一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

まだ間に合う

2011-09-01 01:24:37 | 将棋雑考
8月が終わった。今年の夏は東日本大震災の余波で、電力不足が懸念され、計画停電の危惧もあったのだが、気がついてみれば、何事もなかったようである。もっとも個人的には、いろいろあったが。ありすぎたが。
――今年の夏は、一生忘れない。

「マンデーレッスン」は、女流棋士会とLPSAが分裂する前から、旧女流棋士会が開講していた、歴史ある将棋教室である。
現在はLPSAがその業務を引き継ぎ、「MondayレッスンS」と名前を変え、3ヶ月1単位で開講されている。
それぞれの回には担当講師がいるが、LPSAのサイトを見ると、9月26日が「調整中です。」となっている。
ここ、以前は瀬川晶司四段の名前が入っていた。それがあるとき、突然消えた。
これは、「他団体の業務に協力してはまかりならぬ」という米長邦雄会長(永世棋聖)の意向が働いたものと思われる。
しかし、情けない。瀬川四段はプロ合格時、その経緯から、「アマとプロの架け橋になりたい」というコメントを残した。
この「架け橋」とは何か。自分の存在が、アマチュア強豪がプロ四段を目指す際の道標になれたらうれしい、という意味があったのは分かる。しかしそのほかにも、私たちレベルとの交流、平たくいえば指導対局などでの触れあいという意味も含まれていたのではないのか。
瀬川四段は三段リーグを一度脱落し、プロ編入試験という形で四段になった。当時は試験官と6局指して3勝で合格、という甘々の規定。奨励会退会寸前の現役三段陣なら、「オレにも指させろ」と息巻くところだ。
こんなサービス企画では、瀬川氏が首尾よく合格したところで、米長会長には一生頭が上がらない。米長会長の言動に不満があったって、それを口にすることなど、できはしない。よしんば口にしたとしても、
「誰のおかげで四段になれたんだ」
と言われれば、へへーっ、とひれ伏すのが関の山である。
将棋棋士は個人事業だけれども、日本将棋連盟という組織の一員でもあることを、痛切に感じる。しょせん瀬川四段は――否、全棋士が、サラリーマン棋士なのだ。
だが、瀬川四段が「待った」をした事実は消えない。一旦OKした指導対局の仕事を、断ったからだ。
よって、私が勝手に選ぶ「男性棋士ファンランキング」では、瀬川四段は現在、かなり下の位置だ。
しかし上昇するチャンスはある。いまからでも遅くはない。米長会長に、「MondayレッスンS」への再登板を直訴するのだ。
仮に直訴したとしても、米長会長は首をタテに振らないだろう。だが、そんな瀬川四段の行動は、必ずほかのみんなに伝わる。やがては私たちも知るところとなり、ひそかに瀬川株が上がる。そしてそれは瀬川四段にとって、ナニモノにも代え難い財産となろう。
まだLPSAでは、26日の担当講師を決めていない。
瀬川四段が侠気を見せるチャンスは、まだ残されている。
コメント
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