かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

釈迦

2011年10月19日 | Books
アユタヤがたいへんなことになってしまっている。
あんな風になるなど、想像できなかった。
日本産業に与える影響も甚大だ。
こればかりは、天に祈るしかない。

チャオプラヤー河をクルーズした記録もH/Pにあるので、ご興味のある方は、どうぞ。

普段から、水を満々と湛えた河であったことはわかる。



お釈迦様についての本もずいぶん読んできた。
本書は、その中でも、決定版と銘打っているように、日本人にとっては、打って付けの本かもしれない。
ひろさちやさんは、その他にも、仏教に関する読みやすい本を沢山書いておられるし、そのご本人が、決定版と銘打っておられるのだから、間違いない?

本書の一つの特徴は、大乗仏教の仏陀観に立った、釈迦像だ。
ティクナットハンさんの本の時にも、触れたが、日本に伝わった、大乗仏教は、中国経由で伝えられたもので、パーリ語で書かれた仏伝よりも後にできたもの。かなりの装飾が加わり荒唐無稽な部分も多い。そこで、仏陀の生涯を描くとなるとパーリ語で書かれた仏伝によることが多くなる。
ひろさちやさんは、大乗仏教に書かれた荒唐無稽な話の中にも、真実が隠されていると考え、それらを総合的に踏まえた釈迦伝を書くかれようとした。

読者を、今現実に普通に生きている日本人に絞り、ブッダの教えを、よりわかりやすく説明することに成功しているように見える。

例えばこんな感じだ。

「五百万円の年収の者は五百万円の自分を、一千万円の年収のものは一千万円の自分を、しっかりと、そして楽しく生きることだ。そのように「あきらめ(明らめ)」たとき、それがー涅槃の境地ーである。そのとき、われわれは健康になりたい、金持ちになりたい、名誉が欲しい・・・・・といった欲望が消えているからだ。さまざまな欲望が消え去り、われわれは静けさの境地に達している。そして、そのとき、そこに真の幸福がある。釈迦が教えてくっれたのは、そのような真の幸福であり、涅槃の幸福であった。」

「諦め」を「明らめ」と表したあたりが、真骨頂かもしれない。

Let It Be の歌詞を思い出した。
コメント
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