「紀伊半島」と「キイハンター」は似ている。
「将棋ペンクラブ」幹事の中に、作家のA氏がいる。以前も書いたが、数年前の関東交流会・懇親会のとき、たまたまA氏が私の前に座った。
乾杯のあと、機関誌「将棋ペン倶楽部」の中で、印象に残った作品の話になった。
「中学生のオトコの子が、近所のおじいさんと将棋を指す話があったんだけど、あれはおもしろかったなあ」
とA氏。
「それ、だんだんオトコの子が強くなって、ある日事件が起こるヤツでしょ? 『運命の端歩』ってやつ」
と私。
「詳しいですね」
「だってそれ書いたの、私だもん」
「ええーっ!? あなたが!?」
「うん」
「あ、たしかに(名札に)大沢って書いてある!!」
A氏は感激の面持ちで手を差し出し、私たちはガッチリと握手をしたのだった。
それからA氏は、私の投稿文の、最も深い理解者となった。
A氏は将棋のほかに、鉄道にも造詣が深く、私とは大いにウマが合った。私たちはときどき飲み、文章についても熱く語り合った。
「文章はリズムである」
これは私の主張。対してA氏は
「文章はスピードである」
と主張した。言わんとするところは、どちらも同じだと思う。
そのA氏を、今回は飲みに誘った。目的はもちろん、私の愚痴を聞いてもらうためである。
A氏は最初、5日(月)のLPSAジャンジャンマンデーに出てから私の話を聞くつもりだったらしい。ところが、私のメール内容が尋常でないので、ちゃんと時間を取ることにし、7日(水)に飲むことになったのだった。
当日は、東京・神田駅前にある鉄板焼き屋に集合。A氏の馴染みの店である。
今回はA氏の奥さんも同行予定だった。私は奥さんとも面識がある。ちょっと小柄で、コロコロ笑う笑顔がかわいらしい。三味線が得意で、A氏にはもったいない、魅力的な女性だ。
待ち合わせの午後6時少し前に着く。先に店に入り、2階のテーブル席に案内してもらった。
まだ誰も来ていないので、私は店のおねえさんに、自らの失恋話をしだす。
私は、意中の女性を前にするとしどろもどろになるが、眼中にない女性には、立て板に水のごとく、流暢にしゃべる。
おねえさんもヒマではないはずだが、こちらはこの話を、すでに何十回もしている。硬軟織り交ぜた話はおもしろいはずで、おねえさんを私の世界に引きずり込むことは容易だった。
おねえさんは給仕の仕事を終えるたび、私のテーブルに戻り、話を聞いてくれた。
それにしてもA氏夫妻は遅い。もう6時20分になろうとしているが、一向に来る気配がない。
20分すぎ、ようやくA氏が現れた。
「遅いよ! 鉄道ファンにあるまじき行為だぞ。オレは時間には厳しいんだから」
「…? あ、6時半じゃなかった? 6時だったっけ?」
A氏、待ち合わせの時間を、6時半と間違えていたらしい。
そこからさらに30分遅れて、奥さんも現れた。こちらは仕事の都合だ。A氏夫妻はビール、私はウーロン茶で、改めて乾杯となった。いや、献杯というべきか。
ここから本格的に、私の愚痴が始まった。
「もうさ、もうさ、彼女をもっと積極的に誘えば、何とかなったかもしれないんだよ! いや、何とかなったんだ。その自信はあった」
私は、いままでの自分の馬鹿さ加減を、ひとつ残らずA氏夫妻に話した。夫妻はそのたび、ウンウンと頷く。カウンセラーとして、理想的な先生ぶりだ。
そしてひとしきり聞き終わったあと、A氏は
「タイミングだね」
と言った。「結婚なんてタイミングだからね。いまの話を聞いて、大沢さんはホント、タイミングが悪いと思った。すべてのタイミングが悪かったね」
「タイミング…。タイミングなんかで、そんな簡単に結婚を決めちゃうもんなのか?」
「そんなもんだよ、結婚なんて」
なるほど、いろいろな人の話を聞いてみるものだ。こんな意見は初めてだった。さらにA氏は続ける。「だから大沢さんが言うように、大沢さんにも十分チャンスはあったと思うよ。だけどグズグズしているうちに、後から来た男性に、スッと持ってかれちゃった」
「……」
なんだ…結局そこに帰結するのか。私はまた落ち込む。
「でも大沢さん、あの沖縄旅行記、よくあれだけ客観的に書き上げたよね。ボクはあれを読んで、本当に驚いた」
「ああ、途中から船戸さんの結婚を知っちゃったからね。いやもちろん、とても書ける状態じゃなかったよ。いまもそうだけど、息をするのさえ辛い状態だったから。七転八倒して、のたうちまわって、血を吐きながら、泣きながら書いた。これオーバーじゃない」
「……。そこまでして、何で書くの?」
「……読者だね」
「読者」
A氏が息を飲みながら返した。
「うん。読者がオレのブログを毎日楽しみにしてくれてるからね。とくにいまは船戸さんが結婚しちゃって、読者がオレの心境をいちばん聞きたいところでしょ? その期待には応えてあげなくちゃ」
「……」
「あの旅行記の最後の3日分のやつ、オレがノートパソコンを開けて終わるところさ、あの終わり方は、すぐ頭に浮かんだね。これで余韻が残るなと。あんな最悪の状態でもブログのことを考えてるんだから、バカだね」
「……いやいやすごいよ大沢さん。プロだね」
A氏と奥さんが、呆れたような、感心したような目で、私を見る。
先ほどオーダーした、たこ焼きやサラダが運ばれてきた。ここの料理はいずれも美味い。神田は私のテリトリーだが、私は飲まないので、こうした店に疎い。
いまさら「タラレバ」を言っても虚しいが、もし私と船戸陽子女流二段が付き合ったとしても、ソムリエの船戸女流二段に、下戸の私がどれだけ彼女を満足させることができたか。意外と早く亀裂が入っていたかもしれない。
「将棋ペン倶楽部」最新号に掲載された、「忘却の角」の感想を聞く。
「うん…」
途端にA氏の顔が曇った。「本当のこと言っていい?」
もちろんである。
「おもしろくなかった」
今回の話は自信があっただけに、この言葉は意外だった。
「ほう。それはどうして?」
私は気色ばんで言う。
「やっぱりね、大沢さんがブログをやりだしてから、おもしろくなくなったよ」
これは意外な指摘だった。
「そう? まあ昔の文章は勢いがあったよね。ここ最近は、ペン倶楽部への投稿も片手間でやってるところがあったからね」
私は弁解をした。
「ボクはね、大沢さんのブログが炎上しちゃえばいいと思ってる」
さらにA氏が、過激なことを言った。
(つづく)
「将棋ペンクラブ」幹事の中に、作家のA氏がいる。以前も書いたが、数年前の関東交流会・懇親会のとき、たまたまA氏が私の前に座った。
乾杯のあと、機関誌「将棋ペン倶楽部」の中で、印象に残った作品の話になった。
「中学生のオトコの子が、近所のおじいさんと将棋を指す話があったんだけど、あれはおもしろかったなあ」
とA氏。
「それ、だんだんオトコの子が強くなって、ある日事件が起こるヤツでしょ? 『運命の端歩』ってやつ」
と私。
「詳しいですね」
「だってそれ書いたの、私だもん」
「ええーっ!? あなたが!?」
「うん」
「あ、たしかに(名札に)大沢って書いてある!!」
A氏は感激の面持ちで手を差し出し、私たちはガッチリと握手をしたのだった。
それからA氏は、私の投稿文の、最も深い理解者となった。
A氏は将棋のほかに、鉄道にも造詣が深く、私とは大いにウマが合った。私たちはときどき飲み、文章についても熱く語り合った。
「文章はリズムである」
これは私の主張。対してA氏は
「文章はスピードである」
と主張した。言わんとするところは、どちらも同じだと思う。
そのA氏を、今回は飲みに誘った。目的はもちろん、私の愚痴を聞いてもらうためである。
A氏は最初、5日(月)のLPSAジャンジャンマンデーに出てから私の話を聞くつもりだったらしい。ところが、私のメール内容が尋常でないので、ちゃんと時間を取ることにし、7日(水)に飲むことになったのだった。
当日は、東京・神田駅前にある鉄板焼き屋に集合。A氏の馴染みの店である。
今回はA氏の奥さんも同行予定だった。私は奥さんとも面識がある。ちょっと小柄で、コロコロ笑う笑顔がかわいらしい。三味線が得意で、A氏にはもったいない、魅力的な女性だ。
待ち合わせの午後6時少し前に着く。先に店に入り、2階のテーブル席に案内してもらった。
まだ誰も来ていないので、私は店のおねえさんに、自らの失恋話をしだす。
私は、意中の女性を前にするとしどろもどろになるが、眼中にない女性には、立て板に水のごとく、流暢にしゃべる。
おねえさんもヒマではないはずだが、こちらはこの話を、すでに何十回もしている。硬軟織り交ぜた話はおもしろいはずで、おねえさんを私の世界に引きずり込むことは容易だった。
おねえさんは給仕の仕事を終えるたび、私のテーブルに戻り、話を聞いてくれた。
それにしてもA氏夫妻は遅い。もう6時20分になろうとしているが、一向に来る気配がない。
20分すぎ、ようやくA氏が現れた。
「遅いよ! 鉄道ファンにあるまじき行為だぞ。オレは時間には厳しいんだから」
「…? あ、6時半じゃなかった? 6時だったっけ?」
A氏、待ち合わせの時間を、6時半と間違えていたらしい。
そこからさらに30分遅れて、奥さんも現れた。こちらは仕事の都合だ。A氏夫妻はビール、私はウーロン茶で、改めて乾杯となった。いや、献杯というべきか。
ここから本格的に、私の愚痴が始まった。
「もうさ、もうさ、彼女をもっと積極的に誘えば、何とかなったかもしれないんだよ! いや、何とかなったんだ。その自信はあった」
私は、いままでの自分の馬鹿さ加減を、ひとつ残らずA氏夫妻に話した。夫妻はそのたび、ウンウンと頷く。カウンセラーとして、理想的な先生ぶりだ。
そしてひとしきり聞き終わったあと、A氏は
「タイミングだね」
と言った。「結婚なんてタイミングだからね。いまの話を聞いて、大沢さんはホント、タイミングが悪いと思った。すべてのタイミングが悪かったね」
「タイミング…。タイミングなんかで、そんな簡単に結婚を決めちゃうもんなのか?」
「そんなもんだよ、結婚なんて」
なるほど、いろいろな人の話を聞いてみるものだ。こんな意見は初めてだった。さらにA氏は続ける。「だから大沢さんが言うように、大沢さんにも十分チャンスはあったと思うよ。だけどグズグズしているうちに、後から来た男性に、スッと持ってかれちゃった」
「……」
なんだ…結局そこに帰結するのか。私はまた落ち込む。
「でも大沢さん、あの沖縄旅行記、よくあれだけ客観的に書き上げたよね。ボクはあれを読んで、本当に驚いた」
「ああ、途中から船戸さんの結婚を知っちゃったからね。いやもちろん、とても書ける状態じゃなかったよ。いまもそうだけど、息をするのさえ辛い状態だったから。七転八倒して、のたうちまわって、血を吐きながら、泣きながら書いた。これオーバーじゃない」
「……。そこまでして、何で書くの?」
「……読者だね」
「読者」
A氏が息を飲みながら返した。
「うん。読者がオレのブログを毎日楽しみにしてくれてるからね。とくにいまは船戸さんが結婚しちゃって、読者がオレの心境をいちばん聞きたいところでしょ? その期待には応えてあげなくちゃ」
「……」
「あの旅行記の最後の3日分のやつ、オレがノートパソコンを開けて終わるところさ、あの終わり方は、すぐ頭に浮かんだね。これで余韻が残るなと。あんな最悪の状態でもブログのことを考えてるんだから、バカだね」
「……いやいやすごいよ大沢さん。プロだね」
A氏と奥さんが、呆れたような、感心したような目で、私を見る。
先ほどオーダーした、たこ焼きやサラダが運ばれてきた。ここの料理はいずれも美味い。神田は私のテリトリーだが、私は飲まないので、こうした店に疎い。
いまさら「タラレバ」を言っても虚しいが、もし私と船戸陽子女流二段が付き合ったとしても、ソムリエの船戸女流二段に、下戸の私がどれだけ彼女を満足させることができたか。意外と早く亀裂が入っていたかもしれない。
「将棋ペン倶楽部」最新号に掲載された、「忘却の角」の感想を聞く。
「うん…」
途端にA氏の顔が曇った。「本当のこと言っていい?」
もちろんである。
「おもしろくなかった」
今回の話は自信があっただけに、この言葉は意外だった。
「ほう。それはどうして?」
私は気色ばんで言う。
「やっぱりね、大沢さんがブログをやりだしてから、おもしろくなくなったよ」
これは意外な指摘だった。
「そう? まあ昔の文章は勢いがあったよね。ここ最近は、ペン倶楽部への投稿も片手間でやってるところがあったからね」
私は弁解をした。
「ボクはね、大沢さんのブログが炎上しちゃえばいいと思ってる」
さらにA氏が、過激なことを言った。
(つづく)