一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

1月31日付読売新聞の記事に思うこと

2012-02-04 01:51:33 | 将棋雑考
すでにあっちこっちで話題になっているが、1月31日付の読売新聞文化欄の頁は、けっこう衝撃的だった。
「記者ノート」というコラム欄に、1月14日に行われた米長邦雄永世棋聖(日本将棋連盟会長)とボンクラーズの一戦のことが記されているのだが、ここで米長永世棋聖の指し手をボロクソに言っちゃっているのである。
いわく、「野球のゲームにたとえると、5回コールドであっけなく終わった」。
いわく、「2手目の△6二玉は、『弟子が指せば破門する手』と棋士仲間が言うほどの奇策」。
いわく、「将棋ファンは、プロが機械に勝つためだけの作戦を見て、本当に満足したのだろうか」。
かなり辛辣な表現だが、さらに驚いたのは、この書き手が西條耕一記者だったことだ。
西條記者は竜王戦の担当者かつ「将棋世界」のレギュラー執筆者で、タイトル戦の観戦記はもちろん、「江戸の名人」についての連載も持ち、返す刀でもろもろのレポートもこなすなど、専属ライターかと見紛うばかりの活躍なのである。
2年前には、日本将棋連盟の「将棋歴史文化アドバイザー」にも就任した。もう、その辺のプロ棋士よりよほど有名なのである。
当然米長会長との親交も深く、私は、「西條記者は米長会長の片腕」と思っていた。いったい、ふたりの間に何があったのだろう。
話が少し戻るが、米長永世棋聖とボンクラーズは昨年末にもプレマッチを行い、そのときも米長永世棋聖は2手目に「△6二玉」と指したのだが、これも読売は「奇策」と報じ、のちに米長永世棋聖が自ブログで「△6二玉は奇策ではない」と反論していた。
この記事が西條記者のペンとは断言できないが、十中八九、そうであろう。とするならばこのころはすでに、両者に何らかの溝が生じていたのだろう。
ただ、両者に何があったにせよ、その不満を記事に反映させてはいけない、と思うわけである。記者はつねに冷静な目を持つことが肝心であるからだ。今回の記事はちょっと、米長永世棋聖がかわいそうだった。
とはいうものの個人的には、西條記者よく書いてくれたと、少し彼を見直したのであった。
コメント (10)
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