一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

大山王将57歳VS中原名人33歳

2021-12-07 21:01:36 | 将棋雑記
大山康晴十五世名人は中原誠十六世名人に55勝107敗(.340)だった。この数字から、大山十五世名人は中原十六世名人に勝てなかった、という評価になっている。
これは大山十五世名人が加齢で勝てなかった、ということではなく、大山名人(四冠王)の時代から、中原青年に勝てなかった。簡単に言うと最初の10局が3勝7敗―もっと言うとそのあとも3連敗し、3勝10敗になった―だった。
しかし私が言いたいのはここからで、大山十五世名人が立派なのは、この勝率を死ぬまでキープしたことだ。大山十五世名人が加齢により衰えていく一方だったのに、である。ヘンな書き方だが。
しかも50歳代後半の一時期(いい所取り)では、中原十六世名人と互角の勝負になっていた。ちょっと記してみよう。

1980-09-25 第28回王座戦第1局 ○大山―●中原
1980-10-06 第28回王座戦第2局 ○大山―●中原
1981-05-14 第38期棋聖戦本戦準決勝 ●大山―○中原
1981-07-22 第22期王位戦第1局 ●大山―○中原
1981-08-04 第22期王位戦第2局 ○大山―●中原
1981-08-19 第22期王位戦第3局 ●大山―○中原
1981-08-27 第22期王位戦第4局 ●大山―○中原
1981-09-07 第22期王位戦第5局 ○大山―●中原
1981-09-21 第22期王位戦第6局 ○大山―●中原
1981-10-01 第22期王位戦第7局 ●大山―○中原
1981-10-31 第2回将棋日本シリーズ決勝 ●大山―○中原
1982-01-18 第31期王将戦第1局 ●大山―○中原
1982-01-28 第31期王将戦第2局 ○大山―●中原
1982-02-08 第31期王将戦第3局 ●大山―○中原
1982-02-19 第31期王将戦第4局 ●大山―○中原
1982-03-04 第31期王将戦第5局 ○大山―●中原
1982-03-18 第31期王将戦第6局 千日手
1982-03-30 第31期王将戦第6局指し直し局 ○大山―●中原
1982-04-07 第31期王将戦第7局 ○大山―●中原
1982-09-17 第21期十段戦挑戦者決定リーグ ●大山―○中原
1982-10-11 第21期十段戦挑戦者決定リーグ ●大山―○中原
1982-10-31 第3回将棋日本シリーズ決勝 ○大山―●中原
1983-01-24 第41期A級順位戦 ●大山―○中原
1983-01-30 第8期棋王戦挑戦者決定戦 ○大山―●中原

実に大山十五世名人の「11勝12敗」である。
1980年9月25日の時点で、大山十五世名人は57歳で王将を保持、中原十六世名人は33歳で名人・十段・王位・棋王を保持する四冠王だった。
大山王将はとうに全盛期を過ぎているが、中原名人は文字通り全盛期。そのふたりが対戦すれば、中原名人が圧倒しそうである。
だがこの23局に限れば、いい勝負になった。大山十五世名人は中原十六世名人相手に王座(当時は準タイトル)を奪取し、王将を防衛し、日本シリーズに優勝。棋王戦では挑戦者決定戦で勝ち、タイトル戦登場を決めた。王位戦は3勝4敗で惜敗したが内容はよく、大山王将の6勝1敗、とも言われた。
また1982年10月11日に指された十段戦リーグは大山王将が会心の指し回しを見せたが、最終盤に5手詰を逃し、大逆転負けを喫した。実はこの時、中原十六世名人は無冠に転落していた。大山十五世名人は王将を保持していたから、何とここで、タイトル数が逆転していたのである。
むろん当時も、50歳以降の大山十五世名人の強さは認められていた。だが中原十六世名人だって、50歳を過ぎてもこのくらいの強さは維持するだろう、と思われていたのだ。
だがそうはならなかった。中原十六世名人も谷川浩司九段も、50歳過ぎからめっきり衰えてしまった。ここに来て、大山十五世名人の評価が再び上がったのである。

棋王戦挑戦者決定戦終了の時点で大山十五世名人の53勝91敗(.368)だったが、ここで緊張の糸が切れたか、このあとは18局指されたが、大山十五世名人の2勝16敗となり、55勝107敗で両者の対決は終わった。
冒頭の命題に戻るが、大山十五世名人は中原十六世名人に勝てなかった。だが、中原十六世名人に追いつけと闘志を燃やしたことが、大山十五世名人の棋力維持に繋がったのではないかと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする