太宰府から博多へ逃げ、箱崎、香椎,宗像、芦屋、そこから小舟で柳ヶ浦へと逃避行。藁にもすがる思いで宇佐神宮に神託を得るために参詣した。ある言葉を期待しただろうが期待とは全く裏腹な神託が返ってきた。八幡は源氏の氏神だ平家の期待する神託なぞ返ってくる訳が無い。とうとう清経にとどめを刺してしまったのだろう。夜半、月光の中、横笛を吹き、吹き終わると経を読み念仏を唱えて入水した。物心ついたときから入水するまで 平家物語の言葉を借りるなら 彼にとっては ただ春の夢の如く、風の前の塵に同じだったと 入水した瞬間悟っただろうな。そして彼よりも若くして死んでいった者達の顔が走馬灯のように頭の中を駆け巡ったことだろう。
二年後 平安時代は終る。
手光波切不動古墳の真横に来た。たったこれだけの木しかないのだから遠目からでは古墳の存在が判らないはずだ。
調査するために木々を伐採しているようだ。作られた当初の姿を見ているのかしれん。
手光と書いて「てびか」と読む。

これは自宅にある植物である。全くもって我輩には縁の無い名前を持っている。「金の成る木」である。
本当は変漢ミスをしたいのだが「鐘の鳴る木」に。

もう見飽きたかもしれんな。