一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

53年前の将棋

2020-07-02 00:15:41 | 将棋雑記

A図は1日に行われた、第10期女流王座戦二次予選・貞升南女流初段と中澤沙耶女流初段の一局面である。38手目、後手の貞升女流初段が△5二金を△6二金と寄せたところだ。貞升女流初段は居飛車党だし、中澤女流初段は右玉の使い手なので、この局面は現れるべくして現れたといってもよい。
実戦はこのあと▲4八金△3一玉▲5八金△4二玉の様子見から、▲6六歩△3一玉▲6八銀△8六歩▲同歩△同飛▲6七銀と進んだ。数手後先手も同じ形で飛車先の歩を交換し、最後は中澤女流初段が勝った。
ここで冒頭に戻る。実はいまから53年前に、この図とまったく同じ局面が出現していた。△6二金・△8一飛の最新形が、半世紀以上も前の公式戦に現れていたのである。
それは1967年7月10日に指された、第17期王将戦二次予選・二上達也八段VS米長邦雄六段戦である。
この将棋は△5二金~△6二金の手待ちがなかったから、先手の米長六段が▲5六歩と突いたところで同型になった。
ただしこの局面に至るまでの思想はまるで違っていた。序盤、角道を開けあった形で、二上八段が△3三角と上がった。つまり阪田流向かい飛車を視野に入れていたのだ。
いつもの米長六段なら気合で▲3三同角成だが、本局はあえて外し、▲3八銀と上がった。二上八段は△2二銀と上がり、▲3三角成に△同銀。結局いつもの形に戻ってしまった。
さればと二上八段は△6二金とまっすぐ立ち、飛車を引き、右玉の構想に出る。ところが米長六段も同じ構想で、▲2九飛と引いた。そこで二上八段がまたも作戦を変え、玉を左辺にやった。
それでA図の局面が出現したというわけだった。
参考までに、A図以下の進行を記しておこう。

A図以下の指し手。△4三金▲6六銀△3二玉▲7五歩△6五歩▲7四歩△同銀▲7五歩△6三銀▲5七銀△5四歩(第1図)

A図から△4三金が、現代では滅多に見られない手。だが△3二玉と寄ってみると、これはこれで玉が安定している。このあたり、現代のバランス将棋によく似ている。
米長六段は▲7五歩から1歩を持ったが、それを再び▲7五歩と打ったのが面白くなかったようだ。△6三銀と自陣を引き締めさせてしまったからで、▲7五歩では▲5七銀と引き、ほかの箇所で歩を使うのがよかったという。

第1図以下の指し手。▲6六歩△同歩▲同銀△8六歩▲同歩△同飛▲7七銀△8一飛▲7六銀△5五歩(第2図)

米長六段は第1図から▲6六歩とし新たに1歩を入手したが、この銀を7七にやり、▲7六銀と立った構想がよくなかった。
せっかく左銀を5七に収めたのに再び出動し、玉が3八なのに、▲7六銀で7五の位を守っても、先手でかしていない。
二上八段は薄くなった5筋をめがけ、好調である。

第2図以下の指し手。▲6四歩△同銀▲6三歩△5二金▲7四歩△6五桂▲7三歩成△5六歩▲同銀△3五歩(第3図)

第2図で▲5五同歩は、△3五歩▲同歩△3六歩▲同銀△5六角の王手金取りがある。
よって米長六段は▲6四歩から攻め合ったが、二上八段は素直に応接して、△6五桂の跳躍。
▲7三歩成には構わず△5六歩を利かし、▲同銀に△3五歩と、待望の桂頭攻めに出た。

第3図以下の指し手。▲4七角△3六歩▲同角△3五歩▲4七角△7七歩(第4図)
以下、二上八段の勝ち。

第3図で私なら、目をつぶって▲6二歩成だが、米長六段は▲4七角と、根性の辛抱だ。
しかし2度目の▲4七角に△7七歩が好手で、以下二上八段の歩使いが冴えまくり、二上八段の快勝となった。米長六段の▲6三歩は、最後まで▲6二歩成とすることはなかった。

振り返って、二上八段はやはり強かった。全盛時代にタイトルを2期しか獲ってないから評価は低くなりがちだが、それは魔物・大山康晴と同時代になってしまったからで、世が世なら、名人を数期取ってもおかしくなかった。

さて、53年も前の、それも予選の一将棋を、なぜ私が憶えていたのか。その解答は、明日。
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