現在読売新聞の竜王戦観戦記は、ランキング戦2組準決勝・▲藤井聡太二冠VS△松尾歩八段の一戦を掲載している。14日の第6譜では、例の「▲4一銀」が飛び出した。
観戦記を読むと、この将棋は松尾八段が過去の実戦とAIでの研究をミックスして、藤井二冠にぶつけた。厳密にはわずかに疑問の構想だったのだが、松尾八段は自身の考えやすい局面になることから、あえて採用したという。
対して藤井二冠はその将棋を研究していなかったものの、ほぼ最善手でついていき、松尾八段をラクにさせない。
手順中▲3六飛と銀を取る手が最善だったのだが、藤井二冠はその銀を取らず▲3四飛と浮いた。ここでわずかに松尾八段に形勢が傾いたのだが、逆に松尾八段の意表を衝くことになり、なんと137分の大長考となる。
最善手▲3六飛をなぜ藤井二冠が指さなかったのか、またその先の変化はどうなのか、観戦記には書いてないのでもどかしいが、それはともかく、これが人間同士の戦いである。つまり、疑問の構想と承知の上、その作戦を選んだ松尾八段。そして、誰でも見える銀を取る手を指さず、あえて飛車を浮いた藤井二冠。まあ藤井二冠は▲3四飛を最善手と読んで指したのだろうが、最善手をあえて指さないところに、人間将棋の妙味がある。
大山康晴十五世名人は、「人間は悪手を指す」の信念を持っていた。だから劣勢の終盤では、相手の読みを外すために、あえて疑問手を指すことがあった(という)。それで相手の読みが狂い、却って悪手が出現しやすくなる――。
たとえばABEMAでの評価値を見てみると、終盤で形勢に差がつくと、そこから双方の最善手が続いても、評価値がぐんぐん離れていく。これでは勝てないから、疑問手を指して、評価値を崩してしまう。そのスキに、一瞬の勝機を見つけるのだ。大山十五世名人はこういった指し方が本当にうまかった。
また序盤戦術にしても、大山十五世名人は居飛車の急戦に対して、美濃囲いの銀を4七(6三)に上がてから袖飛車にしていた。これは金銀が離れているうえに玉飛接近の形だから、評価値としてはかなりダウンだろう。
だがその形で大山十五世名人はごちゃごちゃした戦いに持っていき、そこそこ勝利を収めていた。ちょっと松尾八段の思想に似ていないだろうか。
いまはほとんどの棋士がAIを活用しているが、このぶんなら、人間の構想主体の戦いになるに違いないと、私は少し安心したのであった。
観戦記を読むと、この将棋は松尾八段が過去の実戦とAIでの研究をミックスして、藤井二冠にぶつけた。厳密にはわずかに疑問の構想だったのだが、松尾八段は自身の考えやすい局面になることから、あえて採用したという。
対して藤井二冠はその将棋を研究していなかったものの、ほぼ最善手でついていき、松尾八段をラクにさせない。
手順中▲3六飛と銀を取る手が最善だったのだが、藤井二冠はその銀を取らず▲3四飛と浮いた。ここでわずかに松尾八段に形勢が傾いたのだが、逆に松尾八段の意表を衝くことになり、なんと137分の大長考となる。
最善手▲3六飛をなぜ藤井二冠が指さなかったのか、またその先の変化はどうなのか、観戦記には書いてないのでもどかしいが、それはともかく、これが人間同士の戦いである。つまり、疑問の構想と承知の上、その作戦を選んだ松尾八段。そして、誰でも見える銀を取る手を指さず、あえて飛車を浮いた藤井二冠。まあ藤井二冠は▲3四飛を最善手と読んで指したのだろうが、最善手をあえて指さないところに、人間将棋の妙味がある。
大山康晴十五世名人は、「人間は悪手を指す」の信念を持っていた。だから劣勢の終盤では、相手の読みを外すために、あえて疑問手を指すことがあった(という)。それで相手の読みが狂い、却って悪手が出現しやすくなる――。
たとえばABEMAでの評価値を見てみると、終盤で形勢に差がつくと、そこから双方の最善手が続いても、評価値がぐんぐん離れていく。これでは勝てないから、疑問手を指して、評価値を崩してしまう。そのスキに、一瞬の勝機を見つけるのだ。大山十五世名人はこういった指し方が本当にうまかった。
また序盤戦術にしても、大山十五世名人は居飛車の急戦に対して、美濃囲いの銀を4七(6三)に上がてから袖飛車にしていた。これは金銀が離れているうえに玉飛接近の形だから、評価値としてはかなりダウンだろう。
だがその形で大山十五世名人はごちゃごちゃした戦いに持っていき、そこそこ勝利を収めていた。ちょっと松尾八段の思想に似ていないだろうか。
いまはほとんどの棋士がAIを活用しているが、このぶんなら、人間の構想主体の戦いになるに違いないと、私は少し安心したのであった。