やっぱり来たか、と思う。しかし彼女とは最初から何もなかったので、そう答えるしかない。
女主人は、それでよかったのよ、と、妙な慰め方をしてくれた。
名残惜しいが、女主人とはここでお別れ。11時30分の東大川行きバスに乗る。乗客は私を含め3人。ゴールデンウイークの最終日。さすがに乗客は少ない。
バスは枕崎市内をのんびりと走る。うつらうつらしてくるが、これぞ旅行の醍醐味、至福の時である。
12時01分、東大川着。広大な転車場にもう1台バスが来て、そちらに乗り換えた。12時12分、東大川発。乗客はひとり減って、2人になった。少し走ったところでその客が降り、客は私だけになった。旅行5日目にして、初の貸し切り状態である。
しかしその後、ボチボチ客が乗ってきた。それでよい。ローカルバスは客のノリがすべてである。
きのう買った2リットルの緑茶をスーパーの袋から出し、ごくごく飲む。次のバス停は「砂むし会館前」である。私がいつも利用している「砂むし温泉・砂楽」の最寄りだ。しかし誰も降車ボタンを押さない。チキンレースに負けたようだが、私がボタンを押した。
ところが「砂むし会館前」で下車したのは私ひとりだった。ちょっと意外である。
「砂楽」の2階で受付をするが、先客が誰もいない。閑散としすぎてないか。
1階に下りて、脱衣所に入る。しかしここも、客がひとりもいなかった。昨年来たときは、150近くあるロッカーがすべて塞がり、服を脱ぐことさえままならかった。日にちが違うといえばそれまでだが、極端すぎる。
浴衣に着替えて、浜に出る。と、いつもは塀際のテント下に招かれるのに、今年は波打ち際に招かれた。いまの時間は干潮で、客はそちらに招んでいるらしい。砂むし温泉は6~7回目になるが、これは初めての経験である。
横になって砂をかけてもらう。とたんにじんわりと、汗が出てきた。ミニパラソルで日射しが遮られ、まぶしさはない。空は雲ひとつない快晴である。水晶体が濁っているから、糸くずが視界を動いている。静寂なひととき。
指先がドクドクいって、血液が体中を巡っているのが分かる。砂むし温泉の効能は、温泉入浴の4倍の効果があるらしい。その数字に裏付けがあるのかどうか分からぬが、全身からじっとり汗が出てくると、毒素が抜けていく感覚がある。とくに最近の私は肥満状態なので、ひときわその感が強い。
温泉といえば中倉宏美女流二段だが、砂むし温泉はどうなのだろう。中井広恵女流六段か、藤森奈津子女流四段というところか。思い切って山下カズ子女流五段という手もある。
もう15分くらい経ったろうか。私の左で、私より一足先に埋まった初老の夫婦は、上がるどころか、砂を足してもらっている。しかし順番からいっても、私はあの夫婦より先に上がるわけにはいかない。
係のおばちゃんがご夫婦に、
「あまり浸かりすぎると、立ちくらみを起こすことがあるから気をつけてくだいね」
と注意を促す。それから2、3分経って、ふたりはようやく起き上った。私もすかさず続く。
20分くらい蒸されていたろうか。もう浴衣はグッショリである。そう、ここの砂むし温泉に入ったら、さすがの山口恵梨子ちゃんもグッショリである。
宏美女流二段もグッショリグッショリである。
室谷由紀ちゃんもグッショリグッショリグッショリである。
そして中井女流六段も、グッショリグッショリグッショリグッショリである。
そのまま大風呂に直行する。サッパリして砂楽を出、再び砂浜に向かう。30人近くの客が、砂に埋まっていた。そのとき、浜に
「きょうは13:30から、波打ち際での砂むし温泉になります」
の看板が立てられていたことに気付いた。ということは、私がバスに乗り遅れなければ、波打ち際に入れなかったということだ。遅れてよかったと思った。
砂楽の先に、うまいラーメンを食わせる中華料理屋がある。そこに向かったが、準備中になっていた。残念。私はそのまま、JR指宿駅に向かう。
時刻は午後2時35分になっていた。駅前にバスの案内所があるので、鹿児島中央行きの時刻を確認する。すると、15時18分のバスは休日で運休となっていた。その次は16時33分である。マジか!? これは計算外だった。
芸能人ではないか、と見紛うモノスゴイ美形の女性職員に聞いてみるが、鹿児島中央行きはやはり、その時間までないとのことだった。
朝のバスを間違えなければ、13時48分のバスで鹿児島中央まで行けたのに、何てことだと思う。もっともその場合、指宿の中華料理屋で昼食を摂っていたろうから、どの道13時48分のバスには乗れなかったかもしれない。
知覧行きのバスが来た。しかし知覧は一度行ったことがあるし、第一知覧まで行ったら、そのあとのスケジュールに支障を来たすかもしれない。きょうは鹿児島空港20時35分発のANA便に乗るから、とにかく鹿児島中央駅には戻っておきたい。
JRの列車も調べるが、次の15時01分発は「特急たまてばこ」で、通常料金のほかに特急料金まで取られる。これは意地でも乗れないところである。
とりあえず昼食だ。しかし駅付近の食事処も申し合わせたように、どこも準備中だった。
何か食べ物はないか。そうだ、砂の祭典のビンゴゲームでもらったスナック菓子が、もうひと袋あった。「ベビースターラーメン」。この歳になって、ベビースターラーメンか。ポリポリ食べるが、チキンの風味が利いていて美味い。これは永遠のB級駄菓子であろう。
イタリアン料理の店が空いていた。しかしテーブルに着くと、いまはケーキセットしかないという。ああもう、ここも食事ができないのか!
私は駅前に戻る。鹿児島空港行きの直行バスがある。これに乗れば簡単だが、空港に行ってから時間を持て余す。バカバカしいようでも、鹿児島中央を経由しなければならないのである。
あー腹減った。指宿ビジターセンターが入っている指宿公園の向かいに、スーパー「タイヨー」があるが、私はいま、左手に別のスーパーの袋をぶら提げているので、ちょっと入りにくい。
仕方ない。私はHottoMottoに入った。「竹・幕の内弁当」490円をオーダーする。これは白飯が炊きこみご飯に替えられる。桂三枝がCMでやっているやつだ。まさか指宿まで来て、この弁当を買うとは思わなかった。
公園にお邪魔し、ベンチに座って幕の内弁当を食べる。ベンチでの食事は2度目だ。
腹もくちて駅前に戻る。バス停の時刻表を改めて見るが、知覧行きのバスは、途中で喜入(きいれ)に寄っていた。そこでJRに乗り換える手もあったようだ。いずれにしてももう少し、鹿児島中央行きのルートを検討するべきだった。
16時33分の鹿児島中央行きが来た。ここまでホントに、長かった。バスはJR指宿枕崎線に沿って走る。左手に鉄路、右手に海岸線を見ながら走るシチュエーションはオツなものだ。
定刻6分遅れの18時16分、バスは鹿児島中央バスターミナルに到着した。
ここからすぐ鹿児島空港に向かうのは味がわるい。直行便の最終は19時00分である。私はもう一度、きのう入った中華料理店に向かった。
一番街商店街は、店が閉まるのが早い。まだ6時を過ぎたばかりなのに、きょうも各所でシャッターが下りていた。
かの店も、店を閉めそうな雰囲気があった。しかしまだ開店中である。私はすべりこみで入店し、チャンポンを頼んだ。
おばちゃんはきのうのように手早く調理を済ませると、モノスゴイ量のチャンポンを出してきた。いざ目にすると、圧倒される。一口そばをすするが、美味い! しかし、空腹ならもっと美味かったはずだ。こんなことなら、指宿で幕の内弁当を食べるんじゃなかった。
「ご旅行ですか?」
珍しく、おばちゃんが話しかけてきた。これは初めてのことだった。
(つづく)
女主人は、それでよかったのよ、と、妙な慰め方をしてくれた。
名残惜しいが、女主人とはここでお別れ。11時30分の東大川行きバスに乗る。乗客は私を含め3人。ゴールデンウイークの最終日。さすがに乗客は少ない。
バスは枕崎市内をのんびりと走る。うつらうつらしてくるが、これぞ旅行の醍醐味、至福の時である。
12時01分、東大川着。広大な転車場にもう1台バスが来て、そちらに乗り換えた。12時12分、東大川発。乗客はひとり減って、2人になった。少し走ったところでその客が降り、客は私だけになった。旅行5日目にして、初の貸し切り状態である。
しかしその後、ボチボチ客が乗ってきた。それでよい。ローカルバスは客のノリがすべてである。
きのう買った2リットルの緑茶をスーパーの袋から出し、ごくごく飲む。次のバス停は「砂むし会館前」である。私がいつも利用している「砂むし温泉・砂楽」の最寄りだ。しかし誰も降車ボタンを押さない。チキンレースに負けたようだが、私がボタンを押した。
ところが「砂むし会館前」で下車したのは私ひとりだった。ちょっと意外である。
「砂楽」の2階で受付をするが、先客が誰もいない。閑散としすぎてないか。
1階に下りて、脱衣所に入る。しかしここも、客がひとりもいなかった。昨年来たときは、150近くあるロッカーがすべて塞がり、服を脱ぐことさえままならかった。日にちが違うといえばそれまでだが、極端すぎる。
浴衣に着替えて、浜に出る。と、いつもは塀際のテント下に招かれるのに、今年は波打ち際に招かれた。いまの時間は干潮で、客はそちらに招んでいるらしい。砂むし温泉は6~7回目になるが、これは初めての経験である。
横になって砂をかけてもらう。とたんにじんわりと、汗が出てきた。ミニパラソルで日射しが遮られ、まぶしさはない。空は雲ひとつない快晴である。水晶体が濁っているから、糸くずが視界を動いている。静寂なひととき。
指先がドクドクいって、血液が体中を巡っているのが分かる。砂むし温泉の効能は、温泉入浴の4倍の効果があるらしい。その数字に裏付けがあるのかどうか分からぬが、全身からじっとり汗が出てくると、毒素が抜けていく感覚がある。とくに最近の私は肥満状態なので、ひときわその感が強い。
温泉といえば中倉宏美女流二段だが、砂むし温泉はどうなのだろう。中井広恵女流六段か、藤森奈津子女流四段というところか。思い切って山下カズ子女流五段という手もある。
もう15分くらい経ったろうか。私の左で、私より一足先に埋まった初老の夫婦は、上がるどころか、砂を足してもらっている。しかし順番からいっても、私はあの夫婦より先に上がるわけにはいかない。
係のおばちゃんがご夫婦に、
「あまり浸かりすぎると、立ちくらみを起こすことがあるから気をつけてくだいね」
と注意を促す。それから2、3分経って、ふたりはようやく起き上った。私もすかさず続く。
20分くらい蒸されていたろうか。もう浴衣はグッショリである。そう、ここの砂むし温泉に入ったら、さすがの山口恵梨子ちゃんもグッショリである。
宏美女流二段もグッショリグッショリである。
室谷由紀ちゃんもグッショリグッショリグッショリである。
そして中井女流六段も、グッショリグッショリグッショリグッショリである。
そのまま大風呂に直行する。サッパリして砂楽を出、再び砂浜に向かう。30人近くの客が、砂に埋まっていた。そのとき、浜に
「きょうは13:30から、波打ち際での砂むし温泉になります」
の看板が立てられていたことに気付いた。ということは、私がバスに乗り遅れなければ、波打ち際に入れなかったということだ。遅れてよかったと思った。
砂楽の先に、うまいラーメンを食わせる中華料理屋がある。そこに向かったが、準備中になっていた。残念。私はそのまま、JR指宿駅に向かう。
時刻は午後2時35分になっていた。駅前にバスの案内所があるので、鹿児島中央行きの時刻を確認する。すると、15時18分のバスは休日で運休となっていた。その次は16時33分である。マジか!? これは計算外だった。
芸能人ではないか、と見紛うモノスゴイ美形の女性職員に聞いてみるが、鹿児島中央行きはやはり、その時間までないとのことだった。
朝のバスを間違えなければ、13時48分のバスで鹿児島中央まで行けたのに、何てことだと思う。もっともその場合、指宿の中華料理屋で昼食を摂っていたろうから、どの道13時48分のバスには乗れなかったかもしれない。
知覧行きのバスが来た。しかし知覧は一度行ったことがあるし、第一知覧まで行ったら、そのあとのスケジュールに支障を来たすかもしれない。きょうは鹿児島空港20時35分発のANA便に乗るから、とにかく鹿児島中央駅には戻っておきたい。
JRの列車も調べるが、次の15時01分発は「特急たまてばこ」で、通常料金のほかに特急料金まで取られる。これは意地でも乗れないところである。
とりあえず昼食だ。しかし駅付近の食事処も申し合わせたように、どこも準備中だった。
何か食べ物はないか。そうだ、砂の祭典のビンゴゲームでもらったスナック菓子が、もうひと袋あった。「ベビースターラーメン」。この歳になって、ベビースターラーメンか。ポリポリ食べるが、チキンの風味が利いていて美味い。これは永遠のB級駄菓子であろう。
イタリアン料理の店が空いていた。しかしテーブルに着くと、いまはケーキセットしかないという。ああもう、ここも食事ができないのか!
私は駅前に戻る。鹿児島空港行きの直行バスがある。これに乗れば簡単だが、空港に行ってから時間を持て余す。バカバカしいようでも、鹿児島中央を経由しなければならないのである。
あー腹減った。指宿ビジターセンターが入っている指宿公園の向かいに、スーパー「タイヨー」があるが、私はいま、左手に別のスーパーの袋をぶら提げているので、ちょっと入りにくい。
仕方ない。私はHottoMottoに入った。「竹・幕の内弁当」490円をオーダーする。これは白飯が炊きこみご飯に替えられる。桂三枝がCMでやっているやつだ。まさか指宿まで来て、この弁当を買うとは思わなかった。
公園にお邪魔し、ベンチに座って幕の内弁当を食べる。ベンチでの食事は2度目だ。
腹もくちて駅前に戻る。バス停の時刻表を改めて見るが、知覧行きのバスは、途中で喜入(きいれ)に寄っていた。そこでJRに乗り換える手もあったようだ。いずれにしてももう少し、鹿児島中央行きのルートを検討するべきだった。
16時33分の鹿児島中央行きが来た。ここまでホントに、長かった。バスはJR指宿枕崎線に沿って走る。左手に鉄路、右手に海岸線を見ながら走るシチュエーションはオツなものだ。
定刻6分遅れの18時16分、バスは鹿児島中央バスターミナルに到着した。
ここからすぐ鹿児島空港に向かうのは味がわるい。直行便の最終は19時00分である。私はもう一度、きのう入った中華料理店に向かった。
一番街商店街は、店が閉まるのが早い。まだ6時を過ぎたばかりなのに、きょうも各所でシャッターが下りていた。
かの店も、店を閉めそうな雰囲気があった。しかしまだ開店中である。私はすべりこみで入店し、チャンポンを頼んだ。
おばちゃんはきのうのように手早く調理を済ませると、モノスゴイ量のチャンポンを出してきた。いざ目にすると、圧倒される。一口そばをすするが、美味い! しかし、空腹ならもっと美味かったはずだ。こんなことなら、指宿で幕の内弁当を食べるんじゃなかった。
「ご旅行ですか?」
珍しく、おばちゃんが話しかけてきた。これは初めてのことだった。
(つづく)