一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

吉田利勝八段、逝く

2021-05-29 01:17:59 | 男性棋士
吉田利勝八段が2021年5月23日、逝去した。享年87歳。
吉田八段は1957年、四段デビュー。第24期(1969年度)C級1組順位戦で好成績を残し、B級2組に昇級。以後、58歳で引退する1991年度までそのクラスを守った。
吉田八段は相掛かりの雄で、1982年ごろに▲1五歩△同歩▲1三歩から▲2四歩~▲6四飛を狙う攻めを開発した。後年塚田泰明九段が「塚田スペシャル」で一世を風靡したが、その原型はこの「吉田スペシャル」とされる。
吉田八段はしばし若手棋士も斬った。
第1図は七段時代、1990年1月12日に指された第3期竜王戦ランキング戦4組・森内俊之四段との一戦。

ここは吉田七段の勝勢だったが、△8四銀と詰めろで出たのが、良さそうな悪手。実はここで後手玉に即詰みが生じていた。すなわち▲5三銀成△同銀▲6一竜△同玉▲5三桂不成の順である。▲7五桂が8三にも利いていることに注意。
このとき森内四段は1分将棋。だが夕食休憩まであと少しだったので、勝負術に長けている棋士なら、第1図から▲5三歩△5一玉▲5二歩成△同玉の時間稼ぎをし、休憩に持ち込む。
ところが森内四段は焦り、▲5三桂成△同銀▲同銀成としてしまった。ここで夕食休憩になり、森内四段は前述の詰みに気付いたが、後の祭り。再び後手の勝ちとなった。
森内四段は一瞬のチャンスを逃したわけだが、そもそも吉田七段こそ、△8四銀と出るときにしっかり勝ちを読み切るべきだった。この早指しが森内四段にも伝播したとは、何という皮肉か。
敗れた森内四段は自己嫌悪に陥り、横浜の自宅まで走って帰ったそうである。
また吉田八段は、同年6月29日には、第49期B級2組順位戦2回戦で、羽生善治竜王と当たった。
吉田七段の先手で、相掛かりで始まった将棋は、中盤で千日手になった。
指し直し局も相掛かり。

その第2図で、吉田七段が△8六歩▲同歩△同飛▲8七歩△8四飛と1手パスしたのが、玄妙な手渡し。実はこれが吉田七段の得意技で、3回戦の脇謙二六段戦でも、同じ手順を踏んでいる。
本局は以下激戦になったが吉田七段が制した。吉田七段はこの期、最終的に3勝7敗だったが、この勝利が燦然と輝いたのは言うまでもない。
いっぽう羽生竜王は8勝2敗に終わったがこの1敗が祟り、順位の差で昇級できなかった。
羽生九段は五段時代の1988年・第47期C級1組順位戦でも、ベテラン剱持松二七段に負け、昇級を逸している。ベテランの順位戦に賭けるチカラは侮れないのだ。

さて吉田八段の生涯成績は389勝513敗(.412)。数字としてはパッとしないが、知られざる「吉田スペシャル」を開発し、王将リーグに入り、棋聖戦では挑戦者決定戦に進んだ。順位戦B級2組では晩年まで昇級争いに絡み、棋力に衰えはなかった。それでいて還暦前にスパッと現役を退いた。トータルで見て、幸せな棋士人生だったのではなかろうか。
心よりご冥福をお祈りします。
コメント (4)
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