一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

悲運の闘将・西本幸雄監督、逝く

2011-11-26 02:58:43 | プライベート
きのう25日(金)、元プロ野球監督の西本幸雄氏が死去した。享年91歳。プロ野球の監督経験者は数百人に上るだろうが、「日本一にさせたかった男」の筆頭が西本監督だった。
名選手必ずしも名監督ならず、という諺があるが、その逆も然りで、名監督必ずしも名選手ならず、ということがある。西本監督もそうで、現役生活はわずか6年。成績もパッとしなかった。
しかし昭和30年に現役を引退すると、二軍監督やコーチを経て、昭和35年、毎日オリオンズの監督に就任。その年いきなりリーグ優勝を果たし、日本中をあっと言わせた。
西本監督は、自分がこれ、と思った選手を集中的に鍛えた。世にいう「西本道場」である。この熱血指導で、西本監督は数々の名選手を育て上げた。
以降、阪急ブレーブス、近鉄バファローズの監督を歴任し、通算20年の監督生活でリーグ優勝8回。しかし日本一になることはついぞなく、「悲運の闘将」と呼ばれた。
この8回のシリーズ中、最も日本一に近づいたのが、昭和54年・広島東洋カープとの戦いだった。近鉄の○○●●●○で迎えた第7戦、4-3の1点ビハインドで迎えた9回裏、近鉄は広島のリリーフエース江夏豊を攻め、無死満塁の大チャンスを掴んだ。
ここで代打・佐々木恭介は、三塁線に強いゴロを放つ。しかし判定はファウル。これはかなり際どい当たりで、フェアと判定されてもおかしくなかった。
結局佐々木は三振。続く石渡茂の2球目、近鉄はスクイズを試みる。しかし江夏は咄嗟にウエストボールを投げ、三塁走者藤瀬史朗は憤死、2アウトとなった。
ここまでくれば江夏のもの。1球ファウルを挟んで、4球目に石渡を空振り三振に打ち取り、ここに広島の日本一が決まった。これが後に語り継がれる「江夏の21球」でもあった。
昭和56年に監督を勇退してからは、フジテレビ系の野球解説者を務めた。タレント色の濃いフジテレビ解説陣にあって西本解説はピリッと辛く、それでいて滋味があふれる、不思議な温かさがあった。
著名人が亡くなると、「昭和が終わった」という言葉を使う。西本監督もそのひとりで、輝ける昭和のプロ野球の、パ・リーグを代表する野球人だった。
西本監督のご冥福を、心よりお祈りします。

参考文献:
「プロ野球 遅咲きの人間学」近藤唯之著(PHP文庫)
「監督たちの戦い[決定版]上巻」浜田昭八著(日経ビジネス人文庫)
コメント (7)
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