4日(日)は、川口市にある「大野教室」に行った。大野教室とは、日本将棋連盟棋士・大野八一雄七段主宰の将棋教室である。実戦が主体で、大野七段の手厚い将棋を体得できる。原則的に第1、3土・日曜日開講。時間は午後1時から5時まで。全4回で12,000円。1回料金は3,500円である。
きょうは午後2時近くに入った。お客は最終的に、私を含めて大人6名、子供1名。補強講師として、植山悦行七段も加わった。
さて現在、私は将棋を指せる状態ではないのだが、教室に来た以上将棋を指さなければならない。そんな了見なら最初から将棋教室に来なければいいのだが、ひとりでいるのはもっと辛い。それで棋友のいる将棋教室に来たのだった。まったく、沖縄から帰京してから、いったい私は何をやっているのだろう。昨年の優柔不断な自分を省みて、反省と悔恨の日々である。
何度も書いているが、右脳では彼女のことを思い出していても、左脳では辛うじて将棋の指し手を考えることができる。大野七段との指導対局(角落ち)は、私が中飛車に振って、中盤までコクのある戦いとなった。
私が角銀交換の駒損になったものの、桂を4五に跳ね、攻めきれるかどうかの局面。
上手・大野七段(角落ち):1一香、1四歩、2一桂、2二飛、3三歩、4四歩、5五歩、6二金、6三金、6四歩、7二王、7四歩、8一桂、8四歩、9一香、9四歩 持駒:角、銀
下手・一公:1六歩、1九香、2六歩、2七銀、2八玉、3六歩、3八金、4三成銀、4五桂、4六歩、4七金、5三歩、5九飛、6七歩、7六歩、8七歩、8九桂、9七歩、9九香 持駒:銀、歩
下手番。ここから▲5五飛△5四銀▲同飛△同金▲5二歩成△4五歩▲6二と△同王、まで、上手の勝勢になった。
この局面の直前、▲4三銀成のところで、不成としなかったことを後悔していた。
これなら▲5五飛と走ったとき、△5四銀がない。もっとも、本譜も▲5五飛と走り、△5四銀に▲同飛と切って手がつながると見ていたのだが、▲5二歩成に金をアッサリ見捨てられ、平然と△4五歩と桂を外されて、上手の勝勢となってしまった。結果も下手が負けた。
感想戦では、▲5五飛に換え、▲3三桂成を指摘された。なるほど、死んでいる桂を助けるための当然の手段であり、こう指せば下手が十分だった。▲3三桂成に気がつかなかったのは、お粗末というしかない。これは右脳、左脳以前の問題である。つまり、私に実力がなかったということだ。
これで大野七段との対戦成績は、角落ち下手・1勝14敗となってしまった。
2局目は植山七段と。植山七段は、下手と角落ちを指したがらない。得意ではないからで、角落ちを指すくらいなら平手のほうがいいという、不思議な棋士である。本局も角を落とすのを渋っていたが、無理に落としていただいた。
本局は私の居飛車。中盤まで上手ペースだったが、そこで植山七段に疑問手が出たらしい。「らしい」というのは、感想戦でご本人が吐露したからで、それがなければ、どこが疑問手だったのか、下手の棋力では分からなかった。
本譜、私が▲2三歩と垂らしたら、植山七段が「負けました」とアッサリ投了してくれた。
しかし私は以後の寄せが分からなかったので、何か受けられていたら、まだ綾があったと思われる。植山七段と大野七段はどちらも手厚い棋風だが、植山七段のほうが、指導対局では勝負に淡泊である。その点、大野七段は勝負に辛い。明確に上手が負けと分かるまで投了しない。よって、「ここでは投了しようかと思いました」と言われた局面から、私が負かされたことが何度もある。かように、下手が上手玉を寄せ切るのは、難儀なものなのだ。
3局目は少年と。指し慣れない相矢倉になった。序盤の仕掛けがまずく、私の完封負けペースだったが、少年が△8六歩▲同銀△8五銀と動いてきてくれたので、▲同銀△同飛に▲7四角から馬を作り、まあまあ私も戦える形になった。
しかしそこから少年が力を出し、最後は私の惨敗。大野教室に来る少年はいずれも強く、私も勉強になることが多い。
さて、夕方からは食事会である。きょうも私の阿鼻叫喚がこだましたが、「聞き役」が豪華メンバーだった。
(つづく)
きょうは午後2時近くに入った。お客は最終的に、私を含めて大人6名、子供1名。補強講師として、植山悦行七段も加わった。
さて現在、私は将棋を指せる状態ではないのだが、教室に来た以上将棋を指さなければならない。そんな了見なら最初から将棋教室に来なければいいのだが、ひとりでいるのはもっと辛い。それで棋友のいる将棋教室に来たのだった。まったく、沖縄から帰京してから、いったい私は何をやっているのだろう。昨年の優柔不断な自分を省みて、反省と悔恨の日々である。
何度も書いているが、右脳では彼女のことを思い出していても、左脳では辛うじて将棋の指し手を考えることができる。大野七段との指導対局(角落ち)は、私が中飛車に振って、中盤までコクのある戦いとなった。
私が角銀交換の駒損になったものの、桂を4五に跳ね、攻めきれるかどうかの局面。
上手・大野七段(角落ち):1一香、1四歩、2一桂、2二飛、3三歩、4四歩、5五歩、6二金、6三金、6四歩、7二王、7四歩、8一桂、8四歩、9一香、9四歩 持駒:角、銀
下手・一公:1六歩、1九香、2六歩、2七銀、2八玉、3六歩、3八金、4三成銀、4五桂、4六歩、4七金、5三歩、5九飛、6七歩、7六歩、8七歩、8九桂、9七歩、9九香 持駒:銀、歩
下手番。ここから▲5五飛△5四銀▲同飛△同金▲5二歩成△4五歩▲6二と△同王、まで、上手の勝勢になった。
この局面の直前、▲4三銀成のところで、不成としなかったことを後悔していた。
これなら▲5五飛と走ったとき、△5四銀がない。もっとも、本譜も▲5五飛と走り、△5四銀に▲同飛と切って手がつながると見ていたのだが、▲5二歩成に金をアッサリ見捨てられ、平然と△4五歩と桂を外されて、上手の勝勢となってしまった。結果も下手が負けた。
感想戦では、▲5五飛に換え、▲3三桂成を指摘された。なるほど、死んでいる桂を助けるための当然の手段であり、こう指せば下手が十分だった。▲3三桂成に気がつかなかったのは、お粗末というしかない。これは右脳、左脳以前の問題である。つまり、私に実力がなかったということだ。
これで大野七段との対戦成績は、角落ち下手・1勝14敗となってしまった。
2局目は植山七段と。植山七段は、下手と角落ちを指したがらない。得意ではないからで、角落ちを指すくらいなら平手のほうがいいという、不思議な棋士である。本局も角を落とすのを渋っていたが、無理に落としていただいた。
本局は私の居飛車。中盤まで上手ペースだったが、そこで植山七段に疑問手が出たらしい。「らしい」というのは、感想戦でご本人が吐露したからで、それがなければ、どこが疑問手だったのか、下手の棋力では分からなかった。
本譜、私が▲2三歩と垂らしたら、植山七段が「負けました」とアッサリ投了してくれた。
しかし私は以後の寄せが分からなかったので、何か受けられていたら、まだ綾があったと思われる。植山七段と大野七段はどちらも手厚い棋風だが、植山七段のほうが、指導対局では勝負に淡泊である。その点、大野七段は勝負に辛い。明確に上手が負けと分かるまで投了しない。よって、「ここでは投了しようかと思いました」と言われた局面から、私が負かされたことが何度もある。かように、下手が上手玉を寄せ切るのは、難儀なものなのだ。
3局目は少年と。指し慣れない相矢倉になった。序盤の仕掛けがまずく、私の完封負けペースだったが、少年が△8六歩▲同銀△8五銀と動いてきてくれたので、▲同銀△同飛に▲7四角から馬を作り、まあまあ私も戦える形になった。
しかしそこから少年が力を出し、最後は私の惨敗。大野教室に来る少年はいずれも強く、私も勉強になることが多い。
さて、夕方からは食事会である。きょうも私の阿鼻叫喚がこだましたが、「聞き役」が豪華メンバーだった。
(つづく)