瀬川晶司五段原作の映画「泣き虫しょったんの奇跡」が封切られ、1週間あまりが過ぎた。
私はおカネを出して映画を見るという習慣がないのでこの映画も見ないが、「感動した」という声が多いようである。
だが、この映画はそんなに感動するのかなあ、というのが正直なところである。
原作本の帯には「あきらめなければ、夢はかなう」の惹句が踊っていて、この映画のキモでもあるのだが、これがそもそも疑わしい。なぜならこの惹句が本当なら、奨励会員は全員、棋士になれるからだ。
だがそんなことはなく、棋士には年4人しかなれない。奨励会には毎年多くの少年少女が入会するが、その多くは夢破れるのである。
また四段になった棋士が、「名人になりたい」と夢を語っても、4人にひとりは、永久にC級2組から昇級できない。なぜなら昇級枠が「3」だから。
仮にC級1組に昇級しても、その3人にひとりは、永久にC級1組止まりである。なぜなら昇級枠が「2」だから。
ということで、私などは「諦めなければ夢が叶う、というものではない」と醒めた考えを持ってしまうのだ。
もうひとつ私が引っ掛かるのは、瀬川五段が奨励会を辞めたあと、2年間、将棋から離れていたことである。
この時瀬川五段が、「奨励会は退会し、プロになる夢は破れたけれど、私には将棋しかない」と、何の目標もないのに将棋の勉強を続けたのなら、まだ共感できる。しかし瀬川五段は、将棋から逃げた。
その後瀬川アマはアマ名人を獲り、銀河戦でプロ相手に連戦連勝するのだが、この時も、瀬川五段の周りの人が、プロ入りのはたらきかけをするのである。ここも瀬川五段が、自発的にプロ入り志望を表明してほしかったところである。
私の好きな大山康晴語録に「勝負師は、勝てばなんとでもいえる」がある。
瀬川五段も、棋士になったから「諦めなければ夢は叶う」と言えるのであって、瀬川五段が奨励会を退会した時に、この思いを抱いていたかどうか。
私は瀬川五段にうらみはないが、ちょっと自説を述べてみた。
私はおカネを出して映画を見るという習慣がないのでこの映画も見ないが、「感動した」という声が多いようである。
だが、この映画はそんなに感動するのかなあ、というのが正直なところである。
原作本の帯には「あきらめなければ、夢はかなう」の惹句が踊っていて、この映画のキモでもあるのだが、これがそもそも疑わしい。なぜならこの惹句が本当なら、奨励会員は全員、棋士になれるからだ。
だがそんなことはなく、棋士には年4人しかなれない。奨励会には毎年多くの少年少女が入会するが、その多くは夢破れるのである。
また四段になった棋士が、「名人になりたい」と夢を語っても、4人にひとりは、永久にC級2組から昇級できない。なぜなら昇級枠が「3」だから。
仮にC級1組に昇級しても、その3人にひとりは、永久にC級1組止まりである。なぜなら昇級枠が「2」だから。
ということで、私などは「諦めなければ夢が叶う、というものではない」と醒めた考えを持ってしまうのだ。
もうひとつ私が引っ掛かるのは、瀬川五段が奨励会を辞めたあと、2年間、将棋から離れていたことである。
この時瀬川五段が、「奨励会は退会し、プロになる夢は破れたけれど、私には将棋しかない」と、何の目標もないのに将棋の勉強を続けたのなら、まだ共感できる。しかし瀬川五段は、将棋から逃げた。
その後瀬川アマはアマ名人を獲り、銀河戦でプロ相手に連戦連勝するのだが、この時も、瀬川五段の周りの人が、プロ入りのはたらきかけをするのである。ここも瀬川五段が、自発的にプロ入り志望を表明してほしかったところである。
私の好きな大山康晴語録に「勝負師は、勝てばなんとでもいえる」がある。
瀬川五段も、棋士になったから「諦めなければ夢は叶う」と言えるのであって、瀬川五段が奨励会を退会した時に、この思いを抱いていたかどうか。
私は瀬川五段にうらみはないが、ちょっと自説を述べてみた。