

鳩間簡易郵便局で貯金。
「まるだいのご主人、なくなったんですね」
私がそう言っても、郵便局のおじさんの返事は返ってこなかった。鳩間島は今年、本当に偉大な人物を喪ったのだ。
昼食を摂ったあと、島内を散歩。反対側の道に出て、10時半の位置にある立原(たちばる)の浜で、海に潜った。
鳩間島はどこでも海に入れるが、この浜がおじちゃんの一番のお勧めで、歩いてもたどり着けるサンゴの群生地と魚の群れは、おじちゃんが「水族館」と呼んでいた。
また、海の奥の奥の奥、という感じのところまで行くと、突然サンゴが途切れ、水色の海がパアーッと拡がる。このスリルが、たまらなかった。
今年もほぼ独占状態で、広い海を自由に泳ぎまくった。
帰ってシャワーを浴び、部屋に帰ったあと、扇風機を回して一眠り。これがまた、気持ちのいい時間だった。
午後7時に夕食。島らしく、やはり魚が中心だ。アジに似た魚に塩コショウし、アルミホイルに包んで蒸し焼きにしたものがある。この宿の名物料理だ。魚の皮がプリプリしていて、実に美味い。
宿のスタッフは、おばちゃんのほかに、ふだんは東京・品川に住んでいるという娘さん、それにヘルパーと思しき人がいた。私は娘さんに聞く。
「これから、魚とかはどうするんですか」
「私が釣りに行くよ」
「ああ、それはよかった」
「ほかの人の釣り船に乗ってでも行くよ」
娘さんは、この宿で生活していくらしい。まるだいの存続のためにも、これは朗報だ。
「この魚はネ、お父さんが釣ったやつなんだよ」
「?」
「お父さんが5月に釣って、冷凍保存してあったやつ」
「え! 本当なんですか!!」
「今月いっぱいで終わりになっちゃうけどね」
「ああ! そんな貴重な魚…」
私たち5人は顔を見合わせると、絶句した。天国からの魚、というべきか。こんなに貴重な食事が、これまであっただろうか。私には、どんなに豪華な夕食も、この魚には敵わないと思った。
テーブルの端に目をやると、おじちゃんが特製の椅子に座って、泡盛をチビチビやっていた。
「おじちゃん…」
私はまた、目頭が熱くなった。
(つづく)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする