とりあえず手分けして、盤や駒を食堂に入れる。ここが夕食までの対局場となる。運んでいる途中、疲れたからベンチに盤駒を置いたのだが、これは3回目の合宿で初めてのケースだった。過去2回は、山荘にしとしと雨が降っていたから、できなかった。雨はすべての計画を狂わせる。ワンクッションすることが、こんなに楽だとは思わなかった。
だが大盤と駒をどうするか。そうだ、土曜日組がいる。彼らは新宿から特急電車に乗るから、中井女流六段の娘さんに、新宿まで大盤を持ってきてもらう手はある。大盤は薄手のものだから、持ち運びに支障はない。
しかしいまひとつ、まだるっこしい感じだ。では蕨市役所将棋部にある大盤を借りるのはどうか。山荘で本格的に使用するのは土曜日からだ。いまから将棋部OB氏に連絡を取れば、間に合いそうである。
「そうだ、それが最善手でしょう」
中井広恵女流六段がキッパリと言い、「大盤問題」は、どうやら事なきを得たようだ。中井女流六段、いく度もうっかりするわりには、実質的な被害がない。これもふだんの行いの賜物だろうか。
さて「将棋合宿」といえば、中井女流六段お手製の「合宿のしおり」である。今回もそれが配られたので、そこに書かれていた、スケジュール表を転載してみよう。
【1日目】
11:00~上里PA・昼食 12:00~出発 14:00~信濃わらび山荘到着 14:30~ミニ講座 15:00~ペア将棋トーナメント 17:45~休憩 18:00~夕食・懇親会 20:00~対局 24:00~就寝
【2日目】
07:00~起床 07:30~朝食 09:00~対局 12:00~お迎え・昼食 13:30~わらび山荘到着 14:00~詰将棋トライアル 14:30~ミニ講座 15:00~対局 17:30~休憩 18:00~夕食・懇親会 20:00~対局 24:00~就寝
【3日目】
07:00~起床 07:30~朝食 08:30~おかたづけ 09:00~記念対局
ミニ講座、ペア将棋、対局、詰将棋、記念対局…。食事以外は、すべて将棋だ。まさに、将棋好きには堪らないスケジュールである。
その後私たちは、敷地内右手にあるコテージに入った。ここが私たちの宿泊場所兼、夜の対局場となる。
全7室あるが、貸し切りである。1泊1,500円、2泊2,000円と格安だ。コテージの利用は1泊500円増しだが、それでも2泊で、3,000円にしかならない。
私は過去2回と同じ部屋に入った。同宿はIs氏。部屋には木の机と椅子が備えられているので、それを中央のフロアに出す。これを横にズラッと並べると、即席対局場の出来上がりである。
ベッドメイクは自分たちでする。ユースホステル方式だ。それを済ますと私たちは、再び食堂へ戻った。いよいよ将棋漬けの3日間の開幕である。
大盤もなく、講座の時間もないのでそれは端折り、まずはペア将棋トーナメントから始める。「ペア将棋」には「男女混合」というイメージがあるので、女性が1名ではいまひとつテンションが上がらないのだが、そうした感慨を持っているのは私だけらしい。みんな将棋が指せれば、形態はなんでもいいようだ。
現在の参加者は10人。厳格に「ペア」を守ると2人あぶれてしまうので、3人組も設けることにした。3人だとペア将棋というよりリレー将棋の趣になるが、それもおもしろい。
棋士3人と私が、パートナーを選ぶ。結果、中井女流六段・R×植山悦行七段・Hi・Is、大野八一雄七段・W・Hon×Fuj・一公の組み合わせとなった。
対局時計は使うが、早指し戦で対局開始。途中、2分の考慮タイムを設けた。
こちらの後手で▲7六歩△3四歩▲7五歩△6二銀と進む。W氏は振り飛車党だから4手目に△8八角成とする手はあるが、そこまで勝負に辛くしない。
大野組は石田流三間飛車に組む。一公組は△6三銀から△7二金とした。私は△7四歩。▲同歩に、Fuj氏は私の意を汲んで△8三金と上がる。混合戦のキモは、実力者にカンタンな手を指させ、級位者にむずかしい手を指させることであろう。△7四歩は厳密には無理な動きだが、大野七段以外は的確に咎められないだろうと思った。
私は△8六歩と突いて大野七段の手を待つ。と、大野七段が「くそう…」と苦笑して、▲8六同歩と取った。当然の一手を指させやがって…というところか。
虚々実々の駆け引きを経て、将棋は終盤戦に入った。後手の模様がいいはずだったが、玉が薄いので実戦的には勝ちにくい。いやむしろここでは逆転して、先手が優勢になっている。
ここで私が作戦タイムを取る。△3二の玉を△4一玉と引く手を推した。これにはイヤな手が見えるが、相手は指さないだろうと思った。事実この手は疑問手であることが局後判明したが、疑問手に疑問手を返されれば、最初の疑問手が好手に変わる。そしてこれが、結果的には勝着になったようである。先手の攻めが頓挫し、大野七段がみなを代表して、ちょっと早めの投了となった。
この将棋で感心したのはW氏の指し回しである。W氏は「永世アマ1級」を標榜する級位者だが、今回は早指しにもかかわらず、じっと歩を伸ばす▲4五歩、控えて打つ▲4六桂、急所の攻め▲5五歩、桂頭を狙う▲7四歩と、筋のいい指し手ばかりが目立った。
W氏は多くの棋士との交流がある。ふだんは将棋の勉強はしていないらしいが、棋士と接することで、自然と筋のいい手を吸収しているようである。
あちらの対局は、植山・Hi・Is組が一足早く勝利していた。植山七段は一公組を優勝の本命にしていたが、私は植山組を優勝の本命にしていた。
決勝戦と3位決定戦の対局開始。植山組の先手四間飛車に、私は舟囲いから△5三銀。Fuj氏は持久戦が得意と見たので早めに右銀を上がったのだが、次にFuj氏が△7四歩と突いたのでズッコケた。感想戦でFuj氏は、▲7五歩と突かれるのを嫌ったと言ったが、こんな手を恐れることはない。
以前も書いたが、Fuj氏の序盤感覚はちょっと異質なところがある。私とは棋風的に似ていると思ったが、この人選は誤ったか。
その後もチグハグな指し手が続いたが、決定的な悪手が、Fuj氏が△1二玉と寄った後、私が△2三玉と上がった手だった。ここは当然△2二銀と上がるところで、次に△2三銀と銀冠を完成させれば、強い戦いができた。私は△2二銀の瞬間が怖かったのだが、考えすぎたようだ。
本譜は植山組に快調に攻められ、一公組はいいところなく負かされた。3位決定戦は大野組が制したようである。以上2局を指したが、ペア将棋の奥深さを実感した一局だった。
ちょうどよく夕食の支度もととのった。
4人掛けのテーブルの上に、料理が載っている。それが通路を挟んで2セット。さらにその手前のテーブルに、2人分の料理が載っている。これで計10人分だ。私はひっそりと食事を摂るのが好きなので、手前の席に座る。
みんなも好みの席に座るが、中井女流六段がぐずぐずしている。と、誰かが
「中井先生は大沢さんの前で」
と言った。
「そうね」
と中井女流六段。
「いやそれはマズイですよ」
私は動揺する。中井女流六段と向かい合わせで、ふたりで食事をするわけにはいかない。極度の緊張で、食事が喉を通らなくなってしまう。
「いえ、私はどこで食べても構わないから、大沢さんの向かいでいいよ」
中井女流六段がニッコリ笑って言った。
(12日につづく)
だが大盤と駒をどうするか。そうだ、土曜日組がいる。彼らは新宿から特急電車に乗るから、中井女流六段の娘さんに、新宿まで大盤を持ってきてもらう手はある。大盤は薄手のものだから、持ち運びに支障はない。
しかしいまひとつ、まだるっこしい感じだ。では蕨市役所将棋部にある大盤を借りるのはどうか。山荘で本格的に使用するのは土曜日からだ。いまから将棋部OB氏に連絡を取れば、間に合いそうである。
「そうだ、それが最善手でしょう」
中井広恵女流六段がキッパリと言い、「大盤問題」は、どうやら事なきを得たようだ。中井女流六段、いく度もうっかりするわりには、実質的な被害がない。これもふだんの行いの賜物だろうか。
さて「将棋合宿」といえば、中井女流六段お手製の「合宿のしおり」である。今回もそれが配られたので、そこに書かれていた、スケジュール表を転載してみよう。
【1日目】
11:00~上里PA・昼食 12:00~出発 14:00~信濃わらび山荘到着 14:30~ミニ講座 15:00~ペア将棋トーナメント 17:45~休憩 18:00~夕食・懇親会 20:00~対局 24:00~就寝
【2日目】
07:00~起床 07:30~朝食 09:00~対局 12:00~お迎え・昼食 13:30~わらび山荘到着 14:00~詰将棋トライアル 14:30~ミニ講座 15:00~対局 17:30~休憩 18:00~夕食・懇親会 20:00~対局 24:00~就寝
【3日目】
07:00~起床 07:30~朝食 08:30~おかたづけ 09:00~記念対局
ミニ講座、ペア将棋、対局、詰将棋、記念対局…。食事以外は、すべて将棋だ。まさに、将棋好きには堪らないスケジュールである。
その後私たちは、敷地内右手にあるコテージに入った。ここが私たちの宿泊場所兼、夜の対局場となる。
全7室あるが、貸し切りである。1泊1,500円、2泊2,000円と格安だ。コテージの利用は1泊500円増しだが、それでも2泊で、3,000円にしかならない。
私は過去2回と同じ部屋に入った。同宿はIs氏。部屋には木の机と椅子が備えられているので、それを中央のフロアに出す。これを横にズラッと並べると、即席対局場の出来上がりである。
ベッドメイクは自分たちでする。ユースホステル方式だ。それを済ますと私たちは、再び食堂へ戻った。いよいよ将棋漬けの3日間の開幕である。
大盤もなく、講座の時間もないのでそれは端折り、まずはペア将棋トーナメントから始める。「ペア将棋」には「男女混合」というイメージがあるので、女性が1名ではいまひとつテンションが上がらないのだが、そうした感慨を持っているのは私だけらしい。みんな将棋が指せれば、形態はなんでもいいようだ。
現在の参加者は10人。厳格に「ペア」を守ると2人あぶれてしまうので、3人組も設けることにした。3人だとペア将棋というよりリレー将棋の趣になるが、それもおもしろい。
棋士3人と私が、パートナーを選ぶ。結果、中井女流六段・R×植山悦行七段・Hi・Is、大野八一雄七段・W・Hon×Fuj・一公の組み合わせとなった。
対局時計は使うが、早指し戦で対局開始。途中、2分の考慮タイムを設けた。
こちらの後手で▲7六歩△3四歩▲7五歩△6二銀と進む。W氏は振り飛車党だから4手目に△8八角成とする手はあるが、そこまで勝負に辛くしない。
大野組は石田流三間飛車に組む。一公組は△6三銀から△7二金とした。私は△7四歩。▲同歩に、Fuj氏は私の意を汲んで△8三金と上がる。混合戦のキモは、実力者にカンタンな手を指させ、級位者にむずかしい手を指させることであろう。△7四歩は厳密には無理な動きだが、大野七段以外は的確に咎められないだろうと思った。
私は△8六歩と突いて大野七段の手を待つ。と、大野七段が「くそう…」と苦笑して、▲8六同歩と取った。当然の一手を指させやがって…というところか。
虚々実々の駆け引きを経て、将棋は終盤戦に入った。後手の模様がいいはずだったが、玉が薄いので実戦的には勝ちにくい。いやむしろここでは逆転して、先手が優勢になっている。
ここで私が作戦タイムを取る。△3二の玉を△4一玉と引く手を推した。これにはイヤな手が見えるが、相手は指さないだろうと思った。事実この手は疑問手であることが局後判明したが、疑問手に疑問手を返されれば、最初の疑問手が好手に変わる。そしてこれが、結果的には勝着になったようである。先手の攻めが頓挫し、大野七段がみなを代表して、ちょっと早めの投了となった。
この将棋で感心したのはW氏の指し回しである。W氏は「永世アマ1級」を標榜する級位者だが、今回は早指しにもかかわらず、じっと歩を伸ばす▲4五歩、控えて打つ▲4六桂、急所の攻め▲5五歩、桂頭を狙う▲7四歩と、筋のいい指し手ばかりが目立った。
W氏は多くの棋士との交流がある。ふだんは将棋の勉強はしていないらしいが、棋士と接することで、自然と筋のいい手を吸収しているようである。
あちらの対局は、植山・Hi・Is組が一足早く勝利していた。植山七段は一公組を優勝の本命にしていたが、私は植山組を優勝の本命にしていた。
決勝戦と3位決定戦の対局開始。植山組の先手四間飛車に、私は舟囲いから△5三銀。Fuj氏は持久戦が得意と見たので早めに右銀を上がったのだが、次にFuj氏が△7四歩と突いたのでズッコケた。感想戦でFuj氏は、▲7五歩と突かれるのを嫌ったと言ったが、こんな手を恐れることはない。
以前も書いたが、Fuj氏の序盤感覚はちょっと異質なところがある。私とは棋風的に似ていると思ったが、この人選は誤ったか。
その後もチグハグな指し手が続いたが、決定的な悪手が、Fuj氏が△1二玉と寄った後、私が△2三玉と上がった手だった。ここは当然△2二銀と上がるところで、次に△2三銀と銀冠を完成させれば、強い戦いができた。私は△2二銀の瞬間が怖かったのだが、考えすぎたようだ。
本譜は植山組に快調に攻められ、一公組はいいところなく負かされた。3位決定戦は大野組が制したようである。以上2局を指したが、ペア将棋の奥深さを実感した一局だった。
ちょうどよく夕食の支度もととのった。
4人掛けのテーブルの上に、料理が載っている。それが通路を挟んで2セット。さらにその手前のテーブルに、2人分の料理が載っている。これで計10人分だ。私はひっそりと食事を摂るのが好きなので、手前の席に座る。
みんなも好みの席に座るが、中井女流六段がぐずぐずしている。と、誰かが
「中井先生は大沢さんの前で」
と言った。
「そうね」
と中井女流六段。
「いやそれはマズイですよ」
私は動揺する。中井女流六段と向かい合わせで、ふたりで食事をするわけにはいかない。極度の緊張で、食事が喉を通らなくなってしまう。
「いえ、私はどこで食べても構わないから、大沢さんの向かいでいいよ」
中井女流六段がニッコリ笑って言った。
(12日につづく)