もう旧聞になるが、今月上旬に発生した台風21号は凄まじかった。とくに大阪を襲った暴風雨は、最大風速58.1m。あの巨大なトラックがミニカーのように横倒しになり、家の壁が紙のようにめくれあがった。
不謹慎を承知で書くが、あれを見て私は、円谷プロの特撮を思い出した。伊集院光がラジオで似たようなことを言っていたのでアレだが、大阪の暴風は、たしかに既視感があった。ウルトラマンシリーズで何度も見ていた光景と、そっくりだったのだ。
ウルトラマンといえば特撮映画の神様・円谷英二だが、戦時中に制作した映画に彼も特殊技術者として参加した。その際、戦闘機のシーンがあまりにもリアルだったため、GHQがホンモノと間違えたという逸話がある。
円谷プロのスタッフは、台風や津波が起こった際の街の変化を、詳細に研究したのだろう。そしてそれはほぼ忠実に再現されていた。私はあらためて、円谷プロの制作力の高さに感嘆したのである。
半世紀以上も前に作られた特撮ヒーロー物が現在も支持される理由、その秘密がここにある。
そして6日未明には、北海道で震度7の地震が起こった。いわゆる北海道胆振地方北部地震である。
北海道は地震に薄いイメージがあって、思い出す地震といえば、1993年1月に起こった釧路沖地震くらいしかない。
今回の地震は厚真町の土砂崩れが凄まじく、地形を変えてしまうほどだった。
そして胆振といえば、国鉄胆振線を思い出す。これは室蘭本線・伊達紋別と、函館本線・倶知安を83キロで結んでいたローカル線で、昭和新山の近くを走っていた。
私が友人と北海道を旅行した1986年夏、私たちは途中で別れ、ひとり旅になった。
私はそれまで相手の旅に合わせていたから、急に放り出されて、私は慌てたものだ。
その何日目かのある日、私はたぶん長万部から乗ったと思うのだが、鈍行で札幌方面を目指していた。
ある駅で長時間の停車があったのだが、発車後しばらくして気が付くと、列車が左にカーブし、どんどん陸地に向かっていた。やがて急勾配を上り、私はとんでもない場所に連れていかれそうに思い、ビックリした。
当時は、何両か連結された列車が、路線の分岐駅で2つに分かれ、それぞれの路線を行くケースがあった。いまの小田急線もそんなのがある。
私の乗った列車も伊達紋別で列車が分かれ、後ろの車両に乗っていた私は、胆振線に乗り入れてしまったわけだった。
私は慌てて駅を降りる。当時はワイド周遊券を使用していたから、どこに降りようがおカネはかからなかった。
そこは田舎の小駅で、駅名も憶えていない。構内では、駅長と思しき人が、小さな娘さんと遊んでいた。私は「間違えてこっちに来てしまいました」と言ったが、駅長さんが何と返したかは憶えていない。
ただ、この路線が11月に廃止される、と聞いた。私は東京の人間だから、路線が廃止になることなど考えにない。だからこれはかなりの衝撃だった。
今の私だったら、いい機会だと胆振線を乗りつぶすところだが、当時はそんな発想がなく、私は伊達紋別方面の列車に乗り、室蘭本線に戻ったのだった。
その数年後私は就職し、リストラを喰らうのだが、鉄道だって無くなるんだから、会社が社員を馘にするのもあり得ることだと、妙に冷静に受け止めたものだった。
なお胆振線は、1986年11月1日に全線廃止となった。
不謹慎を承知で書くが、あれを見て私は、円谷プロの特撮を思い出した。伊集院光がラジオで似たようなことを言っていたのでアレだが、大阪の暴風は、たしかに既視感があった。ウルトラマンシリーズで何度も見ていた光景と、そっくりだったのだ。
ウルトラマンといえば特撮映画の神様・円谷英二だが、戦時中に制作した映画に彼も特殊技術者として参加した。その際、戦闘機のシーンがあまりにもリアルだったため、GHQがホンモノと間違えたという逸話がある。
円谷プロのスタッフは、台風や津波が起こった際の街の変化を、詳細に研究したのだろう。そしてそれはほぼ忠実に再現されていた。私はあらためて、円谷プロの制作力の高さに感嘆したのである。
半世紀以上も前に作られた特撮ヒーロー物が現在も支持される理由、その秘密がここにある。
そして6日未明には、北海道で震度7の地震が起こった。いわゆる北海道胆振地方北部地震である。
北海道は地震に薄いイメージがあって、思い出す地震といえば、1993年1月に起こった釧路沖地震くらいしかない。
今回の地震は厚真町の土砂崩れが凄まじく、地形を変えてしまうほどだった。
そして胆振といえば、国鉄胆振線を思い出す。これは室蘭本線・伊達紋別と、函館本線・倶知安を83キロで結んでいたローカル線で、昭和新山の近くを走っていた。
私が友人と北海道を旅行した1986年夏、私たちは途中で別れ、ひとり旅になった。
私はそれまで相手の旅に合わせていたから、急に放り出されて、私は慌てたものだ。
その何日目かのある日、私はたぶん長万部から乗ったと思うのだが、鈍行で札幌方面を目指していた。
ある駅で長時間の停車があったのだが、発車後しばらくして気が付くと、列車が左にカーブし、どんどん陸地に向かっていた。やがて急勾配を上り、私はとんでもない場所に連れていかれそうに思い、ビックリした。
当時は、何両か連結された列車が、路線の分岐駅で2つに分かれ、それぞれの路線を行くケースがあった。いまの小田急線もそんなのがある。
私の乗った列車も伊達紋別で列車が分かれ、後ろの車両に乗っていた私は、胆振線に乗り入れてしまったわけだった。
私は慌てて駅を降りる。当時はワイド周遊券を使用していたから、どこに降りようがおカネはかからなかった。
そこは田舎の小駅で、駅名も憶えていない。構内では、駅長と思しき人が、小さな娘さんと遊んでいた。私は「間違えてこっちに来てしまいました」と言ったが、駅長さんが何と返したかは憶えていない。
ただ、この路線が11月に廃止される、と聞いた。私は東京の人間だから、路線が廃止になることなど考えにない。だからこれはかなりの衝撃だった。
今の私だったら、いい機会だと胆振線を乗りつぶすところだが、当時はそんな発想がなく、私は伊達紋別方面の列車に乗り、室蘭本線に戻ったのだった。
その数年後私は就職し、リストラを喰らうのだが、鉄道だって無くなるんだから、会社が社員を馘にするのもあり得ることだと、妙に冷静に受け止めたものだった。
なお胆振線は、1986年11月1日に全線廃止となった。