一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

第62期王位戦挑戦者決定リーグ最終戦の雑感

2021-05-12 00:08:35 | 将棋雑記
この7日(金)に、第62期王位戦挑戦者決定リーグの最終戦一斉対局が行われた。
戦前の状況を見てみると、紅組は豊島将之竜王と澤田真吾七段が3勝1敗。最終戦はそれぞれ片上大輔七段、佐藤天彦九段と当たっていた。豊島竜王と澤田七段との対決は豊島竜王が勝っているが、2人のみが並べばプレーオフになるので、ともに自力だった。
白組も永瀬拓矢王座と羽生善治九段が3勝1敗。相手は近藤誠也七段と佐々木大地五段で、私は、白組は3勝者がともに勝ち、プレーオフになると思い込んでいた。
当日は一部の対局にネット中継があったが、私にそれを見る余裕はなく、夜に大野教室で結果を知ったのだった。
まず紅組は豊島竜王が勝ち澤田七段が負け、豊島竜王の紅組優勝があっさりと決まった。
そして白組は、永瀬王座が近藤七段に屈し、羽生九段が佐々木五段に勝って、羽生九段の白組優勝となった。こちらもプレーオフなしである。
ちなみに永瀬王座と羽生九段の対戦成績は、永瀬王座の10勝4敗だった。よってプレーオフになれば永瀬王座も自信があったはずだが、気鋭に足をすくわれた形だ。
それにしても、「信用」というのは恐ろしい。今回の結果が羽生九段40歳のときだったら、「やっぱり羽生さんが出てきたか」と、誰も驚かない。しかし現在50歳の羽生九段は、48歳で無冠になってからというもの勝ったり負けたりの成績が続き、順位戦A級もやっと残留を決める有様で、すっかり信用をなくしていた。つまり今回は「羽生先生、よく白組で優勝したな」が将棋ファンの本心だった。
ともあれこれで、豊島竜王と羽生九段による挑戦者決定戦となったわけである。
ちなみに、羽生九段がよく比較されるのが大山康晴十五世名人だが、大山十五世名人の50歳時は、1973年秋、第12期十段戦の挑戦者になり、翌年1月、中原誠十段から4勝3敗で十段を奪取している。同年3月には名人戦の挑戦者になり、中原名人に3勝4敗で惜敗したものの、7月には第24期棋聖戦挑戦者決定戦で中原名人に勝ち挑戦権を獲得、時の内藤國雄棋聖に3勝1敗とし、二冠王に復帰している。
大山十五世名人は終生中原十六世名人を苦手にしていたが、急所の将棋で勝つこともあったのだ。
その大山十五世名人と中原十六世名人の年齢差は24歳5ヶ月。羽生九段と後輩の一流棋士でこれと似た年齢差を探すと、豊島竜王との「19歳7ヶ月差」にぶつかる。
対戦成績は、豊島竜王の22勝18敗だが、この数字なら羽生九段にも十分勝機がある。
ただ、大山十五世名人が50歳当時に「五十歳の新人」を宣言して、まだギラギラと妖気を発散させていたのに比べると、羽生九段の現在には、そうした妖気が感じられないのが残念だ。
しかしそれでも、挑戦者決定戦は羽生九段に勝ってもらいたい。そしてそうなれば、藤井聡太二冠とのタイトル戦となる。
将棋史を振り返れば、中原十六世名人と羽生九段のタイトル戦がなかったことが惜しまれる。中原十六世名人は2003年の第16期竜王戦で、森内俊之九段との挑戦者決定戦で1勝2敗で敗れ、羽生竜王への挑戦はならなかった。森内九段には悪いが、ここは何としても中原-羽生戦が見たかった。
令和の将棋界では、羽生-藤井のタイトル戦が夢の対決になると思う。その実現まで、羽生九段はあとひとつ勝つだけでいいのだ。
羽生九段本人も、これが藤井二冠とのタイトル戦の最大のチャンスと思っているだろう。この挑戦者決定戦は、羽生九段の集大成の将棋が見られると思う。
コメント (6)
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