15番氏がトイレに行ったのは不可抗力である。ということは、マスターはそれも織り込み済だったということか。
新たに19番氏が当たり、マスターが「好きな絵を描いてください」と言う。19番氏は何かの動物を描いたが、もちろんマスターはピッタリ当てた。
あぁ、私の右隣の15番氏は残念、と思いきや、戻ってきた彼には新たに整理券が当たり、マスターに誕生日を聞かれた。カウンターには小箱が置かれている。
「8月10日です」
「じゃあ私と同じだ」
……!! マスターの人となりは謎に包まれていて、家族の類は一切明らかにされていない。でも誕生日が「8月10日」ということが分かった。これは貴重な情報と言えまいか。
マスターは手帳を取りだす。そこには各日にアイテムが書いてあり、8月10日は「チキン」だった。
そこでマスターが小箱を開けると、チキンの小物が出てきた。つまり365分の1の確率で、これを当てたということだ。これもマスターが、「結果」から予知を導いたということだろうか。
3番の女性が整理券を自ら当て、マスターから、何かの格言を書いた紙をもらった。こうした非売品のプレゼントが客としてはいちばん嬉しく、私も長年狙っているのだが、なかなか当たらない。というか、ここ何年かは一度も整理券すら当たらない。ひょっとしたら、マスターが私を意識的に外しているのかもしれない。
終盤になり、スプーンの登場である。これをマスターはぐにゃぐにゃに曲げ、さらに一部を齧ってしまった。
「このおたまのところが美味しいんです。軸のところは美味しくない」
スプーンに味があるものかと、私たちは苦笑しつつ驚愕する。
さらにコインマジックである。今回も100円玉を3つに割り、500円玉に爪楊枝を通し、10円玉を小さくし、大きくした。やっぱりコインマジックがいちばん面白い。
新たに50円玉を求められ、一瞬の間が空いたので、私が供する。ついに事前の準備が役に立った。
マスターは千円札にこの50円玉を泳がせた。客は悲鳴を上げる。その気持ち、よく分かる。
マスターはジュース缶の底から、10円玉を中に入れる。驚くのは、それを5番の女性にもトライさせたことだ。
そして女性は、10円玉を缶の底から一発で貫通させてしまった。「入った!」と、私もつい、絶叫してしまった。
これが誰にでもできることなのか、それともマスターが補助をしているのか。たぶん後者だと思うが、それはそれですごいことになる。
「予約は2ヶ月前の1日からで、もう来年2月いっぱいのカウンターは埋まっています。
あと、予約は2日以降でもできますからね。勘違いしている人も多いですけど。
なかなか電話が繋がりにくくて申し訳ないですけど……。ま、(私が)呼びますよ。皆さんに来てほしいときはネ」
とますたーが静かに言った。
さて、長かったマジックショーも終わらんとしている。時刻は午後5時にならんとし、確かに長時間となっている。
卵のマジックのとき千円札を供した女性に、代わりの千円札が出される。その際にマスターが貫通、異動のマジックをやった。しかし、失敗っぽい感じがした。
いままで私たちは驚異のマジックをさんざん見てきたから、カウンターの実年男女は、これも演出のひとつと思ったようだ。だがこれは違う。こんな結果は見たことがないからだ。
マスターは6番の女性から新たに千円札を借り、今度は成功した。私はマスターの意地を感じたのである。
これにてお開きである。今年も面白かったのだが、何となくマスターの雰囲気がハードというか、全体的にピリピリしたムードが漂った気もした。
最後は一本300円のスプーンを、みなが買うのが慣例である。私は先ほどの50円玉を回収せねばならないが、それはスプーンを購入するときでよい。
今年はカウンターでの会計を兼ねており、そのぶん時間がかかる。個人の名前を書くサービスも、省略されているようだ。
私の前の女性は、右腕に気をかけてもらっていた。いよいよ私の番である。だが、カウンターにはおカネが一切なかった。私の50円玉は、誰かが持って行ってしまったのだろうか。
「面白かったです。スプーンをください」
マスターは何も言わず、スプーンをくれた。マスターのマジックを初めて拝見してから22年。この間マスターは人生の指針を教えてくれた。だが私は守れず、結婚もできぬまま転職を繰り返し、いまも人生の底辺で迷走している。マスターには、私が堕落した人間にしか見えないのだろう。もう、掛ける言葉もないということだ。
私は50円玉のことを言うと、マスターが返してくれた。これが私の出した50円玉だったのか、レジから出した50円玉だったかは判然としない。前者であることを願う。
川棚駅に戻ると、17時23分の上下線は出ていた。次は17時54分で、これも上下同じ時刻である。
私はこのあとの予定をまったく立てていない。昨年の2日目は、長崎・眼鏡橋近くの匠寛堂に行った。今年も行って、今年は皇室御用達のカステラを購入しようか。だが、カステラだけのために、わざわざ再訪するのもどうかと思う。購入するならネットでもいいからだ。
駅員さんは女性だった。それで、駅員さんにどちらの列車に乗るか、決めてもらおうと思った。
「長崎駅の方が宿泊場所はいっぱいありますけど」
駅員さんは困惑しつつ、答えた。
「ホテルは男ひとり、どこでも泊まれると思いますので、推しの観光地をお願いします」
と言ったって駅員さんが私の運命を決められるはずもなく、私は何となく、佐世保に行くことになった。
「480円です」
駅員さんが券売機の「480」を押してくれ、私は480円区間を乗ることになった。
この駅はまだオレンジカードを使えるし、私も所持しているが、この券売機はオレカ使用にやや不安があるので、現金で買う。
と、構内に真っ白い毛並みに絶妙な黒ぶちの猫が現れた。メスなのか、ものすごい美形で、彼女?が人間だったら、相当に男を惑わすことだろう。
私はカメラを向けると、猫は逃げないどころかこちらに寄ってくる。よほど人間に慣れているのだろう。
私は猫の盆の首あたりを撫でてやると、猫はさらに擦り寄ってきた。そして私の手首を噛み、爪を立てた。これは猫なりの愛情表現と解した。
列車が到着したようだ。猫ともお別れである。
「佐世保駅前に東横インがあります」
「ああどうも、私、会員なんです」
私は気持ちよく列車に乗り込み、スマホで佐世保の東横インを繰る。すると、満室になっていた。ほかのホテルも同様である。
佐世保にはサイバックというネットカフェがある。しかし場所がうろ覚えだし、ネットで調べてもそれらしき店はなかった。むろんほかにもネットカフェはあるが、1泊だけなので、布団の中で眠りたいところでもある。
ためしに、佐世保の手前の早岐を調べると、1軒だけ、ビジネス旅館の空きがあった。
どうしようか……。
(つづく)
新たに19番氏が当たり、マスターが「好きな絵を描いてください」と言う。19番氏は何かの動物を描いたが、もちろんマスターはピッタリ当てた。
あぁ、私の右隣の15番氏は残念、と思いきや、戻ってきた彼には新たに整理券が当たり、マスターに誕生日を聞かれた。カウンターには小箱が置かれている。
「8月10日です」
「じゃあ私と同じだ」
……!! マスターの人となりは謎に包まれていて、家族の類は一切明らかにされていない。でも誕生日が「8月10日」ということが分かった。これは貴重な情報と言えまいか。
マスターは手帳を取りだす。そこには各日にアイテムが書いてあり、8月10日は「チキン」だった。
そこでマスターが小箱を開けると、チキンの小物が出てきた。つまり365分の1の確率で、これを当てたということだ。これもマスターが、「結果」から予知を導いたということだろうか。
3番の女性が整理券を自ら当て、マスターから、何かの格言を書いた紙をもらった。こうした非売品のプレゼントが客としてはいちばん嬉しく、私も長年狙っているのだが、なかなか当たらない。というか、ここ何年かは一度も整理券すら当たらない。ひょっとしたら、マスターが私を意識的に外しているのかもしれない。
終盤になり、スプーンの登場である。これをマスターはぐにゃぐにゃに曲げ、さらに一部を齧ってしまった。
「このおたまのところが美味しいんです。軸のところは美味しくない」
スプーンに味があるものかと、私たちは苦笑しつつ驚愕する。
さらにコインマジックである。今回も100円玉を3つに割り、500円玉に爪楊枝を通し、10円玉を小さくし、大きくした。やっぱりコインマジックがいちばん面白い。
新たに50円玉を求められ、一瞬の間が空いたので、私が供する。ついに事前の準備が役に立った。
マスターは千円札にこの50円玉を泳がせた。客は悲鳴を上げる。その気持ち、よく分かる。
マスターはジュース缶の底から、10円玉を中に入れる。驚くのは、それを5番の女性にもトライさせたことだ。
そして女性は、10円玉を缶の底から一発で貫通させてしまった。「入った!」と、私もつい、絶叫してしまった。
これが誰にでもできることなのか、それともマスターが補助をしているのか。たぶん後者だと思うが、それはそれですごいことになる。
「予約は2ヶ月前の1日からで、もう来年2月いっぱいのカウンターは埋まっています。
あと、予約は2日以降でもできますからね。勘違いしている人も多いですけど。
なかなか電話が繋がりにくくて申し訳ないですけど……。ま、(私が)呼びますよ。皆さんに来てほしいときはネ」
とますたーが静かに言った。
さて、長かったマジックショーも終わらんとしている。時刻は午後5時にならんとし、確かに長時間となっている。
卵のマジックのとき千円札を供した女性に、代わりの千円札が出される。その際にマスターが貫通、異動のマジックをやった。しかし、失敗っぽい感じがした。
いままで私たちは驚異のマジックをさんざん見てきたから、カウンターの実年男女は、これも演出のひとつと思ったようだ。だがこれは違う。こんな結果は見たことがないからだ。
マスターは6番の女性から新たに千円札を借り、今度は成功した。私はマスターの意地を感じたのである。
これにてお開きである。今年も面白かったのだが、何となくマスターの雰囲気がハードというか、全体的にピリピリしたムードが漂った気もした。
最後は一本300円のスプーンを、みなが買うのが慣例である。私は先ほどの50円玉を回収せねばならないが、それはスプーンを購入するときでよい。
今年はカウンターでの会計を兼ねており、そのぶん時間がかかる。個人の名前を書くサービスも、省略されているようだ。
私の前の女性は、右腕に気をかけてもらっていた。いよいよ私の番である。だが、カウンターにはおカネが一切なかった。私の50円玉は、誰かが持って行ってしまったのだろうか。
「面白かったです。スプーンをください」
マスターは何も言わず、スプーンをくれた。マスターのマジックを初めて拝見してから22年。この間マスターは人生の指針を教えてくれた。だが私は守れず、結婚もできぬまま転職を繰り返し、いまも人生の底辺で迷走している。マスターには、私が堕落した人間にしか見えないのだろう。もう、掛ける言葉もないということだ。
私は50円玉のことを言うと、マスターが返してくれた。これが私の出した50円玉だったのか、レジから出した50円玉だったかは判然としない。前者であることを願う。
川棚駅に戻ると、17時23分の上下線は出ていた。次は17時54分で、これも上下同じ時刻である。
私はこのあとの予定をまったく立てていない。昨年の2日目は、長崎・眼鏡橋近くの匠寛堂に行った。今年も行って、今年は皇室御用達のカステラを購入しようか。だが、カステラだけのために、わざわざ再訪するのもどうかと思う。購入するならネットでもいいからだ。
駅員さんは女性だった。それで、駅員さんにどちらの列車に乗るか、決めてもらおうと思った。
「長崎駅の方が宿泊場所はいっぱいありますけど」
駅員さんは困惑しつつ、答えた。
「ホテルは男ひとり、どこでも泊まれると思いますので、推しの観光地をお願いします」
と言ったって駅員さんが私の運命を決められるはずもなく、私は何となく、佐世保に行くことになった。
「480円です」
駅員さんが券売機の「480」を押してくれ、私は480円区間を乗ることになった。
この駅はまだオレンジカードを使えるし、私も所持しているが、この券売機はオレカ使用にやや不安があるので、現金で買う。
と、構内に真っ白い毛並みに絶妙な黒ぶちの猫が現れた。メスなのか、ものすごい美形で、彼女?が人間だったら、相当に男を惑わすことだろう。
私はカメラを向けると、猫は逃げないどころかこちらに寄ってくる。よほど人間に慣れているのだろう。
私は猫の盆の首あたりを撫でてやると、猫はさらに擦り寄ってきた。そして私の手首を噛み、爪を立てた。これは猫なりの愛情表現と解した。
列車が到着したようだ。猫ともお別れである。
「佐世保駅前に東横インがあります」
「ああどうも、私、会員なんです」
私は気持ちよく列車に乗り込み、スマホで佐世保の東横インを繰る。すると、満室になっていた。ほかのホテルも同様である。
佐世保にはサイバックというネットカフェがある。しかし場所がうろ覚えだし、ネットで調べてもそれらしき店はなかった。むろんほかにもネットカフェはあるが、1泊だけなので、布団の中で眠りたいところでもある。
ためしに、佐世保の手前の早岐を調べると、1軒だけ、ビジネス旅館の空きがあった。
どうしようか……。
(つづく)