一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

富沢キック

2022-05-30 00:44:23 | 男性棋士
富沢幹雄八段は知る人ぞ知る名棋士である。富沢八段は、戦前の1943年四段。戦後に順位戦が始まり、富沢八段はC級に参加した。
若手時代には山田道美九段、関根茂九段、宮坂幸雄九段らと研究会を行った。これが共同研究の走りとされる。
富沢八段の得意技は、振り飛車に対する▲4五桂ハネだ。桂のタダ捨てだが△4五同歩▲3三角成△同桂に、▲2四歩△同歩▲同飛で飛車先を突破する。「山田道美将棋著作集」(大修館書店)にも紹介されている攻め方で、「富沢キック」と呼ばれた。
この「富沢キック」、私は実戦譜を見たことはないのだが、先日ひょんなことから、その該当局を知ることができた。

1991年7月4日に、第40期王座戦一次予選で、富沢幹雄八段VS藤井猛四段戦が行われた。藤井四段はこの年の4月に四段になったルーキーで、振り飛車の使い手という触れ込みだった。ここで富沢八段の「富沢キック」が炸裂した。では、ご覧いただこう。

第1図以下の指し手。▲5五角△6三金▲7七銀△4三銀(第2図)

当時富沢八段は71歳。丸田祐三九段に次ぎ2番目の長老棋士で、隠居した侍のような雰囲気があった。順位戦は前期にC級1組から降級し、C級2組に在籍していた。
第1図は藤井四段が△7四歩と美濃囲いの懐を拡げたところ。これがやや危険な一手だった。
▲5五角が機敏な手で、△6三金を強要。そしてゆうゆうと▲7七銀と上がる。
そこで△5四歩▲6六角△6五歩は、▲5七角△4三銀▲2四歩△同歩▲同角△2二飛▲2三歩△同飛▲4六角で先手勝ち。
よって藤井四段は△4三銀と上がり前述の変化に備えたが、ここであの手が出た。

第2図以下の指し手。▲4五桂△同歩▲3三角成△同桂▲2四歩△同歩▲同飛

▲4五桂が「富沢キック」である。前述の通り、桂損の代償として、飛車先の突破に成功した。
なおこの進行になったとき、後手の左金は△6三にいたほうが、先手としては指し易いのだ。
そこから丁々発止の攻め合いとなり、局面は進んで第3図。

第3図以下の指し手。▲1二竜△2九竜▲7四桂△同金▲6一馬△同銀▲7四歩 以下、103手まで富沢八段の勝ち。

▲3九香に△2二香と打ち返した局面。先手玉が居玉に還元しているのが面白い。
さて△2二香に▲同竜は、△6九桂成▲同金△2二馬で後手勝ち。
よって▲1二竜に△2九竜となったが、そこで▲7四桂の王手を利かし、△同金に▲6一馬とバッサリ行ったのが好手だった。△6一同銀に▲7四歩と金を取り返し、先手優勢である。
以下も富沢八段が的確に攻め、勝ち切ったのだった。
老雄にしてやられた藤井四段だったが、翌1992年1月の第5期竜王戦6組では、再び富沢八段と対峙し、雪辱を果たした。しかし戦型は、相矢倉だった。
そして藤井四段はこの後「藤井システム」を開発し一世を風靡。1998年には第11期竜王戦で谷川浩司竜王を破り、竜王位に就いた。
いっぽう富沢八段は1992年初頭から体調を崩し、順位戦C級2組は9回戦と10回戦を不戦敗。降級点が付いてしまった。
引き続き1992年度、93年度も休場し、自動的に降級点3となり、規定により引退となった。
よって、たぶんではあるが、上記の藤井四段戦が、公式戦最後の「富沢キック」だったと思われる。
富沢八段は1998年1月10日、77歳で逝去。記録より、記憶に残る棋士だった。
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