平清盛 嫡男 平重盛の三男である。叔母は徳子で安徳天皇の母、所謂 建礼門院、祖母は時子で、壇ノ浦で安徳天皇(孫)と入水した所謂 二位尼である。
清経は都落ちで悲愴感につつまれ更に追い討ちをかけるように元家来にも冷水を浴びせられた。それがきっかけだったかどうかは判らぬが豊前国柳浦で入水、遺体が苅田まで流されたのである。
以前から道路を走るたびに気になっていた場所があったのでちょっと寄ってみた。遠目からは小さな古墳だと思っていたのである。ところが・・・ご覧の通りである。
残念なことに説明文中の漢字が間違っている。文中下から三行目<霊を慰めるため3基の供養等を建てた>とある。
情けないのは<等>である。「供養塔」の間違いである。何故間違いに気がつかないのだろうか。気がついてもそのままにしているのだろうか。御所山古墳で作業している教育委員会の者に一言言っておかねばならん。以前にも「縣主」と書かねばいけないところを「懸主」と書いていたので注意をしたばかりだったのである。文化財である。漢字は正しく書こう。
そういえば 「古憤」には大憤慨したがな。と言うよりは大笑いだったな。
九州の雪 これ位の雪でもうおたおたするのである。動けばそれだけで寒い。ベランダに雪が積もり始めた。
おーぞくぞくするぞ。
外に出て野中(今時そのようなものはなかろうが)を駆け巡るのは犬でさえいない。寒いときはじっと耐えるのが当然だ。
昔取った杵柄で自転車で行ってみようかと思って「貸し自転車はありますか」「ありません」即答だった。
「うむー」苦みばしった顔で悩んでしまった。「タクシーで行けば」と天の声が聞こえてくるのだ。読者諸氏もそう思われるかもしれないがそれでは面白くない。金がないという理由ではないことを断っておかないといけないな。
タクシーは新幹線であり、バスはローカル線の各駅停車なのである。これだけの差がある。味も素っ気も無い。
やはり歩いていこう。ただし本来の目的は別の機会にするということで、勧められるところを歩いてみよう。
頂上に立つ案内板 以前は禁煙と言う文字に少々腹を立てていたものだが、今はもうタバコを吸わないので気にもならなくなった。しかし、少々腹が出てきたかな。
入口近くに咲く蝋梅である。黄色く小さな花つけているがまだ目立たなかった。
周濠に下りてみた。ここには本来水が張られてある。ご存知のように周濠は今再発掘されているので水は抜かれているのである。現役の周濠に降り立つことが出来るのは珍しい。今のうち。今のうち。
我輩の目の高さで水平に陸橋を見ているのだが、底からは2.5m~3.0m位はある。