12日(土)は、川口市にある「大野カウンセリング教室」に行ってきた。同教室は、大野八一雄先生が主宰する食事会。この席で悩める患者を正しい道に導くもので、信奉者も多い。
夕方お邪魔をすると、将棋の勉強に来ていた生徒と出くわした。同教室は、将棋教室も開講しているのである。本日の生徒は、大人8人、子供7人とのこと。これまでの最高は14人だったので、新記録である。
その生徒であるHanaちゃんが私に、
「たしか、大沢さんだよね」
と言う。
「グッ…大沢だよ。ちゃんと覚えてよぅ」
彼女にいつも言っているセリフを逆に言われ、面喰らった。
きょうの私は将棋を指さないので、カウンセリング教室への同席者をひたすら待つ。
ドイツ在住のドイツ人学者、F氏がいる。久しぶりの来日である。彼の棋力は相当なもので、町道場の二、三段では彼に勝てない。前回来日したときは私とも戦ったのだが、吹っ飛ばされた。
Hon氏がいた。
「おおHonちゃーん、語り合おうよ!」
私は表の喫煙所に誘う。彼は将棋を指しに来たのだが、私はそんなことはおかまいなしなのである。
30分ほど談笑して、教室に戻る。Fuj氏が大野先生に、先日行われた将棋対局の解説を求めた。大野先生はこの将棋に勝って、竜王戦という棋戦で、昇級を果たしたのだ。私もその解説を拝聴したが、大野先生、これは相当ひどい将棋だった。しかしそこを逆転勝ちできたりするから、将棋は面白くも難しいのだ。
食事会の参加は8人。大野先生、植山悦行氏、His氏、W氏、F氏、Fuj氏、Sai氏、私である。食事は駅ビルにあるうなぎ専門店で。私たち3人は「レディースセット」なるものを頼んだ。男でも頼めるらしい。
それはいいのだが、ちょっとうなぎが小さかった。
食事が済むと、駅前の喫茶店に入る。その道すがら、大野先生に
「うなぎ屋では静かだったけど、体調でも悪かったの?」
と心配されてしまった。いつもウルサイ私の場合、たまに静かにしていると、体調を悪くされてしまうことがある。さすがにカウンセリング教室の先生らしい配慮だったが、私だって、静かな時はあるのだ。
参加者は、His氏が帰り、7人になった。
飲み物が運ばれてきてしばらく経ったころ、W氏とFuj氏が激論を戦わせはじめた。1990年代に放映された深夜番組「ミントタイム」の司会者が、山本博美だったか山本理沙だったかで、双方の主張が平行線になったのだ。
じゃあオレがスマホで調べるよ、と調べたら、両者とも司会をやっていた。つまりW氏もFuj氏も正解だったわけだ。バカバカしい。と言うより、呆れるオチである。このふたりのアイドルオタクぶりは凄まじい。私はちょっと、ついていけない。
私のブログの話になる。F氏が初耳みたいなことを言うので質したら、
「ジョリューキシふぁんらんきんぐノヤツデスカ?」
と言って豪快に笑った。なんだ、知ってるんじゃないか。でも第5回のランキングで、大幅な変動があったことは知るまい。しかし大野先生が私のブログ名をあらためて教えるので、こちらも参った。こんなブログを読んでも、時間の無駄になるだけだ。
Fuj氏が「将棋ペン倶楽部」2007年秋号を出す。先月の社団戦に参戦したとき、将棋ペンクラブもブースを出していて、バックナンバーを廉価で販売していた。そこに2007年秋号が1冊だけ残っていたのだという。
この号には拙稿「文化祭1982」が載っている。将棋ペン倶楽部には拙稿が17、8回掲載されたが、これが私のいちばん好きな作品である。タイトルに「1982」とあるから甘酸っぱい青春時代の回想だが、先日紹介した「運命の端歩」がグレーだとすると、「文化祭1982」はオレンジ色、という感じがする。私はハッピーエンドになっていないのに、なぜか空気が、色鮮やかなのだ。
最後の1行ですべてが分かる、という構成も好きだ。昔はホントに、いいエッセイを書いていた。
その「文化祭1982」を回し読みする。W氏が、
「変わってねえなあ」
と苦笑する。
「あっ、そうか! そうだね。ハハ」
――文化祭の交流の一環で、近くの女子高の将棋部が、我が高校に遊びに来る。そこの部長が廊下の窓辺でひとり佇んでいるのだが、私は声を掛けられず、その場を離れてしまう。
いまも昔も、女性に声を掛けられない。誘えない。すなわち変わってない、ということだ。
ただ私が、高校の時から女性とフランクに話せていたら、私はとうに結婚し、いまとはまったく違う人生を歩んでいただろう。つまり、この席でその話も出なかったことになる。
植山氏も読んでいる。植山氏、中に登場するのに、読むのは意外にも初めてらしい。そのうち、クックッ…と、苦笑し始めた。
「大沢さん、なんですかこれは」
「何がというと…?」
「私のこと、『さえない風貌』って表現が、2回も出てるじゃないですか。しかも『特筆すべき棋歴はなかったが、私生活では大ホームランをかっ飛ばした』ってなんですかこれ!」
「……」
植山先生が、女性将棋団体が主宰する将棋教室の手合い係を担当し、私が親しくさせていただくのは、この同人誌が発行された半年後。まさかその時は、植山先生とこんな関係になるとは思いもしなかったから、私も書きたいことを書いている。私も苦笑しながら、失礼しました、と謝るしかなかった。
閉店の11時過ぎまで談笑し、散会。この喫茶店での2時間はあっと言う間だった。
横浜方面行きの客は、F氏、Fuj氏、私。Fuj氏が下車し、F氏とふたりになった。F氏の来日は2月以来で、今年はまだ2度目とのこと。
悩み全開の私にくらべ、F氏はいつも朗らかで、見ていて気持ちがいい。私がたまにジョークを飛ばすと豪快に笑ってくれ、それで私も気分が晴れる。
ただし今回の電車の中ではF氏の笑い声が車両中に響き渡り、私がちょっぴり、恥ずかしくなった。
夕方お邪魔をすると、将棋の勉強に来ていた生徒と出くわした。同教室は、将棋教室も開講しているのである。本日の生徒は、大人8人、子供7人とのこと。これまでの最高は14人だったので、新記録である。
その生徒であるHanaちゃんが私に、
「たしか、大沢さんだよね」
と言う。
「グッ…大沢だよ。ちゃんと覚えてよぅ」
彼女にいつも言っているセリフを逆に言われ、面喰らった。
きょうの私は将棋を指さないので、カウンセリング教室への同席者をひたすら待つ。
ドイツ在住のドイツ人学者、F氏がいる。久しぶりの来日である。彼の棋力は相当なもので、町道場の二、三段では彼に勝てない。前回来日したときは私とも戦ったのだが、吹っ飛ばされた。
Hon氏がいた。
「おおHonちゃーん、語り合おうよ!」
私は表の喫煙所に誘う。彼は将棋を指しに来たのだが、私はそんなことはおかまいなしなのである。
30分ほど談笑して、教室に戻る。Fuj氏が大野先生に、先日行われた将棋対局の解説を求めた。大野先生はこの将棋に勝って、竜王戦という棋戦で、昇級を果たしたのだ。私もその解説を拝聴したが、大野先生、これは相当ひどい将棋だった。しかしそこを逆転勝ちできたりするから、将棋は面白くも難しいのだ。
食事会の参加は8人。大野先生、植山悦行氏、His氏、W氏、F氏、Fuj氏、Sai氏、私である。食事は駅ビルにあるうなぎ専門店で。私たち3人は「レディースセット」なるものを頼んだ。男でも頼めるらしい。
それはいいのだが、ちょっとうなぎが小さかった。
食事が済むと、駅前の喫茶店に入る。その道すがら、大野先生に
「うなぎ屋では静かだったけど、体調でも悪かったの?」
と心配されてしまった。いつもウルサイ私の場合、たまに静かにしていると、体調を悪くされてしまうことがある。さすがにカウンセリング教室の先生らしい配慮だったが、私だって、静かな時はあるのだ。
参加者は、His氏が帰り、7人になった。
飲み物が運ばれてきてしばらく経ったころ、W氏とFuj氏が激論を戦わせはじめた。1990年代に放映された深夜番組「ミントタイム」の司会者が、山本博美だったか山本理沙だったかで、双方の主張が平行線になったのだ。
じゃあオレがスマホで調べるよ、と調べたら、両者とも司会をやっていた。つまりW氏もFuj氏も正解だったわけだ。バカバカしい。と言うより、呆れるオチである。このふたりのアイドルオタクぶりは凄まじい。私はちょっと、ついていけない。
私のブログの話になる。F氏が初耳みたいなことを言うので質したら、
「ジョリューキシふぁんらんきんぐノヤツデスカ?」
と言って豪快に笑った。なんだ、知ってるんじゃないか。でも第5回のランキングで、大幅な変動があったことは知るまい。しかし大野先生が私のブログ名をあらためて教えるので、こちらも参った。こんなブログを読んでも、時間の無駄になるだけだ。
Fuj氏が「将棋ペン倶楽部」2007年秋号を出す。先月の社団戦に参戦したとき、将棋ペンクラブもブースを出していて、バックナンバーを廉価で販売していた。そこに2007年秋号が1冊だけ残っていたのだという。
この号には拙稿「文化祭1982」が載っている。将棋ペン倶楽部には拙稿が17、8回掲載されたが、これが私のいちばん好きな作品である。タイトルに「1982」とあるから甘酸っぱい青春時代の回想だが、先日紹介した「運命の端歩」がグレーだとすると、「文化祭1982」はオレンジ色、という感じがする。私はハッピーエンドになっていないのに、なぜか空気が、色鮮やかなのだ。
最後の1行ですべてが分かる、という構成も好きだ。昔はホントに、いいエッセイを書いていた。
その「文化祭1982」を回し読みする。W氏が、
「変わってねえなあ」
と苦笑する。
「あっ、そうか! そうだね。ハハ」
――文化祭の交流の一環で、近くの女子高の将棋部が、我が高校に遊びに来る。そこの部長が廊下の窓辺でひとり佇んでいるのだが、私は声を掛けられず、その場を離れてしまう。
いまも昔も、女性に声を掛けられない。誘えない。すなわち変わってない、ということだ。
ただ私が、高校の時から女性とフランクに話せていたら、私はとうに結婚し、いまとはまったく違う人生を歩んでいただろう。つまり、この席でその話も出なかったことになる。
植山氏も読んでいる。植山氏、中に登場するのに、読むのは意外にも初めてらしい。そのうち、クックッ…と、苦笑し始めた。
「大沢さん、なんですかこれは」
「何がというと…?」
「私のこと、『さえない風貌』って表現が、2回も出てるじゃないですか。しかも『特筆すべき棋歴はなかったが、私生活では大ホームランをかっ飛ばした』ってなんですかこれ!」
「……」
植山先生が、女性将棋団体が主宰する将棋教室の手合い係を担当し、私が親しくさせていただくのは、この同人誌が発行された半年後。まさかその時は、植山先生とこんな関係になるとは思いもしなかったから、私も書きたいことを書いている。私も苦笑しながら、失礼しました、と謝るしかなかった。
閉店の11時過ぎまで談笑し、散会。この喫茶店での2時間はあっと言う間だった。
横浜方面行きの客は、F氏、Fuj氏、私。Fuj氏が下車し、F氏とふたりになった。F氏の来日は2月以来で、今年はまだ2度目とのこと。
悩み全開の私にくらべ、F氏はいつも朗らかで、見ていて気持ちがいい。私がたまにジョークを飛ばすと豪快に笑ってくれ、それで私も気分が晴れる。
ただし今回の電車の中ではF氏の笑い声が車両中に響き渡り、私がちょっぴり、恥ずかしくなった。