将棋ジャーナリストの山田史生(ふみお)氏が、7月9日、亡くなった。享年76歳。
山田氏は元読売新聞文化部の記者で、1971年より十段戦(竜王戦の前身)の担当となり、各方面で活躍した。当時の観戦記は陣太鼓氏(山本武雄九段)の独壇場で、翌年、山帰来氏(太期喬也)が加わったものの、山田氏の観戦記はそれほどなかったと思われる。
私が十段戦の観戦記を読み始めたのは1979年からだが、山田氏のそれを初めて読んだのは、同年の第18期十段リーグ・大山康晴十五世名人対桐山清澄八段の一戦だった。
当時山田氏が読売新聞の記者だとは知らなかったが、ペンネームではなく本名で書いていることにまずは好感を抱いた。その文章は抑えた筆致で表現も的確、ひじょうに読みやすく感じた。
その山田氏が読売新聞の記者と後年分かり、さもありなんと思った。記者は文章を書くのが仕事だから、文章表現に長けている。棋士や専門の観戦記者とは一味違う、格調の高さがあるのだ。
その後も山田氏の観戦記は年に1、2度しか読む機会がなかったが、そのどれも安定感があり、抜群におもしろかった。
そんなある年の観戦記で、「感想戦」とサブタイトルをつけた最終譜に、感想戦をろくに聞かない記録係(奨励会員)に苦言を呈したことがあった。山田氏にしては珍しいが、棋士や将棋関係者の顔色ばかり窺ってゴマスリの観戦記しか書かない観戦記者とは一線を画した、実に小気味いいものであった。
山田氏は竜王戦の創設に尽力し、読売新聞社を退社し会友になったあとは、観戦記者の仕事のほかに、「囲碁将棋チャンネル・まるごと90分」の司会も務めた。将棋ペンクラブ大賞では、2007年の第19回に佳作を受賞しているが、このとき会報に載ったのが、当時囲碁将棋チャンネルに出演していた児玉多恵子さん、戸塚貴久子さんとの3ショット写真であった。そしてこのふたりがミス日本級の凄まじい美しさで、口元の笑みを抑えきれてない山田氏を、このときほどうらやましく思ったことはなかった。
なお将棋ペンクラブ大賞の「佳作」は、このときの山田氏の提言を採用し、以降「優秀賞」と名称を変えた。
山田氏とは将棋ペンクラブ大賞贈呈式で、何度かお目にかかったことがある。私のような観戦記マニアには雲の上の存在で、口を利くのも憚られるが、何度かお話をさせていただいた。
ここ数年は、竜王戦七番勝負の第2局での観戦記が多いようですが…と問うと、七番勝負では好きな局を書いていいって言われていて、それで第2局をたまたま選んでいる…というようなことを答えられた。それはふだんの文章に似て、実に穏やかな口調だった。
それから私は、十段戦や竜王戦の観戦記者を何人か挙げると、その方々の観戦記うらばなし、のようなものも聴かせていただくことができた。その内容は、もちろん誰にも教えない。
そんな山田氏は、最近は観戦記の執筆もなく、私は好きな将棋を趣味に、悠々自適の生活を送られていると理解していたから、今回の訃報はただただ驚いた。
私事になるが、父と山田氏は同年代で、名前の読みが同じである。なんだか心の父を喪ったようで、さびしい。
あの世には、一足先に旅立った将棋関係者がいっぱいいる。いまごろは大勢の人と、再会を懐かしんでいるのだろう。
心よりご冥福をお祈りいたします。
山田氏は元読売新聞文化部の記者で、1971年より十段戦(竜王戦の前身)の担当となり、各方面で活躍した。当時の観戦記は陣太鼓氏(山本武雄九段)の独壇場で、翌年、山帰来氏(太期喬也)が加わったものの、山田氏の観戦記はそれほどなかったと思われる。
私が十段戦の観戦記を読み始めたのは1979年からだが、山田氏のそれを初めて読んだのは、同年の第18期十段リーグ・大山康晴十五世名人対桐山清澄八段の一戦だった。
当時山田氏が読売新聞の記者だとは知らなかったが、ペンネームではなく本名で書いていることにまずは好感を抱いた。その文章は抑えた筆致で表現も的確、ひじょうに読みやすく感じた。
その山田氏が読売新聞の記者と後年分かり、さもありなんと思った。記者は文章を書くのが仕事だから、文章表現に長けている。棋士や専門の観戦記者とは一味違う、格調の高さがあるのだ。
その後も山田氏の観戦記は年に1、2度しか読む機会がなかったが、そのどれも安定感があり、抜群におもしろかった。
そんなある年の観戦記で、「感想戦」とサブタイトルをつけた最終譜に、感想戦をろくに聞かない記録係(奨励会員)に苦言を呈したことがあった。山田氏にしては珍しいが、棋士や将棋関係者の顔色ばかり窺ってゴマスリの観戦記しか書かない観戦記者とは一線を画した、実に小気味いいものであった。
山田氏は竜王戦の創設に尽力し、読売新聞社を退社し会友になったあとは、観戦記者の仕事のほかに、「囲碁将棋チャンネル・まるごと90分」の司会も務めた。将棋ペンクラブ大賞では、2007年の第19回に佳作を受賞しているが、このとき会報に載ったのが、当時囲碁将棋チャンネルに出演していた児玉多恵子さん、戸塚貴久子さんとの3ショット写真であった。そしてこのふたりがミス日本級の凄まじい美しさで、口元の笑みを抑えきれてない山田氏を、このときほどうらやましく思ったことはなかった。
なお将棋ペンクラブ大賞の「佳作」は、このときの山田氏の提言を採用し、以降「優秀賞」と名称を変えた。
山田氏とは将棋ペンクラブ大賞贈呈式で、何度かお目にかかったことがある。私のような観戦記マニアには雲の上の存在で、口を利くのも憚られるが、何度かお話をさせていただいた。
ここ数年は、竜王戦七番勝負の第2局での観戦記が多いようですが…と問うと、七番勝負では好きな局を書いていいって言われていて、それで第2局をたまたま選んでいる…というようなことを答えられた。それはふだんの文章に似て、実に穏やかな口調だった。
それから私は、十段戦や竜王戦の観戦記者を何人か挙げると、その方々の観戦記うらばなし、のようなものも聴かせていただくことができた。その内容は、もちろん誰にも教えない。
そんな山田氏は、最近は観戦記の執筆もなく、私は好きな将棋を趣味に、悠々自適の生活を送られていると理解していたから、今回の訃報はただただ驚いた。
私事になるが、父と山田氏は同年代で、名前の読みが同じである。なんだか心の父を喪ったようで、さびしい。
あの世には、一足先に旅立った将棋関係者がいっぱいいる。いまごろは大勢の人と、再会を懐かしんでいるのだろう。
心よりご冥福をお祈りいたします。