一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

先を越された「詰将棋へのある意見」

2021-06-20 01:19:54 | 将棋雑記
詰将棋はそれ自体を完全な作品にするため、ルールがある。飯野健二八段著「3・5・7手実戦型詰将棋」(池田書店)にルールが記してあるので、引用させていただく。

①攻め方は王手の連続で詰める。
②盤上と持ち駒以外の駒は、玉を除きすべてを玉方が合駒として使える。
③玉方は最長で最善の手を選ぶ。
④玉方は無駄な合駒をしない。
⑤攻め方は迂回手順を避け最短で詰める。
⑥その他は指し将棋のルール通り。

である。
ここにはないが、
⑦詰め上がり時に攻め方の持ち駒は「なし」になる。
も必要だと思う。
今回私が問題にしたいのは③だ。とりあえず実例を挙げてみる。

図は「将棋世界」2021年2月号、東和男八段出題の「ステップアップ7手・9手詰」の第10番である(実は、この問題よりも適した詰将棋があった記憶があるのだがバックナンバーから見つけ出せず、次善としてこの詰将棋を採用した)。
もう作意を書いてしまうが、「▲3一飛成△1三玉▲2四金△同歩▲3三竜△2三香▲1四金△同竜▲3一馬まで、9手詰」である。
金の捨駒が2回入り、最終第10番にふさわしい佳作だ。
4手目までは変化の余地がないが、5手目▲3三竜には、実戦だったら(いや詰将棋でも)△2三金とハジキたいところだ。だって、玉方は王手攻めから逃れて生き延びようとしているのだ。自陣の囲いを固くしたくなるのは人情であろう。
だがまあ作意は△2三香。合駒は関係ないので、作者は安い駒を選んだのだろう。
そして7手目▲1四金。これも実戦なら△同玉と取りたいところだ。なぜなら玉方は△1四玉~△1五玉から大海原に逃げ出したいからだ。それを△同竜は上部が塞がって、いかにも攻め方の注文通りという気がする。
しかし△1四同玉とはできない。それは▲2四竜で駒余りで、私の⑦に引っ掛かってしまう。
詰将棋は攻め方と玉方が最善手で応接せよ、と言いながら、収束部分は攻め方の思惑通りに応手をしているところがある。これに私は違和を感じるのである。
個人的には、「玉方が少しでも生き延びたいと感じられる応手」のほうが人間味を感じて、こちらも正解扱いにしてやりたい気分になるのだ。
「近代将棋」が健在だったころ、私は「昼の詰将棋」によく解答を投函したものだ。
もちろん8題全問を解答してから投函するのだが、中には収束の時点で間違えたものもあった。だが時には「全題正解者」の上に◎が付いたりしていた。恐らく、作者の自慢の一手を看破したことで、正解扱いにしてくれたのだろう。
詰将棋は、ギチギチのルールに縛られないのがいいのかもしれない。

……という文章で1本記事ができたわけであるが、先日A氏のブログを見たら、恐るべき記事が載っていた。それは「『詰め将棋』をめぐる師弟のやりとり」というタイトルで、要約すると、A氏は日ごろから「詰将棋に駒が余る問題があってもいいのではないか」「玉方を主役にした詰将棋があってもいいのではないか」と考えていて、その原稿を編集部(湯川博士氏)に持ち込んだ。だが「詰将棋のルールを変えてはいけない」という湯川氏の見解のもと、その原稿は自ら見送りとした。
だがその数年後、森信雄七段の「逃れ将棋」が、将棋ペンクラブ大賞技術部門の大賞を獲ってしまった。A氏としては、かつて自分が欲していたテーマの詰将棋本が賞を獲り、それはそれでうれしかった。だがあろうことか、湯川氏がこの著書を絶賛していた。「師匠、それはねえだろう」というオチである。

どうであろう。私の薄い主張がそっくり取り入れられているばかりか、A氏の文章のほうがよほど厚みがあり、明快なオチもついていて、面白い。
惜しむらくは、持ち込み原稿が「将棋ペン倶楽部」に掲載されなかったことだ。A氏は、なまじ師匠に原稿を持ち込んだのがいけなかった。黙って編集部に送信してしまえばよかったのだ。
だがそれでもし掲載されていたら、私のこの記事はなかった。
コメント (2)
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