一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

平成22年度・自選エントリベスト10

2011-09-03 00:03:06 | ランキング
昨年の4月8日に、「平成21年度・自選エントリベスト5」を発表したが、今年はグレードアップして、「平成22年度・自選エントリベスト10」を発表する。
対象エントリは、平成22年4月1日から、平成23年3月31日まで。まずは第2位から10位までを発表し、最後に第1位を、本文とともに発表する。

第2位 1月28日「泣くなヨーコ、明日があるさ」
今年の天河戦で、船戸陽子女流二段は中井広恵女流六段と対戦し、必勝の局面を作りながら、悪手を連発して敗れた。このエントリは、その慰め文。文章の随所に、船戸女流二段への思いがあふれていて、読み返すと胸が苦しくなる。もう、こんな熱のこもった文章は書けない。

第3位 5月22日「『第4期マイナビ女子オープン予選抽選会』に行く(後編)・確率1/3」
昨年5月19日に行われた「第4期マイナビ女子オープン・予選抽選会」の模様を書いている。引いた色紙に揮毫している女流棋士が、そのままトーナメント表に名を連ねるというシステムだ。抽選も煮詰まったころ私の整理番号が呼ばれ、私は中倉彰子女流初段、中村桃子女流1級、室谷由紀女流3級の3名の中から色紙を引く、という幸運に恵まれることとなった。
結果は「希望どおり」中村女流1級のそれを引いたのだが、このころはまだ、室谷女流3級は眼中になかった。もし私が室谷女流3級の色紙を引いていたら、7月のマイナビ予選対局は、どんな結果になっていただろうか。
ちなみに、このエントリには船戸女流二段も出てくるが、中倉女流初段、中村女流1級と、来期はそろってチャレンジマッチからの出場とは、どういうわけだろう。

第4位 9月27日「LPSA芝浦サロンの新システムに思うこと」
LPSAの芝浦移転は昨年10月。これから始まる芝浦サロンのシステムについて、いくつか不安点を挙げている。我ながら彗眼だと思うのは、当時の危惧が現実のものになりかけている、ということ。芝浦サロンは、1年近く経っても、軌道に乗れずにいる。当初のLPSAの目算が誤りだったと言わざるを得ない。

第5位 5月26日「『将棋ペンクラブ関東交流会』に行く(前編)・林葉直子さん、来場する」
林葉直子さんは、私たちの年代では、永遠のヒロインである。交流会に林葉さんの来場が決まり、年甲斐もなくウキウキしたことを覚えている。林葉直子の前に林葉直子なく、林葉直子の後に林葉直子なし。いまはだいぶフケたが、そのカリスマ性にいささかの翳りもない。エントリは前編だが、自分で書いておきながら、つづきが読みたくなった。

第6位 4月29日「船戸陽子女流二段と私の、初めての会話」
これは表題どおり。昨年の1~3月、船戸女流二段はLPSAの教室を休んでいた。しかし5月より、金曜サロンなどで再び船戸女流二段の名前が見られるようになり、ホッと胸を撫で下ろしたものだった。

第7位 4月21日「『第1回・将棋ランド最強戦』に参加する(後編)・一期一会」
4月18日の将棋イベントで、ついに山口恵梨子女流初段との指導対局が実現した。これはその自戦記。意外だったのは、末尾で「これからは山口女流初段を陰から見守っていくことにする」と書いていることだ。このときは船戸女流二段一本に絞るつもりだったのだろうか。いまとなっては、この決意も虚しかった。

第8位 3月1日「上野ちゅう太は男でござる」
第3期マイナビ女子オープン・挑戦者決定戦の解説に顔を見せてくれた上野裕和五段に、当時のエピソードも交えて、エールを送っている。当時上野五段は日本将棋連盟の理事で、今年の選挙でも、再選を信じて疑わなかった。棋士はどこを見ているんだと、いまだに思う。

第9位 4月3日「桃」
米長邦雄永世棋聖「さわやか日記」のちょいとしたパロディ。当時、読者からかなりの反響があった。私のブログはいつもいい加減だが、これは本気を出して書いた。

第10位 1月25日「ケツの穴が小さい」
時の会長に「ケツの穴が小さい」と書いたもので、当時は当局から何らかの抗議があるかとビクビクしていたのだが、当局はケツの穴が大きかったらしく、幸い何事もなかった。

ここまでが第2位~10位である。では、第1位を発表する。

第1位 5月30日「5月28日の金曜サロン・また会う日まで」
植山悦行七段は、長いことLPSA金曜サロンの手合い係を務めていた。しかし始まりがあれば終わりがある。植山七段も例外ではなく、昨年5月、いったんその仕事を終えることとなった。このエントリは、そのときの模様を描いている。
では、以下に再掲しよう。

5月28日のLPSA金曜サロンは、昼が島井咲緒里女流初段、夕方が船戸陽子女流二段の担当だった。今回は美人女流コンビである。島井女流初段の昼担当はかなり久しぶりだし、船戸女流二段を金曜サロンで拝見するのも昨年11月以来だから、これまた久しぶりである。しかし今回はおふたりが主役ではない。主役は、今回で手合い係を退く植山悦行氏だ。
植山手合い係は、私が2年前の3月に金曜サロンに初見参した3週間後に、手合い係に着任した。それまでの金曜サロンは、女流棋士に将棋を教わってそのまま帰る、というイメージだった。だからそのシステムが続いていたら、私もマンネリ感を感じ、サロンにも疎遠になっていただろう。だから植山手合い係の存在は、本当に大きかった。
28日の話に戻る。この日は3時で仕事を終え、駒込に向かう。最近のサロンはちょっと閑散としているから、きょうは植山手合い係と記念写真でも撮らせてもらおうかな、と考えていた。私は携帯電話を持っていないので、デジカメ持参である。
サロンがあるビルの玄関の前に着くと、なんだか自分が「卒業」するような気分だった。植山手合い係が出て、ドアが開く。インターフォンから植山手合い係の声を聞くのも、これが最後なのだ。
サロンに入ると、異常に人がいた。数えてみたら16人もいる。もちろん島井女流初段の人気もあったと思う。しかし大半はセミレギュラー級の会員ばかりで、みんな「植山手合い係・最後の日」に予定を合わせて、駆けつけたのだ。
ここは植山手合い係、「捌きのアーティスト」の最後の腕の見せどころだが、さすがに手合いを付けるのに頭を抱えている。最後の日に相応しい難題だ。
このあとも何人か来席し、テーブルが足りなくなった。夕方の部の、船戸女流二段の指導場所を一時拝借して、そこで将棋を指す。
それでもテーブルが足りないので、壁際にあるテーブルを中央に置き、そこでも将棋を指す。まるでローカル線の廃止当日に、鉄道マニアと近所の住民が、最後の雄姿を拝みに来たかのような盛況ぶりである。
石橋幸緒・新代表理事と藤森奈津子女流四段が挨拶に見え、石橋代表理事が辞去したあと、藤森女流四段が、急遽指導対局の応援をしてくれた。その藤森女流四段、風邪をひいていて、カンゼンなハナ声だ。最初この声を聞いたとき、誰だか分らなかったくらいだ。しかしこれが声優のような、実にキュートな声なのである。私の場合は女流棋士の美貌に感激するのが常なのだが、声に感激するのは、初めてだった。
しかし、ああ…。それも藤森女流四段が全快してしまえば、その声も聞けなくなってしまうのだ。残念である。
船戸女流二段がいらっしゃる。しかし指導対局をするスペースがないので、しばらく待機してもらう。こんなケースはいままでになかった。
夕方になり、金曜サロンの編成担当である神田真由美女流二段が、対局の一時中断を宣言し、植山手合い係の辞任セレモニーが始まった。
植山手合い係に花束が手渡され、神田女流二段が
「カメラをお持ちの方はどうぞお撮りください」
と言う。そこで私もエコバッグからカメラを取り出し、植山手合い係にレンズを向ける。その左右には、船戸女流二段と島井女流初段が寄り添い、花を添えている。私は大阪などで島井女流初段をカメラに収めたことはあったが、船戸女流二段を撮るのは初めてなのである。
むう…。植山手合い係を撮るのが目的ではあるのだが、このメンツだと、植山手合い係が邪魔だ。F1ドライバーの左右にレースクイーンがいると思ってもらえればよい。それはとにかく、そうして撮った写真を自宅で確認したら、すべてピンボケで、激しい自己嫌悪に陥った。
植山手合い係の挨拶。
「まさかこんなことになるとは…」
と感無量のようだ。こうしたセレモニーが行われるのも、植山手合い係の人徳といえる。
このあとは全員そろって写真撮影。この時点で、20人の会員が集まっていた。
指導対局のほうは、9時を回って、残るは船戸女流二段とH氏との一局を残すのみとなった。体調が万全でない船戸女流二段は、ここまで20局の指導対局をこなした。その根性に、頭が下がる。
植山手合い係は「最後の指導対局」を見守る。私は船戸女流二段を鑑賞している。きょうは青の花柄のワンピースで、初夏を思わせる。このブログのトップページのデザインのようだ。
9時30分過ぎ、上手が劣勢を跳ね返して、逆転勝ちした。下手も上手も、力を見せた、というところだろう。
植山手合い係、これが本当に最後の最後の、ワンポイントアドバイスである。それを私は、神妙な面持ちで拝聴した。
植山手合い係が室内に一礼して、私たちは植山手合い係との最後の食事会に向かった。ファミレスに入ると、私はウェイトレスさんに、
「きょうはこちらの方が退職されまして…」
と、いらぬことを言った。
食事会は、わざわざこの食事会に駆けつけた方も含め、13名。さらに会社帰りの会員が加わり、最終的に14名となった。植山手合い係を慕う食事会メンバーが、ほとんど集まったことになる。
みんな、植山手合い係との別れを惜しんでいる。本当に植山手合い係は来週からいなくなってしまうのだろうか。来週もサロンにいらして、みんなと雑談しているような気がする。食事会にだけひょっこり現れそうな気がする。またあの笑い声が聞けるような気がする。
しかし来週私たちは、植山手合い係がいらっしゃらない現実を、否応なく受け入れることになるのだろう。
植山先生、2年2ヶ月もの長い間、たいへんお疲れ様でした。これからの先生のご活躍を、心よりお祈りしております。ありがとうございました。


――以上の10編であった。1年のエントリをパラパラと再読して、船戸女流二段の登場が実に多いことに驚いた。何かというと船戸女流二段が出てくる。中にはセクハラめいた記述もあって、船戸女流二段はだいぶ不快に思ったことだろう。しかしこのころは、その内容について咎められたことは、ただの一度もなかった。いまでは申し訳ない気持ちとともに、船戸女流二段の心の広さに、敬服するのみである。
船戸女流二段なくして、このブログはなかった。いま、彼女は当ブログを読んでいないようだが(ま、当然だ)、船戸女流二段には、ここで改めて御礼を申し上げたい。
コメント (2)
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