※きょうから15日までのエントリは、船戸陽子先生は読まないほうが賢明です。船戸先生は現在このブログを読んでいませんが、どんなキッカケで目にするかも分かりません。しかし今回のエントリは、船戸先生が読んでも不愉快になるだけです。これは船戸先生のご主人、およびご家族も同様です。船戸先生は大切な日を控えている。くれぐれも、読むのはお控えください。申し訳ありません。
9月1日は、船戸陽子女流二段主宰の「LPSA木曜ワインサロン」があった。
「ワインサロン」とは、ソムリエの資格を持つ船戸女流二段がオススメのワインを供し、ワインとプチ講義を楽しみつつ、将棋の指導対局も行うという、ワインと将棋好きにはたまらない企画である。私はワインをたしなまないが、船戸女流二段と少しでもお近づきになりたい一心で、欠かさず参加していた。
しかし今回船戸女流二段が結婚したことにより、私がワインサロンに通う意味がなくなってしまった。幸せオーラ全開の船戸女流二段を見ながら将棋を指すなんて、私にはとてもできないからだ。むろん人にもよるのだろうが、私としては、そうである。
私が棋友にいろいろと相談した際、私は
「船戸先生に沖縄土産を渡すため、もう1回だけワインサロンに行く」
と言った。だが棋友は、そろって反対した。
「結婚した人にいまさらお土産を渡しても意味がない。それならほかの女流棋士に渡すべきだ」
「まだ船戸さんに未練があるのか。行っても彼女が迷惑するだけだ」
「スッパリ忘れて、もう会わないほうがいい」
と――。
たしかにそうなのだろう。私はもう、彼女に会わないほうがいい。会ったら、彼女に何を言うか分からない。そんな自分が恐いのだ。だがその一方で私は、自分の口から直接、彼女に結婚の祝福もしたかった。いや別に祝うわけではないが、それで自分の心にケジメをつけたかったのだ。
9月1日午後6時すぎ、私は「White Tiger」や「宮古島バナナケーキ」などを手提げ袋に詰め込んで、芝浦に向かった。
ワインサロンは午後7時から。まだ時間があるが、このままサロンに入って、ほかに誰もいなかったら、気まずくなってしまう。それだけは避けたかった。
「小諸そば」で時間をつぶす。サロンに入る前の小諸そばは芝浦定跡だが、きょうは胃に入りそうにない。それでもおトクな二枚もりを頼んだのは、私が意地汚いからだ。
何とか二枚もりをたぐり終えると、ちょうどいい時間になった。これからサロンに向かえば、7時3分前(6時57分)ごろになる。
しかし、何でこんなことになっちゃったんだ、と思う。
船戸女流二段を初めて見たのは、「週刊将棋」紙上だった。第1期マイナビ女子オープンの一斉予選対局が行われ、船戸女流二段は3連勝で予選を通過。その集合写真に、彼女の姿があったのだ。
たいへんな美人だと思った。長身でスタイルもよく、私のアンテナにビビッときた。完全な、一目惚れだった。しかし私と船戸女流二段の間に接点はなく、またこれからも持てそうにないから、私はこのまま船戸女流二段の、ひそかなファンで終わるものと思っていた。
ところがその1年後、船戸女流二段はLPSAに電撃移籍する。このときの私の喜びを、なんと表現したらいいのだろう。嬉しかった。本当に嬉しかった。そして、これは運命だと思った。
金曜サロンで初めて会話をした。船戸女流二段は初対面の私とも気さくに話してくれた。その声、仕種、何もかもが魅力的だった。私は彼女と昔からの知り合いだったような、懐かしい気持ちになった。そして私はますます、彼女のことが好きになった。
それからは、私の渇いた生活の中で、金曜サロンで彼女と将棋を指すことが、唯一の楽しみとなった。彼女とおしゃべりしているときが、いちばん楽しかった。
私がこれまで心底好きになった女性はあまりいない。23年前に旅先で出会った「角館の美女」と、新卒で入った会社の同僚ぐらいだ。しかし船戸女流二段が私の目の前に現れてからは、彼女しか目に入っていなかった。いつも、彼女を追っていた。そのくらい、彼女のことを想っていた。いままでの人生で、こんなに好きになった女性はいなかった。
いまでは笑い話にしかならないが、長崎県の喫茶店のマスターはちょっとした能力の持ち主で、ヒトの将来が見える。私も毎年12月にお邪魔しているのだが、ある年マスターは、私が将来必ず結婚する、と言った。私の隣に、伴侶になる女性のオーラが見えるからだと言った。
だからいつしか私は、私の結婚相手は、船戸女流二段だと思うようになった。そして、いろいろな妄想をした。ふたりで沖縄を旅行したり、両親に紹介したり、6歳のめいに自慢したり…。ついにはブログに、「結婚報告」を書いたりもした。
繰り返すが、大笑いである。いまでは腹を抱えて、自分のバカさ加減を嗤うしかない。
この想いを、私は昨年の4月下旬に、彼女に手紙で伝えた。だが、彼女からは何の反応もなく、私は落胆した。
ところが最新の調べだと、この手紙を彼女が読んでいなかった可能性が出てきた。まあ、それならそれで、最初から読まれない運命だったのだろう。
夏に石垣島を旅行した際、私はユースホステルのヘルパーさんらに、「恋愛相談」をしてみた。このブログには書いていない私のすべてを、置かれている状況を、ヘルパーさんらにぶつけたのだ。
注目の回答は、「その片思いは絶対うまくいく!!」だった。女性2人の回答だったから、かなりの信頼性があったと思われる。
これに自信を得た私は、意気揚々と帰京する。しかし元の生活に戻ってみると、私は臆病風に吹かれ、彼女にアプローチすることができなかった。チャンスはあったのに、できなかった。
クリスマスイブに、思い切って船戸女流二段を飲みに誘ってみた。しかし結果は「NO」だった。このとき私は、すべてを諦めるべきだったのだろう。
だが私は、未練がましく彼女に執着した。明らかに嫌われているのに、諦めきれなかった。
今年の6月、彼女から
「私が結婚したらどうする?」
と聞かれた。私は冗談だと思ったが、実は本気だったと、いまは分かる。いままでファンでいてくれたあなたに、一応仁義を切っておきます、というところだったのだろう。
しかし私は、
「どうぞどうぞ」
と強がって見せただけだった。ただ、若干の不安を感じた私は、「でもやっぱりショックがあるから、オレが気がついたら船戸先生が結婚していた、というのがいちばんショックが少ないかも」
と続けた。
船戸女流二段は恐らく、それを実行してくれたのだろう。たしかに気がついたら、船戸女流二段は結婚していた。しかし私の衝撃は、たいへんなものだった。
こんなことなら、まだ結婚の影がなかったころの彼女に、アプローチをするべきだったと後悔した。繰り返すが、アプローチするチャンスは、実際に何度かあったのだ。しかし私は、それを悉く見送った。船戸女流二段の存在感に、私はひるんだのだった。
――サロンが入っている玄関に着く。見上げると、2階の窓に灯りが点いている。あの灯りの部屋に、船戸女流二段がいる。もう結婚してしまった、船戸女流二段がいる。
玄関のドアを開けて、中に入った。一歩、また一歩と、階段を上っていく。上がるのが怖い。足がガクガク震える。それはまるで、死刑場への階段のようだった。
2階の、ドアの前に着いた。もうダメだ。心臓が口から飛び出しそうだ。息が荒い。深呼吸をひとつする。口がカラカラだ。舌で、唇を湿らせた。
ドアをノックし、カチャリと開けた。
!? こ、これは……!?
目の前には、誰もいなかった。ほかのみんなは、どこに行ったのだ!?
「こんばんは」
左から、船戸女流二段の声がした。
ええっ!? 何が、どうなっているのだ!?
(つづく)
9月1日は、船戸陽子女流二段主宰の「LPSA木曜ワインサロン」があった。
「ワインサロン」とは、ソムリエの資格を持つ船戸女流二段がオススメのワインを供し、ワインとプチ講義を楽しみつつ、将棋の指導対局も行うという、ワインと将棋好きにはたまらない企画である。私はワインをたしなまないが、船戸女流二段と少しでもお近づきになりたい一心で、欠かさず参加していた。
しかし今回船戸女流二段が結婚したことにより、私がワインサロンに通う意味がなくなってしまった。幸せオーラ全開の船戸女流二段を見ながら将棋を指すなんて、私にはとてもできないからだ。むろん人にもよるのだろうが、私としては、そうである。
私が棋友にいろいろと相談した際、私は
「船戸先生に沖縄土産を渡すため、もう1回だけワインサロンに行く」
と言った。だが棋友は、そろって反対した。
「結婚した人にいまさらお土産を渡しても意味がない。それならほかの女流棋士に渡すべきだ」
「まだ船戸さんに未練があるのか。行っても彼女が迷惑するだけだ」
「スッパリ忘れて、もう会わないほうがいい」
と――。
たしかにそうなのだろう。私はもう、彼女に会わないほうがいい。会ったら、彼女に何を言うか分からない。そんな自分が恐いのだ。だがその一方で私は、自分の口から直接、彼女に結婚の祝福もしたかった。いや別に祝うわけではないが、それで自分の心にケジメをつけたかったのだ。
9月1日午後6時すぎ、私は「White Tiger」や「宮古島バナナケーキ」などを手提げ袋に詰め込んで、芝浦に向かった。
ワインサロンは午後7時から。まだ時間があるが、このままサロンに入って、ほかに誰もいなかったら、気まずくなってしまう。それだけは避けたかった。
「小諸そば」で時間をつぶす。サロンに入る前の小諸そばは芝浦定跡だが、きょうは胃に入りそうにない。それでもおトクな二枚もりを頼んだのは、私が意地汚いからだ。
何とか二枚もりをたぐり終えると、ちょうどいい時間になった。これからサロンに向かえば、7時3分前(6時57分)ごろになる。
しかし、何でこんなことになっちゃったんだ、と思う。
船戸女流二段を初めて見たのは、「週刊将棋」紙上だった。第1期マイナビ女子オープンの一斉予選対局が行われ、船戸女流二段は3連勝で予選を通過。その集合写真に、彼女の姿があったのだ。
たいへんな美人だと思った。長身でスタイルもよく、私のアンテナにビビッときた。完全な、一目惚れだった。しかし私と船戸女流二段の間に接点はなく、またこれからも持てそうにないから、私はこのまま船戸女流二段の、ひそかなファンで終わるものと思っていた。
ところがその1年後、船戸女流二段はLPSAに電撃移籍する。このときの私の喜びを、なんと表現したらいいのだろう。嬉しかった。本当に嬉しかった。そして、これは運命だと思った。
金曜サロンで初めて会話をした。船戸女流二段は初対面の私とも気さくに話してくれた。その声、仕種、何もかもが魅力的だった。私は彼女と昔からの知り合いだったような、懐かしい気持ちになった。そして私はますます、彼女のことが好きになった。
それからは、私の渇いた生活の中で、金曜サロンで彼女と将棋を指すことが、唯一の楽しみとなった。彼女とおしゃべりしているときが、いちばん楽しかった。
私がこれまで心底好きになった女性はあまりいない。23年前に旅先で出会った「角館の美女」と、新卒で入った会社の同僚ぐらいだ。しかし船戸女流二段が私の目の前に現れてからは、彼女しか目に入っていなかった。いつも、彼女を追っていた。そのくらい、彼女のことを想っていた。いままでの人生で、こんなに好きになった女性はいなかった。
いまでは笑い話にしかならないが、長崎県の喫茶店のマスターはちょっとした能力の持ち主で、ヒトの将来が見える。私も毎年12月にお邪魔しているのだが、ある年マスターは、私が将来必ず結婚する、と言った。私の隣に、伴侶になる女性のオーラが見えるからだと言った。
だからいつしか私は、私の結婚相手は、船戸女流二段だと思うようになった。そして、いろいろな妄想をした。ふたりで沖縄を旅行したり、両親に紹介したり、6歳のめいに自慢したり…。ついにはブログに、「結婚報告」を書いたりもした。
繰り返すが、大笑いである。いまでは腹を抱えて、自分のバカさ加減を嗤うしかない。
この想いを、私は昨年の4月下旬に、彼女に手紙で伝えた。だが、彼女からは何の反応もなく、私は落胆した。
ところが最新の調べだと、この手紙を彼女が読んでいなかった可能性が出てきた。まあ、それならそれで、最初から読まれない運命だったのだろう。
夏に石垣島を旅行した際、私はユースホステルのヘルパーさんらに、「恋愛相談」をしてみた。このブログには書いていない私のすべてを、置かれている状況を、ヘルパーさんらにぶつけたのだ。
注目の回答は、「その片思いは絶対うまくいく!!」だった。女性2人の回答だったから、かなりの信頼性があったと思われる。
これに自信を得た私は、意気揚々と帰京する。しかし元の生活に戻ってみると、私は臆病風に吹かれ、彼女にアプローチすることができなかった。チャンスはあったのに、できなかった。
クリスマスイブに、思い切って船戸女流二段を飲みに誘ってみた。しかし結果は「NO」だった。このとき私は、すべてを諦めるべきだったのだろう。
だが私は、未練がましく彼女に執着した。明らかに嫌われているのに、諦めきれなかった。
今年の6月、彼女から
「私が結婚したらどうする?」
と聞かれた。私は冗談だと思ったが、実は本気だったと、いまは分かる。いままでファンでいてくれたあなたに、一応仁義を切っておきます、というところだったのだろう。
しかし私は、
「どうぞどうぞ」
と強がって見せただけだった。ただ、若干の不安を感じた私は、「でもやっぱりショックがあるから、オレが気がついたら船戸先生が結婚していた、というのがいちばんショックが少ないかも」
と続けた。
船戸女流二段は恐らく、それを実行してくれたのだろう。たしかに気がついたら、船戸女流二段は結婚していた。しかし私の衝撃は、たいへんなものだった。
こんなことなら、まだ結婚の影がなかったころの彼女に、アプローチをするべきだったと後悔した。繰り返すが、アプローチするチャンスは、実際に何度かあったのだ。しかし私は、それを悉く見送った。船戸女流二段の存在感に、私はひるんだのだった。
――サロンが入っている玄関に着く。見上げると、2階の窓に灯りが点いている。あの灯りの部屋に、船戸女流二段がいる。もう結婚してしまった、船戸女流二段がいる。
玄関のドアを開けて、中に入った。一歩、また一歩と、階段を上っていく。上がるのが怖い。足がガクガク震える。それはまるで、死刑場への階段のようだった。
2階の、ドアの前に着いた。もうダメだ。心臓が口から飛び出しそうだ。息が荒い。深呼吸をひとつする。口がカラカラだ。舌で、唇を湿らせた。
ドアをノックし、カチャリと開けた。
!? こ、これは……!?
目の前には、誰もいなかった。ほかのみんなは、どこに行ったのだ!?
「こんばんは」
左から、船戸女流二段の声がした。
ええっ!? 何が、どうなっているのだ!?
(つづく)