船戸陽子女流二段・結婚報告のコメントは、すこぶる印象に残るものだった。LPSAのサイトで原文を確認するのはつらいので、記憶に頼るのみだが、
「私は四枚穴熊に馬付きだったのに、原始棒銀に寄せ切られてしまいました」
というものだった。
船戸女流二段は文才がある。彼女がどういう意図でこのコメントを記したのか分からぬが、なかなか示唆に富んでいる。船戸女流二段にアタックして敗れた人には、
「私は四枚穴熊に馬付きだったから、あなたのアタックは所詮無理だったんですよ」
と読めるし、アタックせずにグズグズしていた人には、
「私は四枚穴熊に馬付きだったけど、あなたがもっと早くシンプルに攻めてくれば、私は寄せられたのよ」
というふうに読める。私はどちらも該当し、このコメントを読んだときは本当につらかった。全身の血が逆流した。血圧が上がり、手足が痺れた。そして、四枚穴熊に馬付きで守っていながら、29歳の男性の原始棒銀という直截的な攻めに戸惑い、陥落していく船戸女流二段を妄想すると、いっそう絶望的な気分に陥るのだった。
いずれにしてもこれは、将棋の歴史上、最もインパクトの強い結婚コメントだったといえるだろう。
その四枚穴熊に馬付きの囲いが、原始棒銀で破れるかどうかを、Fuj氏が研究し始めたので、私は血圧が上昇したわけだった。
Fuj氏は昨年のクリスマスイブに、LPSA芝浦サロンに初参戦した新人だが、私はもちろん、ほかのサロンメンバーのブログもよく読みこんでおり、記憶力も抜群である。当然、私が船戸女流二段を追いかけていたことも把握していたはずだ。
しかるに、このイヤミな行動は何なのだろう。四枚穴熊・馬付きに原始棒銀で破れるはずがないのは一目瞭然で、研究するまでもないではないか。
ということは、これを並べることで、私が困惑するのを楽しむハラに違いない。
何てヤツだ、と思う。向かいに座っているKaz氏が異議を唱えてくれないのも、よく分からなかった。
前も書いたが、なぜFuj氏がふつうにジョナ研に参加しているのか分からぬ。ジョナ研は将棋研究の場ではあるけれども、原型はそれではない。将棋を指し終わったあとに、みんなと将棋談議を楽しみ、親睦を深める場が、本来の姿なのだ。
だがFuj氏は将棋の研究一辺倒である。それならほかの将棋道場へ行ったほうがいい。ジョナ研には、長年培われたジョナ研の雰囲気がある。それを壊す輩は、ジョナ研にはお呼びでないのだ。
もっとも私だって、彼のことを非難はできない。私がいままでこのブログで、船戸女流二段をどれだけ辱しめてきたことか。船戸女流二段、口には出さねど、このブログを忌み嫌っていたに違いない。Fuj氏のこの行動は、彼女の意趣返しなのだ。
だが、私が彼の行動に憤ったことに変わりはない。それなのに私は、
「Fujさん、それじゃ振り飛車穴熊だろ。四枚穴熊なら、ふつうイビアナでしょ。棒銀だって居飛車なんだから、それじゃ逆だよ」
とか言っている。バカじゃないのか。
「でも大沢さん、振り穴に居飛車原始棒銀で攻めて、穴熊を姿焼きにしたかもしれないよ」
と、これはY氏。
「じゃかぁしい!!」
私はまたも語気を荒げた。Y氏の話は含蓄があっておもしろいが、ときどきシラケることを言う。話の流れを考えろ、バカ、と思う。
Fuj氏が穴熊を左側に組み替えた。しかし攻め方が銀1枚ではとうてい潰せないので、▲3七桂や▲7七角を加える。しかしそれでも、四枚穴熊に馬付きは、攻略できなかったようだ。
「やっぱり、潰れませんなあ」
とか言っている。バカじゃないのか。
もうどうでもいいが、彼の結論は、
「△3三桂と跳ねてくれないと、潰れません」
だった。
私はすっかり気分を害して、また落ち込む。
「▲4五歩と仕掛けりゃ、オレにだって十分勝機はあったのに、それを何度も見送って、▲6八玉の手待ちだもんなあ」
「また言ってんのかよ」
とW氏。
「そうだよ! ▲4五歩と指しゃよかったのに、オレは▲6八玉と指したんだよ。そんで▲7八玉のひとり千日手だよ。へっ、笑っちゃうよ。バカだよバカ!! やってることがバカなんだよ!」
「あのね大沢さん。▲4五歩と指せば、確かに優勢になって、その将棋は勝ちになったかもしれない。だけど、定跡は変わるんだよ。いまは▲4五歩が正着かもしれないけど、5年、10年経ったときに、やっぱり▲6八玉の手待ちが正解だったって、定跡が見直されるかもしれないんだよ。見直されるんだよ!!」
「……」
「さっきも言っただろ、オレは大沢さんの直感を信じるって!! ▲6八玉と寄って正解だったんだよ!!」
「いやダメだ! それでも▲4五歩と仕掛けるべきだったんだよ!! そんで、その結果を見極めるべきだったんだよ!! ぐえあああああああーーーー!!」
そこにR氏が将棋盤を持ってきた。誰かと実戦を指したいようだ。もう、どうにもやるせなくなって、私が手を上げる。かくして、ジョナ研では珍しい、実戦の運びとなった。
R氏は初段の棋力で、ふつうに指せば私が勝つだろうが、昨年の「信濃わらび合宿」では、私が平手で完敗している。油断をしているとやられる。しかもいまの私は、普通の精神状態ではないのだ。
将棋は、私の四間飛車に、R氏の居飛車急戦となった。私の応手が疑問だったが、R氏がそれを咎め切れず、私が優勢になってしまった。
最後も、これであらかた寄るだろう、と竜を切って桂を跳ねたのに対し、R氏がいちばんまずいところへ玉を逃げたため、簡単に寄ってしまった。
結局、四枚穴熊に馬付きだろうとなんだろうと、ふたりの協力がないと、玉は寄らない、ということだ。ふたりの協力があって初めて、玉が寄るのだ。
勝っても、全然嬉しくなかった。時刻は午前0時に近い。みんなと別れたくないが、ひとりになりたくないが、もうお開きである。あとは来月までのお楽しみだ。
ジョナ研は、もう10回以上開催されただろうか。しかしいままでの中で、最もつらく、哀しい回だった。
「私は四枚穴熊に馬付きだったのに、原始棒銀に寄せ切られてしまいました」
というものだった。
船戸女流二段は文才がある。彼女がどういう意図でこのコメントを記したのか分からぬが、なかなか示唆に富んでいる。船戸女流二段にアタックして敗れた人には、
「私は四枚穴熊に馬付きだったから、あなたのアタックは所詮無理だったんですよ」
と読めるし、アタックせずにグズグズしていた人には、
「私は四枚穴熊に馬付きだったけど、あなたがもっと早くシンプルに攻めてくれば、私は寄せられたのよ」
というふうに読める。私はどちらも該当し、このコメントを読んだときは本当につらかった。全身の血が逆流した。血圧が上がり、手足が痺れた。そして、四枚穴熊に馬付きで守っていながら、29歳の男性の原始棒銀という直截的な攻めに戸惑い、陥落していく船戸女流二段を妄想すると、いっそう絶望的な気分に陥るのだった。
いずれにしてもこれは、将棋の歴史上、最もインパクトの強い結婚コメントだったといえるだろう。
その四枚穴熊に馬付きの囲いが、原始棒銀で破れるかどうかを、Fuj氏が研究し始めたので、私は血圧が上昇したわけだった。
Fuj氏は昨年のクリスマスイブに、LPSA芝浦サロンに初参戦した新人だが、私はもちろん、ほかのサロンメンバーのブログもよく読みこんでおり、記憶力も抜群である。当然、私が船戸女流二段を追いかけていたことも把握していたはずだ。
しかるに、このイヤミな行動は何なのだろう。四枚穴熊・馬付きに原始棒銀で破れるはずがないのは一目瞭然で、研究するまでもないではないか。
ということは、これを並べることで、私が困惑するのを楽しむハラに違いない。
何てヤツだ、と思う。向かいに座っているKaz氏が異議を唱えてくれないのも、よく分からなかった。
前も書いたが、なぜFuj氏がふつうにジョナ研に参加しているのか分からぬ。ジョナ研は将棋研究の場ではあるけれども、原型はそれではない。将棋を指し終わったあとに、みんなと将棋談議を楽しみ、親睦を深める場が、本来の姿なのだ。
だがFuj氏は将棋の研究一辺倒である。それならほかの将棋道場へ行ったほうがいい。ジョナ研には、長年培われたジョナ研の雰囲気がある。それを壊す輩は、ジョナ研にはお呼びでないのだ。
もっとも私だって、彼のことを非難はできない。私がいままでこのブログで、船戸女流二段をどれだけ辱しめてきたことか。船戸女流二段、口には出さねど、このブログを忌み嫌っていたに違いない。Fuj氏のこの行動は、彼女の意趣返しなのだ。
だが、私が彼の行動に憤ったことに変わりはない。それなのに私は、
「Fujさん、それじゃ振り飛車穴熊だろ。四枚穴熊なら、ふつうイビアナでしょ。棒銀だって居飛車なんだから、それじゃ逆だよ」
とか言っている。バカじゃないのか。
「でも大沢さん、振り穴に居飛車原始棒銀で攻めて、穴熊を姿焼きにしたかもしれないよ」
と、これはY氏。
「じゃかぁしい!!」
私はまたも語気を荒げた。Y氏の話は含蓄があっておもしろいが、ときどきシラケることを言う。話の流れを考えろ、バカ、と思う。
Fuj氏が穴熊を左側に組み替えた。しかし攻め方が銀1枚ではとうてい潰せないので、▲3七桂や▲7七角を加える。しかしそれでも、四枚穴熊に馬付きは、攻略できなかったようだ。
「やっぱり、潰れませんなあ」
とか言っている。バカじゃないのか。
もうどうでもいいが、彼の結論は、
「△3三桂と跳ねてくれないと、潰れません」
だった。
私はすっかり気分を害して、また落ち込む。
「▲4五歩と仕掛けりゃ、オレにだって十分勝機はあったのに、それを何度も見送って、▲6八玉の手待ちだもんなあ」
「また言ってんのかよ」
とW氏。
「そうだよ! ▲4五歩と指しゃよかったのに、オレは▲6八玉と指したんだよ。そんで▲7八玉のひとり千日手だよ。へっ、笑っちゃうよ。バカだよバカ!! やってることがバカなんだよ!」
「あのね大沢さん。▲4五歩と指せば、確かに優勢になって、その将棋は勝ちになったかもしれない。だけど、定跡は変わるんだよ。いまは▲4五歩が正着かもしれないけど、5年、10年経ったときに、やっぱり▲6八玉の手待ちが正解だったって、定跡が見直されるかもしれないんだよ。見直されるんだよ!!」
「……」
「さっきも言っただろ、オレは大沢さんの直感を信じるって!! ▲6八玉と寄って正解だったんだよ!!」
「いやダメだ! それでも▲4五歩と仕掛けるべきだったんだよ!! そんで、その結果を見極めるべきだったんだよ!! ぐえあああああああーーーー!!」
そこにR氏が将棋盤を持ってきた。誰かと実戦を指したいようだ。もう、どうにもやるせなくなって、私が手を上げる。かくして、ジョナ研では珍しい、実戦の運びとなった。
R氏は初段の棋力で、ふつうに指せば私が勝つだろうが、昨年の「信濃わらび合宿」では、私が平手で完敗している。油断をしているとやられる。しかもいまの私は、普通の精神状態ではないのだ。
将棋は、私の四間飛車に、R氏の居飛車急戦となった。私の応手が疑問だったが、R氏がそれを咎め切れず、私が優勢になってしまった。
最後も、これであらかた寄るだろう、と竜を切って桂を跳ねたのに対し、R氏がいちばんまずいところへ玉を逃げたため、簡単に寄ってしまった。
結局、四枚穴熊に馬付きだろうとなんだろうと、ふたりの協力がないと、玉は寄らない、ということだ。ふたりの協力があって初めて、玉が寄るのだ。
勝っても、全然嬉しくなかった。時刻は午前0時に近い。みんなと別れたくないが、ひとりになりたくないが、もうお開きである。あとは来月までのお楽しみだ。
ジョナ研は、もう10回以上開催されただろうか。しかしいままでの中で、最もつらく、哀しい回だった。