次は今泉健司四段のスピーチである。
「奨励会は辛かったです。介護の世界に入って、笑うことを覚えました。幸せが幸せを呼ぶんですね」
苦労人らしい、じんわりするスピーチだった。
続いて藤井猛九段。藤井九段はボソボソとしゃべる解説が絶品で、今回も面白いことをしゃべってくれると期待していた。
「角交換四間飛車は指し方が難しいんです。でもある時、(その戦法で)2連勝した。たった2連勝ですよ。そうしたら、浅川書房の浅川さんから連絡がきたんですね。『角交換四間飛車の完成ですね!』。いや完成じゃねぇよ(笑)。でも、中級者向けになら、本を書けると思ったわけです」
著書の依頼時にも、いろいろドラマはあったのだ。
最後は村山慈明七段。
「渡辺竜王―森内名人の竜王戦七番勝負で、△5三銀右戦法が指されました。この本が出たのは、その9か月後だったんです。もし同時期に出ていたら、ミリオンセラーになっていました」
と会場の爆笑を誘った。
ここで記念撮影となる。皆さん晴れ晴れとした顔だ。私もスマホで1枚撮った。
続いて所司和晴七段による乾杯の音頭である。…が、やはり所司七段からも寸評が語られた。所司七段も最終選考委員の一人なので、これはまあ、当然だろう。
しかしこれが長い。「昔原田、今所司」で、冒頭の西上心太氏と同じくらい時間がかかっている。ビールの泡はなくなり、我慢できずに口を付けた参加者もいた。
コメントは前二方と大同小異だったが、ご自分のイチオシを、をハッキリ述べた。ひとつだけ書けば、技術部門は、村山七段の著書を推していた。
午後7時10分に乾杯。音楽隊による生演奏が流れ、これでやっと歓談に入る。といっても、私に知己はあまりいないし、自分から語り掛けるタイプではないので、所在投げに佇むだけである。
料理を取りにいくが、今年の料理は昨年よりオシャレになって品数も増え、寿司も昨年の巻き寿司メインから、握り寿司メインに替わっていた。幹事連中も、相当張り込んだようである。
藤井九段が私の横を通ったが、私はやはり動かない。藤井九段はそのまま、女流棋士のところに行った。
と、藤田麻衣子さんがこちらに来て、私と目が合った。
「お久しぶりですね。本当にお久しぶり」
と藤田さん。藤田さんが現役を引退したのは2010年3月である。その後も何度かお会いしているはずだが、直近がいつだかは思い出せない。
「本当に久しぶりですね。お互いLPSAから離れちゃったんで、お会いできる場所がなくなっちゃいましたよね」
このブログのコアな読者には常識だが、私のココロの女性師匠は、藤田さんである。これは、私が女流棋士に初めて指導対局を受けたのが藤田さんだったことによる。また文章の達人という面でも、敬意を払っている。
参考までに、ココロの姉弟子は上川香織女流初段、男性棋士のココロの師匠は真部一男九段、ココロの兄弟子は植山悦行七段となっている。
「先生の観戦記、佐藤―永瀬戦が、今朝まで読売に載ってましたね」
「そうなんですか?」
「…ご存じないんですか?」
藤田さん、ご自分の観戦記は恥ずかしくて、活字で読むことがないという。その気持ち、分からぬでもない。
「今回の受賞作、あれは将棋が面白すぎた」
私はさらに続ける。「先生の本領は、つまらない将棋を名局に昇華させるところにあります。今度はそういった観戦記を読みたいですね」
弟子がエラソーなことを言ってしまった。
傍らでは、指導対局が始まった。熊倉紫野女流初段と渡部愛女流初段が所定の位置に座る。
それぞれ3面指しで、時間の関係上、先着6名で締切りとなるだろう。私は5月の関東交流会で熊倉女流初段に教えていただき損なったから、今回は教えてもらいたい。
とはいっても、自分からズカズカ対局の椅子に座るほど、私は積極的ではない。誰かが私の背中を押してくれ、照れながら椅子に座るのが理想だ。
熊倉女流初段の前に1人座った。渡部女流初段の前はすでに3人座っている。さすがにLPSAの指導対局女王だ。あ、熊倉女流初段の前に木村晋介会長が座った。
もうダメだ、残り1席となっては、自発的に座るしかない。私はおずおずと熊倉女流初段の前に座った。
と、左の男性が
「ブログ読んでます」
と言う。
「顔バレしてますか? 私」
「いや、胸の名札で…」
「あっ」
それにしても、そうか…。私のブログもけっこう読まれてるんだなあ。
その男性氏は二枚落ち。その左の木村会長は、飛車落ちだった。右の渡部女流初段のところは、3局とも駒落ちだった。
熊倉女流初段と目が合う。駒を並べ、
「平手でよろしいでしょうか」
と申し出る。「ほか(の2局)が駒落ちだから、先生も平手を指したいでしょ?」
「……」
初対面の女流棋士にこんな失礼な言葉を吐く下手もいないだろう。
ともあれ平手戦で、指導対局が始まった。
(つづく)
「奨励会は辛かったです。介護の世界に入って、笑うことを覚えました。幸せが幸せを呼ぶんですね」
苦労人らしい、じんわりするスピーチだった。
続いて藤井猛九段。藤井九段はボソボソとしゃべる解説が絶品で、今回も面白いことをしゃべってくれると期待していた。
「角交換四間飛車は指し方が難しいんです。でもある時、(その戦法で)2連勝した。たった2連勝ですよ。そうしたら、浅川書房の浅川さんから連絡がきたんですね。『角交換四間飛車の完成ですね!』。いや完成じゃねぇよ(笑)。でも、中級者向けになら、本を書けると思ったわけです」
著書の依頼時にも、いろいろドラマはあったのだ。
最後は村山慈明七段。
「渡辺竜王―森内名人の竜王戦七番勝負で、△5三銀右戦法が指されました。この本が出たのは、その9か月後だったんです。もし同時期に出ていたら、ミリオンセラーになっていました」
と会場の爆笑を誘った。
ここで記念撮影となる。皆さん晴れ晴れとした顔だ。私もスマホで1枚撮った。
続いて所司和晴七段による乾杯の音頭である。…が、やはり所司七段からも寸評が語られた。所司七段も最終選考委員の一人なので、これはまあ、当然だろう。
しかしこれが長い。「昔原田、今所司」で、冒頭の西上心太氏と同じくらい時間がかかっている。ビールの泡はなくなり、我慢できずに口を付けた参加者もいた。
コメントは前二方と大同小異だったが、ご自分のイチオシを、をハッキリ述べた。ひとつだけ書けば、技術部門は、村山七段の著書を推していた。
午後7時10分に乾杯。音楽隊による生演奏が流れ、これでやっと歓談に入る。といっても、私に知己はあまりいないし、自分から語り掛けるタイプではないので、所在投げに佇むだけである。
料理を取りにいくが、今年の料理は昨年よりオシャレになって品数も増え、寿司も昨年の巻き寿司メインから、握り寿司メインに替わっていた。幹事連中も、相当張り込んだようである。
藤井九段が私の横を通ったが、私はやはり動かない。藤井九段はそのまま、女流棋士のところに行った。
と、藤田麻衣子さんがこちらに来て、私と目が合った。
「お久しぶりですね。本当にお久しぶり」
と藤田さん。藤田さんが現役を引退したのは2010年3月である。その後も何度かお会いしているはずだが、直近がいつだかは思い出せない。
「本当に久しぶりですね。お互いLPSAから離れちゃったんで、お会いできる場所がなくなっちゃいましたよね」
このブログのコアな読者には常識だが、私のココロの女性師匠は、藤田さんである。これは、私が女流棋士に初めて指導対局を受けたのが藤田さんだったことによる。また文章の達人という面でも、敬意を払っている。
参考までに、ココロの姉弟子は上川香織女流初段、男性棋士のココロの師匠は真部一男九段、ココロの兄弟子は植山悦行七段となっている。
「先生の観戦記、佐藤―永瀬戦が、今朝まで読売に載ってましたね」
「そうなんですか?」
「…ご存じないんですか?」
藤田さん、ご自分の観戦記は恥ずかしくて、活字で読むことがないという。その気持ち、分からぬでもない。
「今回の受賞作、あれは将棋が面白すぎた」
私はさらに続ける。「先生の本領は、つまらない将棋を名局に昇華させるところにあります。今度はそういった観戦記を読みたいですね」
弟子がエラソーなことを言ってしまった。
傍らでは、指導対局が始まった。熊倉紫野女流初段と渡部愛女流初段が所定の位置に座る。
それぞれ3面指しで、時間の関係上、先着6名で締切りとなるだろう。私は5月の関東交流会で熊倉女流初段に教えていただき損なったから、今回は教えてもらいたい。
とはいっても、自分からズカズカ対局の椅子に座るほど、私は積極的ではない。誰かが私の背中を押してくれ、照れながら椅子に座るのが理想だ。
熊倉女流初段の前に1人座った。渡部女流初段の前はすでに3人座っている。さすがにLPSAの指導対局女王だ。あ、熊倉女流初段の前に木村晋介会長が座った。
もうダメだ、残り1席となっては、自発的に座るしかない。私はおずおずと熊倉女流初段の前に座った。
と、左の男性が
「ブログ読んでます」
と言う。
「顔バレしてますか? 私」
「いや、胸の名札で…」
「あっ」
それにしても、そうか…。私のブログもけっこう読まれてるんだなあ。
その男性氏は二枚落ち。その左の木村会長は、飛車落ちだった。右の渡部女流初段のところは、3局とも駒落ちだった。
熊倉女流初段と目が合う。駒を並べ、
「平手でよろしいでしょうか」
と申し出る。「ほか(の2局)が駒落ちだから、先生も平手を指したいでしょ?」
「……」
初対面の女流棋士にこんな失礼な言葉を吐く下手もいないだろう。
ともあれ平手戦で、指導対局が始まった。
(つづく)