野月浩貴八段は渡部愛女流王位にお祝いを述べた後、ふたりで行った勉強方法を語り始めた。渡部女流王位から、野月八段に語ってほしい、と要望があったようである。
「私と渡部さんは同じ北海道出身、同郷ということで、親しくしていました。2年半前、1通のメールが来まして、それが渡部さんでした」
早くもおもしろくなりそうな導入である。「それには、『私は伸び悩んでいる、今年中にタイトルを取りたい』と書いてありました。それで私は2つ質問したんですね。ひとつは、タイトル挑戦で満足するのか。もうひとつは、実戦で勉強して強くなるのか。それとも(自分の将棋を)一からやり直すのか。
渡部さんの答えは、タイトル挑戦では満足しない、自分の将棋を一から見直す、というものでした。それで私は、『コーチと選手』という形で、やらせていただいた」
野月八段は渡部女流二段(当時)の将棋を分析し、また彼女にも、自己分析できるよう促したという。
「感心したのは」と野月八段は続ける。「渡部さんがあまり遊びにも行かず、飲みにも行かず、将棋の勉強に専念したことです」
このあたりは私も思い当たるフシがある。私もこの時期に何度か、渡部女流二段に指導対局等でお世話になったが、よく将棋を勉強してるなあ、という雰囲気があったからだ。私は、渡部女流二段がいつタイトル戦に登場しても不思議ではない、と思ったものだ。
野月八段は渡部女流二段に、自分で考える時間を増やす、読みが浅いところは深く考える、そして指した将棋の内容を精査するよう、促した。渡部女流二段はそれに応え、みるみるうちに成績が上がっていった。
野月八段は2016年度と2017年度の、渡部女流二段の成績を述べる。それぞれ19勝5敗、18勝10敗で、勝率も勝数も上位だった。
そして今年3月、ついに渡部女流二段は、女流王位戦登場を決めたのだ。
「渡部さんは、対振り飛車、対中飛車に不安がありました」
ここで2人は、今度は里見女流王位の将棋を徹底的に研究したという。「でもある時、渡部さんが里見さんの将棋を出してきましてね。私は渡部さんに聞きました。これでいいのか、と」
この辺のやりとりがいま一つよく分からないのだが、野月八段には、渡部女流二段が里見女流王位のデータを収集しすぎて、それに固執してしまうのはどうか、という危惧があったのではないか。
「それで里見さんの指し手からデータを取るのは止め、渡部さんらしい指し手を考えました。
(お互い)優っている部分がある。優っているほうを出すようにしましょう、ということになりました。
この辺りは、私も日本将棋連盟の人間だし、ネットもあるから詳しく言えないんですけれども――」
辺りは水を打ったように静かになっている。「里見さんは序盤巧者なので、それを阻む。また終盤で『出雲のイナズマ』が出るのは限られた状況なので、それを出させないようにする、そんなふうに指導しました」
何だか野月八段、結局秘密事項を、暴露してくれたんじゃないか?
ともあれふたりの研究が実り、渡部女流二段は里見女流王位からタイトルを奪取したのだった。
「もちろん渡部さんには、今後も期待しています。今後は男性と同等の力を持つ、私よりも強くなることを願います。今も、基礎からひとつずつやってます。
渡部さんはタイトルを取ったあと負けが込んでいますが、これからは、負けたくても負けられない状況になると思います」
何とも力強い言葉で締め、大拍手の中、野月八段のスピーチは終わった。
テニスの岡ひろみに宗方仁がいたように、陸上の高橋尚子に小出監督がいたように、選手のステップアップには優秀なコーチが不可欠である。野月八段はまさに、影の参謀だったのだ。
そして「情けは人の為ならず」とも言う。野月八段が渡部女流王位にコーチしていた期間、自身も順位戦全勝で、B級1組への復帰を果たした。野月八段もまた、運気を引き寄せたようである。
「野月先生の教えでタイトルが取れるなら、ほかの女流棋士もコーチしてほしかったですね」
と中倉彰子女流二段。しかし「同郷だから(のコーチ)ですか」と、納得したようである。
さらに蛸島彰子女流六段の祝辞となる。蛸島女流六段は、渡部女流王位がタイトルを獲ったあと、雑誌社からインタビューを受けたという。
「渡部さんは自分の力をしっかり身につけました。タイトルを獲った驕りもありませんでした。
渡部さんが高校生の時、大好きな将棋だから、楽しく指していきたいです、と言っていました。それから真面目に将棋に取り組んで、一歩一歩前進していきました。すばらしいな、と感じます」
開会からすでに30分以上が経過している。一般のパーティーなら早く乾杯を、となるところだが、皆さんのスピーチがおもしろいので、まったく気にならない。
そしていよいよ、渡部女流王位の謝辞となった。
(つづく)
「私と渡部さんは同じ北海道出身、同郷ということで、親しくしていました。2年半前、1通のメールが来まして、それが渡部さんでした」
早くもおもしろくなりそうな導入である。「それには、『私は伸び悩んでいる、今年中にタイトルを取りたい』と書いてありました。それで私は2つ質問したんですね。ひとつは、タイトル挑戦で満足するのか。もうひとつは、実戦で勉強して強くなるのか。それとも(自分の将棋を)一からやり直すのか。
渡部さんの答えは、タイトル挑戦では満足しない、自分の将棋を一から見直す、というものでした。それで私は、『コーチと選手』という形で、やらせていただいた」
野月八段は渡部女流二段(当時)の将棋を分析し、また彼女にも、自己分析できるよう促したという。
「感心したのは」と野月八段は続ける。「渡部さんがあまり遊びにも行かず、飲みにも行かず、将棋の勉強に専念したことです」
このあたりは私も思い当たるフシがある。私もこの時期に何度か、渡部女流二段に指導対局等でお世話になったが、よく将棋を勉強してるなあ、という雰囲気があったからだ。私は、渡部女流二段がいつタイトル戦に登場しても不思議ではない、と思ったものだ。
野月八段は渡部女流二段に、自分で考える時間を増やす、読みが浅いところは深く考える、そして指した将棋の内容を精査するよう、促した。渡部女流二段はそれに応え、みるみるうちに成績が上がっていった。
野月八段は2016年度と2017年度の、渡部女流二段の成績を述べる。それぞれ19勝5敗、18勝10敗で、勝率も勝数も上位だった。
そして今年3月、ついに渡部女流二段は、女流王位戦登場を決めたのだ。
「渡部さんは、対振り飛車、対中飛車に不安がありました」
ここで2人は、今度は里見女流王位の将棋を徹底的に研究したという。「でもある時、渡部さんが里見さんの将棋を出してきましてね。私は渡部さんに聞きました。これでいいのか、と」
この辺のやりとりがいま一つよく分からないのだが、野月八段には、渡部女流二段が里見女流王位のデータを収集しすぎて、それに固執してしまうのはどうか、という危惧があったのではないか。
「それで里見さんの指し手からデータを取るのは止め、渡部さんらしい指し手を考えました。
(お互い)優っている部分がある。優っているほうを出すようにしましょう、ということになりました。
この辺りは、私も日本将棋連盟の人間だし、ネットもあるから詳しく言えないんですけれども――」
辺りは水を打ったように静かになっている。「里見さんは序盤巧者なので、それを阻む。また終盤で『出雲のイナズマ』が出るのは限られた状況なので、それを出させないようにする、そんなふうに指導しました」
何だか野月八段、結局秘密事項を、暴露してくれたんじゃないか?
ともあれふたりの研究が実り、渡部女流二段は里見女流王位からタイトルを奪取したのだった。
「もちろん渡部さんには、今後も期待しています。今後は男性と同等の力を持つ、私よりも強くなることを願います。今も、基礎からひとつずつやってます。
渡部さんはタイトルを取ったあと負けが込んでいますが、これからは、負けたくても負けられない状況になると思います」
何とも力強い言葉で締め、大拍手の中、野月八段のスピーチは終わった。
テニスの岡ひろみに宗方仁がいたように、陸上の高橋尚子に小出監督がいたように、選手のステップアップには優秀なコーチが不可欠である。野月八段はまさに、影の参謀だったのだ。
そして「情けは人の為ならず」とも言う。野月八段が渡部女流王位にコーチしていた期間、自身も順位戦全勝で、B級1組への復帰を果たした。野月八段もまた、運気を引き寄せたようである。
「野月先生の教えでタイトルが取れるなら、ほかの女流棋士もコーチしてほしかったですね」
と中倉彰子女流二段。しかし「同郷だから(のコーチ)ですか」と、納得したようである。
さらに蛸島彰子女流六段の祝辞となる。蛸島女流六段は、渡部女流王位がタイトルを獲ったあと、雑誌社からインタビューを受けたという。
「渡部さんは自分の力をしっかり身につけました。タイトルを獲った驕りもありませんでした。
渡部さんが高校生の時、大好きな将棋だから、楽しく指していきたいです、と言っていました。それから真面目に将棋に取り組んで、一歩一歩前進していきました。すばらしいな、と感じます」
開会からすでに30分以上が経過している。一般のパーティーなら早く乾杯を、となるところだが、皆さんのスピーチがおもしろいので、まったく気にならない。
そしていよいよ、渡部女流王位の謝辞となった。
(つづく)