一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

8月20日のLPSA金曜サロン

2010-08-26 01:44:16 | LPSA金曜サロン
8月20日のLPSA金曜サロンは、1部が島井咲緒里女流初段、2部が船戸陽子女流二段の担当だった。私が先日発表した、「私が勝手に選ぶ女流棋士ファンランキング」の、1位と3位である。これは仕事を切り上げてでも、サロンに赴くところである。きょうは自ら、仕事の早びけを直訴した。
ところでもしおふたりが13日の担当だったら、私は沖縄を旅行していただろうか。まあ、愚問であろう。
午後3時45分ごろサロンに入ると、大庭美夏女流1級がいらした。理事の仕事のようだ。サロン常連の某氏が、珍しく明るいうちから来ている。心境の変化か、口ヒゲをたくわえている。「あなたのお名前なんてーの?」の、トニー谷のようだ。なんだか怪しい。29日の社団戦に期するものがあるのか、それともきょうの指導対局で、女流棋士を笑わせて勝ちをもぎ取るつもりなのか。その真意を測りかね、口ヒゲの件には触れられなかった。
某氏のとなりでは、大庭女流1級の娘さんが将棋を指している。私の好敵手だ。夏休みだから、遊びに来たのだろう。
サロンの奥では島井女流初段が指導対局中である。その肌の白いこと!
彼女はこんなに色白だったろうか。LPSAで色白というと中倉宏美女流二段、というイメージがあったのだが、島井女流初段も負けていない。否、中倉女流二段以上に白いかもしれない。俗に「色の白いは七難隠す」と云うが、島井女流初段は「難」がないから、さらに美しい。6日間の沖縄旅行で浅黒い女性ばかりを目にしたせいか、きょうの島井女流初段は、ひときわまばゆかった。
島井女流初段の指導対局を受ける。私の顔が真っ黒なので、その説明をする。
「将棋まつりは行かれましたか?」
と訊かれる。12日から15日まで行われた、「京急将棋まつり」であろう。私はその期間に沖縄を旅行したので、行けるわけがない。このことから、島井女流初段は私のブログを読んでいないことが分かる。LPSAの女流棋士は、全員がこのブログを読んでいるわけではない。船戸女流二段も、最近はこのブログを読んでいない気がする。
と、その船戸女流二段がいらした。船戸女流二段のファッションは毎回楽しみにしているが、きょうは前面に白いフリルが波のように連なっている、涼しげな装いだった。
「今年初めて秋物をおろしたのー」とか言っていたが、あれで秋物では、ちょっと薄着ではないか? まあ、薄着に越したことはないから、それはそれでよい。ちょっと島井女流初段の服装と、系統が似ていたと思う。
島井女流初段、船戸女流二段との指導対局は、2局とも中盤まで自信はあったのだが、美貌に見とれてひっくり返された。ここがネットと違うところで、対面で指導対局を受けているがゆえに、逆に盤面に集中できないのが、皮肉である。余談だが先ほどの某氏は、おふたりに2連勝だった。口ヒゲ作戦図星、というところか。
石橋幸緒女流四段の姿が見える。石橋女流四段も、代表理事の仕事で忙しい。いろいろ言いたいことはあるだろうが、いまはグッと我慢のときである。
きょうは指導対局のほかにリーグ戦も3局指せた。やはり指導対局の女流棋士が早指しだと、会員同士の手合いがつく余裕が生まれる。
2部の指導対局も終わり、私は船戸女流二段に石垣島ラー油を渡す。現地では都合5本を入手したが、これをどう分けるか、頭を悩ますところであった。
船戸女流二段に4本、某中井広恵女流六段に1本、が相場だろうが、それだとあとで某中井女流六段に、
「陽子ちゃんが4本で、私が1本って、おかしいんじゃない!?」
とムクれられそうである。いや、絶対にムクれる。
ここは船戸女流二段3本、某中井女流六段に2本、が適当であろう。船戸女流二段には3本を差し上げた。
このあとは有志でジョナサンへ行く。駒込店のジョナサンへ行くのも、あと数回だ。今回は、7月から金曜サロンのレギュラーになった、Tat氏が初参戦した(もっとも彼は、先週もジョナサンへ行ったかもしれない)。合計7人。
前週の金曜サロンはお盆の時期だったこともあって、ふだんはサロンに来られない会員も何人か来たそうである。中には私との対戦を所望した方もいらしたそうだが、欠席で申し訳なかった。
きょうのジョナサンは、わりと早い時間から会員が徐々に帰途に着いてしまい、気がつくと、W氏とTat氏、それに私の3名になってしまった。しかし時刻はまだ11時である。植山悦行手合い係がいらしたころは、もっと時間が経つのが早かった気がする。
Tat氏、サロンでは寡黙だが、酒が入るとやたら饒舌になり、面喰らった。よくこれだけ将棋に関する話が出るものだと、感心した。最初は真面目な人かと思ったが、やはりそうではなかったのだ。これはじゅうぶん、「ジョナサン組」に入る資格を有している。
かくしてまた、金曜サロンの会員に、特異キャラがひとり増えた。
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最終便

2010-08-25 00:33:31 | 旅行記・沖縄編
私がこれから乗る飛行機はANA994便(那覇20時50分発・東京/羽田23時10分着)である。これは最終便で、私はいつも帰京する時、最終便を予約する。
なにしろ現地ではなにが起こるか分からない。自宅は山手線沿線にあるから終電の心配をする必要もないので、遅い便を取るに越したことはないのだ。
しかし今回はちょっとウッカリした。石垣から那覇のANA最終便が18時55分那覇着で、それからお土産をいくつか買って時間をつぶしたものの、時間があり余ってしまったのだ。こんなことなら、東京行きの便をもう少し早くしておくのだった。
そんなとき、
「ANA992便、那覇20時20分発、東京行きは、現在満席でございます。お客様の中で、ANA994便、那覇20時50分発東京行きに振り替えをしてくださる方はお申し出ください。1万円の謝礼をお渡しいたします」
との放送が流れた。こうした放送は繁忙期にままあり、事前に利用客からの予約を取ったものの、意外にキャンセルがなく座席が足らなくなったのか、或いは単に、一刻も早く東京に帰りたい! というキャンセル待ち客の要望を聞き入れてのものか、とにかくそういう放送が入ることがあるのだ。実際いままでにも、札幌雪まつりの日曜日とか、3連休の最終日とか、こうした放送は何度か聞いたことがある。しかしそれらはすべて、「最終便」だった。
今回は「ラス前」992便の乗客への放送だから、これは珍しい。どちらにしても、30分の帰宅を遅らせるだけで10,000円のキャッシュバックだから、これは大きい。だが…私は最初から994便を予約(購入済)しているので、残念ながら該当しない。
なんてことだ、と思う。もし992便を予約していたら、すぐにカウンターの係氏に申し出るところだ。ああ、キャッシュバック10,000円の幸運に浴した乗客はいたのだろうか。
ただ仮に自分が992便を取っていて、カウンター氏に申し出ても、恐らく
「おかげさまで、乗客の皆さまは無事全員乗れることになりました」
と言われたろうが、試しにカウンターに駆け込んでみたかったところである。
那覇空港内のローソンで「ソーミンチャンプルー」を買って夕食とし、ANA994便に乗る。いつも書くことだが、行きの飛行機はあんなに楽しいのに、帰りの飛行機はなぜこんなにつまらないのだろう。
飛行機は定刻に離陸。音楽を聴きたいが、ヘッドホンは座席前ポケットにはなく、スッチーが配っていた。全部は用意せず、「使う人にだけ渡す」という涙ぐましい倹約である。
倹約といえば、新聞廃止に続いて、飲み物が有料化になったことには驚いた。機内誌に、飛行機内は乾燥するから、多めに水分を取るように、と書かれてあった気がするが、その水分をおカネで買わねばならなくなったのだ。
幸い現在は、水とお茶は無料で提供となったが、タダならお茶をいただきます、と思われるのもおもしろくないので、スッチーが横を通っても、私は機内誌を読むフリをして、無視した。
倹約もいいが、あまり度がすぎるとサービス低下になり、やがて乗客離れを起こすことを、航空会社は肝に銘じたほうがいい。
定刻を少し遅れて、飛行機は羽田空港に着陸した。空港第2ビル23時26分発・浜松町行き区間快速があり、それに飛び乗った。前回ゴールデンウイークのときは、ふつうにSUICAを使って改札を抜けてしまったのだが、今回は自動券売機で「モノレール&山手線内きっぷ」(500円)をしっかりと買った。これでふつうに買うより、130円浮く。
羽田空港第2ビルは始発なので、座れることが多い。進行方向逆の席だったが、私も座ることができた。
JALの最寄り駅である第1空港ビル駅に着くと、かなりの乗客が乗ってきた。この人の多さ。東京へ帰ってきてしまったことを、イヤでも実感する。
これであとは、自宅へ帰るのみである。私はうつろな目で窓外を見る。…ええっ!? あ、あの女性…!! 昔の外国映画に出ていたかと見紛うような、超ウルトラスーパースペシャルに綺麗な女性が、窓に映った車内に見えたのだ。
な、なんだ!? なんであんなに綺麗な外国人女性が、こんな一般市民が利用するモノレールに、ふつうに乗ってるんだ!?
分からん。分からないが、彼女はふつうの職業ではないぞ。あの美貌は、絶対に周りがほうっておかない。絶対にそれを活かした職業に就いているはずだ。
いやしかし…何という美形だろうか。つい目が行ってしまう。あの美貌には、山口恵梨子女流初段と室谷由紀女流1級が束になってかかっても敵わない。
あの美女は間違いなく、終点の浜松町で降りる。そこから何線に乗り換えるのだろう。ああ…気になる。大井競馬場前駅だったか天王洲アイル駅だったか、男性客が乗ってきて、彼女の近くに立った。あ、彼女が見えない!! 邪魔だ、邪魔だオッサン、どけ!!
モノレールは浜松町に着いた。私は彼女を探す。しかし彼女はもう、見当たらなかった。
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辺銀食堂で食事をする

2010-08-24 00:59:59 | 旅行記・沖縄編
18日(水)の朝が来た。きょうが泣いても笑っても、沖縄旅行の最終日である。
7時前に起きて、軽い朝食を摂ったあと、三たび辺銀食堂へ向かう。整理券をもらったあと、今度は石垣港ターミナルへ足を伸ばした。実は前夜サトコさんから、石垣港の売店でもペンギンラー油が1,800円で売られている、との情報を得ていたからだ。タイム・イズ・マネー。昼に辺銀食堂へ行って2本目のラー油を買うくらいなら、だいぶ値段は高くなるものの、港でそれを買って、昼の時間を観光に回したほうがいいのでは、というサトコさんのアドバイスであった。
港の売店をさりげなく窺うと、前日に200円で弁当を買った店に、石垣島ラー油が1,800円で売られていた。定価は800円だから、かなり高い。ヒトの足元を見る、とはこのことだ。5、6本置いてあったが、おカネを出しても買いたい人は、買う値段だ。
私も一瞬躊躇したが、買う。石垣島での3日間の夕食は、290円ののり弁当、650円のカツ丼セット、200円の弁当だった。このラー油はその3日分を合計しても、さらに660円高い。自分でも、何をやってるんだろう、と思う。
宿に戻って一休み。この日は9時35分に石垣バスターミナルを発車する川平リゾート線に乗り、川平湾を一瞥。そして昼のバスで戻り、辺銀食堂で昼食を摂るのだ。もちろん「5本目」のラー油を手に入れるためだが、食堂の味も期待大なのはいうまでもない。
清水さんは、私が買った石垣島ラー油を見て、「やっぱりボクも…」と、港まで買いに行った。彼も話題性には勝てなかったようだ。あとで後悔しなければいいがと思う。
「旅の一言ノート」に、書き込みをする。自分でも赤面するような、かなり大胆な内容のものを書いた。私を知る者には、絶対に見せられない文章である。私が宿を離れたあと、サトコさんが返事を書いてくれることになっているが、彼女はそれを読んで、どう思うだろう。大笑いしたあと、ホロッと泣くかもしれない。
サトコさんが、
「もう、この宿でヘルパーになっちゃえば?」
とありがたい申し出をしてくれるが、私は20日(金)に東京で、船戸陽子女流二段と島井咲緒里女流初段に将棋の指導を受けるのだ。宿でのヘルパーは、またの機会とする。
いよいよお別れの時間だ。サトコさんと清水さんに見送られる。宿泊客を見送るのと、見送られるのと、どちらがつらいか。見送られるほうが、はるかにつらい。八洲旅館ユースホステルでの丸3日間は、とても楽しかった。ありがとう。
石垣バスターミナルから、川平へ向かう。10時20分、川平公園前着。いま通ってきた道をちょっと戻り、まずは「川平郵便局」で貯金をする。818円。
とって返して、川平公園を散策。石垣市の職員と思しき男性(2人)が、てっぺんを切られた大木を見ている。
「これは…どうしたんですか」
「『でいご』だよ。害虫、ヒメコバチにやられて、枯れてしまった」
「これ、でいごなんですか」
THE BOOM「島唄」の冒頭に「でいごの花が咲き…」と出てくるが、こんな大きな木だとは思わなかった。ハイビスカスのような、そのへんの庭に咲く草花だと思っていた。
「ヒメコバチはでいごだけ枯らすんだよ」
辺りを見渡すと、木の皮が剥がれ、枯死している大木があっちこっちにある。かなり幹が太く、樹齢もありそうだが、これ全部、害虫にやられたのか!? これは重大な問題ではないのか!? そのうちの1本を見てみる。幹に無数の穴が開いている。害虫がここから入り、木を食らう白アリのように、中を食いつぶしたのだろうか。
ちょっと気が滅入ったまま、川平湾を見渡せる展望台へ行く。ついこの前のテレビ東京系の番組で、どこかの観光地のベスト1に、この川平湾が選ばれていた。きょうは空が曇っているが、それでも見事な景観だ。しかしこの景色は何度も見たし、大した有難味はない。午前中は昼に辺銀食堂へ寄るための時間潰しみたいなもので、こんなことならサトコさんの言うように、1日を観光に回したほうがよかったかもしれないが、自分の決めたことだから後悔はない。
帰りのバスまで時間がある。シャレた土産物屋の中に食堂があったので、そこに入り、八重山そばを注文する。昼食は辺銀食堂で摂る予定だが、東京の人気ラーメン店のように、何十人も並んでいたら、私は食事を諦める。用心のためにも、腹に何か入れておいたほうがよい。
食後、公園に戻る。でいごの1本が、大きく切られていた。中を覗くと、空洞(うろ)になっている。ヒメコバチはここまででいごを食いつぶしたのだ。これではでいごが枯れてしまうわけだ。害虫の恐ろしさを目の当たりにして、私は思わず、唾を飲み込んだ。
先ほどの職員らが、枯れた木を切る順番を検討している。きょう1日で、枯死したでいごをすべて伐採するらしい。樹齢数十年の木を切る職員の気持ちを思うと、こちらもやりきれない。
しかしこの被害は、私が考えているより深刻なようだ。でいごは沖縄県の県花である。県はでいごの保護を最優先に、予算を遣うべきである。
帰りのバスは、川平リゾート線12時05分発・バスターミナル12時50分着と、米原ヤシ林経由の米原キャンプ場線11時30分発・バスターミナル13時10分着がある。米原キャンプ場線のほうが行きと違うルートを通るので楽しいが、バスターミナルに戻るのが20分遅い。
昼の20分は貴重である。私は迷った末、川平リゾート線で、行きと同じルートで帰ることにした。
12時05分発のバスは、女性の運転手だった。この運行は東(あずま)バスだが、だいぶ昔、イチローそっくりの運転手がいた。彼はいまも勤務しているのだろうか。
定刻の12時50分、石垣バスターミナル着。すぐに私は辺銀食堂に向かう。店の前には何人か並んでいて、数えてみると14人いた。壁際にはベンチが置かれ、うちわが数本挿してある。給水機も置かれている。お店の方も、お客に気を遣っているのだ。まあ儲かっているのだから、そのくらいの用意をしてもバチは当たるまい。
待っている人が3人まで減った。しかし私のうしろには誰もつかない。時間は午後1時10分を回った。これなら米原ヤシ林周りのバスを利用してもよかったが、それは結果論であろう。そのうち、私のうしろに4人ついた。そうきてくれないと、私も並んだ甲斐がない。
いよいよ私の番になって、入店。中はカウンターが約10席と、テーブル席のみだった。メニューの最初の頁に「お昼セット」と書かれている。5種類のギョーザやジャージャーメンなどがついて、1,000円。これをオーダーする。
最初は島豆腐が出てきた。これにラー油をかけて食べるらしい。船戸女流二段なら喜んでドバドバかけるところだが、私は少量である。まあ、美味かった。
続いて5種類のギョーザが各1個と、スープが出てきた。ギョーザは皮と中の具がそれぞれ違い、プリプリしていて、いずれも美味だった。
最後はジャージャーメン(小)。これもラー油をかけて食べる。麺にコシがあり、食べ応えがあった。ラー油はそんなにかけなくてもいいと思う。川平公園の食堂で八重山そばを食べたことを少し後悔した。
以上、けっこう品数があったし、これで1,000円なら、まずまずであろう。辺銀食堂の味についてはいろいろ聞いていたが、思ったより美味かった、というのが実感である。
整理券をもらって2階に上がり、本日3本目、都合5本目の石垣島ラー油(これは登録商標である)を手に入れる。絶対にやってることがおかしいと思うが、これも船戸女流二段の喜ぶ顔を見たいがためである。
帰りの飛行機は、株主優待券の関係で、いずれもANAである。石垣発18時05分、18時55分に那覇に着き、そこから20時50分発の東京行き最終便に乗る予定である。
まだ時間がたっぷりあるので、あやぱにモールをぶらぶらする。朝、ユースできょう1日の行程を話すと、それなら荷物を置いて、後で取りに来れば? とサトコさんに提案されたが、それを実行してしまうと、宿を離れ難くなる。感謝の言葉のみを、述べておいた。本当にサトコさんには、お世話になった。
ちょこちょこお土産を買って、石垣空港へ向かう。17時40分ごろ、チェックイン。長いような短いような石垣島での4日間だったが、ついにお別れだ。
機内に入ると、スッチーは3人いた。離陸前、シートベルトやライフジャケット装着の実演をするが、私の近くにいたスッチーが、松坂慶子と樋口可南子、それに深田恭子を足して3で割ったようなモノスゴイ美人で、私は思わず見とれてしまった。あんな美女を目の当たりにすると、経営難とはいえ、やっぱりスッチーは花形職業なんだなと思う。
18時55分、那覇空港着。何しろ待ち時間はたっぷりある。いったんゲートを出て買い物をしたあと、再び荷物検査をして搭乗口付近で待つ。そのとき、予想もしていなかった放送が流れた。
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ゆんたくの時間Ⅱ・14年前の自分に会う

2010-08-23 00:19:20 | 旅行記・沖縄編
宿に戻ってシャワーを浴び、夕食(弁当)は後回しにして、八重山郵便局裏の「あやぱにモール」をぶらぶらする。何を買うわけでもないが、私はこの時間が好きだ。
店のおばちゃんが「キャー」と歓声を上げている。甲子園大会で、沖縄の興南高校が得点を入れたらしい。興南高校は沖縄本島だと思うが、数年前に八重山商工がかなり勝ち進んだときは、島をあげての応援で、たいへんだった。
あやぱにモールの帰りに、喫茶店「プラゼール」へ寄る。数年前にふらっと入った店で、中はカウンターとテーブル席が3つ。おばちゃんが経営する、なんてことのない喫茶店である。ただしここのアイスコーヒーには大きな特色がある。氷もコーヒーなのだ。
あれから店には入っていないが、まだアイスコーヒーの氷はコーヒーだろうか。カウンターにはおっちゃんがふたり、高校野球を見ている。私もカウンターに座り、アイスコーヒーを頼む。出てきたそれは、やはり氷もコーヒーだった。これだと(たぶん)氷が溶けにくいうえ、溶けても味が薄くならない。ただし前回は氷が板状だったが、今回は立方体である。
「オオーッ!!」とおっちゃんが大声をあげる。「(うるさくて)すいませんねぇ」とおばちゃん。興南高校が逃げ切りそうである。
宿に戻る。ドアを開けると、そこが「ゆんたくの間」だ。サトコさんがいた。失礼して、弁当を食べさせていただく。きょうの宿泊者は私のほかに男性ひとり。しかしその人はまだ帰って来ないので、ふたりでお話。鳩間島「民宿まるだい」に泊まっていたら中村桃子女流1級似の女性と話せたが、石垣島「八洲旅館ユースホステル」の、中井広恵女流六段の遠い親戚似のヘルパーさんとの話もおもしろい。これに前日は斎田晴子女流四段似のホステラーがいたのだから、考えてみれば強烈な面子だった。
鳩間島へ行ったことを話すと、
「よかったですね。西表島は雨だったそうですよ」
とサトコさんが言う。
八重山といっても広くて、島によって天気が違う。西表島は鳩間島の目と鼻の先にあるといってもいいが、それでもこれだけ天気が違う。私は今回、幸運だった。
立原の浜の出入り口が石垣で埋められていたことを言うと、それを見せて、と彼女が言うので、デジカメを持ってくる。しかしその石垣は撮っていなかった。自分でもどこを撮ったのか、記憶が曖昧である。
せっかくなので何枚か画像を進めると、「お食事処 ソムリエ」の看板を撮った画像が出てきたので、その説明をしたら大笑いされた。サトコさんと斎田晴子…じゃない、シノブさんには、私のプライバシーをかなりしゃべってしまった。ちょっと弱みを握られた形で、今度どこかで再会したら、ちょっとマズイ。
サトコさんもミニアルバムを持ってくる。中を見ると、現在とはイメージが違い、コギャルの趣がある。サトコさんもあっちこっちを旅行しているから、ここに収められている写真は、自慢の写真なのであろう。
「ここ、ここの海がいいよ」
透明な海をバックに、サトコさんがジャンプしている図だ。慶留間島だという。沖縄本島から西に40キロほど行った、慶良間諸島のひとつだ。
「ほら、写真なのに波しぶきが透明で、ゼリーみたいでしょ!! これを肉眼で見たらスゴイよ~!」
と興奮しながらまくしたてる。
たしかに慶良間諸島の海は綺麗で、私も渡嘉敷島の阿波連ビーチは何度か訪れたことがある。もちろん時間があれば慶留間島も訪れてみたいが、時間が限られている中では、どうしても宮古島か石垣島を優先してしまい、本島周辺の島々は、とんとご無沙汰している。
次はゼヒゼヒ!! と勧められたが、微妙なところであった。
もうひとりの宿泊者から電話が入る。(石垣島のほぼ中央にある)野底岳に登ったのだが、下山道を間違えたのだという。野底岳は、数年前に別ルートの登山道ができた。頂上から降り始めるとすぐに岐れ道があり、ここで間違えると反対側に出てしまう。もう外は暗いが、大丈夫だろうか。
午後9時半ごろか、その宿泊者が戻ってきた。とりあえず安心する。彼は中村俊介似のハンサムな男性だった。
すぐにでもシャワーを浴びたいところだろうが、私たちの話が盛り上がっているので、彼もこの輪に入ってしまう。どうでもいいが、彼の名字は「清水」といった。斎田さんが去ったあとは清水さんか…。さらにどうでもいいが、サトコさんも以前、「清水」を名乗ったことがあるらしい。
清水さんもコンパクトデジカメで野底岳の写真を撮ったというので、その画像を見せてもらう。野底岳は、私が石垣島の中で最も好きなスポットである。ただ今回は登る予定がなく、15日に飛行機から見た景色でその代わりとした。ところがひょんなことから、きょう現在の野底岳が見られることになったわけだ。便利な世の中になったものだと思う。
画像で見る野底岳からの風景は、ちょっと空が曇っていたが、素晴らしい。石垣島は熊倉紫野女流初段も好きなようだが、野底岳登山をお勧めする。ただし身の安全のため、できれば男性といっしょに登ったほうがよい。
Tシャツ屋のデザイナー氏が遊びにくる。市川海老蔵に似た、ナイスガイだ。トライアスロンやマラソンが好きで、あっちこっちの大会に出没しているとのこと。東京マラソンには全身のかぶり物で参加し、テレビ局に敬遠されたらしい。よく分からん。
ユースの会員カードについている宿泊カードに、3日分のスタンプを押してもらう。蛇腹状になっているカードを拡げると、1996年の宿泊分から、このカードに押されていた。
それを見ていたサトコさんが懐かしがって、ユースに置いてある「旅の一言ノート」を引っ張り出してきた。いまはそれほどでもないが、昔はユースの旅行者が、島旅の感想や最新情報を、このノートに克明に書いたものだ。だがいまは、ネットが発達して最新情報が簡単に入手できるうえ、ユースの利用者自体も減って、感想を書く宿泊者は激減した。
私も昔は何か書いたはずだが、見つからない。そういえばサトコさんも、夏の間にこのユースでヘルパーをしたことがあるそうだが、まったく記憶にない。私も毎年このユースを利用しているわけではないので、妙にすれ違っていたようだ。
1996年と2001年のノートに、私の感想文が書いてあった。わりと短文だ。当たり前だが、筆跡がいまとまったく変わっていない。
1996年は海水浴に関心はなかったが、「黒島の仲本海岸があまりにも綺麗だったので、パンツのまま入っちゃいました」と、恐ろしいことが書いてある。いまなら絶対にこんなことはしない。
2001年も素っ気なく、「今年も石垣島に来られてうれしい」と書いてあった。サラリーマン生活を辞めてから初めての沖縄旅行で、まだ心の整理がついてなかったころだ。
なお、おととし2008年は絶対書いているが、そのノートは見当たらなかった。
こうして見ると、感想文を書いた当時の心境が克明に思い出されてくる。それはサトコさんも同意見だった。旅先での「旅の一言ノート」は、過去の自分を想起させてくれる、タイムカプセルでもあったのだ。
なんだかきょう1日は、妙に疲れた。ゆんたくの最中でも、頭が朦朧としていた。寝不足が蓄積されているのかもしれない。
翌18日も、辺銀食堂詣でである。この日は12時近くに就寝。すぐ眠りに落ちた。
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鳩間島へ行く

2010-08-22 00:55:40 | 旅行記・沖縄編
17日(火)も午前7時前に起床した。この日も石垣島ラー油を買いに行く。きょうは船戸陽子女流二段のぶんである。某中井広恵女流六段に船戸女流二段へのプレゼントの話をしたとき、某中井女流六段は目を剥いたが、そこへいくと船戸女流二段は奥ゆかしい。私の石垣行きを知ると、
「大沢さんに並んでもらってまで、ラー油を買っていただくことなんてできません。私のぶんはいいです」
と言ったものだ。そんな殊勝な言葉を聞くと、朝の5時にでも6時にでも起きて、整理券をもらいたくなる。この日の起床は、ちーっとも苦にならなかった。
簡単な朝食(無料)をいただいたあと、7時30分すぎに辺銀食堂へ向かう。前日の経験を踏まえたもので、前日よりはやや後方の位置になったが、これでも整理券は手に入るからよい。
ただ内地のお盆は終わったものの、まだ前日と同じくらいの人が並んでいる。しばらく経つと、お店の女性が出てきて、私たちをカウンターで数え始めた。
前日も考えたことだが、整理券を1枚もらって再び最後尾に並び直し、2枚目をもらっても、スタッフには分からないのではないか? 前日と同じ7時54分に整理券が配られはじめ、私もいただいて最後尾を窺うと、お店の女性がついていた。これでは再度並びにくい。不正のないよう、お店のほうもよく考えているのだ。
宿に戻ると、シノブさんが名古屋に帰るところだった。サトコさんは彼女を空港まで送るそうだ。
「さびしくなるよ。いろいろお世話になりました」
と私。
「ええっ…大沢さん、そんなこと言って、泣かすのうまいのね」
とシノブさん。たとえ2日間でも同じ屋根の下でいっしょになれば、もう立派な友達だ。
ユースの玄関前で、ヘルパー・サトコさんとのツーショット写真を撮ってあげる。前々日は甥ごさんの相手に懸命だったシノブさん、見かけによらず、面白い女性だった。またこのユースで会えたらうれしい。
さて、この日の私の行程は未定。西表島か鳩間島、どちらかの日帰りを考えている。西表島は星砂の浜、鳩間島は立原(たちばる)の浜が目的だが、西表島は港に着いてから、浜まで時間を要する。さんざん考えて、鳩間島へ行くことにした。
石垣港からは11時00分発の高速船が出ている。私が初めて鳩間島に訪れた9年前は、貨客船が火・木・土曜日に出航していて、観光客はそれに便乗するだけだった。むろん客室などなく、私たちは甲板で佇むだけ。やたら暑いが、大型船から見る八重山の海は、思わず歓声をあげたくなるくらい、真っ青だった。
当時は民宿が3軒あるだけだったが、いまは新しい民宿やペンションが林立し、10軒を数える。港には立派な待合室と桟橋もできた。観光客も増えたが日帰り客も増えたに違いなく、果たして島がうるおったかどうかは、分からない。しかし確実に言えることは、この小さい島で、小さくない自然が破壊された、ということである。
石垣港ターミナル内の売店で400円の弁当を買い、鳩間行きの高速船に乗る。40分で着いた。とりあえず「鳩間簡易郵便局」で817円の貯金をしたあと、「ゆみちゃんち」を確認する。立原の浜にはシャワー施設などない。「ゆみちゃんち」はシャワーの提供があるので(300円)、帰りはここへ寄るつもりである。
島の一周は約4キロだから、移動はラクだ。そのまま立原の浜に向かおうと思ったが、足が自然に「民宿まるだい」へ向く。9年前に訪れたときは2軒の民宿に宿泊を断られ、最後の1軒、この「まるだい」に断られたら、私は野宿を余儀なくされていた。そこをご主人が快く泊めてくれ、そのときから私は、鳩間島にくると「まるだい」を定宿にしたのである。
ちなみにこの「まるだい」が舞台になったテレビドラマ「瑠璃の島」が放映されたのは、その4年後であった。
「まるだい」に入ると、ちょうど昼食中だった。若い女性が見える。宿泊客であろう。
「泊まるわけじゃないんですけどー」
と声を掛けると、
「いらっしゃい」
と食堂の奥から声がしたので、私は招かれるまま食堂に入った。ちょうど昼食の時間だ。
あれっ? 中村桃子女流1級? あ、違うか…。しかし雰囲気や体形は似ている。きょうの宿泊は彼女だけらしい。宿のおばちゃんが、
「オオサワ…さん? いつも箇条書きの年賀状をくれる…」
と言う。「箇条書き」とは、私が年賀状に書く「私の10大ニュース」のことだろう。
「ああ、はい、そうです。ご無沙汰しております」
きょうは宿泊できない旨は伝えたが、ご主人夫婦は飲み物を出してくれ、歓待してくれた。私は提げていた弁当を開き、食べる。
話のタネにと辺銀食堂の話をしたら、ご主人は辺銀食堂のオーナーの友人だという。
「ほら、そこ」と指差す方向を見てみたら、壁に年賀状が貼ってある。辺銀食堂オーナー夫婦からのものだ。写真のバックが白銀で、外国らしい。
「今年はオリンピックを観に、バンクーバーまで行ったらしいよ」
とご主人。石垣島ラー油さまさまというところか。続けて、
「このまえ辺銀食堂に行ったら、人がいっぱいいて、店に入らずに帰ってきた」
と恐ろしいことを言う。私は翌18日に辺銀食堂で780円以上の食事を摂り、ラー油を買うつもりである。某中井女流六段はともかく、辛いモノ好きの船戸女流二段には、ラー油が何本あっても困らないだろう。しかしランチタイム内に食事はできるのだろうか。
「竹富島の(産業)廃棄物がここ(鳩間島)で処理されることになった」
とご主人。
「エエッ? なぜですか。ここは鳩間島で、竹富島とは関係ないでしょう」
「鳩間島も(住所は)竹富町だから」
「あっ、そうか」
しかし…と思う。周囲4キロしかない小島に、何もほかの島のゴミを持ってくるとはないだろう。鳩間島の島民感情はどうなのだろう。
向かいの中村女流1級(似)は、千葉県の松戸市から来たという。若い女性がこんな辺鄙な場所に一人旅とは珍しいと思い、理由を訊いたら、とにかくひとりになりたかったのだという。那覇に到着したが、那覇は都会。石垣島も考えたがやはり人が多そうで、ネットで調べたらその先に鳩間島という小島があることを知り、ここまで来たのだという。
「きのうは港で夜空を眺めてました」
「天然のプラネタリウム。いいですよねえ。ほらあの港の、船が係留されてて、こうナナメになってるところがあるでしょ。あそこに寝っ転がってボーッと夜空を眺めているとね、こんな贅沢なことはないなあ、と思いますね」
「ああ、ワタシもそこで11時まで寝てました」
「ぐっ…そうですか…」
う~、鳩間島の港でひとり、夜空を眺める。私が30代後半で初めて見つけた「鳩間島の夜空観賞法」を、彼女は20代前半の若さで、すでに経験したのだ。
私がシャワーの場所を確保したことについて、
「私も10年前なら自然乾燥で済ませましたけど、この歳になるとさすがにねー」
と言うと、中村女流1級はケラケラ笑った。
おばちゃんにデザートのゼリーまでごちそうになり、私は恐縮しつつ宿を出、立原の浜へ向かう。小さい鳩間島で、ご主人が「水族館」と呼び一番に推す浜で、干潮のときは沖の奥の奥の奥にある、それはそれは素晴らしいサンゴの数々を見ることができる。
…と期待を膨らませたのだが、なんと立原の浜の入口が、サンゴの石垣で埋め立てられていた。こ、これはどういうことだ!? 宮古島の新城海岸へ行ったときは、海の家のスタッフからライフジャケットの装着をお願いしますと言われたし、黒島では黒島研究所が、ライフジャケットを無料で貸し出していた。
鳩間島も観光客が増え、勝手に泳いで溺れられたらかなわない、ということなのだろうか。メインの入口の左右にも細いながら浜に下る道があったのだが、そこも塞がれている。道なき道を探して岩場まで出たが、ここからは断崖になっている2~3メートルの石垣を降りねばならない。
もう完全に観光客を拒否している感じだが、こっちもTシャツは汗でびっしょり、海でさっぱりしないとやってられない。潮は満ちていて奥には行けないが、とりあえず海に入った。気持ちいいが、持参した新規のシュノーケル用メガネに海水が入り、往生した。
17日の石垣島は、午後から雨の予報だった。海に入っているのだから雨は関係ないように思われるが、崖の上には旅行カバンは置いてあるし、曇っていれば海の中が見えない。やはり晴天に越したことはないのだ。
浜の近くのサンゴと魚の鑑賞で我慢するが、それでいい。こんなところで溺れたら、誰も助けてくれない。大山康晴十五世名人の将棋のように、浅い場所をそろそろ泳いでいれば、間違いはないのだ。
遠くで雷がゴロゴロ鳴っている。まだ雨は降っていないが、イヤな感じである。自然道のところで、クルマが止まった音がする。これを潮に、私はそのまま海を上がることにした。その音の主は、どこかのテレビクルーだった。軍手をはめた女性レポーターが、不審そうに私を見ていた。
島内を水着で歩くのはマナー違反だが、無視して「まるだい」へ行く。さっきおばちゃんが、「海から上がったら、うちのシャワーを使いなさい」と申し出てくれたからだ。
門をくぐると、部屋の縁側で中村女流1級(似)が、Tシャツにホットパンツというラフな姿で仰向けになり、右膝を立てている。先ほど郵便局へ向かう途中に、大木の陰で読書をしている宿泊客がいたが、中村女流1級もまた、夏の八重山でのんびり、を実践しているというわけだ。
それにしてもこの姿はちょっとセクシーだ。
「あの…シャワーを借ります」
と言うと、彼女は妖しく笑って、
「どうぞ…」
と言う。なんだかドキドキしてしまう。シャワーを浴びると、食堂にご主人がいたので、300円を強引に置いた。
帰り際に彼女を見ると、今度は腹這いになっていた。まるでモデル撮影会のようだ。こ、こんな感じで、ふ、船戸女流二段を…。
きょうの宿泊はあのコだけか…と後ろ髪を引かれつつも、17時10分発の高速船に乗り、西表島を経由し、石垣島へ戻る。港ターミナル内を通ると、売店のひとつが、昼(朝)に売っていた弁当を半額(200円)で売っていた。こういう安売りに私は弱い。きょうが最後の石垣の夜になるのに、ついその弁当を買って、晩ご飯にしてしまう。
そのまま旧港ターミナル方面に出る。…うわっ!!
左手に「お食事処 ソムリエ」という看板が立っていたので、ビックリした。
「ファンランキング6位の中井さんと、1位の私が同じお土産じゃ、おかしくない?」
という船戸女流二段の声が聞こえたような気がした。
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