一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

文化祭1982(中編)

2012-08-14 00:05:35 | 将棋ペンクラブ
まずこちらの文化祭にT女の将棋部員を招待し、次の週のT女の文化祭にはこちらの部員が伺う、という寸法である。
どういう経緯でこの話がまとまったのか定かではない。ただ、「棋界のプリンス」氏のおばにあたる方がT女将棋部の顧問をされており、その関係から今回の交流が決まった可能性はあった。
それにしても意外だったのは、花の女子校にオジサン趣味の代名詞である将棋部が存在していたことだ。何もこんな地味なクラブを創らなくても、女子校ならもっと女の子の華やかさを活かしたクラブがいくらでもあるだろう。なぜ将棋部だったのか、私は首を傾げた。
しかし理由はどうあれ、数多いクラブの中からわざわざ将棋部に入部してくれた彼女らには、感謝の一語である。他校だけれど、拝みたくなるような気持ちであった。
女性が将棋を指す。いや、指していただいている。この事実に男性はもっと感謝の心を持たなければいけない。この時私は、将棋を指す女性は一生涯、無条件で応援しよう、と誓ったのだった。
11月3日になった。
さすがに今年は、指導にいらっしゃる棋士より、T女将棋部の来校のほうが気になる。
彼女らがいつ来るかは知らされていなかったが、昼前に2年生の部長を含めた、4人の部員が訪れた。実質男子ばかりの将棋部に、自らの意思で将棋を指す女子が入室した、歴史的瞬間であった。
しかしこういう時に限ってこちら側は先輩が不在で、室内には私も含めて部員が3、4人しかいない。
女子高生への免疫がない私はおろおろするばかり。しかも後輩も後輩で、彼女らをそっちのけで、私に「部長、ボクと将棋指しましょうよォ」などと頓珍漢なことを言ってくる。
しかし私も私で、「こんな時にバカかお前」と言いながら、ついその相手をしてしまう。彼女らの相手をしなければと思いつつ、その手段が分からない私は、将棋という殻に逃げてしまったのだ。
その結果、手持ち無沙汰になった彼女らはてんでに教室を出て行ってしまった。きっと模擬店回りでもするのであろう。ああ…私は何をやってるのだ。せっかくのチャンスだったのに!
私は気もそぞろのまま後輩を負かし教室を出る。すると、部長を名乗っていた先ほどの女子が、さびしそうな表情でひとり窓外を眺めていた。てっきり彼女もみんなと遊びに行ったと思ったから、これは意外だった。「部長」という肩書きは、ほかの部員と距離をもたせてしまうのだろうか。
彼女は色白の美人だった。どこか冷めた雰囲気もあり、すっと伸びた背中やその横顔は、一枚の絵画を思わせる。
しかし見とれている場合ではない。彼女に声を掛ける千載一遇のチャンスが、再び訪れたのだ。将棋部部長として、同じ部長の彼女を連れて校内を案内することに、何の不自然さもない。自校の女子には目もくれず、他校の女子と文化祭デートなんて、オシャレではないか。将棋を始めたキッカケは何ですか? 彼女は何て答えるのだろう。いや将棋の話なんてヤボだ。芸能界のことなどでおしゃべりに興じるのがよい。そしてそんな私たちの仲睦まじい姿を級友に見せつけ、その反応を楽しむのも愉快ではないか。
しかしこの1年半、女子生徒との会話が全くなかったハンデは、私の想像以上に酷いことになっていた。情けないことに、どうしても彼女に声を掛けることができないのだ。
「どこか遊びに行きましょうか」
この一言が言えない。さんざん逡巡した挙句、私は踵を返し、再び教室に篭もってしまったのだった。もしタイムマシンがあったなら、このときの自分に叱咤したい。ここで動かなきゃ男じゃないぞ!! と。
ともあれこれは、私のその後の人生を象徴するような、哀しい出来事であった。
午後になり、前年に続いて指導の先生が見えた。しかしT女の女子は対局を遠慮したため、今年も我が部員だけの対局となってしまった。
私は先輩から、「自分に厳しい手合いにしてもらったほうが勉強になるよ」とアドバイスを頂いていので、恐れ多くも飛車香落ちを所望したが、善戦空しく、敗れてしまった。
結局この日は、肝心のT女と将棋を指すことはなかった。彼女らは果たしてこの文化祭を楽しんでくれただろうか。恐らく否、だったと思う。
翌週になった。今度はこちらが出向く番だ。私のほかには同輩や後輩が3、4人同行したと思う。
最寄駅に着くと、見覚えのあるT女の部員がわざわざ迎えに来てくれていた。早くも一本取られた形である。
「こんにちは。金田賢一です」
私がそう言うと、女子部員がケラケラ笑う。実は前回会ったとき、女子部員のひとりに、金田賢一に似ていると言われたのだ。
彼女らに先導され校門をくぐると、夢のような光景が待っていた。
右を向いても左を見ても、どこを見ても女子、女子、女子である。あっちこっちで黄色い声が飛び交い、はじけるような活気があふれている。生徒の2割以下が女子の我が校とは雲泥の差である。
校庭に出店している模擬店も、飾り付けが華やかだ。さすがは天下の女子校であった。
教室に入ると部員が何人かいて、私たちに挨拶をくれる。感激である。
顧問のおばさまもいらっしゃった。事前に聞いたお名前でもしやと思ってはいたが、おばさまはその何年か前のNHK杯将棋トーナメントに、聞き手としてゲスト出演された方だった(NHK杯の司会兼聞き手といえば、いまでこそ女流棋士や永井英明・近代将棋会長が思い浮かぶが、それ以前は、各界の著名人が聞き手を務めていたのだ)。
ちなみにこのときの解説者は「棋界のプリンス」氏のお師匠さんで、聞き手におばさまが選ばれたのも、むべなるかな、であった。
私が「大山康晴十五世名人が17手詰めを1秒で解いた、と話されていたのが印象に残っています」と言うと、おばさまは「あらよく憶えていらっしゃる」と喜んでくださった。
教室内は女子校らしくカラフルな飾り付けが施されており、将棋の暗いイメージはまったくない。
壁には詰将棋が何題か張り出されてあり、正解すると将棋駒のキーホルダーが貰える仕組みになっていた。
私たちも考えてみるが、なかなか解けない。それでも何とか正解を導いて景品を頂戴したが、却って棋力不足を露呈してしまい、なんだか虚しかった。
後輩たちは模擬店などを見に行き、ひとり残った私は顧問のおばさまと将棋を指すことになった。しかし「門前の小僧」ではないが、棋士の親戚だけあって、おばさまはさすがに強い。終盤までいい勝負で最後はこちらが幸いしたが、いま思えば、部長の顔を潰してはならないと、おばさまが緩めてくれたのかもしれない。
しばらくすると、ある若手棋士がふらりと入ってきた。彼はその2年前に奨励会三段から9連勝で四段になった、服のセンスも素晴らしい10代のゴールデンルーキーだった。
この日は白いセーターを着ていたが、私が着ると貧弱に見えそうなのに、彼が着ていると一流ブランドに見えるから不思議だった。傍にいる女子部員も、その若手棋士を憧れの目で見ている。
彼は私が悪戦苦闘した詰将棋を一瞥すると、数秒後に「アッ、▲3三歩成ですね」と言った。
彼にとってはこの程度の詰将棋は朝飯前だろうが、こちらとしては才能の違いをあからさまに見せつけられたようで、面白くない。
彼との年齢はほとんど変わらないのに、彼はすでに一人前の収入を得、対してこちらは男クラという劣悪な環境の中、毎日さえない将棋を指している。
住んでいる世界が全く違う感じで、私はひどい劣等感を覚えた。
彼は景品を受け取らず風のように教室を後にし、私はT女の部長と一局、ということになった。
思えば高校に入学して1年半。学校が違うはいえ、ついに女子高生と盤を挟むという夢が実現したのだ。
(つづく)
コメント (2)
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