9日(金)は駒込で「ジョナ研」があった。「ジョナ研」とは、「ジョナサン研究会」の略。ジョナサンとはファミレスの名前で、かつてLPSAが駒込にあったころ、将棋のあとにみんなで立ち寄っていた、駒込第二の聖地である。
LPSAが芝浦に移転後も、私たち旧金サロメンバーは、駒込時代のよき雰囲気を懐かしむべく、月に1~2回、こうして集っているわけであった。
Tod氏と芝浦サロンを出た私は、その足で駒込に向かう。その車内では、私がTod氏に、また例の話をしてしまった。もう、どうしようもない。
午後8時すぎに、ジョナサンに入る。入口にマドンナがいたので、軽く飲みに誘ってみる。なんだか色よい返事だ。どうなっているのだろう。
先乗りのテーブルに行くと、植山悦行七段、大野八一雄七段、中井広恵女流六段、W氏、Kun氏、Hon氏、Kaz氏がいた。ファミレスでの雑談にプロ棋士が3人参加するという、妙な事態だ。3棋士には申し訳なく思うが、ただ先生方も、ジョナ研の雰囲気のよさは感じ取ってくれているのだろう。
Tod氏と私が着座。例によって、席の配置を記しておこう。
植山 大野 中井 Kun
W Tod 一公 Hon Kaz
壁
人妻の香り高い中井女流六段は、いつものように私の向かい。愚痴をウンウンと聞いてくれるHon氏は私の右。いつも厳しい意見を言う植山・大野両七段とW氏は、隣のテーブルとなった。
先日のA氏夫妻との飲み会で、A氏が「大沢さんは真ん中の席に座っている」と推測していたが、たしかにきょうの私は「王将席」だ。席順は「運」だが、A氏に言わせると、私がテーブル中央に座ることも、中井女流六段の向かいに座ることも、「実力」ということになる。
さていつものジョナ研なら将棋談議か将棋研究なのだが、私がこんな有様なので、私の周りの人は、また私の「後悔節」を聞かされることになった。
「もうさー、せっかくのチャンスが巡って来てたのに、それをオレは見送ったんですよ。しかも何度も何度も! もう、バカですよバカ!! 死ねばいいんだ」
私はさっそく、いつもの咆哮を始めた。
中井女流六段らはもう聞き飽きただろうが、私のほうは毎回新たな後悔が湧き上がってくるので、「話し飽きた」ことは一度もない。
極論になるが、いま考えれば、船戸陽子女流二段の結婚を知った日が、いちばんショックが小さかった。
それから日を追うごとに、あの時ああすれば良かった、こうすれば良かった、という悔恨が、次から次へと湧いてきた。本当に、あふれるように湧いてきたのだ。
こんなだから、私の嘆きはいつまで経っても止まらないのだ。
マドンナが私にパスタを持ってきてくれたので、改めて飲みに誘ってみる。殊のほか、うまくいった。好きな人の前では思っていることの30分の1も言えないのに、それ以外の女性だと、ポンポンしゃべって、事がうまく運べてしまう。人間の心理は本当に不思議だ。
ともあれいまは、約束の26日が、唯一の希望の光である。
パスタは、何とか胃に流し込んだ。これらを本当に美味しく食せる日は、来るのだろうか。
大野七段が、LPSAの全女流棋士扇子を開く。名前の上に任意の一文字が揮毫されている、2011年バージョンだ。
「船戸さんは『ゆい』でしたよね。いまじゃそれ、見るのもつらいな。でもそれ、けっきょく買わなかったから、まだよかった」
私が力なく言う。
「松尾さんのは、何て書いてあるの」(大野)
「それね、『淑』じゃないんですよ」(中井)
「そうそう、駒音掲示板でも、オレが淑じゃないって言ってるのに、淑になっちゃった」(一公)
「しょうがないよ。LPSAのホームページにもそう書いてあるからね」(中井)
「で、何て読むのよ」(大野)
「(ピー)」(中井)
「ほう。とてもそうには見えないけどね」(大野)
「でも石橋さんが言うには、崩し字はそれでいいみたいよ」(中井)
「…ああっ!!」(一公)
「?」(大野、中井ら)
「ふ、船戸さんの一文字、結婚の『結』じゃないか!! …船戸さん、この時すでに、結婚のことが頭にあったのか…」(一公)
私はまた、頭を抱える。
「考えすぎだよ」
と、大野七段が苦笑しながら言う。
「あうう…、船戸さんの扇子がウチにあるのがつらいな…。もう、見たくない…。売っちゃおうか…」
「……」(一同)
ダメだ。さらに気が滅入ってきた。これは本当に、精神科の病院に行ったほうがいいかもしれない。
また私は、中井女流六段に嘆いた。
(つづく)
LPSAが芝浦に移転後も、私たち旧金サロメンバーは、駒込時代のよき雰囲気を懐かしむべく、月に1~2回、こうして集っているわけであった。
Tod氏と芝浦サロンを出た私は、その足で駒込に向かう。その車内では、私がTod氏に、また例の話をしてしまった。もう、どうしようもない。
午後8時すぎに、ジョナサンに入る。入口にマドンナがいたので、軽く飲みに誘ってみる。なんだか色よい返事だ。どうなっているのだろう。
先乗りのテーブルに行くと、植山悦行七段、大野八一雄七段、中井広恵女流六段、W氏、Kun氏、Hon氏、Kaz氏がいた。ファミレスでの雑談にプロ棋士が3人参加するという、妙な事態だ。3棋士には申し訳なく思うが、ただ先生方も、ジョナ研の雰囲気のよさは感じ取ってくれているのだろう。
Tod氏と私が着座。例によって、席の配置を記しておこう。
植山 大野 中井 Kun
W Tod 一公 Hon Kaz
壁
人妻の香り高い中井女流六段は、いつものように私の向かい。愚痴をウンウンと聞いてくれるHon氏は私の右。いつも厳しい意見を言う植山・大野両七段とW氏は、隣のテーブルとなった。
先日のA氏夫妻との飲み会で、A氏が「大沢さんは真ん中の席に座っている」と推測していたが、たしかにきょうの私は「王将席」だ。席順は「運」だが、A氏に言わせると、私がテーブル中央に座ることも、中井女流六段の向かいに座ることも、「実力」ということになる。
さていつものジョナ研なら将棋談議か将棋研究なのだが、私がこんな有様なので、私の周りの人は、また私の「後悔節」を聞かされることになった。
「もうさー、せっかくのチャンスが巡って来てたのに、それをオレは見送ったんですよ。しかも何度も何度も! もう、バカですよバカ!! 死ねばいいんだ」
私はさっそく、いつもの咆哮を始めた。
中井女流六段らはもう聞き飽きただろうが、私のほうは毎回新たな後悔が湧き上がってくるので、「話し飽きた」ことは一度もない。
極論になるが、いま考えれば、船戸陽子女流二段の結婚を知った日が、いちばんショックが小さかった。
それから日を追うごとに、あの時ああすれば良かった、こうすれば良かった、という悔恨が、次から次へと湧いてきた。本当に、あふれるように湧いてきたのだ。
こんなだから、私の嘆きはいつまで経っても止まらないのだ。
マドンナが私にパスタを持ってきてくれたので、改めて飲みに誘ってみる。殊のほか、うまくいった。好きな人の前では思っていることの30分の1も言えないのに、それ以外の女性だと、ポンポンしゃべって、事がうまく運べてしまう。人間の心理は本当に不思議だ。
ともあれいまは、約束の26日が、唯一の希望の光である。
パスタは、何とか胃に流し込んだ。これらを本当に美味しく食せる日は、来るのだろうか。
大野七段が、LPSAの全女流棋士扇子を開く。名前の上に任意の一文字が揮毫されている、2011年バージョンだ。
「船戸さんは『ゆい』でしたよね。いまじゃそれ、見るのもつらいな。でもそれ、けっきょく買わなかったから、まだよかった」
私が力なく言う。
「松尾さんのは、何て書いてあるの」(大野)
「それね、『淑』じゃないんですよ」(中井)
「そうそう、駒音掲示板でも、オレが淑じゃないって言ってるのに、淑になっちゃった」(一公)
「しょうがないよ。LPSAのホームページにもそう書いてあるからね」(中井)
「で、何て読むのよ」(大野)
「(ピー)」(中井)
「ほう。とてもそうには見えないけどね」(大野)
「でも石橋さんが言うには、崩し字はそれでいいみたいよ」(中井)
「…ああっ!!」(一公)
「?」(大野、中井ら)
「ふ、船戸さんの一文字、結婚の『結』じゃないか!! …船戸さん、この時すでに、結婚のことが頭にあったのか…」(一公)
私はまた、頭を抱える。
「考えすぎだよ」
と、大野七段が苦笑しながら言う。
「あうう…、船戸さんの扇子がウチにあるのがつらいな…。もう、見たくない…。売っちゃおうか…」
「……」(一同)
ダメだ。さらに気が滅入ってきた。これは本当に、精神科の病院に行ったほうがいいかもしれない。
また私は、中井女流六段に嘆いた。
(つづく)