一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ゆんたくの時間

2010-08-21 13:31:15 | 旅行記・沖縄編
姉夫婦といっしょだった妹さんは、斎田晴子女流四段に似ていた。しかし16日(月)のゆんたく(おしゃべり)では、ヘルパーのサトコさんが「大竹しのぶに似ている」と言ったので、ここでは彼女を「シノブさん」と表記する。
そのシノブさん、私が前夜(15日)のゆんたくに参加すると、
「いい声してますねー。声が大きい!! 大きいですねー」
と私の声に感心してくれた。彼女は声に関する仕事をしているそうで、それでヒトの声が気になるらしかった。
私は、頭髪は白髪まじり、ド近眼、鼻炎、耳鳴り持ち、慢性的歯槽膿漏と、顔のパーツに関してはどれも不健康である。唯一まともな「声」を褒められたのは久しぶりで、私はちょっと照れ臭かった。
16日の昼は、シノブさんはユースでゴロゴロ。サトコさんと午後2時すぎまで、ガールズトークをしていたという。ユースに限らず宿の類は午前中にチェックアウトしなければならないが、彼女は連泊中だし、八重山の民宿では、昼間もゴロゴロする例は少なくない。
そうして夜になった。ゆんたくの時間は8時からだが、もうメンツが揃ってしまったので、誰からともなくしゃべりだす。テーブルの上には、泡盛各種と、つまみが載っている。
シノブさんは、ボイストレーナーの仕事をしていた。基本的にフリーランスで、事務所を通じて依頼があれば、全国どこでも飛んでいくという。仕事柄、芸能人の生徒も多く、いろいろウラ話を聞かせていただいた。
「ウラ話」だからここにはあまり書けないが、とか言って書くが、最近のデジタル機器の発達は凄まじいものがあるという。たとえばアイドルが歌を出す。アイドルはルックスが大事で歌唱力は二の次だが、ある程度の売り上げは見込める。しかし肝心の歌が下手ではシャレにならないから、そこをデジタルの力で修正するのだ。その辺のテクニックが私の想像を絶していて、私は「ほお~」「そうですか!」「なるほどなるほど」と、唸るばかりだった。
「SMAPの中でいちばん歌が下手なのは誰なんですか?」
と、かねてから気になっていたことを訊いてみた。するとシノブさんは
「6年前の時点では…」
と答えてくれたのだが、ああ…書けん!! これも「ええっ!?」と、俄かには信じがたい答えとエピソードが出てきて、私はあんぐりした。
サトコさんが、私のしゃべり方や声が誰かに似ているという。自ら目をつぶり、私に、何かしゃべってみて、と言う。私がしゃべると、ややあって、
「ああ、エナツだ!」
「エナツ? 江夏豊ですか? 野球の? ええー、それは言われたことがないなあ。江夏ですか、江夏。う~ん」
「エナツ? エナツじゃない…誰だっけ、ああ違う、エガワだ、エガワ!!」
「ああ、江川卓ね! なるほど。それは私も、自分でしゃべり方が似ていると思ったことはあります」
「ねえ、似てるよねえ!」
サトコさんがシノブさんに同意を求める。彼女も同意した。
「ほら、声の専門家が認めてるのよ! キャー、もう江川卓の声にしか聞こえない!! キャ~ッ!!」
まあ私も、あんな有名人の声に間違われれば、悪い気はしない。それから私は、極力江川卓の話し方をマネするようにした。
そのサトコさん、シノブさんもそうだったが愛知県在住だった。宮古島の長谷川真弓もそうだったが、今年は愛知県民によく出会う。たしか名古屋から石垣までの直行便が飛んでいたはずだが、その影響もあるのだろうか。
中井広恵女流六段の遠い親戚のようなサトコさんは、おカネを貯めては各地を旅行しているという。中でも沖縄が好きなのは、ここでヘルパーをしていることでも分かる。肌はこんがりと小麦色だ。
けっこうな年齢の彼女らは、何の悩みもないようないような、アッケラカンとした表情をしていたが、私生活を聞くといろいろあり、笑いの中にもしんみりした空気が漂った。となれば私も自分のプライバシーを多少は晒さないといけないわけで、まあ…いろいろ話してしまった。
結果的に、女性ふたりに人生相談をするカタチになったが、
「大沢さん、そんなことで悩んでるの? アナタ、それは悩みとはいいません。アナタが鈍感なだけで、それはとっくに解決しています!」
と断言された。女性と男性の心理はこんなに違うものなのか。ある局面を私は厳しい形勢、と見ていたのに対し、解説の女性陣は「大沢必勝」と結論づけたのだ。「助からないと思っていても、助かっている」らしく、私は彼女らのご宣託後も、本当にそうだろうか、と疑心暗鬼を生じたものだった。
とにかくこのときの3人の会話が爆笑モノだったのだが、さすがにそれは書くわけにはいかない。省略する。
戻って、シノブさんの話を続けて聞く。とにかく別世界の話で、意外な話の連続に、私はあんぐりするばかりだ。当たり障りのないところを書けば、黒人歌手の歌がうまいのは、骨格の構造が白人と違うからだという。演歌歌手は総じて歌がうまく、誰の歌でも音を外さず、無難に歌いこなすという。うまい歌を歌うには胸筋を鍛えるのが肝要で、ボイストレーニングの最初は、然るべき場所に筋肉をつけることから始めるという。
…などといろいろ話していると、あっという間に11時をすぎた。LPSA金曜サロンの連中とジョナサンで談笑しているときより、早く時間が過ぎた感じだ。
シノブさんはヨガもやっているので、就寝前に、左右の骨のゆがみを直す体操、骨盤を閉じたり狭めたりする体操をいっしょにした。ボイストレーニングの方法やヨガのミニ教室は、本来なら有料である。それを無料で教示していただけるのが、旅の特典だ。
旅行とは不思議なもので、昼の観光が大したことがなくても、今回のように同宿者との話が楽しければ、その旅は面白かった、という印象が残る。また同じ宿でも、同宿者やヘルパーのメンツによって、その印象もガラリと変わる。
この日は仲本海岸でシュノーケルのゴム輪っかが切れたり、楽しみにしていた喫茶店に寄ることもできずさんざんだったが、ゆんたくの時間ですべてをひっくり返した感じだ。とても楽しい時間を過ごすことができ、その日は気持ちよく就寝した。
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仲本海岸でキレる

2010-08-20 01:35:41 | 旅行記・沖縄編
「石垣島ラー油」を買うようになってから、離島めぐりは日帰りが主になってしまった。ラー油を1本買えば2本目が欲しくなり、2本目を買えば3本目が欲しくなる。石垣にいる限り、この欲求は変わらない。もっとも石垣の宿に荷物を置いてあっちこっち訪ねるほうが、身軽ではある。16日(月)は、黒島を日帰りすることにした。
午前9時30分、石垣港ターミナルに着く。黒島行きの高速船は、安栄観光の9時30分発があった。以前は10時00分発だったが、ダイヤが変わったのだろう。いまから乗船はできないので、次の11時00分発まで待つ。むかしはもっと乗船時間に敏感だったが、最近はガツガツ移動しなくなってきた。これを旅慣れてきたと見るか、歳を取ったと見るか。
大阪氏によると、黒島・仲本海岸は昼までが満潮で、4時ごろが干潮だという。だから多少の遅れは構わない。11時00分発の高速船に乗り、11時25分、黒島着。
と、黒島港前から出ていた、仲本海岸行きの乗合バスが廃止されていたので驚いた。その代わりレンタサイクルに乗れ、ということらしい。たしかに乗合バスは、ワゴン車の維持費、人件費など、意外とおカネがかかる。その点自転車なら、1台買えば数十回のレンタルで元が取れる。島に泊まる人は港まで送迎車が来ているし、小さい島なので徒歩でも回れないこともない。前日の竹富島のバスのオジサンは、観光客が少なくなった、とこぼしていたが、黒島もそうなのかもしれない。などといろいろ考えると、バスの廃止も頷けるところがあった。
私は島の中心部へ徒歩で向かう。もうここから、ほかの観光客と移動手段が違う。
どこまでいっても真っ直ぐな一本の道と、その両脇に青々と繁る木々。太陽が高い。黒島の人口より多いといわれている牛が、建物の陰でグターッとしている。竹富島のバスの運転手が、
「東京は日陰に入っても暑いけど、沖縄は日陰に入れば涼しい」
と言っていたが、なるほどそうかと思う。
黒島郵便局が見えてきた。ここで816円を貯金する。そこからは一路仲本海岸へ向かう。さっきから太陽の光を直接浴びているが、遮るものがない。肌の露出しているところに、せっせと日焼け止めクリームを塗り、麦わら帽子を目深にかぶるのみである。
午後1時少し前に、仲本海岸に着いた。八重山諸島の中で、私が好きな海岸ベスト3に入る、自慢のスポットである。とにかく海がきれい、熱帯魚はいっぱい泳いでいる、サンゴも見られる、潮が引けばリーフも歩ける、水着のおねーちゃんもカラフルな…なによりシャワー室やトイレがしっかりした建物なのがよい。これは無料で、そこが高得点の理由でもある。しかしこの日はお盆すぎの平日。驚くくらい、人が少なかった。
まだ海水が高いが、魚とサンゴは間近で見られる。海に浸かっては出、一休みしたら海に入る。それを繰り返し、何度目かの入水のときだった。
クン、とシュノーケルマスクの留めヒモが外れた。よく見ると、マスクの付け根の輪っかの部分が切れてしまったのだ…!! これでは海に潜れない。
突然の終了、というやつである。
反射的に時計を見る。2時59分だ。これは微妙な時間だった。というのは、帰りの高速船は16時00分と18時00分。いまからなら着替えを済ませて20分、帰りを徒歩で40分と、ピッタリ16時00分の高速船に間に合う。しかし私は黒島ビレッジセンターの近くにある「パームツリー」で、ケーキセットを食すのを楽しみにしていたのだ。去年は満員で入れなかったから、今年こそと意気込んでいたのに、これじゃあパームツリーに入った後の、時間の潰し方がむずかしい。
熟考のすえ、私は16時00分の高速船で石垣に戻ることにした。帰り道、パームツリーの前を通った。くそっ、きょうは閑散としているのに、その店を横目にその場を通り過ぎなければならないとは…!! まあいい。ケーキセットは来年のお楽しみだ。
石垣島に戻って、替えのシュノーケルセットを買いに行く。とはいっても港周辺や「あやぱにモール」ではなく、空港近くのサンエーとMax Valueへ向かう。
どちらも大型スーパーマーケットで、少しでもシュノーケルセット安く入手するための涙ぐましい努力だが、そのためにバス代はかかる。しかし川平公園などを往復できて5日間1,000円という、東バスの企画チケットがあるので、それを買った。
そこまで気合を入れたのに、上のスーパーに目的の品物はなく、港へ戻った。そこの土産物屋でいろいろ探したら、1,575円のセットが売られていた。チッ、最初から港付近を調べるのだった。
「パピヨン」で夕食を摂ったあと、半分不貞腐れて、ユースへ戻る。この日の宿泊客は前日よりだいぶ減って、前日の家族が一足早く帰り、残った妹さんと、私のふたり。新規の客はいないから、それだけだ。ヘルパーさんは、香港の彼が旅立って、サトコさんひとりとなった。つまり女性ふたり、男性ひとりのゆんたくである。
この状況を、私は喜ぶべきなのだろうか。まあふだん女性と接する機会はほとんどないし、邪魔な男性客もいないから、やはりラッキーというべきなのだろう。
しかしこの日のゆんたくがあんなに凄まじいものになるとは、このときの私に予想できるはずもなかった。
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「石垣島ラー油」を買う

2010-08-19 20:34:15 | 旅行記・沖縄編
15日(日)の夕方、八洲旅館ユースホステルにチェックインし、私は外出した。石垣島に来ると必ず寄る軽食喫茶「パピヨン」があり、何はともあれ夕食を摂ればよかったのだが、先にネットカフェへ入ったのがマズかった。店を出たのが午後9時すぎで、「パピヨン」に向かったら閉店したところだった。残念。
ユースに戻ると、この日の宿泊客があらかた集っていた。2歳の子供を連れた夫婦、その嫁さんの妹、東京から来た青年氏、大阪在住の常連氏、それに私の合計7名。ヘルパーは香港出身の青年、中井広恵女流六段の遠い親戚のような顔のサトコさんの2名。途中から、近所のTシャツ専門店のデザイナー氏が加わった。
もう夜も更けたから、ゆんたくの時間が始まっている。テーブルの上には、八重泉、請福の泡盛に混じって、「泡波」がふつうに置かれている。
「泡波」とは波照間島で製造されている泡盛で、その稀少性から、一部では「幻の泡盛」と呼ばれている。ペアレントさん(82歳のおばあ)の知り合いが波照間島にいて、何本か贈ってきたらしい。左党のホステラーには堪らないラベルだろうが、下戸の私には猫に小判で、あまり有難味を感じない。しかし話のタネにと、一口味わう。……。まあ、こんなものだろう。
さて16日(月)からは、宿の近くにある辺銀(ペンギン)食堂で、「石垣島ラー油」を買わなければならない。「石垣島ラー油」はあらためて説明するまでもないだろう。全国的なラー油ブームの火付け役となった、八重山郵便局前の「ゆいロード」の並びに居を構える、中華料理店「辺銀食堂」が販売するラー油である。1日の発売が200個だか300個だか、限定販売のうえ、1人1回1個のみの購入なので、すこぶる入手がむずかしい。
昨年夏、船戸陽子女流二段との雑談で、ここのラー油の話が出た。船戸女流二段は辛いもの好きで、どんな料理にも香辛料をふりかける(らしい)から、彼女のファンの私は、株を上げるチャンスとばかり、8月に石垣島を訪れたとき、毎朝辺銀食堂に通っては、しこしことラー油を入手したのだった。
けっきょくそれは○個にのぼり、私は全てを船戸女流二段に差し上げた。その何ヶ月かあと、某中井広恵女流六段にその話をしたところ、某中井女流六段は目をくわっ、と大きく開き、
「私だってギョーザ作りますけど!」
とマジギレしたので、私はビビった。
(な、中井先生、先生は料理なんて作らないでしょ?)
某中井女流六段の旦那さま(某植山悦行七段)の情報では、某中井女流六段は当時、代表理事の業務で多忙をきわめ、ここ何年かは手料理を作ったことがない、とのことだった。つまり絶対に、ギョーザを作るわけがないのだ。某中井女流六段に限らず、どうして女性は負けず嫌いなのだろう。
なかんずく、今年正月のLPSA新年会で、「LPSA18人に聞きました」という企画があり、その中に「あなたの得意料理は?」という設問があった。「餃子」という回答者は2名いたのだが、そのうちのひとりはやはり某中井女流六段であった。
これが私への無言のメッセージに思え、
(こりゃあ今年は中井先生にもラー油を買っていかねばなんねーな…」
と、私は観念したのだった。
そして話は15日のゆんたくに戻る。
私が石垣島ラー油の話をすると、八重山にやたら詳しい大阪氏が、現在辺銀食堂でラー油を求めるには、整理券をもらわなければいけない、と言うので驚いた。ちなみに彼とは去年もこの場でいっしょになっているが、話はしなかった。
「ええっ? 開店時間(午前9時)から並んだ順に買えるんじゃなかったんですか?」
「いえ、いまは7時半ごろから整理券を配って、9時以降にその整理券を持っている人だけが、ラー油を買える仕組みになっています」
「いや、だって私は去年だって買ったんですよ! そのときは9時少し前に店の前に並んで、余裕で買えてたんですよ!」
「いやいやいまは人気が出ちゃって、ラー油を買うための整理券が必要になったんです。だから7時前には行列ができてますワ」
「あらー、たった1年で、そんな事態になっちゃったんですか!!」
ここのラー油がどのくらい旨いか知らないが、たかだかラー油を買うために朝の7時前から並び、しかも整理券をもらうだけで、再び出直して9時以降に買う。なんと面倒くさいシステムか。
私は「待つ」のはいいが、「待たされる」のはイヤだ。私が唸っていると、大阪氏はさらに情報をつけ加える。
「あとは昼の時間に780円以上の飲食をすると整理券がもらえて、1本ラー油が買えるんですワ。夜は2,000円以上の飲食で1本」
はあ…。なるほど、朝に買い損ねた客への敗者復活戦も用意されているわけだ。しかしそれにしたって、やっぱり人が並ぶのではないか? いや~、こんな思いをしてまで、ラー油を買う価値があるのだろうか。
しかし某中井女流六段がラー油を手にして、
「大沢さん、ありがとう」
とこぼれるような笑顔を想像すると、こんなバカバカしい行為も堪えられそうな気がするのだ。
この日は午後11時すぎに就寝。
翌16日(月)は、午前6時45分に起床した。朝食にはまだ早いが、ヘルパーのサトコさんがおにぎりを作ってくれたので、それをほおばり、辺銀食堂へ向かう。
お店の前に着いたのは7時12分。もう11人ほど並んでいる。これで整理券をもらえるのは確実だが、しかし噂どおり、本当に並んでいた。大阪氏の言うことはウソではなかったのだ。
壁際に掛けてあった「辺銀食堂からのお知らせ」を手に取る。現在の販売方法では近所のみなさんの迷惑になるため、その解消のために整理券の配布に踏み切った旨の説明がなされている。ただしこのシステムは繁忙期のみだ。その下には、大阪氏が言っていた「ランチタイム780円以上、ディナータイム2,000円以上は…」が書かれていた。
私のうしろに、一人旅と思しき男性がついた。
「このシステム知ってました? まったく恐ろしいことになったもんですよねぇ…」
と、私は話しかける。彼も、本当にそうですねぇ…という顔だ。
7時30分。うしろに行列はできているが、そんなに長くはない。これは早く来過ぎたか? しかしその10分後に振り返ると、行列が大通りの角近くまで伸びていた。いきなり人が増えた感じだ。やはり早い時間に並んでいてよかったと思う。
自転車に乗った地元の小学生たちが、「(あの人たちは)ラー油を買うんだよ」とか言って去ってゆく。彼らには私たちが滑稽に見えるだろう。そしてそれは正しい。
先頭のおじいさんが
「ワシは6時半から並んどった」
とか言っている。誰かが道の反対側に飛び出し、私たちを撮影している。この行列を撮るためだ。14日夜は「南の島の星まつり」と題して、午後8時30分から9時30分まで石垣島全島をライトダウンし、島民や旅行客みんなで星空を楽しんだそうだ。辺銀食堂でラー油を買うことも、石垣島イベントのひとつといえばいえる。
7時54分、ついに整理券が配られ始めた。いただいた整理券は、ナンバリングはされていないが、「2010.8.16」の日付が押してある。とりあえずは、ラー油の購入権は得た。これで某中井女流六段に堂々とラー油を渡せる。
私は一旦ユースに戻り、この日の仕度を始めた。八洲旅館ユースには、3連泊するつもりである。9時すぎ、宿を出た。まったくバカバカしいが、再び辺銀食堂に行き、そこの2階で、石垣島ラー油を手に入れた。800円。
ずいぶん長い道のりだった。と、そのとき、某中井女流六段の笑顔が、再び脳裏に浮かんだ。
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長谷川真弓と本田小百合女流二段

2010-08-18 16:10:45 | 旅行記・沖縄編
14日(土)は早くも宮古島最後の夜となったが、最後の晩餐は、繁華街から少しはずれた中華料理屋に入った。ラーメンは450円だが、店名が入った「大将ラーメン」は500円である。この50円の差に興味を惹かれて、こちらを注文する。
出てきた「大将ラーメン」は、もやしがこんもりとのせられていた。これが「大将」の正体だったか。麺は内地の縮れ麺と違って、ストレート麺。やはり違和感がある。スープにはニンニクがたっぷり利かせてあり、ゴマの量がやたら多かった。総合的には美味だった。ただし内地の人間には、毎日はつらいと思う。

翌15日(日)。朝食の前に、宮古毎日新聞に目を通す。実にゆったりした1日だ。
宮古毎日新聞に限らず、地元の新聞には、当日の飛行機や船の情報が掲載されている。私がこの日乗るのは11時10分宮古発・11時40分石垣着の、JTA941便である。12,400円。もっと早い便があればもちろんそれに乗るが、石垣行きは、この941便が始発なのである。
そのあとはRAC便が2本出ているのみ。フェリーの客船扱いは廃止になったから、島から島への移動は、だいぶ値段が高くなってしまった。ただしこの日のRAC便には「特便割引1」が適用され、前日までの予約なら9,600円で乗れる。JTAにはそれがないから、2,800円も安く乗れるのは大きい。
しかし私はその差額に目をつぶってでも、宮古島ユースホステルでのゆったりした朝食を採ったのである。ケチだか気前がいいんだか、分からない。
いちおう空席情報を見てみる。14日午後5時現在のそれは、JTA941便が130席、その次のRAC831便が27席もあった。RACはプロペラ機だから、残数が27でも、やはり多い。いまの時期、もう下り便に乗る人は少ないのだ。ところがそのRAC便の時刻を何気なく見た私は、「あっ!!」と声を上げてしまった。
これ、石垣行きの最終便は17時35分発である。それは知っていた。しかしその前、つまりJTAの次のRAC831便の発時刻が、11時35分だったのだ。なんと、JTA離陸後のわずか25分後である。
ふつう、「1日3本」のダイヤだったら、誰もが朝、昼、夕に1本ずつと考える。しかしこれは11時台に2本、夕方に1本と偏ったダイヤだ。これだったら誰だって、JTA11時10分より、「特便割引1」の利くRAC11時40分発を利用する。なんでこんなダイヤにしたのだろう。
上り便を見ると、RACの2本はそのまま上りとなって宮古へ引き返す。しかしJTAにはそれがない。おそらく石垣から那覇へ行くなりするのだろうが、とにかく機材を石垣に運ぶ関係で、この時刻にムリヤリ組み込んだものと思われた。
いや~、それにしても何ということだ。私だってこの時刻を知っていたら、RACを選ぶ。しかし第2便の時刻を確認しなかったうえ、もう発便当日になっているから、「特便割引1」は利かない。けっきょく私は、JTAに乗るしかないのだった。
ああ…と思う。余計に払う形となった差額の2,800円は、ユースホステルの宿泊料に相当する。石垣空港に30分早く着くために、たいへんな散財をしてしまった。

呆然としたまま、朝食。メンバーは「長谷川真弓」母子に青年。前日と同じだ。
朝食を終えた後、雑談(ゆんたく)となった。前日にある程度話をしたから、多少は打ち解けている。当然、自分のプライバシーに関する話も出てきた。
いろいろ話すうち、長谷川真弓が、
「私、離婚してるんですけど…」
と言った。それは私たちも薄々気がついていたので、そこは驚かない(2日前の当ブログのタイトルも違うことになるが、そのままにしておく)。しかし彼女は何年か前、同じマンションに住む男性にプロポーズされ、それは断ったらしいのだが、なんと彼女はその男性の名前を忘れたと言うので、それはさすがに私たちもあんぐりした。
…そうなのか? 女性は自分が振った男性の名前を、こうも簡単に忘れてしまうものなのか? 私など、22年前に一目ぼれした女性のことを、いまだに思い続けているというのに…。
さらに話を聞くと、彼女は自分の職業を「投資家」だと言った。こんな職業がこの世に存在するなんて、私は知らなかった。彼女は続けて、
「1日で500万円稼いだこともありますよ。だから私、おカネには困ってないんです」
と言った。
1日で500万円!! マイナビ女子オープンの優勝賞金が500万円である。それを1日で得ることもあるとは、「投資家」とは、なんという職業なのか。私なんか、毎日コツコツ働いたって、女流棋士の平均年収にも満たない。長谷川真弓から見たら、私の職業なんかみすぼらしくて大笑い、というところだろう。
さらに彼女は、いま傍らにいる息子さんを、ケンブリッジ大学かハーバード大学に入学させると言ったので、私たちはまたたまげた。親は子供に対して最大限のサポートをするものであり、それを突き詰めると、世界最高学府への入学、ということらしかった。
なんだか知らないが、すごい話になってきた。ケンブリッジもハーバードも、すごい大学なのであろう。そこにハナから入学させるつもりでいるところがすごい。将棋でいえば、息子をプロ棋士にし、名人を獲らせます、と言っているようなものだ。
そしてこうした話を聞けば、前日の彼女の言葉が理解できる。9時20分のバスで1時間40分早く目的地に着けるのだから、早く出発すべき…。合理的な彼女には、それが当然の主張だった。港近くの図書館の居場所を詳しく訊いたのも、子供さんを連れて勉強に行きたかったのかもしれない。
しかし子供の能力の問題は、どうなのだろう。親が躍起になっても、子供がその期待に応えられなければ、なんにもならない。ケ大学やハ大学には、親の七光りは通用しない。これは将棋界でも同じだ。彼は見たことろ落ち着きがなかったが、目に力はあった。それらしい雰囲気は持っていた。
私は子供に、せいぜいがんばってくれ、と心の中でエールを送るのだった。
なお新城海岸でシャワーを浴びていた長谷川真弓似の女性は、やはり彼女だった。宮古島は広いが、たまたま同じ場所にいたとは珍しい。
ついでに、同宿の青年にも触れておこう。彼は現在26歳だが、まわりの友達が続々と結婚をしているので、自分も焦っているという。
人間、知らず知らずのうちにヒトの心を傷つけていることがある。先の言葉は、私への強烈な皮肉としか思えない。さらにLPSAの女流棋士である、石橋幸緒女流四段、船戸陽子女流二段、中倉宏美女流二段、大庭美樹女流初段、島井咲緒里女流初段にケンカを売っているとしか思えない。もっといえば、女流棋士会の清水市代女流王将、斎田晴子女流四段などにも…まあいい。

宮古空港には歩いていく。途中、間に合わないかと思ったが、なんとかチェックインすることができた。しかし搭乗待合室は閑散としている。
4つあるテレビモニターのひとつに、NHK杯将棋トーナメントが映っていた。解説は木村一基八段。先日の日レス杯で解説は、少ししか拝聴できなかったが、爆笑モノだった。
いまここでテレビに見入ってしまうと、自宅に戻ってからビデオを再生する楽しみがなくなる。見たいのをグッと堪えて、搭乗する。
注目の乗客数は、やはり少ない。ジェット機だからかなりの人数が乗れるはずだが、20人にも満たない。なのにスッチーは3人もいる。…あれっ? 本田小百合女流二段!? なんで本田女流二段が、スッチーで搭乗しているのだ!? あ、いや、よく見たら別人だった。
座席数は横が3+3の6席。それが約25列あるから、ざっと150人乗りだ。12,400円も出しているだけあって、ずいぶん贅沢な移動である。私の前は、子供が6人、横に並んでいる。
本田女流二段が来て、子供たちの年齢を聞く。それぞれ6歳か7歳とか答えている。
やがて本田女流二段が再びやってきて、記念品の類を渡し、
「ぼくたち、偉いねー」
と子供たちを褒めた。まるで幼稚園の保母さんのようだ。ということは、本物の本田女流二段も、幼稚園の保母さんが似合うということだ。老人ホームの介護ヘルパーもいいかもしれない。とにかく本田女流二段は、誰かを手助けする職業が似合うと思う。そんな彼女が、実際は勝負の世界に生きている。世の中分からないものだ。

飛行機は定刻に石垣空港に到着。いよいよメインの石垣島である。
まずは空港バスで石垣港に向かう。港に着いた。たしか2年前に完成した石垣港ターミナル構内は、冷房が利いて快適だ。…あれっ? 船戸陽子女流二段!? …ああ、別人か。たしか沖縄本島では、上田初美女流二段に似た人を見た。船戸女流二段は八重山系、上田女流二段は沖縄本島系のオキナワ顔である。
私はとりあえず竹富島へ向かう。半日の持ち時間なら、竹富島くらいがちょうどいい。
島へ着くと、乗合バスでコンドイビーチへ向かう。ここは水着のおねーちゃん度が各段に高い。
果てしない遠浅の海、サンゴないからカラダを傷つけない、よってウェットスーツやライフジャケットを装着する必要がない、白い砂、石垣島から近い、バスで行ける、シャワー室がある、更衣室がある、名前が全国的に知れ渡っている…など、女性が水着…ビキニファッションを誇示する条件がそろっているのである。
私も彼女らを鑑賞したいが、この真夏の太陽が照りつけるなか、じーっとしているのは苦痛だ。さりとてこの浅い海では海水浴も長時間楽しめず、私は小1時間ほどで海を上がった。そのあとは集落に近いカキ氷屋でふんわりふわふわの氷ぜんざいを食べて一休み。さらに「なごみの塔」の上って島内を一望し、石垣島へ戻った。
この日の宿は八洲旅館ユースホステル。明日(16日)は、辺銀(ペンギン)食堂で石垣島ラー油を買うぞ…と意気込んでいると、その日の夜、同宿者の男性から意外な情報を聞かされ、私はまたも唖然とすることになった。
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2つの落とし物

2010-08-17 09:20:54 | 旅行記・沖縄編
というわけで14日(土)は、9時少し前に平良営業所へ向かった。この日は同じ宿に泊まるから荷物も軽くしていいのだが、手提げ袋ひとつにまとめると、泳いでいるときに金品を盗まれるかも分からない。余分な着替えだけを部屋に置き、旅行カバンを肩から提げていった。
9時10分すぎ、平良営業所に着く。同所はバスの発着所であり、事務所も構えているが、それにしては目立たないところにあって、うっかり素通りしてしまうこともある。
さて、海に入るには日焼け止めクリームが必須だ。沖縄の日差しは凄まじいもので、何も対策を施さずに1日太陽の陽を浴びていると、軽いやけど状態になってしまう。中倉宏美女流二段などは肌が白いので、赤く腫れてしまうだろう。まあそれはそれで、妙にセクシーだが…。
とりあえず日焼け止めクリームを出す。いや、出そうとした。しかしカバンの中を探したが、どこにもない。前日にどこかで落としたのだろうか。吉野海岸の浜に忘れてきたのだろうか。人間だもの、忘れ物は仕方ないが、まだ1日しか使っていない。それが誰かに拾われ、使われているのかと思うと不愉快である。
なんだかモヤモヤしたままバスに乗る。長年宮古島を訪れていながら、9時20分発のバスに乗るのは初めてとなる。日焼け止めクリームの紛失も含め、自分の馬鹿さ加減にあらためて呆れてしまう。その時、もしやと思い、カバンの隅にあるポケットの中を見てみた。ああ…クリームがあった…! 落とさないように、いつでも取り出せるようにと、わざわざここに仕舞ったのを、すっかり忘れていたのだ。どんな安物でも、失くし物が出てくると嬉しいものである。
よし、これで水着のおね…サンゴの鑑賞に専念できる、と私は気分を新たにした。
9時20分、バスは平良営業所を出発。9時50分、保良に到着した。すぐさま折り返し、52分、吉野を通過。55分(正確には2分遅れ)で新城バス停に着いた。まさかこんなに早い時間に、このバス停に立てるとは思わなかった。やはり長谷川真弓似の女性の言にしたがって、よかったと思う。
30分近く歩いて、新城海岸に着く。この海岸は、海の家の経営者が建てたものだと思うが、浜の左右に屋根つきの無料休憩所がある。しかし左と右では業者が違う。だから海水浴客の争奪が熾烈だ。なぜおならそのお客に、あとで軽食を摂ってもらうことを期待しているからだ。
人間の心は弱い。無料で休憩所を提供されれば、なにかお返しを、と考える。私なんか自由な一人旅だから、浜の木陰に荷物を置くだけで構わないのだが、日除けの屋根があってベンチがあれば、やはりそちらを選ぶ。けっきょくこの日は、そこの海の家が提供する宮古そば(500円)と、氷いちご(200円)を食べた。
さて肝心の水着のおねーちゃんだが、いやサンゴとサカナだが、サンゴは吉野海岸に劣らず多かった。ただ、沖のやや先にあるのが難点だ。サカナの数は少ない。しかし吉野海岸の観光地化された景色に比べると、まだこちらのほうがのんびり泳げる。
14時ごろにあがって15時00分のバスに乗ることも考えたが、それでは泳ぐ時間が去年までと変わらないので、15時すぎまで泳ぐ。
浜にあがり、囲いのない無料のシャワーを浴びていると、長谷川真弓似の若妻がシャワーを浴びているのが見えた。バカな。彼女がここにいるわけがない。
着替えを済ませてバス停に戻るが、まだ時間があるので、新城公民館の軒先を借り、日除けをする。この貧乏臭さが私流である。
16時30分までもうすぐである。新城バス停へ戻る。この日の朝、営業所でいただいた時刻表を見ると、新城発は「16時40分」となっていた。これは?…あっ、そうだった!! 宮古協栄バスでは平成18年9月にバスダイヤの改正を行っており、そのとき上記の平良行き最終バスが、10分遅くなったのだ。4年前の旧時刻表をいまだにバス停に貼っているバス会社もバス会社だが、それに文句を垂れない地元の人もおおらかだ。これが沖縄人の持ち味といえよう。
さらにこれで氷解した疑問がある。前日の運転手のオジサンは、私のためにバスを遅らせてくれたのではなかった。私の存在など関係なく、ほぼ正確な通過時刻で走っていたのだ。考えてみれば当然で、一旅行者の行動を気遣い、バスの時刻をズラすわけがない。これは私の自意識過剰だった。
前日と同じく下地鮮魚店前で降り、「ブルーメ」に入る。この日は時間を気にしなくていので、アイスコーヒーとブルーベリーケーキのセットをオーダーする。ゆったりした、至福の時間であった。
再びユースに戻り、シャワーを浴びるべくカバンを開けると、バスタオルがないことに気づいた。海岸で着替えることきに腰に巻いた記憶はあるが、そのあとの記憶が飛んでいる。まさかあそこに落としたのだろうか? 道理で帰り道のカバンが軽いと感じたわけだ。
それにしても…あのバスタオルは何度か私と行動を共にした、戦友である。あれを置き忘れてくるとは…。どうしようか。翌日は一番の飛行機で石垣島へ向かうが、午前中に新城海岸を訪れ、海の家の従業員に聞いてきようか。しかしそれだと飛行機会社に電話をして、便変更の手続きをしなければならない。これは搭乗の前日だから可能だと思うが、めんどうだ。それにたかだかバスタオル1枚だけで、そんな行動をするのはどうなんだろう。
どうしようどうしよう、と考えたまま、とりあえずシャワーを浴び、あがってから、再度カバンの中を点検してみた。うん…? ビーチサンダルを入れていた柄物の袋が膨らんでいる。中をのぞくと、バスタオルが丸められてあった。そうだ…バスタオルが湿ったので、袋の中に仕舞ったことを、すっかり忘れていたのだ。
日焼け止めクリームといい、バスタオルといい、なくさないように、カバンの中を湿らせないようにと用心した結果、ひとりで騒いでひとりでホッとする独り相撲を演じてしまったというわけだ。
ともかく、これで翌日の飛行機は変更せずにすんだ。しかし当日の朝、やはり私は飛行機の便を変更するのだったと、後悔することになる。
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