一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

将棋の素晴らしさ

2012-08-04 00:52:26 | プライベート
ロンドンオリンピックのネタをもう1本。7月30日に行われた柔道66kg級の準々決勝・海老沼匡選手(白)とチョ・ジュンホ(韓国)選手(青)の一戦は、延長戦まで戦ったが決着がつかず、旗判定となった。
判定は青3本。私は延長戦のところだけ観ていたのだが、この直前、海老沼選手が有効を取ったものの、審議の末無効になっていた。私にはそれが頭にあったから、てっきり海老沼選手の勝利とフンでいた。ゆえに、この結果には驚いた。
しかしもっと驚いたことは、「ジュリー」なる審判委員の「物言い」で、判定が覆ってしまったことだった。
国際試合で主審と副審の判定が信用されず、星がひっくり返るなんて、聞いたことがない。日本が勝ったのはめでたいが、何か釈然としない感じである。
各ニュースを読むと、「全体的な試合運びを見ると、チョが勝ちになってもおかしくない」というのもあったし、「この試合の主審が日本人嫌いだから、判定になったら日本に勝ち目はなかった」とかいう談話もあった。
審判が日本嫌いかどうかは置いておくとして、ここで注目したいのは、審判の主観で勝敗が決まる恐ろしさ、である。
同じ競技を見ていながら、ある審判は白が勝ちといい、ある審判は青が勝ちという。しかしどちらかは明確に誤審をしているわけで、多数決によってそれがまかり通ってしまう危険性に、私は恐怖を覚える。
しかもそこに、審判の国民的感情が入ってくる。これでは正常な判定をしろというほうが無理だ。
今オリンピックでは、数々の誤審があるようである。ここは将棋ブログなのでいちいち記さないが、不運な判定に泣いた選手も多いのではなかろうか。
その点、水泳はいい。判定は機械が行うから、誤審がない。選手の実力が数字にハッキリと表れるから、分かりやすい。競技はこうでなくてはいけないと思う。
では、将棋はどうか。将棋は基本的に、審判自体がいらない。これは素晴らしいことだ。
盤外で何があっても、盤上ではホームもアウェーもなく、すべて平等の戦いである。どんな戦法を採っても、どんな戦い方をしても構わない。また柔道のように、延長戦の末、旗判定ということもない。これ、将棋では持将棋にあたるだろうが、その判定は駒数で分かるから、何のトラブルも発生しない。
とにかく勝敗に関しては、審判による運不運は存在しない。己の実力がすべてである。「負けました」で決着するから、敗者からの不服も出ない。
勝敗の分かりやすさ、潔さ。これがあるから、私は将棋を続けているのかもしれない。

さて、これから女子サッカーでも観ようか。
コメント (8)
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