食事会は、何度かお邪魔したことがある、パスタ専門店で。参加者は大野八一雄七段、植山悦行七段、W氏、Hon氏と私。
私はHon氏と同じテーブルに着く。いままで何人もの人に失恋話をしてきたが、Hon氏が最も、私の話に理解を示してくれた。Hon氏も過去に凄絶な体験をしているので、他人事ではないのだ。だから私も、彼に泣き言を言っているときが最も、精神状態が落ち着くのだった。
しばらくして、中井広恵女流六段、植山七段のご母堂、植山・中井夫妻の次女、三女。さらに安西勝一六段が合流した。
植山・中井夫妻の長女と三女を目にしたことはあるが、次女を目にしたのは初めて。その次女がアイドル顔負けの容姿なのにビックリした。長女は植山七段、三女は中井女流六段にそっくりだが、次女はそのどちらでもない。たぶん、両親のいいところを取ったのだろう。
彼女が新宿や原宿を歩けば、間違いなく芸能界にスカウトされる。芸能界に入りたければフリーパスだ。入りたければそれもよし、入りたくなければそれもよし、である。
もし次女が女流棋士になったら、室谷由紀女流初段など問題ではない。私は次女をノータイムで、女流棋士ファンランキングの1位に推すだろう。
その彼女が私のテーブルに来て、
「何をそんなに落ちこんでるんですか?」
とたどたどしい口調で私に言う。植山七段か中井女流六段に促されたのだろう。不愉快だ。
「グッ…。おじさんはネ、失恋したんだよ」
まったく、情けなかった。
ここで今回の各人の配置を記しておこう。
一公 □ Hon
安西 大野 三女 ご母堂
□ □
W 植山 次女 中井
壁
Hon氏はヘビースモーカーだ。このパスタ店は全席禁煙なので、Hon氏がタバコを喫うべく、店外に出る。空いた席に、大野七段と安西六段が座った。私の失恋話を聞こうというハラだ。ヒトの不幸は蜜の味である。私も遠慮なく、愚痴をこぼす。
「もうさー、いままで何回もチャンスがあったのに、それを私は悉く見送っていたんですよ」
「あんとき誘っていれば!! 自分が勇気を出せていれば!! 違った展開になったかもしれないのに!!」
「バカですよバカ!! 女心が全然分かっていなかったんだ!! 死ねばいいんだ、こんなバカは!!」
情けない私の泣き言が、延々と続く。それを黙って聞いてくれる大野、安西の両棋士。私の前にはパスタが運ばれているが、全然口に入らない。
「大沢さん、顔色が悪いよ」
と大野七段。
「ああそうですか。先月から全然食欲がなくて。きょうも朝から牛乳1杯飲んだだけですよ」
昼の大野教室でも、おやつは全く口にしなかった。
「……。元気出せよ。女なんか星の数ほどいるんだから」
と、大野七段が言う。
「星の数ほどって言ったってねえ…ヒッヒッヒッ」
と、これは安西六段。安西六段は独身で、現在は猫2匹と暮らしている。悠々自適の生活で、まるで仙人のようだ。
植山七段が、私のテーブルに移動してきた。私は変わらず、泣き言を吐く。
「もうさ、もうさー、勝負しなかったんですよ。あそこで誘えたんだ。誘えたのに、それをしなかった。バカだからしょうがないんですよ、オレがバカだから!!」
「対局をしようと思ったら、もう終了ですよ。ガラガラってシャッターを閉められて、私の対局相手がいなくなっちゃった。自分が行動していたら、同じ負けでも後悔はなかった。でも何も戦わなかったから、後悔ばかりが残ってるんです」
言っていることは、さっきから同じだ。無限のループである。しかしフト気がついてみれば、これは異常な光景と云えた。
大野八一雄七段、植山悦行七段、安西勝一六段という現役の将棋棋士が、一介の将棋ファンの失恋話を、黙って聞いているのだ。私にとって、こんな贅沢があるだろうか。
植山七段のご母堂、次女、三女は食事を終え、帰宅するようだ。次女が再びこちらに来て、
「元気出してくださいね」
と言った。ローティーンに失恋を慰められるとは、あべこべではないか。植山・中井夫妻の娘さんは、みんないいコだ。これからも健やかに育ってほしい。
「でもね大沢さん」
黙って聞いていた植山七段が口を開く。「大沢さんと船戸さんは性格が合わないよ。たぶん結婚しても、ふたりはうまくいかなかったと思う」
「そんなの、してみなけりゃ分からないじゃないですか」
「分かるよ」
「……」
「とにかく、時が経つのを待つしかないね」
と、これは大野七段。
「恋の病を治すクスリはないからね。ヒッヒッヒッ」
安西六段がそれを受けて言った。
「ショックが癒えるのは数年かかるだろうけどね…」
と、大野七段が言った。そんなに長いのか。もう、自分が潰れてしまいそうだ。
そんなこんなで、私の嘆きは4時間近くも続いたのだった。
ご母堂らを送ってきた中井女流六段が再び戻ってきた。W氏、Hon氏はタバコタイムだ。中井女流六段がテーブルにひとりでいるので、今度は私がそこへ移動する。
「中井先生、巷では、私が中井先生を不倫旅行に誘ってることになっているらしいですよ」
「あら」
「今度、長崎に行きましょう」
「……」
中井女流六段は明快な回答を避けた。まあそうだろう。ダンナが近くにいては、色よい返事もできまい。
そんな中井女流六段にも、私は泣き言を吐く。
「0勝4不戦敗ですよ。七番勝負で7局戦って、3勝4敗なら自分でも納得できる。でも戦わずして負けですからね。これは辛い。辛いです」
中井女流六段も、言葉を返しようがない。やはり黙って聞いているだけだ。
「大沢さん、顔色がよくなってるじゃないの」
大野七段が苦笑しながら言う。そりゃ私だって、男性に話すより、女性に話すほうが癒される。それともたんに、中井女流六段のパワーのお蔭なのか。
いずれにしても私はこうやって、失恋の傷を徐々に快復させていくしかないのだろう。
中井女流六段相手の独演会は、けっきょく1時間近くも続いたのだった。
午後11時40分ごろ、散会。今回も私のわがままのせいで、皆さまに迷惑を掛けてしまった。大野七段、植山七段、中井女流六段、安西六段、W氏、Hon氏、次女さんには、とくに御礼を申し上げたい。ありがとうございました。
私はHon氏と同じテーブルに着く。いままで何人もの人に失恋話をしてきたが、Hon氏が最も、私の話に理解を示してくれた。Hon氏も過去に凄絶な体験をしているので、他人事ではないのだ。だから私も、彼に泣き言を言っているときが最も、精神状態が落ち着くのだった。
しばらくして、中井広恵女流六段、植山七段のご母堂、植山・中井夫妻の次女、三女。さらに安西勝一六段が合流した。
植山・中井夫妻の長女と三女を目にしたことはあるが、次女を目にしたのは初めて。その次女がアイドル顔負けの容姿なのにビックリした。長女は植山七段、三女は中井女流六段にそっくりだが、次女はそのどちらでもない。たぶん、両親のいいところを取ったのだろう。
彼女が新宿や原宿を歩けば、間違いなく芸能界にスカウトされる。芸能界に入りたければフリーパスだ。入りたければそれもよし、入りたくなければそれもよし、である。
もし次女が女流棋士になったら、室谷由紀女流初段など問題ではない。私は次女をノータイムで、女流棋士ファンランキングの1位に推すだろう。
その彼女が私のテーブルに来て、
「何をそんなに落ちこんでるんですか?」
とたどたどしい口調で私に言う。植山七段か中井女流六段に促されたのだろう。不愉快だ。
「グッ…。おじさんはネ、失恋したんだよ」
まったく、情けなかった。
ここで今回の各人の配置を記しておこう。
一公 □ Hon
安西 大野 三女 ご母堂
□ □
W 植山 次女 中井
壁
Hon氏はヘビースモーカーだ。このパスタ店は全席禁煙なので、Hon氏がタバコを喫うべく、店外に出る。空いた席に、大野七段と安西六段が座った。私の失恋話を聞こうというハラだ。ヒトの不幸は蜜の味である。私も遠慮なく、愚痴をこぼす。
「もうさー、いままで何回もチャンスがあったのに、それを私は悉く見送っていたんですよ」
「あんとき誘っていれば!! 自分が勇気を出せていれば!! 違った展開になったかもしれないのに!!」
「バカですよバカ!! 女心が全然分かっていなかったんだ!! 死ねばいいんだ、こんなバカは!!」
情けない私の泣き言が、延々と続く。それを黙って聞いてくれる大野、安西の両棋士。私の前にはパスタが運ばれているが、全然口に入らない。
「大沢さん、顔色が悪いよ」
と大野七段。
「ああそうですか。先月から全然食欲がなくて。きょうも朝から牛乳1杯飲んだだけですよ」
昼の大野教室でも、おやつは全く口にしなかった。
「……。元気出せよ。女なんか星の数ほどいるんだから」
と、大野七段が言う。
「星の数ほどって言ったってねえ…ヒッヒッヒッ」
と、これは安西六段。安西六段は独身で、現在は猫2匹と暮らしている。悠々自適の生活で、まるで仙人のようだ。
植山七段が、私のテーブルに移動してきた。私は変わらず、泣き言を吐く。
「もうさ、もうさー、勝負しなかったんですよ。あそこで誘えたんだ。誘えたのに、それをしなかった。バカだからしょうがないんですよ、オレがバカだから!!」
「対局をしようと思ったら、もう終了ですよ。ガラガラってシャッターを閉められて、私の対局相手がいなくなっちゃった。自分が行動していたら、同じ負けでも後悔はなかった。でも何も戦わなかったから、後悔ばかりが残ってるんです」
言っていることは、さっきから同じだ。無限のループである。しかしフト気がついてみれば、これは異常な光景と云えた。
大野八一雄七段、植山悦行七段、安西勝一六段という現役の将棋棋士が、一介の将棋ファンの失恋話を、黙って聞いているのだ。私にとって、こんな贅沢があるだろうか。
植山七段のご母堂、次女、三女は食事を終え、帰宅するようだ。次女が再びこちらに来て、
「元気出してくださいね」
と言った。ローティーンに失恋を慰められるとは、あべこべではないか。植山・中井夫妻の娘さんは、みんないいコだ。これからも健やかに育ってほしい。
「でもね大沢さん」
黙って聞いていた植山七段が口を開く。「大沢さんと船戸さんは性格が合わないよ。たぶん結婚しても、ふたりはうまくいかなかったと思う」
「そんなの、してみなけりゃ分からないじゃないですか」
「分かるよ」
「……」
「とにかく、時が経つのを待つしかないね」
と、これは大野七段。
「恋の病を治すクスリはないからね。ヒッヒッヒッ」
安西六段がそれを受けて言った。
「ショックが癒えるのは数年かかるだろうけどね…」
と、大野七段が言った。そんなに長いのか。もう、自分が潰れてしまいそうだ。
そんなこんなで、私の嘆きは4時間近くも続いたのだった。
ご母堂らを送ってきた中井女流六段が再び戻ってきた。W氏、Hon氏はタバコタイムだ。中井女流六段がテーブルにひとりでいるので、今度は私がそこへ移動する。
「中井先生、巷では、私が中井先生を不倫旅行に誘ってることになっているらしいですよ」
「あら」
「今度、長崎に行きましょう」
「……」
中井女流六段は明快な回答を避けた。まあそうだろう。ダンナが近くにいては、色よい返事もできまい。
そんな中井女流六段にも、私は泣き言を吐く。
「0勝4不戦敗ですよ。七番勝負で7局戦って、3勝4敗なら自分でも納得できる。でも戦わずして負けですからね。これは辛い。辛いです」
中井女流六段も、言葉を返しようがない。やはり黙って聞いているだけだ。
「大沢さん、顔色がよくなってるじゃないの」
大野七段が苦笑しながら言う。そりゃ私だって、男性に話すより、女性に話すほうが癒される。それともたんに、中井女流六段のパワーのお蔭なのか。
いずれにしても私はこうやって、失恋の傷を徐々に快復させていくしかないのだろう。
中井女流六段相手の独演会は、けっきょく1時間近くも続いたのだった。
午後11時40分ごろ、散会。今回も私のわがままのせいで、皆さまに迷惑を掛けてしまった。大野七段、植山七段、中井女流六段、安西六段、W氏、Hon氏、次女さんには、とくに御礼を申し上げたい。ありがとうございました。